大白法 令和2年9月1日(第1036号)から転載
妙法の振舞い
『法華講員の心得』より
④自行化他に励みましょう
日蓮大聖人は、「自行化他にわたる信心」を教えられています。自行とは、自分が利益を得るための勤行や唱題をいい、化他行とは、正法を知らない人々に対して、不幸の原因が誤った宗教にあることを教え、日蓮大聖人の仏法に導くことです。この化他行を折伏といいます。
この自行と化他は、修行の根幹であり、これらをともに実践してこそ、成仏という大きな功徳が得られるのです。
私たちは、ゆるぎない幸せと、平和な社会を築くために、日々の勤行・唱題に勤めるとともに折伏に励んでいきましょう。(法華講員の心得 二〇㌻)
[信行のポイント]
私たちが朝夕の勤行で読誦する、『如来寿量品』の自我偈の末文に、
「毎に自ら是の念を作さく 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと」 (法華経 四四三)
とあります。仏は常に、衆生がどうしたらこの上なく優れた仏道を信じ成仏することができるかと思っている、ということです。この目的を果たすため、仏は法を説かれるのです。
総本山第二十六世日寛上人は『当流行事抄』に、
「大覚世尊設教の元意は、一切衆生をして修行せしめんが為なり」(六巻抄 一六一㌻)
と御教示されました。仏が教えを説かれた真意は、 ひとえに、衆生に成仏するための修行をさせることにあるのです。
修行とは、仏の教えを実践することです。そして、この頂で学ぶ自行と化他は、共に大切な信仰の実践です。
自行とは「自ら行ずる」こと、つまり、自ら仏道修行をすることです。本文の通り勤行・唱題がこれに当たります。総本山や所属寺院に登山・参詣したり、寺院の掃除のお手伝いをすることも、自行となります。
また、化他の「化」とは教化のことです。つまり化他とは、他人を教化して仏様の利益を得させることをいいます。
「折伏」は、人々の幸せを祈り、謗法を破折し、正しい信仰へと導く化他行であり、報恩行・慈悲行ともなります。他にも、法華講員同士で寺院参詣の手助けをし合うことや、新しく入信した方に、勤行や唱題、御供養や登山の大切さを教える「育成」も、立派な化他行の一分といえるでしょう。
「自分が幸せになりたい」「自分の願い事を叶えたい」という気持ちは、誰にでもあります。ですから自行の大切さは、理解がしやすいと思います。
では、化他の大切さについては、どのように理解したらよいのでしょうか。
大聖人は『三大秘法禀承事』に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書 一五九四㌻)
と、日蓮大聖人の唱え出だされた御題目は、自行と化他の両方を兼ね備えたものであると御教示されました。
御法主日如上人猊下は、
「世の中に一人だけの幸せというのは存在しないのです。みんなが不幸ななかで、自分一人だけが幸せということはないのです。何かしらの影響を受けて、自分は幸せなつもりでいても、結局、泥沼に入ることになってしまうのです。」(大白法 九七六㌻)
と御指南されています。自分一人だけの幸せを追い求める信心では、けっして自分自身も幸せになれないということであり、ここに化他の実践が大切な理由があります。
自行と化他の関係について、日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段 二一九㌻)
と、自行の実践を真剣に重ねていくところには、必ず慈悲の心が生じ、化他の実践が伴うことを御教示されています。
さらに、御法主上人猊下は、
「唱題も折伏も一体であり、唱題行が、ただ唱題行だけに終わるのではなくして、その功徳と歓喜をもって折伏を行ずることが最も大事なのであります」(大白法 七八一号)
と御指南されています。
私たちにとって大切なことは、「自行化他にわたる信心」の実践です。自行と化他は、修行の根幹であり、「車の両輪」「鳥の両翼」にも例えられるように、どちらも欠かすことのできない重要なものです。
自行である勤行・唱題を毎日怠ることなく真剣に行じ、確信を深め、その功徳によって勇気をいただいて、折伏と育成に取り組んでいくことが大切です。この折伏・育成によって、確信はさらに強固なものになり、自行の実践の力にもなっていくのです。
大聖人は『持妙法華問答抄』に、
「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書 三〇〇㌻)
と仰せられました。
自行化他の実践のめざす先は、法華講員八十万人体勢構築の御命題達成と、広宣流布の実現です。その信心の道のりの上にこそ、自他共に幸せになるすばらしい信心の功徳があることを確信し、真剣な「我も唱え、他をも勧める」実践を重ねてまいりましょう。
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