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凡人マスター

音楽、映画、場所、食べ物、言葉、生活用品…私的オススメをご紹介。
気になるものは拾ってあげてくださいね。

世の中ではいろんなことが起きている。

2006年07月12日 | エッセイもどき・空想など

『あの子はあそこでは泣いちゃいかんて思ったんよ』
『そうやね。人として我慢せないかんとこやったと私も思う』

一昨日の朝、電車内で私の隣に立っていた女子高生2人組の言葉だ。
何の話かよくわからなかったけど、
どうやら学校内での出来事を語り合っていたようだ。
人として我慢しなければいけないこと。
高校生もそういう話をするんだなー。
そういえば、自分の高校時代も友達とよく語り合ったものだった。
その時思っていたことは、
『年を重ねたとえ考え方が変わっても、子どもや思春期の今の思考を理解してあげられる大人になろう』
前言撤回。高校生だからそういう話をするんだよね。

『そうしますと、この3人が買わなくても、手元にはこれだけ入ってきます。図や数字で説明すると理解しやすかったでしょ。このやり方でやるから友達をなくすことはないんです』
一昨日の夕方、某カフェで私の隣に座っていたのは3人組の中年女性。
ひとりが紙に何か書きながら説明をしていた。
『親』『ポイント』『会員の方』などの単語が聞こえてきた。
完全にネズミ講の説明だ。
残りふたりが真剣に話を聞いていた。
3人のコップは汗をかき、氷りは溶けていた。

『はー?警備員?警察呼べば?あなた仕事はなんですか?ソープ嬢でしょ?ソープでしょ!』
『どうしてそんなこと言われなきゃいけないんですか!!』

昨日の夕方、天神から程近い、観光地としても有名な複合商業施設にて。
雑貨屋で女性が言い合いをしていた。
何があったかはわからないが文句をつけている女性は、
広いフロアに響き渡るほど大きな声をあげていた。
日本人の買い物客もだが、中国や韓国からの観光客もびっくりしていた様子。
足を止めて見ていたくもなったが、なんだか同じ日本人として恥ずかしくなり横をそそくさ通り過ぎた。

世の中ではいろんなことが起きている。
人生ではいろんなことが起きる。

人として我慢しなくちゃいけないこと。

がめつくなっていませんか?ずる賢くなっていませんか?
図々しくなっていませんか?横柄になっていませんか?
ここでこう書きながら、自分にも問いかけています。

誰かの願いが叶うころ

2006年06月22日 | エッセイもどき・空想など


誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない

自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ
それならあなたを抱き寄せたい できるだけぎゅっと
            誰かの願いが叶うころ/宇多田ヒカル


私の願いが叶う頃 あの子が泣いた。
あの人の願いが叶う頃 私は泣いた。
私の願いが叶う頃 あの人も泣いた。
あの子の願いが叶う頃 私は笑った。
同時じゃなくてもみんなの願いが叶ってほしい。
そう思うことはわがままではないでしょう。

妙な想像

2006年06月19日 | エッセイもどき・空想など


“想像する”という行為はとても自由である。
誰にも侵されることのない自分だけの聖域である。
例えば『コーヒーカップ』というテーマで100人に想像してもらうと100通りの答えが出てくる。
そして不可能も可能になる、それが“想像”だ。
自分はサトラレじゃなくて良かったと思う。

夏になると妙な想像をしてしまう。
毎年定番の2つは

『汗をかいた時、自分の髪の毛をカツラのようにカパッと取りきれいな水をはった大きなたらいでジャブジャブ洗う。ブンブン振り回して乾かした後丁寧にブラッシング。地肌はふわふわのタオルでキュッキュと拭く。全てが済んだらまた装着』

『夏バテで疲労がピークの時、つま先からじわじわとサラサラな冷たい砂になっていく。全部砂になったところでムギュっと固まり、ものすごい圧力をかけられる。そして一気に弾けてプリン状で自分に戻る。それからゆっくり人間へ』

そうだったらいいのにな~。
ファンタのCMじゃないけどね。

晴れた朝になって

2006年06月16日 | エッセイもどき・空想など


雨のよく降るこの星では
神様を待つこの場所では
木も草も眠れる夜が過ぎるから
君にいっつも 電話をかけて眠りたいよ
晴れた朝になって君が笑ってもいい・・・
                天気読み/小沢健二


梅雨の中休みです。
陽射しも去年までの夏を思い出させる強さになってきました。
明日も晴れた朝のようです。
きっと君は笑ってくれるだろう。

言葉のトレーニング

2006年06月07日 | エッセイもどき・空想など
休日の昼下がり、想像を繋げていくゲームをした。
沢山の人が出てくる物語に設定。
想像の出発点はその時いた博多駅付近の公園。
多少、どこかで読んだ小説のような発想もあったが、
漫才の掛け合いのようにポンポンと出てくる。
(でも、そのテンポは大阪じゃなく東京の芸人風)
相手の想像を受け取る。それを広げる。新たな切り口を投げる。
想像がどこまでも歩いていく。
一見、地味な遊びに思えるが、想像とは繊細で大胆なものなのでそうでもない。
わくわくできて楽しかった。

キリがないのでいったん想像を止めてみた。
今度はそれを文章にしてみようということになった。
これがなかなか出てこない。
考えて発した一文が、どれも陳腐でダサかった。
「ボキャブラリーは並ぐらいはあると思うんだけど、何でこんなにできないんだろうね」
そう言いながらぼんやりしていると、
「やっぱり言葉のトレーニングだよ。」
と言われた。
知っている言葉をうまく使っていくトレーニング。
そしてその表現を構成していくトレーニングが必要だと。

そうだね。もっともです。
付け焼き刃じゃだめだ。
様々な言葉の組み合わせに挑戦し、地道にトレーニング。
リズミカルさも大事だ。
そのためには生活も多少リズミカルでなくては。
すべてはそれなりの関連性を持っている。

今日のブログは
『大事』だとか『必要』だとか『○○でなくては』を使い過ぎた。
さっそくトレーニング開始です。


以前、村上春樹がこんなことを語っていた。

小説を書く、物語を書く、ということは煎じて詰めて言えば
『経験していないことの記憶をたどる』


ことだと。

興味深い話だ。
経験していない記憶を辿る、文章にする。
分裂的な作業を行うには精神力も鍛える必要がありそうだ。

こんな女性誌

2006年05月15日 | エッセイもどき・空想など
6月に社員旅行があります。
パスポートが2月で切れていたので、会社のカメラマンの人から写真を撮ってもらいました。
それをしげしげと見る。
久々客観的に自分を見たらなんだかおもしろかったよ。

眼球が大きい。黒目部分が茶色い。白目が青みがかっている。
意外と顔が長いが少々左に曲がっている気がする。
法令線は出ていないが油断ならない雰囲気の口元。
頬が大福みたいにぱんぱん。とにかくぱんぱんなのよー(泣)
口が小さくて薄いから余計に顔のでかさが目立つ。鼻も丸い。
頭も大きい(きっと脳みそが沢山詰まっているんだよ…そんな気しないけど)
なんだかこう書いていたらとんでもない化け物のようだ。
でもなんとか成り立っている。でもとにかく全てが丸い。
その写真は上半身も写っている。肩から腕にかけてのラインも丸い。
浮き出た鎖骨すらも丸い。とにかく曲線以外はない。
恐らく骨も丸いだろう。こればかりは自分の目で確かめられない。

全身から緊張感を感じることができないのです。

かっこいいTシャツを着ても、シャープな感じを出せない。
ノースリーブを着てもスラリとした大人の色気が出ない。
無いものねだりかもしれないけど、
少し『カタイ』感じが欲しいのです。


女性は欲張りなので、誰しもちょっとした悩みを抱えていると思います。
雑誌を見ていると、背が高い人、低い人、O脚、腰張り、もも張りさんの着こなし術なる特集はよく見かけます。でも意外と使えないんだよね。特に20代後半になると、今までの実践の中でそれなりに学んできているのです。

そんなこんなでこんな企画はどうでしょう?

・ハト胸オンナはデコルテで勝負
・なで肩オンナのあげあげライン
・うどんオンナのすらっと着こなし術
・きしめんオンナはボリューム重視
・ガッチリオンナは3大クビ(首手・首・足首)で勝負
・貧乳オンナは目線の錯覚効果を学べ
・出す?出さない?トップス別、“耳見せ”“耳隠し”
・濃い顔オンナのあえての“足し算”メイク
・その色あなたには黄色信号!気にしましょう顔映り
・もうノッペリだなんて言わせない、チークが教える魅惑の凹凸。
・ローライズはぽっこり下っ腹の救世主
・低予算・高品質・好印象、絶対使える1週間着回し術
・アンクレットとブレスレットの黄金華奢コンビを使いこなせ
・儚げオンナはハートを掴ませる前に手首を掴ませろ
・大尻オンナの極上ライン VS 小尻オンナのバンビな誘い
・決定版~48タイプから見る、あなたが本当に素敵に見える着こなし術
・超簡単!ものぐささんをベースにしたお肌のお手入れ講座  …etc

                      

超ださいキャッチです。
でもこんな感じの企画を扱う女性誌があればこっそり熟読しちゃうかも。
それにしても他力本願だね。。。
何ごとも1日にしてならず。
頑張れ私!

『10%の虹』

2006年02月08日 | エッセイもどき・空想など
昨日の朝、通勤電車の車窓から虹を見た。

何回目だろう、何年ぶりだろう。
曇り空に薄い色の虹だったけど、うれしい気分になった。
CMYK何パーセントの虹だろうか?
そんなことも考えた。
人間が『色が付いている』とはっきり認識するのは濃度10パーセントからだと上司に教えてもらったことを思い出した。
本当に薄い色の虹だったから、それぐらいかもしれない。
でも『色』としてちゃんと認識できた。
限りなくグレーな空の上で主張する、赤、青、黄色…。
鮮やかさはない。
バックがグレーでは透明感もない。
それなのに、染みわたるこの穏やかな気持ちはなんだろう。
見なくてもわかる、この自分のすっきりとした表情はなんだろう。
輝くことも素敵なことだけど、そのためにまずは色付かなくては。
欲張るつもりはないけど、少しずつ沢山の色を手にしたい。
例えその濃度が今は10パーセントしかなくても。

数年ぶりに感じる自信と活力に満ちた朝だった。

正直な行為

2005年08月20日 | エッセイもどき・空想など
久しぶりに書きます。
あと10日ほどで8月も終わりだな。
最近よく目にするのは蝉の屍骸、耳にするのは虫の声。
土に還り、新しい命を支える。秋の訪れを教える。
終わりは始まりでもあることをこういうところからも
感じることができます。

しかし、夏はまだ終わってない!
もう少し2005年の夏を楽しみたいと思います。


時の流れや雰囲気に応じる「時流」でなく、自分の器や正直な気持ちで動く「自流」で生きろ。(荒木経惟)

正直な気持ちなで動くということは、時としてとても勇気のいることです。
そして戸惑います。でも、その戸惑いを実感することも正直な行為であると思うのです。「自流」で生きることによって得たものは、知性になり快楽になり、安らぎにもなります。
変わることを恐れず、でも変わらず、そういうものにわたしはなりたい。

『○○を忘れないこと』

2005年03月01日 | エッセイもどき・空想など
たまにはドロドロとした恋愛の話でもしようか…いや、しない。
何かおすすめ品のご紹介でも。ちょっとそんな気分ではないなー。

3月1日。
吹く風はまだ冷たくも、霞む空を包む陽射しは緩やかな暖かさを連れてきた。
なんだか今日の私、詩人だわ。。。まぁいいや。

出会いもあれば別れもある季節、春。
何もそう暗く考えずに、生命の誕生や飛躍の季節だと考えると自然と元気が湧いてきます。
家の前の公園に植えてある桜の樹も、開花の準備を始めたようです。

昨日、これから始めること・始めたいこと・続けていくこと・やらなきゃいけないことなんかを久々書き出してみました。どれも難しいことではなく、やろうと思えばできることです。
パッと思いついただけでも20個ありました。それによく考えてひとつプラスしました。

『○○を忘れないこと』
中学校時代の学年目標、自ら○○するからヒントを得ました。
○○の中はその時々によってなんでもいいんです。
心がギスギスしている日は『ユーモアを忘れないこと』
誰かの思いやりを感じたら『ありがとうの気持ちを忘れないこと』
髪が跳ねていたり眉の手入れをさぼっていたら『女性であることを忘れないこと』
喧嘩をしたら『相手が怒った理由を忘れないこと』
何か決めたら『実行することを忘れないこと』
ことがうまく運んでいる時は『その感触を忘れないこと』etc…

世間一般で言う『大人』になり、少しづつ『経験』し『自己管理』で生活していると、都合よくいろんなことを忘れちゃうんです。悲しいとか悔しい気持ちもですが、楽しいやうれしいなんかも。成長期や思春期と感じ方が変っていることは否めません。
子どもの頃に戻りたいわけじゃない。気力で乗り切れる今だからこそ、
初めてに触れる、心に刻む、何かを恐れる…そんな気持ちを忘れないこと。
春霞む空の下、そんなことを考えています。

死体を発見したら…

2004年12月09日 | エッセイもどき・空想など
家から駅までの間に大きな川がある。
朝の通勤時、その川に架かる橋の上でほぼ毎日考えることがある。
「もし、死体や体の一部が浮いていたら…」
そして私が第一発見者だったら。。。

まずは110番をしよう。実は110番は2度経験がある。
(自分のことではなく、たまたま通りががってとかなのでご心配なく)
110番したら慌ててはいけない。
警察の人にきちんと場所を説明しないといけないからだ。
こんな時こそ自分の当たり前が他人には通用しない(経験上。警察とは言えどもね)
○○ストアーの近くの橋とかじゃだめだ。
どの方面から来るのかを聞いて、道路の名前や公共の施設、誰でもわかるお店、
そして方角をできるだけきちんと伝えてあげなければいけない。これが大変。

110番が終わったら、会社に電話かな~
「おはようございます○○ですけど、実は会社に向かう途中死体を発見しまして…」
最初はふざけてる?って思われるかもしれないけど、
状況の説明が進むにつれて電話に出た人はびっくりするだろうなー。

このあたりから段々怖くなってきそうだ。そうだ!実家に電話しよう。
母親は朝からびっくりするだろう。
「えー!!それでどうしたの?」
かくかくしかじかと説明している途中、
「ウーーー」っとパトカー到着。
母親が遠くで何か言っているのを耳にしながら急いで電話を切る。
警官がふたり。ひとりは定年間際のおじさん、もうひとりは30半ばのイケメン。
イケメンのほうが何故か私に毛布をかける。そしてガシッと片腕で私の肩を抱く。
おじさんのほうが
「大丈夫か!!もう心配しなくていいぞ」とやさしく声を掛けてくれる。
ここで私号泣!その後は任意で署に連れていかれ、詳しい説明をする。
「もうお昼だな~。疲れただろう、少し休憩しよう。」
しばし解放され、気が抜けた私の元に差し出されたのは暖かい緑茶と
『かつ丼』であった…

すべてフィクションです。

だけど最近日本では、都会も田舎も関係なくいろんな事件が多発しているよね。
自分が被害者になるかもしれないし、たまたま出くわすかもしれない。
110番のところで書いたけど、自分の生活圏内だけでも、
他人にきちんと道案内ぐらいできたほうがいいと思う。
これも危機管理じゃないかな!?

いろんな場所でいろんなことを考えていると、不測の事態にも対処しやすい。
それに考えたり空想したりすることによって、少しばかり一日が楽しくなる。
死体には会いたくないけどね。。。

きっぱりとした冬になれ

2004年11月02日 | エッセイもどき・空想など
なんだか11月とは思えない暑さ。今年は暖冬かな?

きっぱりと冬が来た
八つの手の白い花も消え
いちょうの木もほうきになった
          ~高村光太郎「冬が来た」 より


学校で習った詩。
私は冬が好きだ。特に冬の朝。
冷たく澄んで清潔な、そうまさに「きっぱり」した空気感が好きだ。
冷たくなった頬や首筋にあてる温かい自分の手。
大袈裟な言い方かもしれないが「生きている」ことを実感する。
こういう小さなこと(他には飲み物がのどを通る時なんか)で
生きていることを急に思い出す。
生きているというか「動いている」ことを再認識してしまうんだな。

少しばかり話がズレます。。。

冬来たりなば、春遠からじ
          ~シェリー「西風に寄せる歌」より


冬が来たならば春はもうそう遠くはない。
冬と春をそれぞれ日々の生活に当てはめて考えると
「厳しいさや苦悩があっても、それを乗り越えると必ず幸せが訪れる」
となるだろう。

季節においても生活おいても「冬」はすごく感性や感覚、直感が研ぎすまされる。
しかも沢山考え悩む。放棄しては拾う。実は心身共にフル回転なのだ。
そんな時も「生きている」ことを実感する。
今度は「進んでいる」ことを認識する。

寒い日に、暖かい部屋に入った時のほころんだ気持ち。
失恋を乗り越え、新しい恋愛に出会った時のほんわかした気持ち。
仕事がうまくいかないで悩んでいた後に取れた契約。
いろんなことに疲れている時にかけてもらった大事な人たちからの言葉。
給料前と給料後。
頑張って作った沢山のおかずたちを食べる瞬間。
片付くのは先でも、いろんな問題を整理していく度に生まれる安心感や自信。

何も難しい話ではない。単に活字にしただけだ。
みんなそうやって生活している。春を待ち望んで。


できれば今年も「きっぱり」とした冬が来て欲しい。
そのほうが風も桜も水面もより暖かく美しく感じられる春になると思う。
ただやたらに寒いだけは勘弁だけどね!

小道を抜けると…

2004年10月15日 | エッセイもどき・空想など
 ずんずん歩いて小道を抜けると…海の匂いがしてきました。
 ざぶ~ん、ざぶ~ん、穏やかな秋の海。
 
 浜辺のうた

  あした浜辺をさまよえば
  昔のことぞしのばるる
  風の音よ雲のさまよ
  よする波も貝のいろも

  ゆうべ浜辺をもとおれば
  昔の人ぞしのばるる
  よする波よかえす波よ
  月のいろも星のかげも
  
  はやてたちまち波を吹き
  赤裳のすそぞぬれもせじ
  やみしわれはすでにいえ
  浜辺の真砂まさごいまは
  
 私の大好きな日本のうた。大正時代の唱歌です。