いい女よりもいい男の数は少ない

男の恋愛ブログです。
過去の記事は随時掲載していきます。
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チームメイト

2018-08-31 14:27:05 | 日記
新入社員だった23才の時に、25才の先輩を本気で好きになった。それをきっかけにゲイとしてデビューしたという、とても思い出に残る恋だったが、それが全ての始まりだったように今は思う。

ノンケの会社の先輩に告白する程バカではなかったので、その恋を諦める形でゲイ活動に邁進した。本当に手に入らないものの代替品を探す旅に出たのだ。

自分が本当に好きだったのは、学生時代にプロ野球選手を本気で目指していた男性だった。その道を諦めて先輩はこの会社に入ってきたのだった。中学時代に好きだった相手も野球部だった。自分は野球選手が好きという事でもないだろう。自分にはない何かを持っている男性に心惹かれるのかもしれない。

ゲイとして全くモテなかった時代を経て、それなりにモテるようになると、物事を選別するようになっていく。簡単に言えば、エロくて超カッコいい男と出会う事が全てだった生活から、そうではない生活へ変遷していくということだ。過去にイベントのフライヤーを見てカッコいいと思ったゴーゴーを何とも思わなくなったりするのが一例だ。この程度ならジムにいるノンケの方がよっぽどカッコいい。オレが目指すのはこのようなイケてる風ゲイではなく、ストイックなノンケだ。なれなくてもいい。目指していたいのだ。ああなりたい。それが自分の心を補完していく作業なのだと知っている。

自分が美しい女に生まれていたら中学時代の野球部はおろか25才の先輩も落とせていたかもしれない。しかし、そこに興味はない。それよりも自分がアスリートの男に生まれていたら彼らとチームメイトになれていたのかもしれないと思うと心が締め付けられる。柔道でも野球でも水泳でもいい、スポーツだけの人生でもよかった。ノンケの選手と付き合いたいのではなくチームメイトになりたかった。一緒に何かを目指してみたかった。できる事なら必要として欲しかった。なぜ、そういう人生を歩めなかったのだろう。

自分はいい男になりたいと思っている。最初はいい男と付き合う為だったが、今は人生をやり直したいからだと思っている。

失われた風景

2018-08-15 01:13:06 | 日記
すぐ好きになっていたのが20代で、簡単には付き合わなくなったのが30代。
何もかもがぐちゃぐちゃだったのが20代で、洗練された生活を送るようになったのが30代。
幸せだったのが20代で、色々なものを手にしながら不幸せなのが30代。

夜遅く丸の内線の駅を出ると、目の前に見たことがある男性が階段を上っていた。実際には他人だったのだが、昔付き合っていた男性にどことなく似ていた。こんなバッグをしょって、よく遊びに来てくれたっけ。今頃彼は何をしているのだろう。

平日のこの駅は住人以外はあまり使っていない。彼を見た事はなかったが、この辺に住んでいるのだろうか。手前の信号で待つ彼を、1つ先の信号で待つオレが上手に眺めている。スマホを見る姿勢もよく似ていた。もしかしたら彼もこれから誰かの家に向かっているのかもしれない。あの頃の彼のように。

好きになるのは早い。会った瞬間というと言い過ぎかもしれないがその日中には好きだと分かっている。そうして好きになって、初対面の帰り道に改めて気付くのだ。本当に好きかもしれないと。男はありきたりな事に慣れていない。おしゃれな場所でデート中に好きだと言うよりも、何でもない道端でそっと手を握ると驚かれる。え、とこちらを見た時に、好きだと伝えた。2回目のデートだった。まだ早いよ、と笑う彼に、そうだね、と答えて話題を変えた。また会いたいと連絡をしてきたのは彼からだった。

信号が青に変わったので歩き始めると、丸の内線の彼は真っ直ぐに歩いて行った。自分はもうすぐ右に曲がる。もうお別れだ。

好きだった。でも別れた。別れたばかりの頃は何も考えなかったが、なぜ後になって彼が優しくしてくれたこと、彼が言ってくれた言葉の1つ1つが思い出されるのだろう。未練はない。復縁しようとも思っていない。でも目の前の彼が本人だったらどうだっただろうか。人生とは自分が思っているよりも運要素が強いのかもしれない。自分はこうだと主張しても、結局状況が変われば考え方も変わるのだろう。未練はないのであれば、何も思う事はないはずだ。

好きだった。でも別れた。あの日、好きになったのは事実だ。この人の為にもっと鍛えてもっとお金を稼いで幸せにしたいと思った。でも別れたのだ。

右に曲がると、彼を振り向くことなく真っ直ぐ歩いて行った。


記憶の彼方

2018-08-13 21:26:58 | 日記
中学時代に隣のクラスにいた野球部の男の子が好きだった。まだゲイだと自覚していた訳ではなかったのだから、「好き」と明確に認識できていたかどうかも定かではなかったが、それでも思い出の中では「好きだった」事を覚えている。それはそれでいいのだが、今になって不思議に思ったのは、なぜ彼だったのかということだ。当時は既にジムに通っていてマッチョな大学生のスタッフがそれこそいっぱいいた。スイミングでも有名なジムでもあった為か、水泳関連のクラスもいっぱいあり、それこそイケメンスイマーも大勢いた。思い出補正でそう思っているだけで実際はそんなに皆イケてなかったとしてもまだ中学生だった自分には十分すぎる程粒揃いのメンツだったに違いない。なぜ彼らを好きにならず、何の接点も無い隣のクラスの野球部の彼のことが好きだったのだろうか。

全くモテずに1年半ほどヤリ目的のみに特化した時期があった。とにかく鍛えまくって掲示板と発展場でほぼ毎日ヤリまくっていたからこそ分かったことがあった。たまたま射精したいだけでやって来た本当にイケている男達は危険なプレイはしないという事だ。彼氏がいてもいなくても帰る場所があるという事でもある。会社かもしれないし、実家かもしれない。一人暮らしの自宅とは別に誰かに愛されていて、誰かから必要とされていて、そして何かに情熱を注いでいるのだろう。ああこの場所で一番はオレなんだろうと思う事は何度かあったが、それは最高2位までしかここでは相手は見つからないという失望でもある。タオルで軽く隠して通路に立っていると勝手にタオルをまくってチ〇コを握られまくり、一瞥して相手にならない男だと分かり押し退ける作業を繰り返していた。

情熱とは何だろう。仕事にそこまで自分は情熱と呼べるものを注げない。トレーニングがそうだろうか。そう思うと、その究極の状態というか根源に当たるものが部活ではなかっただろうか。自分は何の部活もやらずに就職した。それなりの幸せを手に入れて生きてきたと思うが、部活に明け暮れて就職する人生でもよかった気がする。野球をずっとやってきて、大した企業ではないけど就職しました、高校しか卒業していないけどスポーツばっかやっていたから消防士になりました、そういう人生でもよかったと思うのだ。キャリア、年収、そういった呪縛に囚われてずっと生きてきてしまった事を少し後悔する気持ちもある。でもまた矛盾するが、そう思って軌道修正してきた部分も実はあるのだ。途中で気付きながら諦めて生きてきた訳ではない。可能な限り修正して、今がある。あの時に消防士になっていたら今の生活には辿り着けなかっただろう。

野球に打ち込んでいる彼の姿が好きだった。他の部員ではなく彼だった理由はちょっと思い当たらないが、何か小さな接点があったのだろう。自分もそういう人生を歩めたはずなのに、あの頃は引っ込み思案でスポーツが苦手で何もチャレンジできなかった。だから彼の事が好きだった。憧れていた。なぜ自分は彼の様に生きられなかったのだろう。そんな想いの断片が当時の恋心だったように思う。イケててマッチョなら誰でもいいという訳ではないのは今も昔も変わらないようだ。発展場に行ってもやらないで帰る事が多かったし、やるだけの相手でも、「ここではなかったら好きになっていたかな」と一瞬思える人を選んでいた気がする。