いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
過去の記事は随時掲載していきます。
以前読んで下さっていた方、ありがとうございます。

【広告】 Male Model TOKYO

2020-03-20 15:44:04 | CM

日本人男性モデルの写真集シリーズ「Male Model TOKYO」第64巻
現役のボディビルダーやフィジーカー、スポーツ選手や体育会大学生のトレーニング風景や日常シーンを切り取った作品です。
パーソナルトレーナーの方もモデルをしています。
イケメン、マッチョ、現役選手、そういったキーワードに興味のある方はぜひ手に取ってご覧になって下さい。
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アンインストール

2020-03-20 15:13:52 | 日記
その男は日常のツールとして出会い系アプリを利用していた。出会いに依存していた訳ではなかったが、誰かと出会いたいという願望があり、どこに出向く必要もなく見知らぬ男性と出会えることは大切なことのように思えた。

ただ、出会ってはみても手元に残っていく人の数は極端に少なく、正直出会う意味もあまりないのかなと思うことも多くなっていった。とは言ってもゲイのイベントや飲み屋に行く気にはならないし、他のSNS、特にTwitterで出会うのも気が重かった。効率が悪くてもやはり誰かのホームパーティや海、バーベキューなどに参加して出会う方が結果としては良いとは分かってはいたが、大学生の時ならまだしも「今さら」と思ってしまう。二の足を踏んでいるというよりかは、出会いたいと思っている割にどこかどうでもいいと思っていたのかもしれない。

出会いと恋愛は違うものだと知った。出会いがあって恋愛がある、というような認識でいたので、まずは出会いが欲しいというようにセットで考えていたのだ。しかし違う。恋愛に繋がった出会いというのは、振り返ってみると、恋愛を意識していなかった出会いだった。誰かの友人で、とか、ジムで知り合って、とか、あくまで恋愛とは関係のない知り合い方をして、いつしか好きになったのだ。恋愛の入り口として出会っている限り恋愛は遠いのだろう。

その男はスマホゲームをインストールする際に容量オーバーの表示が出て、アプリ一覧を開いてみた。こういう時に、たまに行くファストフード店のアプリとかは消すのに迷う。そんな事を考えながら、出会い系アプリのアイコンが目に入り指が止まった。長年利用してきたアプリだった。立場を超えて見知らぬ男性達とメッセージのやり取りをしてきたものだった。ここ最近では利用頻度も下がっていって、正直こんなもので良質の出会いなどないのではとさえ感じてきていた。でもこのアプリがなかったら、出会っていなかった人が大勢いる。彼らとの縁が切れる訳ではないが、このアプリをアンインストールする事は、この先の出会いを削除するということだ。ちょっと寄ったカフェで何となくアプリを開いてみる、そういった暇つぶしがもうできなくなるという事でもある。

出会いはどこにでもあると思う。自分がゲイだから制限があるような気がしていただけで、Instagramでもジムでも友人からの紹介でも、割と出会えるはずなのだ。それをアプリに頼ってきたのは、「あなたも出会いたいんでしょ?」という甘えだったのかもしれない。

一瞬迷ったが、その男は見慣れたアプリをアンインストールした。

ニューゲーム

2020-03-14 18:53:36 | 日記
人生をやり直したいとよく思う。高校時代からやり直して、一流大学に入学し、医者でも弁護士でも目指したら今よりきっと幸せなはずだ。

では、もしそれが本当に可能になったとしたら、自分は目の前にあるリスタートのボタンを押せるだろうか。自分が歩んだ道を取り消せるだろうか。社会的に何一つ成功していない人生だとしても、キラキラと輝く思い出を消せるだろうか。

過去に戻れたとしても今より幸せだという保証はない。同じ選択肢が現れれば答えは分かるが、そうではない場合、自分で選択するのだ。それでミスしたらまたリスタートするのだろうか。それは幸せな人生だろうか。

人生をやり直したいとよく思う。そして、すぐに考え直す。素晴らしい人生だったと。

迷わない

2020-03-12 23:54:24 | 日記
自衛隊の話を以前聞いた事がある。新隊員が隊長を好きになって告白した。隊長は新隊員を傷付けまいと、恋愛ではなく好きだと答えたそうだ。ノンケとゲイ。相容れる事はない関係のように思えるが、兄弟や親友が後からゲイだと分かったら関係は破綻するのだろうか。知らなかっただけで、それとは関係なく一緒に過ごした思い出を破棄できるだろうか。ゲイだったんだ、と知る事はショックだっただろうが、ゲイ本人はもっとつらかったのだ。そう思えば縁を切ることはしないだろう。

上っ面の話をすればこういう風になるが、実際の例を書くと少し違った話になる。
ノンケ側も薄々は気付いているものだ。女っぽいな、とか、女性に興味がないのかな、とか、そういったきっかけから色々と察していたりするのだ。それを敢えて聞くこともなく仲良くしてくれるのは、男側の愛情だと思う。このままでいいのかどうかは分からないけど、だからといって何かを改善するようなものでもない。ゲイじゃなかったらいいなとは思うが、変なことを聞くわけにもいかない。例えそれが親友だとしても。そんな風に思いながら大学時代を一緒に過ごしてくれた親友は多いのではないか。

思えば世の中はいい人が多かったかもしれない。振り返れば自分に優しくしてくれた人は多かった。中にはゲイだと察したうえで態度を変えずに仲良くしてくれた人もいたはずだ。例え今が困難な人生だったとしても感謝すべきではないだろうか。

そして、ノンケがゲイを好きになる事もあった。人を好きになった、と言ったらいいだろうか。タイプじゃなかったけど結婚したみたいな話と同じなのか分からないが、一緒にいて好きになった、それが男だったという事なのかもしれない。自分にも経験がある。

カップルとまではいかないが、はたからは分からない2人の関係がある。ノンケがオレに会いたい一緒にいたいと連絡をしてくる。恋人同士なのかと錯覚するほどに親密な関係になるが告白されるわけでも肉体関係に発展する訳でもない。向こうはただ親友としていちゃいちゃしてきているのだったらそれはそれでいい。特に勘違いするような「あわよくば」という気持ちは本当にないので、下心や変な気持ちがないのであればそれでよい。よく考えれば分かる事だが、どんなに好きな男でも相手がノンケであるのなら女性と結婚して幸せになってもらいたいと思う。本当にオレの事が好きで同性婚をしたいと言ってくるのなら嬉しいが、こちらからそれを望むことはない。考えていないので行動に出ないという事だ。ゲイはノンケを好きになるべきではない。

ゲイで良かったと思う。また生まれ変わったらゲイに生まれたい。