ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

Korea Japan Trip 2007 (その6:ヒロシマ)

2007年03月28日 | Korea-Japan Trip

 

  ケネディスクールの一行を乗せたアシアナ航空第二便は、予定時刻を30分ほど遅れ、11時過ぎに広島空港に到着しました。

 昨日は雨だったらしい広島ですが、今日はまるで僕達を歓迎するかのような澄み切った青空。桜も正に見ごろということで、胸が躍ります。 

 思えば、昨年の7月16日、家族に見守られながら成田空港を発って以来早8ヶ月が経っています。久しぶりに踏む母国日本の土・・・しかも、ケネディスクールで得た大勢の素晴らしい仲間達との帰国。思わず感慨に浸ってしまいます。

 しかし、感傷的にばかりなっていられません。今日からは「楽しむ立場」から「楽しませる立場」へ。Korea Japan Tripに参加してくれた皆に、日本の魅力を十二分に味わってもらうべく、僕達ジャパン・コーカスのメンバー12名は一丸となってツアーコンダクター役、あるいは修学旅行の引率の先生役?をこなさなければなりません。

 既にご紹介したとおり、日本では今日・明日と以下の4つのグループに分かれて行動することになります。

 ☆ Aグループ:広島-京都
 ☆ Bグループ:広島-豊田
 ☆ Cグループ:京都-豊田
 ☆ Dグループ:広島-東京

  ちなみに僕はDグループの担当です。数年前、仕事の関係で1年ほど住んでいた広島。この素晴らしい町を皆に紹介できるのが楽しみでなりません。

 広島空港から一行を乗せたバスは一路広島市内へ。バスの中では、昨日のTの“トンボ”の熱唱の酔いから未だ覚めぬ連中が、「Karaoke! Karaoke!!」「Come on, T!! Woo~ Woo~ Woo~♪」とノリノリでしたがが、広島での最初の訪問地はカラオケではなく、もちろん、

     

  原爆ドーム、平和記念公園、そして平和記念資料館です。広島に住んでいた間、東京や外国から友人が来るたび案内していた平和記念資料館。僕自身は今回がこれで8回目の訪問になりますが、来るたび心が痛み、多くのことを考えさせられる場所です。Karaokeモードで盛り上がっていたケネディスクールのメンバーも、資料館に入ると沈痛な面持ちで、展示されている資料を見入っていました。

     

 館内で受けた質問のうち、最も多かったのが「放射能の被害はいつまで続いたのか?」というもの。その他、原爆の被害者数、原爆前の広島の人口、何故広島に原爆が投下されたのかなどなど。飛行機の遅延のおかげで、資料館の見学時間はたったの1時間少々と、全く不十分にしか取ることができなかったものの、参加した皆に強いショックを与えるには十分な時間だったようです。

 入館時とは打って変わって、重い足取りと暗い表情で資料館から出てきた友人達に感想を尋ねてみました。

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アビィ(アメリカ人):「何ていうか、表現しようがないわ。この気持ち。このひどいフラストレーション。だってそうでしょう。ここにあるものは皆、抽象的な理論や物語ではないわ。あまりにも具体的で、生々しい、核兵器がもたらした恐ろしい結末に関する証拠の数々。そして、こんなにも具体的な証拠があるのに、何故今なお、アメリカは、世界は核を持ち続けているのか?本当に理解できない。訳が分からなくなってしまったわ!」

ミリカ(セルビア人):「どうして、この資料館にはアメリカを責める記述が全くないの?あなた達は、アメリカを憎み、責める資格があるはずよ。私の国もずっと内戦や戦争続きで、肉親を奪った敵を恨み、その憎しみを語り継ぐことはごく自然のこと。確かに、真に根絶すべきは、敵国ではなく、戦争そのもの。核兵器そのものかもしれない。でも、どうして、どうしてそんなに客観的になれるの?」

ショービック(アメリカ人):「この博物館は是非アメリカのワシントンDCに作るべきだと思うよ。多くのアメリカ人は広島・長崎の事を知っているけれど、それは単に史実として知っているだけで、その本当の意味を考えたことがある人は殆どいないと思う。だって材料がないんだから。」

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 様々な思いを抱えた我々一行は、資料館を見学した後、被爆者のお話を伺うという得難い機会を得ることが出来ました。

 ご自身が書かれた絵を使いながら、8月6日に広島で何が起こったのか、ご自身の、家族の、そして友人の身に何が起こったのか。その後本当に長い間、様々な肉体的、精神的、経済的、社会的な苦難と戦い続けてきたご自身の経験を、振り絞るような声で語って下さったのは、原爆被爆者の松原美代子さんです。

     

 松原さんの、未だ消えることのない火傷の跡、被爆した小学生の時以来、成長が止まってしまった指は余りに痛々しく、一方で、全てのスピーチを英語で、力を振り絞りながら語るその姿はあまりにも強く、印象的でありました。

    

 松原さんが世界からの核の廃絶を訴えてスピーチを終えると、会場は水を打ったように静まり返っていました。普段、どのようなテーマでも積極的に質問をするケネディスクール生もこの時ばかりは、ただただ沈黙。そんな静けさの中、アメリカ人の友人、ミッショが立ち上がってマイクを握りました。

 「こんなに感動するスピーチを聞いたのは初めてです。あなたは、とても強く、本当に美しい女性だと思います。お話をうかがうことが出来て本当に感謝しています。」

 このメッセージを聞いて深々と頭を下げられた松原さんに、一人、また一人と立ち上がり、最後は全員でスタンディング・オベーション。

 会場の外で写真撮影を終えた後も、皆、次々と松原さんに近付きお礼のメッセージを伝えていました。中には、「本当にあなたは天使みたいな人ですね。どのような宗教をもたれているのですか?」という質問も。そんな学生達に対し、松原さんはまた静かに、しかし力強く語られていました。

 「私はね、これまでずっとすごく悔しい思いをしてきました。私がどんなに頑張って、色々な人に私の経験を、メッセージを伝えようとしても、所詮、世界の政治家やリーダー達には私の声はとどかないと思っていたから。だから、今日、将来、世界を背負って立つケネディスクールの皆さんが、私の話に真剣に耳を傾けてくださったことが本当に嬉しくて、感謝しています。」

  昨年のKorea Japan Trip終了後に実施したアンケート調査によれば、最も多くの参加者にとって一番印象的だったイベントが広島での被爆者の方のスピーチたっだとのこと。今年のメンバーも昨年同様、松原さんの思いや、平和資料館に展示された一つ一つの品々が無言で、しかし強く語りかけるメッセージを胸に刻み込んだこととおもいます。

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 原爆ドームを後にした我々一行が向かったのは、広島が誇るもう一つの世界遺産、宮島です。僕にとってはまたまた懐かしい場所。しかも、瀬戸内の穏やかな海がキラキラと光る絶好の晴天の下での宮島観光となりました。

   

 厳島神社で仲間と談笑しながら、久しぶりに再会する大勢の鹿たちの頭をなでながら、あるいは、宮島汽船の甲板で瀬戸内の優しい風に吹かれながら、強く思いました。

 日本って本当に美しい!

    

 安部首相の理念ではないですが、日本の空気を吸いながら改めて、このトリップを通じて世界の友人達に「美しい国、日本」を紹介できる事に、そして何より日本人に生まれたことに自然と感謝の念がわいてきます。

    

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 美しい夕日が山の稜線に沈んだ後は、待ちに待った夕食タイム。メニューは当然、広島名物、広島焼きです!僕は一年間広島に滞在していた間、職場の先輩方や、広島の若手起業家たちの交流会「十日会」で出会った友人達に連れられて、何十件もお好み焼き屋を回りましたが、ベスト!と思ったのはやはりこの店。

 ☆ みっちゃん 総本店 ☆

 いつも店の外にまで行列が出来ているお店であるため、「20名くらい、外人イッパイ連れてきますんでー」といって予約を入れ、いよいよ空腹感が高まっている面々を連れて久々にみっちゃんにのれんをくぐります。

 ベジタリアンや、豚肉はダメという友人達も多く、まずは全員分を注文をするのに一苦労。ただ、みっちゃんは英語のメニューも用意してくれていたので、そこは大助かり。

 そして、次々と運ばれてくる広島焼き。

    

 一日歩いた後、ケネディスクールの仲間達と食べる久しぶりのみっちゃんの広島焼きの味は格別です!

    

 広島焼きとビールを堪能し、この後どうしたいかを尋ねると、皆そろって「Karaoke~!!♪」

 皆がそんなにカラオケが好きだったとは思いもよりませんでしたが、それでは、ということで、既に別グループの仲間が楽しんでいるという中央通のBig Echoへ移動。扉を開けると凄まじい熱気にこっちがたじろいでしまう位です。

    

 「夜も遅いし、もう疲れからちょっと顔出したら帰るー」とか言っていた女性陣も気付くとソファーの上で飛び跳ねている始末。皆の異様な盛り上がりに圧倒されていると案の定、「日本の歌、何か歌えー!!」という大合唱が。

 という訳で、僕がソファーの上で跳ねながらブルーハーツのリンダ・リンダを歌うと、サビの部分の歌詞が分かりやすいこともあってか、皆大喜びで一緒に、

  「リンダ リンダー♪」

 そんなこんなで、結局ホテルにチェック・インしたのは夜中の11:30。昼の11:00に空港に到着した事を思うと、たったの12時間という広島の良さを味わうにはあまりにも短い時間。広島で暮らす友人達に久々に会えるかもしれないという淡い期待も持っていましたが結局叶わずそこは本当に残念。

 でも、それでも、こんなにも濃厚な12時間も味わえるのも、人生で中々ないことかもしれませんね。

 明日は6:00起床で広島駅へ、そしてDグループのメンバー9名を連れて、7:00発の新幹線で東京に向かいます。


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