アンコール遺跡群に一番近いシェムリアップ空港。
着陸直前に見た景色と結びつけ難い予想外のキレイさに
ビックリしました。
観光化が進んでいるからでしょう。
キレイなのはうれしいけど、なんとも微妙な気持ちになりました。
1953年、カンボジアはフランス統治の時代を経て独立。
しかしベトナム戦争の影響やクーデター、
クメール・ルージュ(カンボジア共産党)書記長、
ポル・ポトによる
政権成立(1975年)後の内戦激化により国内の情勢は波乱に満ちていました。
国連が紛争の解決に乗り出し、1993年に新生カンボジア王国が誕生。
1998年カンボジア総選挙があり、ここからがこの国の本当の再スタート。
まだ10年前のこと。
健康保険も税金もない(正確に言うと、商店経営の人にはほんの少しあるそう)。
ガソリンがリッター130円なのに1日1ドル稼げない国民がまだ半数もいるそうです。
薬で治るはずの病気でもお金が無くて治すことができない。
アンコール・ワット見学の休憩中、
遺跡に腰掛けてガイドさんといろいろ話していた時
彼はこんなことを語ってきた。
『日本人は税金が高い高いというけれど、健康保険も社会保障もある。
稼ぎが少なくても3食自分で選んで食べることができる。
こっちは税金ないけど保障は一切ない。
稼げないのに物価は上がる。
その日1食しか食べられない人がたくさんいる。
稼ぎがないから病気になると死んでいくしかないんですよ。
あなたはどちらがいいですか?
日本がいいに決まってるでしょ。
この国の先のことをもっと考えていかなきゃならない時なんです』
そう言って黙ってしまったガイドさんの目線の先には
初老で小綺麗な身なりの日本人ツアー客が談笑していた。
私が泊まったホテルは日本の一流ホテル並の豪華さでした。
でもそのエリアから少し離れると雨風をなんとかしのげそうな
ぐらいの民家がいくつもありました。
ホテルの浴室でこんなに水を使っていいのか。
どうしても口に合わない料理は残してもいいのか。
観光客のショーのために子どもに夜遅くまで踊らせていいのか。
現状を目の当たりにするといろんなことを考えて
しまい複雑な気持ちになりました。
でも、観光産業でこの国が活性化しているので
訪ねたことは悪いことではない。
市場でたくさん買い物しても、お金を落としていくことは
経済の発展に繋がるので悪いことではない。
ただ憂いているだけでは何の役にも立たない。
アンコールからホーチミンに戻るため再びシェムリアップ空港へ。
降り立った時感じた微妙な気持ちとは違う感情が芽生えていた。
見送りに来たガイドさんが、いつか日本に行けるように頑張ると
言ってくれた。
この空港は迎える側の気合いや気持ちの表れなのかもしれない。
カンボジアの発展を願う。
戦後生まれで平和な時しか私は知らない。
感謝すべきこの状況でこれから何ができるだろう。
何をしていけばいいだろう。
そんなことを考える大きな機会にもなりました。