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凡人マスター

音楽、映画、場所、食べ物、言葉、生活用品…私的オススメをご紹介。
気になるものは拾ってあげてくださいね。

明けきっておめでとうございます

2009年01月06日 | エッセイもどき・空想など


明けましておめでとうございます。
(↑このセリフはいつまで使っていいのかな!?)

2009年が始まり約1週間。
完全に明けきっています。
あまりにものんびりし過ぎて動作も思考もまだ鈍っています。
が!そうは言ってられない。

よし、今年の目標をたてよう!
去年は『チャレンジ&発掘』
けっこううまくやれたと思う。

今年は、まずは健康第一。体力をつけよう。
そしてメインは『上達&工夫』

大人になるにつれて、できるようになったことも増えてきました。
それらは“こなす”に変化し、そのままでいるものばかり。

“できる”“上手にできる”“早くできる”
これらはすべて違います。
上手と早くを例にあげましたが、まだいろいろあると思います。

仕事でも。もっと上手くできるようになりたいことが
たくさんあります。

人と話をする時も、わかりやすく話せるようになりたい。

料理は“おいしくできる”
ボタン付けは“キレイにできる”
と生きていく上で必要なことも大事にしたいです。

上達したいことは挙げるとキリがありませんね。

手持ちのアイテムを工夫して使っておしゃれしたり、
手をかけて部屋づくりをするのも楽しみだな。
生活は工夫すればするほど充実度が高くなると思います。




年の暮れからテレビや新聞では暗い話ばかり。
この不況は誰しも人ごとではないと思います。
気を引き締めなくては。

そんな中で一番大事なのは前向きにやっていく精神力
だと思います。
気力だけで乗り切れることばかりではありませんが、
それがなくては進めません。



暗いと不平を言うよりも
あなたが進んで明かりをつけなさい。
だれかがやるだろうということは、
だれもやらないということを知りなさい。

マザー・テレサがよく言っていた言葉です。


今年もブログを通して楽しい話題を発信していきたいと思います。
また1年よろしくお願いします。

希望

2008年08月25日 | エッセイもどき・空想など


転ぶのは歩いているから。
痛いのは生きているから。
悩むのは前に進みたいから。
逃げ出したいのは闘っているから。



ネット中に見つけたことば。
作者はわからないのですが、
なんだかいいなーと思い載せました。

“悩むのは前に進みたいから”というところが好きです。
希望を含んでいるような気がします。

映画でも小説でも希望を含んだ終わり方をするものが好きです。
希望をもって進む人、そして希望をもたせてくれる人が好きです。

私も人に希望を持たせるようなことばや気持ちを
掛けられる人になりたいと思いました。

本当にそう思いながら掛けられる人に。

2008年☆開幕

2008年01月07日 | エッセイもどき・空想など


明けましておめでとうございます。
今年はお寺に行けなかったので例年のような
新年のご挨拶ができませんが、
2008年もどうぞ宜しくお願いします。
今年は平成20年。
平成が20年目に入ることにびっくりです。
お正月、地元で親友とお茶しながらいろいろな話をしました。
結局のところ、
『平穏無事が一番』
ということにふたりで納得。
平穏無事でいられることは、幸せでありがたいことだと思います。
そのことを忘れて欲を出せば必ずツケがくる。
そのことを忘れず心に留めておけば、日々のちょっとした
喜びが何倍にもなる。
心も新調し、新しい1年の幕開けです。

年賀状の到着が数人遅れていると思います。
もう着くからまっててね♪

師走の表情

2007年12月18日 | エッセイもどき・空想など



遠く翳る空から
たそがれが舞い降りる
ちっぽけな街に生まれ
人混みの中を生きる
数知れぬ人々の
魂に届く様に

凍りついた夜には
ささやかな愛の歌を
吹きすさんだ風に怯え
くじけそうな心へと
泣かないでこの道は
未来へと続いている
           蒼茫/山下達郎


12月にすれ違う人の表情は様々だ。

今年も残すところ約2週間。
1年を振り返るにはまだちょっと早いかな。
ブログも年内にアップしたいものが多々あるので
年内ギリギリまで更新予定です。
頭の中はクリスマスケーキでいっぱいです。

悲しみの行き場

2007年09月11日 | エッセイもどき・空想など
脳は悲しみの量を覚えているらしい。
もう少し詳しく話すと―。
子どもの頃に母親を亡くした人が、当時はその悲しみを堪えていました。それから30年近く経ち、あることがきっかけでバーンアウトしてしまったその人は、病院の先生の前でせきを切ったようにその当時の悲しみを、こと細かに吐き出してしまったそうです。そしてそれまでの人生の中での辛かったことも口が勝手に動くかのごとく話してしまったそうです。
だから悲しみや怒りは溜めてはいけない。
子どもが親に話すことで安心を得るように、大人も口に出すことで気持ちを昇華させることができるんだから―。

そういう話を聞いた翌日、私にとってとても大切な存在だった人が急死した。
入院してはいたけれど、本当に急だった。
亡くなったのは父方の祖母の妹にあたる人。
子どもの頃にその祖母を亡くした私の、文字通り祖母代わりとなってくれていた人だ。
母の実家が遠方なため何かあれば私はそこに預けられていたし、
母が慶事・弔事で長期帰省する時はそこで暮らしたこともあった。
家に遊びに行くことが多かったけど、たまにはふたりでご飯やお茶しに行ったり。
ランタンフェスティバルにも行ったなー。
帰省したら、会社へのお土産にといつもカステラを買って用意していてくれたり。
大人になってからは頃合を見て身につけるものをくれたり。
いつかこれが形見になるのかなと思っていたらそうなる日が来てしまった。

訃報を聞いた時は信じられなかった。
仕事が終わって夜遅くに斎場に着いた時もまだピンとこなくて。
でも、お棺や遺影を目の前にした途端、自分でも信じられないくらい
泣き出してしまった。あんなに声を出して泣いたのは、
子どもの頃に親に怒られた時以来だと思う。
人前であんな風に泣きじゃくる自分にびっくりしながらも、
しばらく止まらなかった。

私がお昼寝から起きたら必ずタオルケットがかけられていたこと。
入院中、食事制限が始まったことを教えてくれた時、
指をくわえるポーズを茶目っ気たっぷりに3回やってくれたこと。
亡くなる前日に、リハビリ用の靴を用意していたこと。
3週間前の「また来るね」が最後の別れになってしまったこと。

弔問客が帰って静まり返った部屋。
我慢の対象がなかったのでただただ泣いた。
泣くだけ泣いたら少し気持ちが楽になった。

フロイトがいう「悲哀の仕事」とは悲哀の対象との関係を断念し
悲しみを乗り越えていく作業のことである。
今まで散々感情的なことを書いておきながら、
いきなりフロイトとか言いだしてと思うかもしれないけど、
まあ聞いて欲しい。
「悲哀の仕事」で大切なのは、たとえそれが苦しい作業であっても
放置してはいけないということだそう。
そこでどんなに悲しくても乗り越えないと後悔の念にとりつかれたり、
何十年先に心の病気として必ず出てきてしまうのだそう。
故人の人生や自分との関係をしっかり見つめ、そして認める。
人の死がもたらすものは決して悲しみだけではないのです。
叔母の生きる姿勢からたくさんのことを学び、
これからの自分への励みにもなりました。

生きている人は生きている人で支え合い、
愛し合い、敬い、時には人間らしく感情的に
ぶつかりながらもやっていかんとね。
感情を出すことは悪いことじゃない。
その先にいかないと見えないことや
感じられない気持ちがあるから。

正直に生きるという本当の意味が、
なんとなくわかりはじめた週末だった。

真夜中の侵入者

2007年08月29日 | エッセイもどき・空想など



夜中の2時頃だったと思う。
ベランダへ通じるガラス戸に小さな石が
当たったような音がした。
コツッ。
気のせいかな。
寝返りをうった。
しばらくして枕を裏返しうつ伏せになった。
コツコツ。
(はいはい)
コン、コンコン。
(はい、はいはい)
弱い音ながらもあきらかに叩いている。
叩いているな。
誰かいるんだろう。

んっ。チョチョチョっと、待て。
ココア、コーヒー、ココア、コーヒ、
ココハ?12階。
誰かが、アイアムの、ベランダにイーンして、
ノックノックしています。
それは誰ですか?
私にはワーカリマセン。
黒船はもう行ってしまいました。
…。
…?。
…!?。
だ・れ・だー。

コンコンコンコンコン。
コンコンコンコンコン。

ドラマなら、ここで一気にカーテンをあけるかもしれない。
でも、これは現実。
福岡のとあるマンションのとあるベランダでの話。
端からそーっとのぞいて…
あぁーもういいや!えい!

…。

あんた誰よ?

えっ?あなたを中に?入れて?
ここに?
部屋に入れてってこと?

-うんうん

何で?

-お願い

やだよ。

-お願いします

う~ん仕方ないな。
勝てそうだからまぁいいか。


彼は靴を脱ぎ、それをちゃんと揃え、
一礼して入ってきた。

そして私の足元にしずしずとやってきた。

長くヒゲを伸ばし私のヒザまでしかない背丈の
ちいさなおじさんはまた深々とおじぎをしながら
こう言った。

『ちょっとな、話聞いてくれる?』

つづく。



あきらかにフィクションです。
12階にも住んでいません。
夜中にクーラーのタイマーが切れ、
寝苦しくて起きた時に
『こんなことがあったらおもしろいなー』
と想像したことです。
“つづく”となっていますが、
つづかないかもしれません。
長くヒゲを伸ばした小さなおじさんのイメージは、
最近知った妖怪コロポックルです。
某週刊誌で愛らしい妖怪第1位に輝いていました。

ヒマワリ・ブルース

2007年07月10日 | エッセイもどき・空想など



真っ黄色に 咲いた夏のヒマワリ
群青色に  暮れかけた夕暮れに
美しい形 美しい響き 何だか心が 哀しくなるね
誰かの愛を知ったら 分かるようになったブルース

                大人になれば/小沢健二




ヒマワリは、つぼみまでは太陽に向かい、
花が咲きだしたら東(日の出)側に一定になるらしい。
潔い花。
美しいエネルギー。
そして、
明るい姿をした孤高の集団。
はじめてそういう視点からひまわりを見てみました。

この夏ひまわり畑に行ってみたい方は
コチラ↓
ひまわり畑ネット


♪わたし~ここに~います 今 雨あがり坂道ゆらり♪
↑これは長崎人(25歳以上)にしかわからない“ひまわり”
ウフフ。懐かしいでしょ!?旅人く~ん

まだ見ぬ人生

2007年06月21日 | エッセイもどき・空想など


在りし日の己れを愛するために
想い出は美しくあるのさ
遠い過去よりまだ見ぬ人生は
夢ひとつ叶えるためにある

            『明日晴れるかな』/桑田佳祐


恋愛や学業においてではないが、
今までの短い人生の中で1つだけ後悔していることがある。
後悔とは文字通り『後に悔やむ』こと。
後悔に至るまでのスパンが長いほど、
それは尾を引くのかもしれない。
今はまだその後悔から抜けだせそうもない。
当分無理だと思う。
死ぬまで無理かもしれない。

でも、

まだ見ぬ人生だから、
人は生きていけるんだと思う。
そこにはまだ希望があるから。
どうにかなるかもしれないから。
先に目を向けることしかできない時だってあるから。

今日も曇り空。
明日晴れるといいな。

※本文とは関係がないのですが、
書き溜めしといて1日2本投稿する癖があります。
今日もやっちゃいました

みんなひとりぼっち

2007年03月22日 | エッセイもどき・空想など

                          ※写真は4月カレンダーの元画像です。



みんなひとりぼっち 探し続けるのは 確かな絆とその証 
誰かのひとことで 明日もがんばると 思えるなんてすてきさ

みんなひとりぼっち それを知るからなお あなたの大事さがわかるよ
心の片すみで 気にかけてくれてる 恋よりも強い味方

生まれる時ひとり 最後もまたひとり だから生きてるあいだだけは
小さなぬくもりや ふとした優しさを 求めずにはいられない

        『みんなひとり』/作詞・作曲 竹内まりや 唄 松たか子



3月も終盤にさしかかりました。
なんだかバタバタしています。
3月末は期待と不安を抱える人が最も多い時なんじゃないかな。
卒業、転勤、異動…。中には遠距離恋愛が始まる人も。
新しい生活には慣れるだろうか。友達はできるだろうか。
いつもと変わらない日々を送っていてもなんだか落ち着かない。
青空を見ると切ない。新しい道が見えてこない。
そんな人もいると思います。

みんなひとりぼっちです。
この人もその人もあの人だってひとりぼっちです。
だからこそあなたが必要なんです。
私もひとりぼっちです。
だからあの人もあの人もあの人も…必要なんです。

新しい扉を開けるには勇気や忍耐が必要。
何かを続けていくには思いやりや行動力が必要。

必要とされていることに気付くと元気になりませんか?
必要なものが何かに気付くと心が強くなりませんか?

春が来ました。

ブルーバード

2007年01月24日 | エッセイもどき・空想など


ブルーバード
空へ羽ばたく
静かな町に風を起こして

ブルーバード
僕は旅立つ
小さな不安に
大きく窓を開け

+++

舞い上がる埃の中に
映る夢 そうさ
煽る風 急行列車の人生
なぁ ブルーバード
君の歌う声が響くよ
              ブルーバード/キリンジ


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

毎朝この駅から電車に乗って、走る景色を眺める。
決まった線路を真直ぐ進む。
景色は毎日違ってみえる。


古いパン屋
健康食品の大きな看板
お菓子を作る学生たち
小さな公園
スナック
赤い鉄塔
大きく羽ばたく鳥たち
マンションのベランダ
オフィスのブラインド
避雷針         ……。

静かな町が目覚める時間。

広いホームは足音で活気づく。
線路はどこまでも続かない。
でも、始まりの朝は繰り返し続く。
電車を降りても一日は続く。

線路はどこまでも続く。

年頭所感、2007 

2007年01月05日 | エッセイもどき・空想など


今年の干支は『丁亥(ひのと・い)』
もともと干支は、十干と十二支を組み合わせたものです。
【十干】
 甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)
 己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)
【十二支】
 子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)
 午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)

十干と十二支を組み合わせは60通り。
自分が生まれた干支を迎えるのは60年に1回なので、
数えの61歳を迎えると「暦が還った」ということで、
還暦祝いを行うのです。

話を戻しますが、今年は先述したように『丁亥』
樹木の生長を示す“十干”の四番目に当たる中盤を“丁”の漢字で表しています。昨年の“丙”は樹木の逞しい生命力を表したもの。今年は若い樹木が生い茂ったり、一部が突出して成長したりする年でもあります。

この先の話は、除夜の鐘をつきに行った時にお寺のお坊さんが話してくださった話です。

今年の十干は『丁』。生い茂った木を表します。
昨年の台風の時、敷地内のほかの木は無事だったのに、
大きなスギの木が倒れてしましました。
倒れたその木をよくよく見てみると、根っこが腐っていました。
生い茂りすぎて、根元まで光が届いていなかったようです。
《中略》
生活の中で、それぞれマンネリ化していることがあるかもしれない。
それを続けていくと、慢心が生まれたり根が腐ったり。
足元を照らし、足元をみつめ、地に足をつけて歩むということを、
年始から再確認してはどうでしょうか。


まとめるとこんな感じの話をしてくれました。

やりたいこと、行きたいところが今年もいろいろとあります。
『やらなきゃいけないこと』もたくさんです。
『~しなきゃいけいない』という言い方はあまり好ましくないので、
『やらなきゃいけないこと』をひとつでも多く『やりたいこと』
に変えていけたらいいなと思います。考え方ひとつかな。
把握できる範囲で手を広げ、時折足元をみつめながら過ごしていきたいと思います。
根元はしっかり、枝はのびやか、葉はさらさら・つるつる。
そんな木になれるような1年にしたいです。

りんご

2006年11月07日 | エッセイもどき・空想など



りんごをむきながら、久々昔好きだった人のことを思い出した。
彼はりんごの皮むきが上手だった。
丸のままスルスルと円を描くようにむくこともできた。

なんでそんなに上手なのか尋ねてみたことがある。
『自分でむいてたからね』。
両親が共働きだったから、自分でむいて食べていたそうだ。
『りんごだけじゃなく、“なし”も上手にむけるよ』と。
“なし”の方が断然好きだと言っていた。
夕方の台所でひとりで果物をむく少年時代の彼の姿を想像してみた。

次の日私は“りんご”と“なし”を1つずつ買ってきた。
りんごはウサギの耳の形に。
“なし”は冷たく冷やしてむいてあげた。
『ありがとう。おいしい。ありがとう。』
ウサギりんごをしてもらったのは、
彼自身生まれて初めてだったらしい。
私は皮むきが得意じゃない。
でも笑顔溢れる時間だった。

それからいろんな果物をむいてあげた。
時々むいて欲しいとせがまれることもあった。
みかん、八朔、すいか、枇杷、桃、
キウイ、パイナップル、柿、あと何だっけなー。
食卓で口にすることができる果物は、ほとんどむいたと思う。

もう彼に果物をむいてあげることはないだろう。
だけど、たくさんの果物をむいてあげたことは良かったと思う。
たくさんの笑顔とありがとうが聞けたから。

上手にできることも、人にしてもらえるとなんだかうれしい。
こどもの頃の小さな願いや少し淋しい想い出は、
大人になってから埋めてもらえるものもあると思う。

むいたりんごを一口かじる。
『カシャ』っとシャッター音のような音がした。
ふと我に返った。

紐も結べる、蓋も開けれる、重い荷物だって持てる。
落ちたブレーカーも戻せるし、電球交換も椅子を使って朝飯前。
返却口にコーヒーカップを自分で戻すのだって当たり前だ。
でもなんだかしてもらいたくなった。

わがままを言いたい時は言ったがいいと、最近思う。
きっとこれを読んでる人が思うわがままなんて、
他人にとってはただのお願いに過ぎないぐらいちっぽけだよ。

明るいもの

2006年08月11日 | エッセイもどき・空想など



寂しさが染み付いた夢の無い夜には
あなたを呼んでいる
          Home/アンジェラ・アキ


時々、思考が停止する。
ぼんやりとでも見えていた夢や理想も見えなくなる。
大切な人たちすら入り込めない膜を張り、
ただぼんやりとしていたくなる。
悲しいからじゃない。
焦っているからでもない。
やってみたいこと、しなきゃいけないこと。
いろんなことがバラバラになっているのに気付いていながら生活を続けていると、
頭がフリーズしてしまう。
再起動したほがいい。
数日すればまた元気に動き出す。

遠い土地で見守ってくれているおばあちゃん。
いつも味方でいてくれる家族。
久しぶりに会っても、変わらずに笑い合える友達。
我がままを交換し合える大切な人。
チャンスをくれたあの人。
大事なことを教えてくれた先生…。

人間は時が1秒1秒進むごとに、1歩1歩死へ向かっている。
かといって、静かに自分を見つめる時間は決して無駄ではない。
そして最後に思うのはいつもこう、

無理せずにひとつひとつやってみよう。

明るいものを胸にし生きていこう。
そこには沢山のHOMEが詰まっているから。

ばらの花に例えてみましょう

2006年07月22日 | エッセイもどき・空想など



最終バス乗り過ごしてもう君に会えない
あんなに近づいたのに遠くなってゆく
だけどこんなに胸が痛むのは
何の花に例えられましょう
ジンジャーエール買って飲んだ
こんな味だったっけな
ジンジャーエール買って飲んだ
こんな味だったっけな
安心な僕らは旅に出ようぜ
思い切り泣いたり笑ったりしようぜ
                ~ ばらの花/くるり


もう2度と会えない人。
おそらくもう会わない人。
その人の人生の一部でいたこと。
その人の人生にもう立ち会えないこと。
ずっと私の人生に立ち会ってくれている人たち。
私が立ち会うあの人やあの人やあの人の人生。
巡るものもあれば佇むものも。

飛び乗った日、見送った日。
気付かぬうちに途中で降りたあの人。
私も途中下車。

乗り過ごしたから会えた人。
次の時間を教えてくれた。
快適な乗り方を教えてくれた。
一緒に乗ろうと切符をくれた。
パイン飴食べますか?
眠くないですか?
どこへ行くのですか?

-どこへでも、どこまでも-


真夏日にいろんなことを考えた。
そろそろ行こうか。
そうだね。
右手から伝わってくる体温と、強弱。
肩に当るぬるい風と強い陽射し。
きっと私の頬は赤い。
日焼けしたねと笑われた。
安心な気持ちでいられるのはなぜでしょう。
思い切り泣いたり笑ったりできるのはなぜでしょう。