●日時 2007年10月9日 14:00~15:30
●場所 かっぱ園菜館本社
●かっぱ園菜館についての詳細は こちら
●インタビュアー 塾生 國井 美佐
●伊藤理夫氏 プロフィール
愛知県出身。
大学卒業後、父の始めた事業を受け継ぐため
●場所 かっぱ園菜館本社
●かっぱ園菜館についての詳細は こちら
●インタビュアー 塾生 國井 美佐
●伊藤理夫氏 プロフィール
愛知県出身。
大学卒業後、父の始めた事業を受け継ぐため
東京で中華料理の修業を積む。
中華料理と共に43年を歩み、
2007年5月に黄綬褒章を受章。
現在は愛知県調理師会会長や
日本調理師会理事など多数の役員も務める。
「鯨の尻尾よりもメダカの頭になりなさい」
小さい頃より聞かされた父親のこの言葉が人生の指針に
なったそうです。料理人として40年以上歩んできた名人に
トップインタビューに答えていただきました。
◆この度は黄綬褒章受章、本当におめでとうございます。
ありがとうございます。
正直言いまして最初「私でいいの?」という気持ちでした。
しかし、お世話になっていた方々や先輩の後押しを受けて
黄綬褒章をいただくことになりました。
賞の受章の際には多くの方にお世話になりました。
知事や市長、あるいは議員の方々にお礼を申し上げたいと
思います。そして、なんといってもここまで共に歩んで
中華料理と共に43年を歩み、
2007年5月に黄綬褒章を受章。
現在は愛知県調理師会会長や
日本調理師会理事など多数の役員も務める。
![Dscn0372b Dscn0372b](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/70/366c785f614bca61af374f31ce8b6ef5.jpg)
![Dscn0380b_2 Dscn0380b_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3b/d5c83e196e26c3790e171e2b2ae20587.jpg)
「鯨の尻尾よりもメダカの頭になりなさい」
小さい頃より聞かされた父親のこの言葉が人生の指針に
なったそうです。料理人として40年以上歩んできた名人に
トップインタビューに答えていただきました。
◆この度は黄綬褒章受章、本当におめでとうございます。
ありがとうございます。
正直言いまして最初「私でいいの?」という気持ちでした。
しかし、お世話になっていた方々や先輩の後押しを受けて
黄綬褒章をいただくことになりました。
賞の受章の際には多くの方にお世話になりました。
知事や市長、あるいは議員の方々にお礼を申し上げたいと
思います。そして、なんといってもここまで共に歩んで
くれた妻の存在が大きいです。妻がいてくれなかった
ら、ここまでやってこれなかったかもしれません。
また、一緒に働いてくれているスタッフにも感謝しています。
私は料理を作る時に特に気をつけていることは、
カロリー計算や塩分濃度などについてです。
現代の食生活を見るとだんだん味覚が麻痺してきている
のではないかと感じています。
もともとの日本食の良さが現代の人々が食べる料理に
生かされていないのではないかと思います。
そういった点で私は常に気にしてきました。
健康で美味しい料理をお客様に提供したいという思いのもと
今まで頑張ってきました。
その思いが今回の受章に繋がったのだと思い、
私は料理を作る時に特に気をつけていることは、
カロリー計算や塩分濃度などについてです。
現代の食生活を見るとだんだん味覚が麻痺してきている
のではないかと感じています。
もともとの日本食の良さが現代の人々が食べる料理に
生かされていないのではないかと思います。
そういった点で私は常に気にしてきました。
健康で美味しい料理をお客様に提供したいという思いのもと
今まで頑張ってきました。
その思いが今回の受章に繋がったのだと思い、
本当に感謝しています。
◆この受章は、伊藤社長の料理への想いと、奥様と
◆この受章は、伊藤社長の料理への想いと、奥様と
二人三脚で築かれた結果の賜なんですね。
料理人になろうと思ったきっかけは何でしたか。
私の父親が昔、縫製業を営んでいました。
当時は珍しく、オーダーメイドで行っていました。
また、中国でも事業を行っておりまして、
その時、中華料理に毎日身近に触れていました。
それから、事業がうまくいかなくなり、苦し紛れに
私の父親が昔、縫製業を営んでいました。
当時は珍しく、オーダーメイドで行っていました。
また、中国でも事業を行っておりまして、
その時、中華料理に毎日身近に触れていました。
それから、事業がうまくいかなくなり、苦し紛れに
父が始めたのが、中国で出会った中華料理だったんです。
最初は本当に小さなお店だったんですよ(苦笑)
◆現在ではリフォームもされて大変立派なお店に
なられていますよね。
おかげさまで、私の息子も店を引き継いでくれて、
親子三代続けさせていただいています。
◆学生の頃から家業を継ごうと考えてらしたのでしょうか。
母親はとても教育熱心な人だったということもあり、
その当時いろいろ進路に迷ったあげく私は大学に
進学することになりました。それが、今の中京大学です。
大学を卒業すると、また私は迷いました。
サラリーマンになるか、父の事業を受け継ぐか。
結局、事業を受け継ぐ決意をして、三年間東京へ料理人の
修行に行きました。
当時は飲食店は今とは違い「水商売」と言って蔑まれていた
風潮がありましたから、苦労もしました。
このように父が行う事業を近くで見ていましたので、
知らず知らずのうちに事業の雰囲気が身に付いていたの
だと思います。
実は私は三人兄弟の長男なのですが、次男は現在、
会計士事務所を行っています。
三男は留学経験を生かして英会話教室を開いています。
やはりこのように父の影響がとても大きく、
小さい頃より、独立志向が強い家系だったのだと思います。
そして、私は夢を実現するためには独立する方が
良いと考えています。
独立して軌道に乗ることは難しいですが、それを超えてこそ
成功を掴むことができると思います。
人は一人ではできることはしれていると思います。
なので、人を管理する能力を身につけ、好きなことに
打ち込むことが大切だと思います。
そして、常にお客様志向であることも重要です。
これが、またなかなか難しいのです。
![Dscn0370b Dscn0370b](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/c0/c1b0fbf48def025728e03a411d4a9769.jpg)
◆幼少時はどのように過ごされたのですか。
そうですね、母からこのように言われて育ちました。
「妻が寝込んでも大丈夫なようにしておきなさい」
つまり、料理から家事に至るまで、一通りは自分でできる
ようになっておきなさいと教わりました。
料理についても母の影響で小さい頃から好きでした。
イロハのイの字を母から教わりました。
また、この私達の幼少時代は食べていくことも困難な
時代でした。映画の「蛍の墓」って知っていますか。
本当にあの映画で描かれているような食べていくことも
大変困難な時代だったのです。
学校に行くよりも、とにかく食っていくために
今を頑張らなければいけない。そう思って生きていました。
◆働き始めた頃はどのような目標や夢をお考えでしたか。
事業を本気でやろうと思った時、本場で修行したいと
思いました。ちょうど大学で学んでいたことが中国語
料理についても母の影響で小さい頃から好きでした。
イロハのイの字を母から教わりました。
また、この私達の幼少時代は食べていくことも困難な
時代でした。映画の「蛍の墓」って知っていますか。
本当にあの映画で描かれているような食べていくことも
大変困難な時代だったのです。
学校に行くよりも、とにかく食っていくために
今を頑張らなければいけない。そう思って生きていました。
◆働き始めた頃はどのような目標や夢をお考えでしたか。
事業を本気でやろうと思った時、本場で修行したいと
思いました。ちょうど大学で学んでいたことが中国語
だったので、好都合でした。
しかし、さぁいよいよ中国にいくぞ。というときに、
しかし、さぁいよいよ中国にいくぞ。というときに、
家の都合で行けなくなってしまったんです。
しかたなく東京に中国料理の修行に行くことになります。
今考えれば、中国に行かなくてよかったかなと思っています。
今考えれば、中国に行かなくてよかったかなと思っています。
私は日本人の食の原点はもちろん日本食にあると
考えています。日本は四季がありますから、四季折々の
料理もあります。季節感がある料理ということです。
そして、日本は水がとても綺麗で、香辛料などが
無くても食材の本来の味を堪能することができるのです。
一方、本場中国の料理は匂いが本当にキツイのです。
スパイスも結構キツイので、そのまま日本に持ってくると
日本人はなかなか受け入れられないのではないかと
思いました。
そこで私は、料理のスタイルを日本の中国料理を目指すことに
しました。日本で中国料理を食べるお客様の立場に立ってみて
どんな料理がいいか、どんな味がいいかを考えました。
それを追求することが何よりも楽しかったです。
◆日本人に合った独自の中国料理を追求するのは、容易
考えています。日本は四季がありますから、四季折々の
料理もあります。季節感がある料理ということです。
そして、日本は水がとても綺麗で、香辛料などが
無くても食材の本来の味を堪能することができるのです。
一方、本場中国の料理は匂いが本当にキツイのです。
スパイスも結構キツイので、そのまま日本に持ってくると
日本人はなかなか受け入れられないのではないかと
思いました。
そこで私は、料理のスタイルを日本の中国料理を目指すことに
しました。日本で中国料理を食べるお客様の立場に立ってみて
どんな料理がいいか、どんな味がいいかを考えました。
それを追求することが何よりも楽しかったです。
◆日本人に合った独自の中国料理を追求するのは、容易
ではなかったと思います。どういったことに力を入れられ
ましたか。
昔から名古屋で店を出していたものですから、
名古屋の人々が好きな味はどういう味かということを
若い時、特に研究しましたね。
まず、名古屋の飲食店を食べ歩きました。
そうすると、わかってきたことがあります。
名古屋の味は「甘辛い」ということでした。
それを自分の料理に生かしたら、ヒットしました。
それからさらに、なぜ甘辛い料理が名古屋人が好き
なのだろうということも研究しました。
また、流行の味を研究したりもしましたね。
その当時の料理仲間と一緒になって研究に明け暮れて
いた時もありました。
営業が終わるとみんなで集まって深夜もずっと
研究するわけです。
とにかく、やってみて改善を続けていました。
立地条件上、私達のお店は固定顧客が多かったので、
そういった理由を踏まえてのメニューも考えねば
いけませんでした。
7~8割は固定メニューにして、残りの2割は
変動メニューにする、というように工夫しました。
また、女性が好きな料理やメニューについても
考え、工夫しました。
女性の「太りたくないけど、たくさん食べたい」という
ニーズに答えるためにどのようなメニューにすればいいか、
研究しましたね。
![Dscn0367b Dscn0367b](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b2/79174790ca650ce34aea7961340b200f.jpg)
◆地道な研究と行動と情熱によって、今のかっぱ園菜館
があるのですね。
伊藤社長の、これからの夢や目標を教えてください。
実は少し前まで中華とウェディングをマッチングさせた
事業を名古屋でしようと思っていました。
しかし、その事業を行った方がいたのですが、
名古屋という土地に合わなかったようで、
なかなか上手くいかなかったようです。
だから今はまたこれからの具体的なビジョンに
ついては模索中ということです。
でも、現在は専門学校で料理を教えたりしながら
若い人々を育てています。
これからの人達をもっと育成していくことにも
力を入れたいと思っています。
◆伊藤社長にとっての理想の人生とは何でしょうか。
自分が他界する時に「あぁ、良かった」と思える
人生にしたいと思います。
ます、素晴らしいパートナーにめぐり合えました。
今まで頑張ってきたことを認められて、
多くの社団法人や協会などから肩書きをいただきました。
それらに感謝し、これからも頑張っていきたいと思います。
◆夢や目標に向かって頑張っている学生に一言お願いします。
まず、夢を大きく持ってほしいと思います。
必ず、壁はやってきます。そんな時でも夢を大きく持ち続け
乗り越えてください。
そして、起業を志す人は、ストレスを溜め込まないこと、
上手く付き合う方法を身に付けてください。
自分なりの発散方法があることが大切だと思います。
最後に、きちんと食事をとることをお薦めします。
最適な朝昼夜の三食のリズムを取るといいでしょう。
健全な身体で体力と精神力を持って頑張って行って
ほしいと思います。
◆ありがとうございました。
最後にかっぱ園菜館の本店の前で写真を取らせていただきました。
*****************************
大変温かくエネルギッシュお方で、聞いている私達も
元気になってきました。
事業を始めたエピソード、幼少時代の経験を聞いていると
今の時代に生きる私達は見直さなければいけないことが
たくさんあるのではないかと思いました。
また、お客様の立場に立って料理について考えられている
姿勢は大変参考になりました。
私のような素人にとって、料理の世界はわかっているようで
わかっていないことばかりです。
研究に明け暮れた日々のお話はその瞬間をとても
真剣に生きてこられたということが伝わってきました。
そのようなお話は目指すところが違う自分にとっても
勉強になることばかりでした。
まだまだ、元気で笑顔が素敵な伊藤社長のように
自分も頑張っていきたいと思いました。
本当にありがとうございました。
インタビュー記事作成 法人部代表 水谷翔
*****************************
実は少し前まで中華とウェディングをマッチングさせた
事業を名古屋でしようと思っていました。
しかし、その事業を行った方がいたのですが、
名古屋という土地に合わなかったようで、
なかなか上手くいかなかったようです。
だから今はまたこれからの具体的なビジョンに
ついては模索中ということです。
でも、現在は専門学校で料理を教えたりしながら
若い人々を育てています。
これからの人達をもっと育成していくことにも
力を入れたいと思っています。
◆伊藤社長にとっての理想の人生とは何でしょうか。
自分が他界する時に「あぁ、良かった」と思える
人生にしたいと思います。
ます、素晴らしいパートナーにめぐり合えました。
今まで頑張ってきたことを認められて、
多くの社団法人や協会などから肩書きをいただきました。
それらに感謝し、これからも頑張っていきたいと思います。
◆夢や目標に向かって頑張っている学生に一言お願いします。
まず、夢を大きく持ってほしいと思います。
必ず、壁はやってきます。そんな時でも夢を大きく持ち続け
乗り越えてください。
そして、起業を志す人は、ストレスを溜め込まないこと、
上手く付き合う方法を身に付けてください。
自分なりの発散方法があることが大切だと思います。
最後に、きちんと食事をとることをお薦めします。
最適な朝昼夜の三食のリズムを取るといいでしょう。
健全な身体で体力と精神力を持って頑張って行って
ほしいと思います。
◆ありがとうございました。
![Dscn0381b Dscn0381b](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/01/a17b13ea242f694b8a4dad0f59de55ae.jpg)
最後にかっぱ園菜館の本店の前で写真を取らせていただきました。
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大変温かくエネルギッシュお方で、聞いている私達も
元気になってきました。
事業を始めたエピソード、幼少時代の経験を聞いていると
今の時代に生きる私達は見直さなければいけないことが
たくさんあるのではないかと思いました。
また、お客様の立場に立って料理について考えられている
姿勢は大変参考になりました。
私のような素人にとって、料理の世界はわかっているようで
わかっていないことばかりです。
研究に明け暮れた日々のお話はその瞬間をとても
真剣に生きてこられたということが伝わってきました。
そのようなお話は目指すところが違う自分にとっても
勉強になることばかりでした。
まだまだ、元気で笑顔が素敵な伊藤社長のように
自分も頑張っていきたいと思いました。
本当にありがとうございました。
インタビュー記事作成 法人部代表 水谷翔
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