いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
過去の記事は随時掲載していきます。
以前読んで下さっていた方、ありがとうございます。

希望の光

2015-05-28 00:09:44 | 日記
心の中に光がスっと差し込んで、オレンジの香りがふわっと広がる感じを「希望」と呼んでいる。小さい頃からいつもこの感覚が先にきて幸せが訪れた。頭がおかしくなったのではない。1年にそうあるものではないが、「希望」がやってくると近い将来必ず幸せが待っていた。いい出会いであったり、いい仕事であったり、何かは分からないが自分にとって素晴らしい出来事が待っていた。幸せの予感と言ってもいいかもしれない。

フリーランスで仕事をして長いが、いつだったか昼間の時間に別の仕事をしようと思い面接を受けた事があった。その時の事を思い出す。

「あなたの人生は今まで運が良かったですか?」

そのような質問を途中で受けた時の事だ。もちろん運が良かったと答えたのだが、その根拠は?と聞かれて笑いそうになった。

根拠だって?自分が運が良かったと感じる事に根拠など必要なのだろうか?幸せと同義であればいくらでも答えられると思い、上手に同義のように持っていき、そこから自分がいかに幸せだったかを説明した。エピソードなどは必要はない。今ここでこうして元気に面接を受けられている事が運の良さの絶頂期だろう。この会社を受ける事自体に人生で大した意味などない。天文学的な数値の繰り返しの中で生き延びて来られたのだ。億万長者になることでも好きな人と一緒になる事でもない。生きている事自体が幸運なのだ。

自分は恵まれていると思う。幸せだと毎日感じて生きている。もしかしたら30代になってから頭がおかしくなったのかもしれないが、20代の頃の悩み多き毎日が嘘のように、30を過ぎて全てがシンプルになっていったのだ。自分を幸せだと心から思えない人間が本当に幸せになれるだろうかと思う。

後悔しないという生き方

2015-05-26 14:45:16 | 日記
20代後半で転職活動を始めた。ずっといた金融業界から足を洗おうと決心したものの、では一から違う業界に行くとなると途端に腰が重くなる。とりあえず近所のスポーツクラブでアルバイトをしながら気長に活動をしようと思った。本来であれば在職中に転職活動をすべきである。とりあえず退職してから考えよう、というのは悪手であり、収入が途切れる危険性と転職活動中の相手企業への印象が全く違う。それでもそうなってしまったのは、金融機関は土日休みであり、転職先企業はどこも平日に説明会やら面接を設定してくるのでどうにもならなかったという理由がある。人生でアルバイトをする機会というのはそうそうない。転職が決まれば、また忙しい日々が始まるのだろう。そう思うとここは楽しんだ方がいい気がした。

そんな日々、mixiでやり取りしていた男性と会う事になった。待ち合わせ場所に先に来ていた彼は途方もなくカッコよくみえた。その後ボディビルダーになる彼は、既にマッチョで、笑顔が可愛かった。好きだ、とすぐに思っていた。

彼と同棲を始めて、転職先は彼と同じ業界にしようと決心した。会社などどこでもよいのだ。入ってみて分かる事の方が多いのだから、入る前からあれこれ思案したところで無意味だと薄々感じていた。だから、彼と同じ業界にしようがしまいが、一から異業種で働くのであれば同じように思う。なにより、彼と仕事の話がしたかった。好きな相手とは1つでも話題が多い方がいいに決まっている。

彼と観た映画、彼が好きだった曲を今でも覚えている。本当に好きだった。そして、別れた。もう遠い昔の話なのに、今でも突然思い出すのはなぜだろう。

彼と同じ業界に入るのは至難の業ではあったが、何とか入ることができた。彼は喜んでくれた。その後の人生において、このキャリアが大きく生きてきたのは言うまでもない。ビジネス面においての今があるのは、彼のおかげと言わざるを得ない。

仕事を直感で選ぶような人間で、良かったと思っている。好きな相手と同じ仕事ができたらなんて理由で仕事を決められる人間で本当に良かった。だって、そのおかげで彼と仕事の話ができ、今がある。彼とはもう会う事はないけれど、また会うことができたらなんて話そうかなと思っている。



イケメンを指名しろ

2015-05-23 23:34:48 | 日記
いい男とは金を払ってでも仲良くしろ、という持論がある。ヘアサロン、整体、トレーナー、カフェ、とにかく生活のあらゆる場でスペシャル級のいい男を見かけたら金を使ってきた。金を遣う、とは固定客になるということだ。過剰な金を個人的に渡せと言っているワケではない。

向こうは仕事だ。男が男を指名して不審がられたとしても何の問題もない。ヘアサロンなど特に簡単なのだが、イケメン美容師には女が群がっているので、オレなんかが普通に割って入っていくとインパクトがハンパない。「あまり男性のお客様はいないので嬉しいです。」って感じだ。男同士なので客とはいえオレには気楽なのも手に取るように分かる。イケメンは素直なので、オレなんかは変な意味ではなく、「好き」とか「カッコいい」とかどんどん言う。美容師として、人として、男としてカッコいいし切るの上手いし優しいから好きだよと言っているのだが、本当に喜ぶ。カフェとかジムとかでもそう。連絡先とか交換しちゃうし、どこかに食べに行ったり、結構ある。

自分はそのように生活の要所要所にイケメンをちりばめているので、イケメンの知り合いも多いが、何よりイケメンの生態に詳しくなった。女が群がっているのは事実だが、連日女と派手に遊んでいたとしても必ず男友達と遊んだり飲んだりする日がある。男は男といる方が楽しいのだ。ただ好きな女の子と一緒にいたいとか、色んな女の子とヤリたいとか欲求の部分で女性と過ごす時間が多いとは思うが、男同士でどこか行こうぜみたいな日も同じくらいあるように思える。経験上、イケメンは女といる時間が多いように見えるが、男と過ごす時間が同じくらいあるということだ。

いい男になりたいのであれば、いい男と一緒に過ごすのが手っ取り早い。ネットや雑誌でそれらしい記事を読むより遥かに効果的だと断言できる。一緒に歩いて、色んな話しを聞いて、目の前のイケメンから情報を得て、どんどんイケメンのライフスタイルを吸収していけばいい。恐らく思っていたよりも質素な生活を送っていると思うのではないだろうか。

人生の本質

2015-05-23 17:46:25 | 日記
人生の本質は何かという話をネットで読み、全く共感できなかった。
人生とは有限であり、ほとんどの人間が優先順位をつけてしている事は、人生の本質とはかけ離れた些細な物事ばかりである。優先して行なうべきは人生の本質に関わる項目であるべきで、家事や仕事ではないとのことだった。

洗濯物が溜まっていれば最優先ですべきだし、今日中に提出しなければならない書類作成に取りかかるのは最優先事項に決まっているではないか。それらを放って他の事をしていたら生活が破たんするだろう。

恐らくこの考え方そのものが、もう既に人生の本質を見誤っているのかもしれない。言っていることは確かに分かるのだ。では、どういうことなのだろうか。

「充実」という感覚がある。人それぞれが何かに対して感じる事で、これといった定義はないように思えるが、努力や労力、そして時間や費用が正しい方向に費やされ本人が満足いく結果を得られた状態のように思う。必ずしも成功していなくとも得られる感覚である事も確かだ。思い通りの形にはできなかったが、初めてチーズケーキを自分で作り上げた時は充実した気分になった。面倒くさいトレーニングメニューを遣り遂げられた時も充実している。その「充実」に向かって行ける人生は幸せだと思う。人生とまでいかなくとも、生活でもいい。人生の本質とは、健康、恋愛、家族、友達、趣味、そういったものであることに間違いはない。好きなゲームやトレーニングを一切しないで仕事に励むという生活はいつか破たんするだろう。恋人や家族を思って仕事に頑張れる。バランスよく大切なものを今日一日取り入れていけましたか?という問いかけへの回答でもある。「はい」と答えられるためには、あと1つか2つは今日なにかできたはずだ。

仕事はなければ困るが、創業者でもない限り人生の本質には成りえない。仕事を終え、その日でもその週末にでも大切な事を忘れずに過ごしていれば、洗濯物が溜まるという事もなくなる気がした。

好きなら、彼を超えてみせて

2015-05-21 22:44:25 | 日記
一時期カルビーのコンソメチップスにハマって、お徳用のBIGサイズを何袋も部屋にストックしていた時期があった。今でもたまに食べたくなるくらい好きだが、あの頃は1日中食べていた。そして、いつしか飽きてきて、買わなくなってしまった。

嫌いになったワケではない。食卓に必ずあるものではないのだから、ポテトチップを食べなかった日の方が人生では多かったはずで、元の生活にただ戻っただけだ。好きで好きでどうしようもなったけど、嫌いになったワケではなく、普通の生活に戻った。まるで恋愛の話を書いているようだ。

結論だけ言えば、手に入らない男は諦めた方が良い。対人において0%という事はないにせよ、ルーレットをやっているワケではないのだから、70、80%くらい体感で行けそうとでも思えない限り手を出すべきではない。きっと上手くいかないだろうと思う。諦めるしかない恋もあるのだと知るのも人生だ。

では、諦める、とはどういうことなのか。「この手の男はまだまだいる」と確信を持つ事である。彼と同じ年代で彼くらいカッコ良くて優しくて、彼のような人がいいとして、そのような男は滅多にいないように思えるがこの世には大勢いると言う事だ。いるのだ実際に。しかも「好き」の範疇は意外と広く、彼がいいと口で言っていながら半年後には全然違う人に目がいっていたりするものだ。そう考えれば、むしろ「彼」に拘る理由が分からない。「他にもいい人がいるよ」などという気休めではなく、「彼」と同等もしくはそれ以上の男がゴロゴロいるのに縁がなかった「彼」をいつまでも追うなんてバカらしい。

ではどこにゴロゴロいるのか。答えはどこにでもいる。自分が途方もなくいい女であれば、何の用もなくカフェでくつろいでいるだけで、視線を独り占めできるだろう。出会いがそこかしこにあるとまでは言わないが、電車やジムで困った顔をしていれば誰かしら男が手を差し伸べてくれるだろう。自分も男だから男の事は手に取るように分かる。

だから何であれ、いい女になればよいのだ。仕事上でもプラスになるだろう。好きな彼を超える事で、それ相応の男が自分に注目する。失恋は胸がえぐられる痛みを伴うし、ツラくて苦しい日が続くだろう。それでも、そこで頑張っていい女になって出会えた男とは、失恋しなかったら決して出会えなかった男でもあるのだ。

秘密

2015-05-21 00:34:54 | 日記
2年程前だろうか、仲が良かった友人が引き籠りになり入院した。何の前触れもなかったと周囲は口にしていたが、異変の兆候はずっとあった。悩みがある事は間違いないので何度も聞いてはみたものの、口を閉ざしたままだった。「話したくない」と。

自分がショックだったのは、結局彼は最も仲が良かったオレではなく、そこまで仲が良くない相手に相談した事だった。信頼されてなかったのだと傷ついたが、後から重大過ぎてオレには話せない内容だと知った。そんな事があるのだろうか、と思う。借金だろうと恋愛だろう病気だろうと、まずは話を聞いてくれるのが友達ではないか。だったら何でも話してくれるはずだと。でも今だから思う。親友にだからこそ話せない事があるのだ。今までの全てを覆してしまう程の真実を打ち明けなければならないのであれば、違う人に相談したい。親友だけは失いたくないから。

隠し事をされると裏切られた気になるが、人は知らなくていい事を多く抱えて生きていると思う。悪いことでも何でもなくても、知らせない方がいい場合があるのだ。そういう意味で言えばtwitterやFacebookなどがいい例だろう。どこで誰と何をしていようと自由なはずなのに、自分が誘われていない事が無性に腹が立つ場合がある。自分に言った事と辻褄の合わない事が平気で書かれていたら面白くもない。それくらい世の中は雑音に満ち溢れている。だから自分の場合は好きな人のtwitterやFacebookだけは見ないようにしている。自分に話していない事は知らなくてもよい事なのだ。幸せはそこにはないと言い切れる。

2年前、相談されなかったことにショックを受けたが、知れば友情にヒビが入ったかもしれないと思うと、彼の配慮を感じる事も出来る。隠し事は嘘とは違う。本当に好きな人に対しては、他のどうでもいい人とは違い、あまりFacebookに書きたくなかったり、変な相談はできなかったりするものだ。表面的な事で判断する前に、なぜ彼はそう思うのか、なぜ彼はそう言ったのか、よく考えるべきだと思う。

オレもだよ

2015-05-18 00:29:03 | 日記
現実的に付き合う事ができない男に恋をした。諦める事にした。それでもツラくて相手を恨んだ。同時に自分を憎んだ。その行き場のない感情を数年ぶりにこのブログを再開することで昇華できた。いや、するしかなかった。諦めたかった。好きだった。この世で彼に会わなければ良かったような気がしたが、出会えた事自体は幸せだと思った。そして・・・

付き合ってくれとは言うつもりはない。バカだが、そこまでバカではない。ただ、伝えたいなとは思った。人として男が男を好きになってはいけないことだろうか。カミングアウトではない。迷惑をかける気もない。好きになったけど諦めました、でストーリーが自己完結するのは何もなかったようで嫌だ。人として好きだからこの先も永遠に仲良くしたい。それだけでもダメだろうか。

「凄い好きだよ。」

一緒に飯を食ってる時に、何の脈絡もなかったワケでもないが、何かの流れで自然に伝えた。

「オレもだよ。」

普通に彼はそう言った。そうだよね、みたいな感じで2人で笑い合ったような覚えがあるが、はっきりとは覚えていない。

好きでもない相手と一緒に食事をする訳はないのだから、いつも会ってるということはお前はオレの事が好きだったんだな。恋愛感情なんて無くていいのだ。彼が誰かと結婚して、この先の人生のどんな時にもオレを好きでいて欲しい。オレも好きだから。急にオレは幸せになった。

好きなままでいて

2015-05-17 09:10:49 | 日記
好きだった男を諦める時、よく自分は連絡先を消していた。自分から連絡できなければ、いずれ彼を忘れる事ができる。最善の策のように思えた。

でも、ふと思う。この先も連絡を定期的に取り続けて、好きだった男が他の誰かと幸せになってもそれでも仲良く友達として続いていたら、それこそが本当の幸せだったのではないだろうか、と。


連絡が来ないという事は、それだけの存在

2015-05-15 19:30:14 | 日記
男は単純なので、会いたいと思ってくれているなら勝手に連絡してくる。放っておいてもLINEのメッセージが来るし、今度の土日の空き状況を確認してくる。

連絡が来ないというのは、それだけの存在なのだ。会う気もないし、どうでもいい。他の誰かと連絡を取り合って、今度の土日はどこかに行くのだろう。

誰でも分かる事なのに、当事者になると分からない。変なメッセージを送ってしまって気分を害したのかな、とか、忙しいのかな、と、男から連絡が来ない理由を必死に自分に言い聞かせる。もうやめましょうか、そういうの。自分の価値を下げるだけなのだから。

「会いたい」とこちらから言ったら負けみたいな風潮があるが、そんなことはない。向こうも会いたいのであれば話が早くていいだろう。そうではないのならば送るべきではない。

男は単純なので、会いたいと思ってくれているなら勝手に連絡してくる。連絡が欲しいのであれば催促するのではなく、いい女になればいいのである。

Heartbreaker

2015-05-12 00:53:32 | 日記
嫌いになる必要はなかった。LINEを消す必要もなかった。忘れる必要さえなかった。ただ、普通の生活をすればいい。1つずつ、いつもやっていた事をやればいいのだ。今日は風呂場の掃除でもしようか、と。

いつもの生活ができないのは自分のせいだ。他人は関係ない。嫌な事があったからジムに行きたくない、ツラい事があったから洗濯する気になれない、それは通らないのだ。いつも通り食器を洗ってみようか。

好きな期間というのは、あっけなく終わってしまった。あれほど苦しんだのが嘘のよう。何も始まっていない恋愛の終わりは早かった。

美しかった。この数日間が。自分は1人の男性に恋をしたのだ。この年になって、本気で人を好きになれた。また年を取って、いつか恋をするのかもしれない。その時もきっと同じ事を書いているのだろう。

あなたを想えてよかった、と。

ジムに行きたい日

2015-05-11 23:34:37 | 日記
今日はジムに行きたくてしょうがなかった。いつも通っているジムにこんなにも行きたい理由が全く分からない。もしかしたらfacebookでカッコいい人を見て触発されたのかもしれない。

着替え終わってトレーニングエリアに降り立つと中は人混みだった。こんな何でもない日にこれだけの人がトレーニングをしているのかと思うと、来てよかったと思えた。辺りを見渡すと彼の姿は無かった。

彼が今日、この時間にはいない事は分かっていた。だからこの時間に来た。もしかしたらもう既に来ていて、こうして同じ空間で過ごしていたかもしれない。

トレーニングをしに来た。トレーニングの事だけを考えに来た。だからやめよう、こんな想像は。すぐにトレーニングに取り掛かった。とっくに彼の事は頭の中から消えていた。

いつも以上に鍛えた。鍛えている間だけは何も考えないで済むから。トレーニング自体は本気で取り組んできた。これからもそうだろう。本当に良かったと思った。

鏡に映る自分を見て、なぜかカッコいいと思った。もっとカッコよくないと思っていた。髪を切ったばかりだったからかもしれないし、パンプアップさせたばかりだからかもしれないが、少なくとも鏡の中にやつれた男はいなかった。

一生懸命に生きればいい。それが一番の幸せだと思うから。

いいえ

2015-05-11 14:55:37 | 日記
空白の期間があったものの、ずいぶんと長くこのブログを続けてきたと思う。「ランチを食べました」みたいな記事が一切ないのは、そういう事が書けないからだ。自分は絶望の中でしか何かを書くことはできない。それは後天的な物で、まさにこのブログのせいだともいえる。ゲイとして全くモテず、どうしようもない状態で始めたのがこのブログだ。もちろんこういう内容のブログを書きたいという信念はあったが当時は確かブラインドタッチの足しにでもなればという気持ちから登録した覚えがある。ずっとノートに手書きで書いてきた日記もあったが内容は異なる。幸せな時に何かを書きたいとは思わない。その一言に尽きる。

いい年をしてノンケに恋をしてしまった。死ぬほどイケてるゲイが相手ならば振られて終わりでよい。何も手を出せない恋というのは、こんなにもツライものだとは思わなかったよ。片想いをしている人を他人事だと思っていたが、まさか自分がこんな事になるなんて思いもしなかった。好き。ただそれだけだ。やりたいとかそういうんじゃない。ただただ好きなのだ。自分はなんて愚かな人間なのだろう。相手は迷惑なだけなのに。

では何もなければよかったのか。この世界に彼と知り合ってからの全ての事象がなかったらよかったのか。いや、違う。こんなにツライなら、しかも実らぬ恋なのであればなおさら何もなかった方がよかったのではないか。それでも違うと思う。何もなかったまま生きていて、それなりの出会いがあったとして、そっちの方が幸せだったとしても彼と出会えた事がなくなる方が哀しいのはなぜか。どうせ結ばれないのに。

彼を想う人生が送れて良かった。まるで自分の中に一筋の光明が差したよう。いつか他の誰かを好きになって、こんなブログは削除しようと思う日が来るとは思う。でも、それまでは苦しくても好きでいたいという気持ちがある。

「彼と知り合わなかったとしても、素晴らしい人生が待っているとは思わない?」

「いいえ」

選んでない人生など自分には全く関係がないのだ。好きになって、好きな気持ちを忘れて、自分は強く生きていきたいと思う。

恋人の作り方

2015-05-10 12:57:23 | 日記
幸せそうなカップルを見る。いいな、と思う。ああいう人生を送れたらどんなに幸せだろう。でも、ふと思う。本当に幸せなのかと。

自分をいいと思ってくれる人を選んで、末長く一緒に付き合っていけば「幸せなカップル」の出来上がりだ。タイプかどうかなど拘らず、自分をいいと言ってくれる相手の中から伴侶を選ぶだけの作業だ。恋人を作るという項目だけでみれば簡単だ。

幸せそうなカップルを見る。でも思う。本当に幸せかどうかは当事者にしか分からないのだと。

やっぱりね

2015-05-09 21:05:55 | 日記
ちょっといいな、やりたい、などと思う事はあっても、日常生活において本気で人を好きになる事はそうそうない。ゲームでもそう。本気でハマって夢中になる事など滅多にないことなので、とことんハマって飽きるまで夢中でやり続けるのがオレ流だ。でも恋愛はそうはいかない。滅多に好きにならないからといって何でも行けばいいのではないと先日書いた。理性で抜け出したとも書いたが、全くノーダメージの生活を送っているワケではない。正気を取り戻したが、まだ怪しい、と言ったらいいだろうか。オレ自身が恋愛体質なので、どうしても恋愛には深くハマりがちで、この2日間は永遠に続くのかと思われる程に長かった。最初から2日間の強化合宿にでも来ているのならまだしも、いつ終わるとも知れない恋愛地獄に身も心も疲弊しきった。

「好き。」

いつ好きになったのだろう、と首をかしげる。自分はもっと利口ではなかったか。どのタイミングで恋に落ちたのか。振り返っても答えは無い。この時という決定的な事例がない。いや、元々好きだったのかもしれない。好きだったのだ、ずっと。好きだと認識できるまで延々と「好き」が蓄積していったような気がした。

自分がすべき事はこの恋愛を早く終わらせることだ。好きだという感情に支配される以前の状態に戻すことだ。相手に素っ気なく冷たく接するのは得策ではない。相手は何も悪くない。好きではない=嫌いではない。好きではないまま、笑顔で仲良く、いつまでも現状の関係を維持していく事が最善に違いないだろう。果たしてオレはそれができるだろうか。

相手の事を好きだと分かった時、驚きとともに浮かんだ言葉が、「やっぱりね」だった。

職場に嫌いな人がいる人は自分に問題がある

2015-05-09 13:40:28 | 日記
職場に凄い嫌われている上司がいた。神経質でうるさくて、確かにうっとうしいタイプではあったが、オレはそんなに気にはならなかった。

誰がどう考えてもこの上司は嫌な人間だとは思う。オレもごちゃごちゃ言われる事もあった。でも皆ほど嫌いではない。なぜだろう。

誰かに聞いた時にピンときた事があった。他人を嫌いになる時の一番の理由が、「自分の嫌な部分を連想させるから」だそうだ。自分でもうすうす気づいている自分の嫌な部分。ずっと見なかった事にしてきた都合のいい自分。それを鏡映しに見ているかのような相手を目のあたりにした時に嫌悪するのだという。そうか、と思った。嫌いな相手を愚痴る時、相手の詳細にわたってなぜか悪口を言えるものだ。嫌いな相手の悪い部分についてはいくらでも話せる。それは、自分の事に他ならないから。遅刻が多かろうと仕事をしていなかろうと、実はそう他人を嫌いになるものでもない。カフェで多少話題になる程度で本来どうでもいいことなのだ。一緒のチームだから、などという場合であれば本人に軽く注意するなりすればいい事で、嫌悪する程深刻な問題でもない。言っても直らない、とか今回はそういう類の話ではない。

同じ土俵で、なんて表現もあるが、まさにそう。自分もうるさいから、うるさい相手が気に障るのだ。仕事はきちんとやるが職場の人間などどうでもいいと考えているオレにとっては自分を映す相手はあまりいないのかもしれない。