ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

Japan as Number one ??

2007年05月10日 | 日々の出来事

 

 思わずジャケットを取りたくなる、初夏を思わせるような春の夕暮れ。ハーバード・ヤードすぐ横のサマーストリート沿いにあるエズラ・ボーゲル先生宅1階の部屋は、季節感のない異様な熱気に包まれていました。

 昨年11月からこれまで半年間にわたって、ボーゲル先生の指導のもと、Harvard 松下村塾で「日本のソフトパワー」というテーマで研究を続けてきたことは既にこのブログでもたびたび紹介してきましたが、今日は先生を囲んでの2006年度最後の集い。今月下旬までに取りまとめるべく、現在、チーム全員で取り組んでいるレポートの要旨と目次を先生に示しながら、これまでの研究成果を振り返り、レポートの取りまとめに向けた集大成の議論を皆で行いました。

       

     -我が家から徒歩1分のところにあるボーゲル邸-

 「ボーゲル先生は今から約20年前、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書かれましたが、現在の日本をどのように表現されますか?」

 僕がディスカッションの冒頭に先生に対して投げかけた問いかけに対し、先生はしばしの沈黙ののち、こう答えられました。  

 「"Japan as Number One"は今も変わっていない。」

 「例えば、WHO報告によると公衆衛生分野で日本は世界ナンバー1である。義務教育も高水準。省エネや環境汚染防止策でも優れた専門知識があり、日本が指導力を発揮すれば他国も恩恵を浴することができる。また、企業社員のロイヤリティー(忠誠心)も高く団結力がある。景気が悪くなると従業員をすぐレイオフ(解雇)するアメリカにはない強みだろう。」

 また、先生はかつてハーバードの同僚教授陣を日本に案内した時のストーリーを紹介されました。ちなみに訪れた先は東京でも京都でもなく、米国人の間ではほとんど知られていない、日本海側、北陸地方だったそうです。

 果たして参加した米国人たちの目に日本はどのように映ったのか。

 小さな地方都市にも関わらず、整備が細部まで行き届いた美しい町並み。近代的なビルディングと伝統的な寺院や庭園とが調和する中、学生服に身を包んだ中高生たちが礼儀正しく行きかう姿は、経済発展を遂げながらも団結力と安定力のある社会であると映ったそうです。

 この点について、開発分野に造詣の深い塾生から「他の途上国や新興国家と比較して、日本は“近代化を飼いならしている”と言えるのではないか。」という非常に示唆的な発言がありました。

 国の富を増やし、人々がより便利な暮らしを楽しむために「近代化」は多くの発展途上国にとって目指すべきゴールです。明治国家日本が正にそうであったように。しかし、ひとたび「近代化」が解き放たれ、自己増殖を始めると、環境を破壊し、その国の伝統文化や多様性を失わせるという強暴性を発揮します。

 そんなもろ刃の剣とも言える「近代化」を、日本はうまく“飼いならしている”。ジョセフナイ教授が僕たちとの対談の際に表現された日本の強み、即ち、

 「高度に発達した経済大国という“普遍性”と伝統的な文化の“独自性”とを併せ持ちながら成長を続けていた日本」

と重なる部分があります。

 もちろん、物事全て表裏があるように、そうした日本の強みは弱みにも成り有るでしょう。

 例えば、明治維新、敗戦という国難をチャンスに変え、驚異的な勢いで経済成長を成し遂げたというサクセスストーリーは、「日本脅威論」というネガティブな形で諸外国、特に20世紀前半に日本の植民地化・侵略を受けた国々には映る部分もあるでしょう。

 また、“近代化”を含めた様々な舶来の価値を吸収し、同化し、“飼いならす”驚異的な強みは、一方で対外的な発信力の弱さや、異質なものを異質なまま国内に残すことに対する潜在的なアレルギーを持つという特質・弱みもあるといえるかも知れません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 今日の会合では、Korea Japan Trip2007の参加者向けアンケートの結果も紹介しました。

 殆どの参加者から極めて高い評価をもらったトリップ。特に名古屋の猿投温泉とトヨタ工場、広島の被爆者の講演と宮島、京都の寺社、友禅染、京都副知事との夕食は、8割以上の参加者から最高の評価を受けています。一方で、「とても均質な社会であり、適応するのが難しい」という意見や、「面会した政治家に失望した」という否定的な意見も散見されました。

 いずれにしても、このアンケート結果は、「日本の魅力とは、弱みとは何か?」「日本は諸外国からどのように映るのか」等の問いかけを通じて「日本のソフトパワー」を考えていく上で、僕たちしか提供することの出来ない、一つの付加価値であると思っています。

 一方で、今日のHarvard松下村塾でのディスカッションでは、

 「ケネディスクールに通う日本人が長期間かけて結束して企画し、ハーバードの“エリート軍団”に日本のよいところばかりを見せて回ったのだから、Tripの評価がよいのはある意味当たり前ではないか?」

 「例えば、出稼ぎや留学で日本に滞在している外国人にとって、日本は本当にそんなに良い国と映っているのだろうか?せっかく苦労して難しい日本語を勉強して日本にやっていたのに、日本人による差別や言葉や文化の壁にぶつかり、むしろ日本が嫌になって失意のうちに帰国する若者も少なくないのではないか?」

という重要な指摘も出されました。

 確かに、例えばいくらイタリア料理が大好きでも、実際にイタリアに行ってイタリア人から差別を受けたり、そうではなくても、彼らの物腰が全く魅力に欠けるものだったら・・・(もちろん、実際にイタリア人がそうだという意味ではありませんが)、その人は日本で引き続きイタイア料理屋に足しげく通うことはあっても、決してイタリアそのものに好印象は持たないでしょう。

 そういう意味では、日本のソフトパワーを高め、また低める上で、決定的に重要な要素は、実はうまい寿司でも、金閣寺でもなく、日本人一人一人なのかもしれません。そして、その機会は、別に留学先で「日本紹介トリップ」を企画した時だけではもちろんなく、留学先、あるいは日本国内での外国人との出会いの一つ一つ、日本人の一挙手一投足が、世界の人々の「日本観」「日本人観」を形作るものなのでしょう。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 レポートの取りまとめ期限まで残りちょうど2週間。期末試験も迫る中、極めて厳しい日々が続きますが、ここでしか得ることのできない貴重な材料を使って検討を続け、様々な“気付き”を与えてくれたこれまでの研究成果を、何とかレポートという形で結実させるべく、最後まで走りぬけたいと思います。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
パリ (ナガサワ)
2007-08-15 03:50:45
はじめまして、いつも楽しく拝見させてもらってます。

非常にシンプルなコメントなのですが、
たしか、日本人の間にもパリ症候群(だったかな?)っていう一時的なショック症状が存在します。というのは花の都パリとあこがれていってみたら、人々は冷たいし、つばはすぐはくしと、ずいぶん理想と現実のギャップにショックを受けて一時的に立ち直れなくなる人がいるそうです。まぁ、観光客と日本に来ている外国人労働者では心理的プレッシャーが違うと思いますが。観光客はいつでも「ホーム」にかえれるし。

それを、憂慮したパリ市政府はパリ市民に対して、多くの指導をしているそうです。ぜひ日本でも、そういう外国人に対しての偏見をなくしていく指導をしてもらいたいものです。
返信する
>ナガサワさん (ikeike)
2007-08-15 17:54:55
はじめまして。コメントありがとうございます。「パリ症候群?」のお話は、パリに留学していた大学時代の友人からも聞いたことがあります。前後の車にぶつけながらの路上駐車の仕方など、かなりショッキングだったようで…
ただ、「日本社会の閉鎖性」の記事にも書かせて頂きましたが、人々の心理や行動様式による「見えない壁」の存在は、政府の指導だけで取り払えるほど簡単なものではないように感じます。一方で、政府自身も市民を指導する前に、自らが発行する公共文書に中国語や英語併記を付すなど、できることは多いと思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。