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成実宗

2023年03月10日 | 仏教各宗(一)(南都六宗)

第一章 仏  教  各  宗   からの転載

  一、南都六宗

       成 実 宗(現在、宗名のみ、宗団は存在しない)

 【沿革】

 成実宗は、インドの訶梨跋摩の『成実論』を依りどころとして、中国に興った学問宗派である。

 『成実論』は鳩摩羅什によって訳出され、羅什門下の僧導・僧嵩らによって弘められたが、天台大師智顗や三論宗の嘉祥大師吉蔵によって小乗論と断定されている。

 日本には、天武天皇の時代に百済の道蔵が来朝してから盛んとなり、東大寺、元興寺、大安寺、西大寺、法隆寺などで、三論宗に付随して研学された。延暦二十五(806)年以後は、三論宗の寓宗(他宗に寄寓する宗派。付宗とも言う)となっている。

 

【教養と修証論】

 『成実論』とは「真実を成就する論」 の意で、部派仏教(小乗仏教)内の諸学派の偏った見解を整理統合し、四諦の意義を明かすことによって仏教の真実を顕そうとしたものである。

 成実宗では、具舎宗と同様に諸法を五位に大別し、さらにそれを八十四法に細別して説き、さらに苦の原因となる業と煩悩について詳説して、苦諦と集諦を解説している。

 また、減諦については、仮名心・法心・空心という三種の心を説き、これを減することが涅槃を得るための実践であるとしている。

 一、仮名心とは、仮のものを実在すると考える心で、凡夫の心を言う。真理から見れば、これらはすべて仮であるから「仮名心」と言う。仏の教えによってことごとく苦・空・無常・無我であることを知って、仮名心を減しなければならないとする。

 二、法心とは、要素的な存在そのものを認める心を言う。すなわち、我々の身心は色受想行識の五陰仮和合であり、実有としての我(定まった性質)はないと知っても、五陰そのものの存在を認める心が残るため、法心を減しなければならないとしている。

 三、空心とは、一切諸法すべては空無であると考える心を言う。法心の減によってすべてが空に帰しても、まだ一切は空であるという考え方が残るため、そこで空に囚われた心を減して涅槃を得なければならないとしている。

 この三種の心を減する具体的な方法として、二十七の修行の階位を設け、 析空観によって空理を悟り、涅槃に至ることを説いている。析空観とは析色入空観の略で、諸法を徹底的に分析すれば、すべてが因縁仮和合のものに過ぎず、 定まったものは何もないという空諦を悟る観法を言う。

 最後の道諦については、苦を滅し悟りを実現するために禅定と智慧を説き、智慧の中でも特に空と無我を悟る「真智」を強調している。

 このように成実宗では、衆生の身心は色受想行識の五陰の仮和合であり、実有としての我はないという我空と、その五陰の法も実体があるものではなく、因縁和合のものに過ぎないとする法空の二空を立て、析空観によって一切諸法はすべてが空であると達観し、その上に四諦の理を得ることを説いている。

 

【破折の要点】

 ▼成実宗も 具舎宗と同様に、小乗の教えを基に成立した宗派であり、我法の二空を立てるが、析空観によって悟る空理は小乗の「但空」の理に過ぎない。諸法の真実の相は空仮中の三諦が円融しているもので、それを説き明かしたのが法華経である。『成実論』も『倶舎論』と同様に、仏教の基礎的な教理を説いたものに過ぎず、末法の衆生を救う教えとはならない。

 また、修行の面でも、二十七の階位に基づいた歴劫修行であり、悟りに至ったとしても、それは小乗の極果である阿羅漢果にとどまるものである。

 ▼成実宗は、伝来当時は仏教の基礎学として講学されたが、平安初期に三論宗の寓宗となり、現在では宗名のみで、宗団としては存在してない。

 

 

 

 

 

 


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