いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
過去の記事は随時掲載していきます。
以前読んで下さっていた方、ありがとうございます。

君を見届ける

2016-03-27 08:51:08 | 日記
JR東中野駅までマウンテンバイクを走らせるのが日課になった。音楽を聴きながら歌舞伎町を通り抜け、色々な事を考えているとあっという間にゴールドジムが見えてきた。ちょっと早く着いたのでメッセージだけ送って駅前で缶コーヒーを飲んでいると「彼」が足早にやって来た。

「お疲れー」

「ごめん、待った?」

自転車を転がしながら並んで歩く。彼の家まで15分くらいのデートがオレの日課だった。

「待ってないよ」

いつの間にか汗をかいていたようだが気付かず夢中で話していると、うんうんと笑顔で相槌を打ちながら彼がそっとタオルで拭いてくれた。

滅多に行かないageHaのイベントに友人と行って知り合った。会場で何度も会うものだからお互いに笑ってしまって連絡先を交換したのがきっかけだった。新宿は詳しくないから、と、彼の希望でJR新宿駅西口改札前で待ち合わせたが、あの人ごみの中ですぐに彼を見つけ出すことができた。体が真っ黒でぴちぴちのポロシャツがぱんぱんで、好きな顔が手を振ってくれていた。今にして思えば、その時、もう恋に落ちていた気がする。

仕事を終えた彼が東中野駅から帰宅するのを待っていたかった。週末会えると分かっていても。駅前から離れて人通りが少なくなると隙を見てちょっとだけ手をつないで歩いた。

「ゴーゴーになりたいんだ」

終わりは突然訪れた。

「ダメかな?」

ダメではないが、付き合う事はできない。ゴーゴーという人種を自分は信じていない。

「できれば応援して欲しいんだけど、ね」

好きな人には、好きな事をして欲しい。それが夢なら諦めないで欲しい。だから頑張って。

「応援するよ。だけど、別れようか。」

ネット上で彼の名前、顔が溢れているという事は有名になって活躍しているという事だろうか。

ゴールドジムに行こうと東中野の駅に降りる時は、ふと、そんな事を思い出す。

イケタチ

2016-03-27 00:47:47 | 日記
原宿ゴールドと東中野で、現時点で桁違いにイケてる20代のウケは3人ぐらいいるだろうか。1人は相方持ちなので外して、残り2人とはお茶をした。ちなみに桁違いにイケてるタチはもっといるのではないだろうか。

「桁違いに」という点に意味がある。東京では顔・体がイケてて当たり前なのだから、都心のゴールドジムで体がそこそこいい程度では「並」だ。みんながみんな頂点を目指す必要はないにせよ、若いゲイがお金を払ってジムに通うのであれば体くらいはずば抜けないと意味はないのではないだろうか。

彼らは、と言っても2人だが、素直だ。「カッコいいですね。」と言えば、「ありがとうございます。」と返してくれた。自分がカッコいい事をよく知っている返事だ。体の事、SEXの事、恋愛の事を話してくれた。並のイケメン達であればどれかははぐらかすものだが、仕事の事でも何でも素直に話してくれた。やり目的ではないと分かったから信用してくれたのかもしれない。

何でも聞かれるままに話せばいいというものではないが、よく見せようと思うから偽るのだ。よく見せる必要がなければ、何も飾らなくていい。そういう事を教えてくれた。

「トレーニングの事だったらオレが教えますよー。」

笑顔が眩しかった。

「今度一緒にトレーニングしますか?」

自分が20代だったらよかったのに。








あなたに恋する

2016-03-26 21:59:54 | 日記
「他人様のことですので」

とは某セレブ姉妹がいつだったか口にしたコメントだが、これは自分がお手本とする人達からはよく聞くセリフでもある。


【ジムでちんたらトレーニングをしている人達について】

「人のトレーニングなんか見てないからなあ」by本当に体が出来ているイケメンマッチョの友人


【仕事ができないとある社員について】

「無視とかはしないけど相手にしてないよ」by有能な先輩

自分を主軸において生活していると、他人は全く気にならなくなる。言い換えると、他人の挙動が気になってしょうがない人は、どのような場面であってもメインにはなれない存在だということだ。何かに打ち込むこともなく、何かを目指す事もなかったのだろう。LINEで好きな相手に何度もメッセージを送っている姿が目に浮かぶ。

顔は普通で良い。体と服装とヘアスタイルと笑顔さえちゃんとできていれば良い。どうにもならない「顔」で悩む人間が世の中多すぎると思うのだが、顔などどうでもいい。そこらへんから好きでもないけど超絶ブサイクでもないよね、という顔を持ってきて、体は完璧で笑顔が素敵な男性がカフェに現れて会話が楽しかったらオレなら好きになる。そうなるためには他人に構っている時間などない。あれもこれもとやるべき事が我々にはたくさんあるのだから。




美しいものだけを見て生きていく

2016-03-24 10:09:55 | 日記
23歳の時にゲイデビューをし、自分が何者で、一体何がしたいのかも分からないまま出会い系サイトで人と会い続けた。ヤリ目的の人は相手にせず、ただひたすら真面目そうな方と会ってはみたものの、どうしても続かなかった。誰かと出会って友達になりたい。誰かと出会って恋愛がしたい。でも、その誰かが分からなかった。

水泳をしていたとはいえ体は細かった。髪もセミロングでおじさんにはモテたがマッチョなお兄さんには全く相手にされなかった。たまにカッコいい人からメールが来たと思えばただのやり目的で、自分はゲイの底辺にいるのだと実感させられた。

25歳になっても状況は変わらなかった。25という若さは全く武器になっていなかった。かたや掲示板で見る人達は皆カッコよくて、お店で手に取ったフライヤーで微笑んでいる同い年のゴーゴーに至っては神にも等しい存在だった。彼はバディの表紙を飾ったことで全国区に知れ渡り時の人となっていった。彼がいるようなクラブのイベントに参加したらどんなに楽しいだろうか。そうは思ってもどこか自分のような容姿の人間は行くべきではないのだと思い諦めた。

真面目な出会いも頭打ちだったし、思い付きでわずかな期間だけヤリ目的もいいかなと思ってきた。結論だけ言えば1年半ほどで足を洗って再び元の「純愛路線」に軌道修正するのだが、ここでは大きな武器を手に入れる事になった。

ブサイクはブサイクなりに生きていくしかない事をデビューしてからの2年で学んだ。出会いで高望みをしてはいけないということと、イケメンに相手にしてもらうためには色々と譲歩をしなければならないことも知った。周りはそこそこのマッチョに相手にしてもらう為なら薬や生も厭わず何でもやるようなブサイクが沢山いたが、自分はごめんだった。そこまでするくらいならゲイの世界から身を引いたほうがましだ。自分も底辺だとは言えプライドもあるし、夢も希望もまだあるのだ。そもそもSEXにそこまで自分は重点を置いていない。恋愛面で多少の譲歩を強いられても構わないが、危険なSEXを強要されてまで相手にしてもらいたいとは思わない。それくらいの自尊心だけは持ち合わせていた。

真面目な出会いからは得るものはなかった。だったらエロい出会いからは何かが得られるかもしれない。ゲイとして挫折していたが色々と諦める前にまだやっていない事があるのだと思うと少し元気が出た。そう決断してからは、ほとんど毎日知らない男とSEXした。週末は夕方と夜に1人ずつやりたかったので4人とやれるようにスケジュールを調節した。筋トレもしたかったし、友達とお茶とかもしたかったので、忙しい毎日だったように思う。誰も調達できなかった時は発展場に行って2人か3人とやってはいたが、誰ともやらずに帰る事の方が多かった。SEXするだけの相手に妥協する気にはなれなかった。

筋トレは楽しかった。やればやるほどマッチョになってきて、Mサイズのシャツがパンパンだった。当時は格闘技をやっていたのもあり、髪をばっさり切って筋肉の塊のような体に傷だらけで街を歩いていたせいか、ビデオのスカウトマンによく声を掛けられた。2丁目では後を付けられたり声を掛けられたりはザラだったし、バディの表紙モデルのオファーや下着メーカーの方からも連絡を頂いていた。そのようなメディアに出る事はなかったが、この1年半はとにかく筋トレしまくって格闘技をやってSEXをした。

ゴーゴーや売り専スタッフ、ビデオモデル、その他20代、30代の鍛えたウケから様々なコンタクトがあったと思うがよく覚えてはいない。恋愛でイケメンと出会う事はあんなにも困難だったのに、ただやるだけであればこうも簡単にマッチョなイケメン達と出会えることに驚いた。そんなヤリ目的の世界に身を置いていながらどこか距離を置いていたので、SEXにハマることもなかったし、相手がどんなにイケてても好きになる事もなかった。

何があったという訳でもなく、1年半くらい経った後、自分はエロから完全に引退した。元に戻ったと言った方がいいだろうか。遠い昔の出来事のような気もするし、他人の話のような気もする。何を得たのかは改めて書くことにするが、純愛だけでは何かが足りないのかなとは思う。やり目的は勧めないが、ただ真面目に出会っているだけだと相手は退屈なのかもしれない。

そして27歳の時、本当に好きな人が出来た。

遠い男

2016-03-22 14:11:43 | 日記
東京に住んでいるので、どうしても出会う男は「都内在住限定」になってしまう。関東地方でもよさそうだが、神奈川や千葉だと会う頻度が下がるような気がするのだ。これは自分の良くないところだが、近場の人と出会って平日の夜でもちょっと会える関係を望んでしまう。

アプリのおかげで大阪や沖縄、北海道の方からもメッセージ頂く。台湾や香港の方からも頂き「いついつに東京に行くので会いませんか?」と言って下さるのだが、どうしても「会ったところでどうしようもない」と思ってしまう。本当に何の得にもならないのかどうかを考えてみたい。

関西のゴーゴーの方からメッセージを頂いて都内でお茶をした。イベントの為にいらしたようで、ホテルだか友人宅だかで過ごして日曜夜には戻ると話してくれた。ゴーゴーの方は基本的にこういう場ではあまりイベントの話やゴーゴーの話はしたがらないものなので、そこらへんをわきまえてお互いの話をしていると何だかとても楽しかった。ゴーゴーと自分、この何の接点もない2人がこうして時を共有していることは不思議な感覚がした。

帰り際、エッチがしたいと言われた。次にいつ東京に来るか分からないからと。笑顔で丁重にお断りした代わりに明日もまたお茶しましょうと約束して、次の日の夕方にもう一度会った。当然、というのもおかしいが、またやりたいと誘われたがお断りした。あまりこんな話ばかり書くとガードが堅いSEX嫌いの人間の様に思われそうだが、そうではないことだけは伝えたい。長々とは書かないが、SEXをして何が残るんですか?ということだ。カッコいい人と会ってすぐHしました。それは楽しいひと時だっただろう。だが、それが何になるというのだ。そんなファーストフードのような恋愛というかSEXに、自分は時間を費やさない。

遠方の方と東京でお会いしてもSEXを誘引するだけではないのか。次にいつ会えるのかも分からない相手をもし好きになったらどうしようという思いもある。だからせっかく連絡を頂いても会わないようにしているのである。

やれる男

2016-03-21 10:58:33 | 日記
例えば死ぬほどタイプの男からSEXのお誘いが来たとする。

オレ「今週の土日でしたら大丈夫ですよ。」
相手「本当にすみません今週はちょっと無理なんです。来週とかいかがですか?」

こうなったとする。
そして、こう返事をする。


オレ「来週は忙しいのでまた今度で。」

この後は全部無視で良い。ほとんどの男は2日後くらいには今週の土日のどちらかを空けてくるだろう。
来なければ来ないで、よい。会ってもいない相手だ。

これはあくまで例で、自分はこのような相手に返事はしないが、やりたい相手には男はできる限り譲歩をしてくるものだ。この瞬間は彼の本命と言ってもいい。極上の対応をしてくれる。

恋愛において最重要なのは、相手がどこまで自分に時間を用意しようとしてくれるかだと思っている。ポイントとしては定期的にであることだ。今日初めて会ったイケメンの彼がいたとする。とても楽しかった。また会おうね、ではなく、自分なら次の土日のどちらかまた会いませんか?と連絡する。早過ぎだし誘い過ぎだし、何だかガツガツしていてイヤでしょうか?そう思う方はチャンスを相当逃していると思う。自分なら会って楽しかった相手から来週また会いたいと言われたら嬉しいし、本当に予定が埋まっていれば別の日をお願いすればいいだけだ。

本命の相手には時間を何とか作る。SEX無しでも定期的に会おうとしてくれる男が最高の男だと思う。


静かな生活

2016-03-19 18:48:13 | 日記
自分のタイプで誠実で優しくて一緒にいると楽しくて、今日一緒にどこかに行く約束をしていたのに最初に寄ったカフェで会話が弾んで日が暮れかけて、「今日はもういいか」と笑い合える相手などこの世にはいないと思っていた。いたとしてもそれは美男美女だけに許される出会いであり、自分には関係ないと思っていた。でも、そんな出会いもいつか訪れるのでは?と思い始めるようになったのが最近だ。

恋愛はいつも後からやって来た。仕事と自分の生活を頑張って生きていこう、と半ば恋愛を諦めかけた時にこそいい出会いがやって来たものだ。そして相手のレベルは確実に自分の質に比例している。大昔にこのブログで、「サッカー選手のような男と付き合いたければ自分がサッカーをやればいい」というような事を書いたが、まさにその通りだと改めて思う。自分がマッチョになってマッチョなイケメンと出会いなさいよ、という事ではない。あなたは一緒に日が暮れるような男になれていますか?ということだ。

ゴールドジムに週何回通っているかなどどうでもいいことだ。きちんと生きてきてさえいれば、出会いなどやはり後からついて来るものなのだから、キャッチーな自己紹介で釣る必要はないだろう。きちんと生きてさえいれば、出会いはなかったらないでいいぐらいに思えるだろう。週末はまず部屋の掃除をしなければならないし、できれば料理の作り置きもしておきたい。洗濯を済ませたらジムに行こうか、などと考えているうちに、そうだ髪を切りに行きたいと思っていたっけ、と予約の電話をかけてみる。そんな生活を地味でみっともないと思っていたのが20代の頃だったが、30代の今は素晴らしい生活だと思う。そして、同じような男と出会いたいと思う。

モテの作り方

2016-03-19 10:16:12 | 日記
モテることは簡単だった。全くモテなかったからだ。モテなかったから、他人を羨み嫉妬して週末を過ごしていた。だから全部ひっくり返してモテを作った。人はそこで二手に分かれる。そのままヤリ目的と発展場で誰とでもやる人生と、全てを捨ててのし上がる人生と。見てきた感じだと7割がモテないまま余生を送っている印象だろうか。モテる人生とは、言い換えればモテない人生の裏返しだ。やりたくもない事をやっていくしかない毎日に耐えることができればモテる第一歩かもしれない。

自分は全てを変えた。仕事も辞めた。体をまず最初に変えた事が人生の転機だったように思う。体が変われば顔が変わる。顔が変われば人生が変わる。自分に微笑みかけてくれる相手がまず変わった。

中途半端にモテてきた人間は真のイケメンにはなれない。なり方が分からないと言った方がいいだろうか。逆にブサイクであれば全部ひっくり返せば100点満点のイケメンになれるのだから簡単だ。他人の事は分からないが、自分は実際にやったのだから簡単だと断言できる。モテは確実に作れるのだ。

モテ=いい男とは違うのが哀しい。自分はいい男には生まれえなかった。それ自体に責任転嫁するつもりはないが、太陽のように輝く男達を見ると心がざわつく。あの太陽の様になりたかった。でもなれなかった。だから、イミテーションの太陽でもいい、こんな自分でも一瞬だけでいいから輝きたかった。だから鍛えた。自分はモテる男ですと言っているワケではない。手段がなかったからすべてを捨てて一時的に自分の見た目を上げただけなのだ。哀しい人生だと思う。


ダメな恋愛

2016-03-12 13:45:57 | 日記
過去のダメな恋愛を、ふと思い出す。なぜ、ああしなかったんだろう、なぜ、あんな事をしてしまったんだろう。

1つ言える事は、もっとゆっくり恋愛をすればよかったという事だけ。細かな1つ1つの出来事などはどうでもよい。とにかく、生き急ぐような恋愛をしてはダメだということだ。

ゆっくり恋愛というのは、もっと慎重に、ということではない。行かなければならない時もあるだろう。それを思い止まっているようではチャンスを逃す。そうではなく、行くときは行くべきだが、1日1日を楽しもうということだ。具体的に言えば、LINEの返事が来なくてもいいということだ。今週末によく分からない用で会えないと言われても来週末に笑顔で会える関係ならばいいのだ。好きだから不安だ。何度もはっきりと、「ずっと愛している」と口にして欲しいし、空いている時間は自分に充てて欲しい。会いたいから。好きだから。だから急ぐのだ。急いでいい事などないだろうに。

なぜ、ああしなかったんだろう、なぜ、あんな事をしてしまったんだろう、という細かなエピソードやケンカの類はどうでもいいことだ。ゆっくりと相手の事を想っていたら、そう怒る事もなかったはずだ。今週の食事の約束が無くなっても取るに足らない事だと分かるはず。なぜなら2人の関係はこの先ずっと続いていくのだから。

本来であればずっと続いたはずの2人の関係が、続くことなく終わってしまった。
なぜ、終わってしまったのだろう。

FB

2016-03-09 21:08:17 | 日記
仕事用にFacebookをやっているが、ゲイの方のアカウントをチラホラ見掛ける。アプリやジム等で見たことがある顔なのですぐに分かるのだが、本名でやっている人とやっていない人の温度差が激しい。好きにやっていればいいとは思うが、ちょっと思った事を書いてみたい。

ニックネームの様なものでFB登録しているゲイは、ゲイのアプリやツイッターの感覚でFBをやっているように見受けられる。もちろんそれはそれでいいのだが、本名での利用が推奨というか前提というか、そういった「まともな」場で、いつまで「ケン」だの「マサ」だのでこの人達はいるのだろうかとは思う。ゴーゴーやらビデオ出演者やらで源氏名のようなもので通しているにせよ、場違いな気がするのだ。「本人の自由」でありながらも「場違い」。これはそのまま本人のこれまでの社会生活を反映してはいないだろうか。体育の授業を毎週休んだり、就活もせずにフリーターでいいやと開き直って、大声でアナルがどうのと2丁目のベローチェで騒いでいるようなゲイが目に浮かぶ。意外と名の知れたゴーゴーや女装の方々の方が本名でやっていたりして、社会性の高さというか潔さというか、包み隠さず生きている感じがして好感が持てるのである。

本名とか書きたくないじゃんノンケに見られるからさ、と話してくれた人がいたが、普通であればゲイに見られたくないのではないだろうか。長年のゲイの友人が、「××××(本名)」「㈱○○ △△課勤務」とか書いてあって、仕事仲間っぽいノンケと繋がっているのを見るにつけ笑いそうになる。言い過ぎかもしれないが、芸能人でもないのに本名ではないFBというのは=まともな場で本名が名乗れない人生そのもののような気がした。