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夢を生きる方々に学生がインタビュー

陽光建物サービス㈱   斉藤 秀敏 社長

2010-04-30 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2010年3月24日 9:30~10:30 
●場所 陽光建物サービス株式会社 会議室
●陽光建物サービス株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●斉藤秀敏(さいとう ひでとし)氏 プロフィール 

1948年、北海道砂川市に生まれる。
高校卒業後、上京し、駒澤大学に入学。
1978年、陽光建物サービス有限会社を
設立し、代表取締役に就任。1983年、
株式会社に改組。1992年、本社ビル竣工。
 
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「石の上にも3年と言うが、3年では足りない。5年は必要」
こう語って下さったのは、陽光建物サービス株式会社の斉藤
秀敏社長。斉藤社長には、これまでの会社経営と人生を中心
に語っていただきました。

 
  
◆会社の創業期からのお話を聞かせてください
 
会社を創業したのは昭和53年で、私が29歳の時でした。今年で
33期目になります。私は、北海道の砂川市という人口2万人程度
の小さい町の出身で、大学入学の時に東京に出て来ました。地元
は、働く場所も限られていましたし、貧しい時代だったので、東京に
出てきた訳です。
  
大学に通いつつ、経理の専門学校にも行っていました。当時から、
将来は独立してやっていきたいという思いを持っていましたから、
二つの学校に通い、勉強していたのです。一般的な就職は考えて
いませんでしたね。どうもサラリーマンとして働く自分を想像できな
かったものですから(苦笑)。
 
大学卒業後は小さな会計事務所に就職しました。でも、立場が低く、
給料も非常に少なかった。生活していくことすら、ままならない状態
になってきたので、名古屋に行って働くことにしました。ギリギリの
状態で名古屋にやってきたので、最初は寝泊りするお金も無く、
公園で野宿していました。見回りに来る、公安官の人に注意された
こともありました(苦笑)。
 
職探しのために新聞を拾ってきて、求人欄を見ることから始めまし
た。そして、パチンコ店のホールスタッフの仕事を見つけたので、
頼みに行って、住み込みで働かせてもらえるようになりました。
それから、いくつか仕事を転々とした後、現在の妻の親父さんから
ビルメンテナンスの仕事を紹介してもらいました。これが、独立する
きっかけとなりました。
 
 
◆独立されてからはどうでしたか?
 
最初は仕事がさっぱりありませんでしたね(苦笑)。だから、17時
には仕事を終えて家に帰っていました。でも、しばらくして、貯水槽
や床の清掃・修理といった比較的簡単な仕事が増え、人も雇える
ようになりました。その後、ビルメンテナンスの仕事の専門知識を
持った人も入社してくれ、だんだん会社は発展していきました。
 
会社を創業して5年目にあるIT関係の経営者の方のご紹介で
青経塾に入塾しましたが、ここで初めて社是の重要さを知りました。
遠山塾主から、社是には、社会性、科学性、人間性が含まれてい
ないといけない、という経営の根本的なことを教えていただき、
私達もそれから一生懸命、社是を考えました。
 
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陽光建物サービス株式会社の社是
 
  
そして、創業12年目に本社ビルを建てました。まあ、バブル真っ
只中の時期だったので、何かと大変でしたが(苦笑)。仕事の内容
上、道具がたくさんありますし、倉庫も駐車場も必要だったので、
テナントに入るという選択肢は無かったのです。
  
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陽光建物サービス株式会社の本社ビル
 
 
◆斉藤社長は若い時、特に苦労されていますが、ここまで
やって来ることができた一番のポイントは何ですか?

 
それはやっぱり負けん気が強いからですよ(笑)。なにくそって
やって来ましたから。ちょっとやそっとのことで諦めたらいけない
ですよね。
 
 
◆経営に関して心掛けられていることは何ですか?
  
建物は経費を削減して建てると、非常に質が悪くなり、脆くなりま
す。そういう建物は環境にも良くないんですね。だから、私達の会
社では、そうならないように、仕事をさせていただくようにしています。
良いサービス、良い会社を創っていこうと思うと、ただ利益を追求
するだけではいけないと思います。そして、社会や環境に気を配っ
て経営を行っていくことも大切であると考えています。
  
 
◆強みは何ですか?
  
24時間体制で建物の総合管理をさせていただいていることですね。
水漏れや設備・空調などの故障に関して、24時間対応できる会社
を目指しております。
 
 
◆今後のビジョンを聞かせて下さい
 
ずっと若い頃から、海外進出をしたいと思っています。
香港か中国行きたいですね。中国関係に強い人間との
ネットワークもありますので、これらを生かしていきたいですね。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
起業するのは簡単ですが、継続するのは非常に難しいものです。
そして、石の上にも3年と言いますが、私はそれでは短いと思って
います。5年は必要ですね。辛抱強く頑張って下さい。
 
 
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今回インタビューには、陽光建物サービス株式会社の斉藤説子
さんにもご同席していただきました。斉藤説子さんには、一言メッ
セージの際に、「最後の1%が奇跡を生みます。諦めずに頑張っ
て下さいね」という温かいお言葉をいただきました。
  
  
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
   

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最初に斉藤社長にお会いしたのは20年以上前、
私が外資系の能力開発会社にいた頃である。
その後、私が会社を創業したときは、いろいろとご支援をいただき、
私の会社に職能資格制度をご依頼され、制度の導入と人事研修
をさせて頂いた。創業時で、本当にありがたい仕事だった。
その制度が今もお役に立っていると聞いて、とても嬉しかった。
先日、数年ぶりで某勉強会でお会いしたのがこのインタビュー
に繋がったのだが、不思議なご縁を感じる。
私の生涯の恩人の一人として私の恩人リストに名前が
ある方だ。

創業時は本当にありがとうございました。
そして、今回は貴重なお話をありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
この出逢いに感謝いたします。
    
起業家育成塾 塾長 三潴 克彦(みつま かつひこ)
      
      
   
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斉藤社長の静かなご表情とお言葉の中に、私はズシリと重い
ものを感じました。若い頃の斉藤社長のエピソードは、私達の
ような豊かな世代からは想像することが容易ではありません。
しかし、そんな厳しい時代を生きて来られた斉藤社長の言葉は
一つ一つが静かであるにも関わらず、非常に重く、強い印象が
残りました。インタビューにお答えいただき本当にありがとうご
ざいました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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あいおい損害保険㈱   元副社長金子博昌 様

2010-04-08 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2010年3月24日 14:00~15:00 
●場所 あいおい損害保険株式会社 名古屋企業営業本部 
●あいおい損害保険株式会社のホームページは 
こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●金子博昌(かねこ ひろまさ)氏 プロフィール 

昭和19年生まれ。京都府出身。同志社大学経済学部
卒業。昭和41年、千代田火災海上保険株式会社(現:
あいおい損害保険株式会社)に入社し、営業部門、営業
推進部門での業務に従事。平成7年の取締役就任後は、
専業代理店担当部長、営業企画部長、名古屋企業営業
本部長を経て、平成16年4月、同社取締役副社長に就任。
平成19年より同社顧問を務め、平成21年退任。
 
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今回は元あいおい損害保険株式会社の副社長を務められた
金子博昌氏にお話を伺いました。これまでの人生を振り返っ
て語っていただきましたが、最後に若い世代に向けての熱い
エールもいただきました。

 
  
◆本日はインタビューへのご参加ありがとうございます。
金子さんは京都のご出身と伺っていますが、幼少期のお話を
聞かせていただけませんか?
 

私は京都の西京区というところで生まれました。父は東京都出身
で、母は愛媛県出身なのですが、私が生まれた頃には、京都に
住んでいたので、私は小中高とこの地域で育ちました。私が小さ
い頃は特に、山や畑が多く、自然に溢れた場所でした。そして、
大学は同志社大学に進学しました。
 
 
◆大学ではどういったことをされていましたか?
 

当時は、大学での活動というと、今のように多くの選択肢がある
訳ではなく、体育会系か学術系、そして学生運動を行う団体に
所属するくらいしかありませんでした。私は、高校の頃に少し身体
を悪くしていたので、経済研究会というお堅い名前の団体に所属
していました。でも、半分くらいは遊んでいる連中で構成されて
いる団体でしたよ(笑)。
   
私が在学していた頃の同志社大学は、学生運動の拠点校と言
われていました。ある時、友人に学生運動に参加してみないかと
誘われたので、行ってみることにしました。そこでは、これからの
世界はソビエト連邦に代表される「社会主義」か、アメリカを旗頭
とする「資本主義」が担うのか、日本はどの路線をいくのかなど、
学生達が白熱した議論を夜を徹して行っていました。考えると
青臭い話ですが、今の学生諸君にも世界の政治、社会の動向
にもっと関心を持って行動して貰いたいです。
 
また、当時は今ほど裕福ではありませんでしたので、私自身も
大学にいくなら自力で行けと言われていました。周囲もそんな
学生が多く、食べて行くのに一生懸命で、結構「堅実」な生活
ぶりでした。
  
 
◆就職活動はどのようにされたのですか?
 

就職活動の年は昭和40年でしたが、40年不況と言われ、就職
難の時代でした。そんな中、大学の先生に、金融機関に向いて
いるのでは、と言われました。でも、私は正直なところ銀行に就
職したいと思いませんでした。謹厳実直で皆さん真面目そうに
見えたし、髪は七、三分けにしなければいけないんだろうと思い、
とても私の性格では勤まらないと諦めました(笑)。
  
その後、友人から、「損保を受けたらどうか」という助言をもらい
ました。今のところ絶対に入りたいというような会社も無いし、就
職難の時代だから迷っていても仕方ないと思い、損保の会社を
受けることにしました。
 
そして、大変有難いご縁をいただくことになります。当時、私の
父が勤めていた京友禅の会社のメインバンクは「東海銀行」で
した。たぶん父が銀行の方に「息子の就職が決まらない」とこぼ
したのでしょうね。銀行の方が、それでは「当行の提携先の千代
田火災を受けたら」と言って推薦状を書いてくださいました。
お陰様で、千代田火災海上保険株式会社(現:あいおい損害保
険株式会社)に内定をいただくことができました。
 
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◆入社後はどのような仕事をされましたか?
 
最初は、書類の点検、整理や代理店関係事項の届出など営業
の仕事をしました。その後、営業部門に転勤になり、以来ずっと
営業関係の仕事をしてきました。損保営業の最前線は代理店
さんですので法人、個人、整備工場など、いろんな代理店さんを
担当してきました。また、新たに代理店事業を始める法人、
個人の開拓にも力を入れていました。
 
初めて営業に配属された昭和40年代は、日本人なら誰もが
「車を持つ」、「家を持つ」と豊かさを求めて働き、日本経済も
活況を呈していました。それらに拠って、損害保険の売上も
飛躍的に伸び、会社も活気に溢れているという非常にいい時
代でした。「営業ってこんなに毎日楽しくっていいのかな」と思っ
ていました(笑)。
  
勤務地は、大阪、東京、名古屋という順番に変わりました。
名古屋に初めて来た時、「最初の1年は地域に密着することが
大切。華々しく活躍したいなどと思わない方がいい」とアドバイス
を受けました。名古屋という地域に関しては、「一度信頼ができ
ると、ずっと長く付き合っていける」とよく言われますが、本当に
その通りでした。
 
 
◆仕事をされる中で心掛けられていたことはありますか?
 

そうですね、やっぱり、「今いるステージ」で一生懸命やることが
大事だと思って頑張ってきました。就職活動では苦労しましたし
ね。最初の5年間は、縁の下の力持ちになって基礎的な仕事を
しっかりやって、力を蓄えることが大切だと思っていました。
 
それから、仕事で成果を出すためには、優れた人間性を備える
ことがとても大事だと思います。長く付き合って行く中で、信頼を
深めていけるような人間であること、言い換えれば、損害保険
会社ですから、法人であれ、個人であれ、「お客様の抱えている
リスク」を自分が背負っていくという位の気概を持たないと仕事
で本当の成果を上げる事はできないでしょうね。
   
あとは、前の楽天イーグルスの野村監督が「勝に不思議な勝
あり、負けに不思議な負けなし」と言われていますが、勝戦の理
由を分析することも重要です。上手く行かなかった時の理由は
だいたいわかりますが、上手く行った時の理由はわからないこ
とが多々あります。しかし、このままにしておいてはいけません。
 
この理由のわからない不思議な勝を当然の勝にすることが、
仕事をやっていく中で非常に大切なことだと思います。強みを
最大限生かし、弱みを最小限に抑えるに通じますかね。
 
 
◆影響を受けた人や考えはありますか?
 
大きな影響を受けた人は場面によって色々ですね。基本的
な人間形成という部分では父親と大学で指導頂いた理論経済
学の渡辺教授です。会社に入ってからは諸先輩、同僚、お客
さんと枚挙に暇がないですが、仕事をする上で最も影響を受け
た恩人ともいうべき人は、「新入社員時代の大阪の営業部長」、
「課長代理時代の東京四営の課長」ですね。
 
あと、当時は全く雲の上の人でしたが入社時の社長です。
45年も前ですが、これからの時代は「国際化、情報化、大衆化」
がキーワードであると事あるごとに言っておられました。当時は
よく解りませんでしたが時代は確実にそうなっていますよね。
この先見性には驚いています。
 
そんな影響もあったのでしょうか、私は入社間もない頃から
「保険会社は一体何をするのか、どのように世の中の為になっ
ているのか」というようなことを常に考えていました。P・F・ドラッ
カー流に言えば「会社は何のために、誰のために存在するの
か」となるんですかね。こうした根本のところを考えていく姿勢
は仕事をする上でとても大切なことだと思います。
 
 
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◆今後のビジョンを聞かせて下さい
 
今は時間があります。「これまでやりたくても出来なかったこと」、
「今だから出来ること」をやりたいと思っています。お金儲けもいら
ないし、生臭い切った張ったの世界とは少し離れていたいです。
それと、微力ですがこれから前に向かって進んで行こうとしている
人のお役に立てればと思っています。
 
   
◆最後に一言お願いします
 
こうなりたいという自分の理想像を持つことは大切ですが、いきな
りそうなれるわけではありません。人に見えないところで努力し、
今いる環境の中で全力でやってこそ目標は達成されると思います。
上手くいかないことを周りのせいにしてはいけませんし、耀く世界
ばかりに行こうとしてもいけません。むしろ最初に苦労する経験は
後の財産になるでしょう。
 
そして、心身共に健全であれば「早い、遅い」、「大きい、小さい」と
色々あるでしょうが努力、頑張りの先に目標とする新しいステージ
が開けるのではないでしょうか。 是非とも頑張っていただきたい
ですね。
     
 
◆貴重なお話を聞かせていただき本当にありがとうございました
   

  
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人から見えないところで行う努力や縁の下の力持ちとして頑張る
ことがいかに大切かということを豊富な実体験を踏まえてお話し
ていただき、私はこのお言葉が最も印象的でした。今回はインタ
ビューで学ばせていただいたことを少しずつ実践していきたいと
思います。大変素晴らしいお話を聞かせていただきまして、本当
にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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ご紹介者様へ
  
金子様をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長 にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
金子様のお話は大変勉強になりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
   
起業家育成塾 三潴 克彦(みつまかつひこ)
  
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プリムイソベン株式会社 小林 一茂 社長

2010-04-03 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2010年3月2日 10:00~11:00 
●場所 プリムイソベン株式会社 社長室
●プリムイソベン株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 水谷 翔
  
●小林一茂(こばやし かずしげ)氏 プロフィール 

1960年、静岡県生まれ。
愛知学院大学卒業後、ミノルタ事務機
販売会社(現コニカミノルタホールディングス)
に入社。1990年に同社を退社後、プリムイソ
ベン株式会社へ入社。2004年に代表取締役
社長に就任し、現在に至る。
 
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「社長を作っていきたい」、こう語られたのは、創業30年
以上の歴史を誇るプリムイソベン株式会社の小林一茂
社長。小林社長には、事業内容から今後の事業ビジョン
に込められた思いを中心にお話を伺いました。

 
 
◆事業内容について教えてください
 
私達は、1974年の創業から各種弁当類の生産販売を手掛け、
コンビニエンスストアやスーパーマーケットなどの成長と共に発展
してきました。現在は主に、中部圏の約700店舗のファミリーマ
ート様に弁当やサンドイッチなどを卸させていただいています。
そして、事業発展に合わせて、店舗の経営も手掛けるようになり
現在、ファミリーマート様の店舗を11店舗経営させていただい
ています。
 
しかし、コンビニエンスストアは非常に大きなマーケットですが、
ここ10年くらいのうちに、市場競争が激化し、過渡期になりつつあ
ります。ですので、次の打つ手として、FCで飲食店経営を2001年
から開始しました。とんかつ専門店、回転寿司、そば屋など、全部
で10店舗経営しています。
 
よく言われることですが、やはり経営上、最も大切なことは、お客
様にご満足いただけるサービスや商品をご提供することです。
私達の事業は、それぞれお客様が異なっていますが、常に最後に
サービスや商品を買うお客様を向いて仕事をすることに力を注い
でいます。
 
 
◆御社の強みは何ですか?
 
自由度のある社風が強みですね。現在のような流れが速い時代に
あっては、これからどのような業態の会社ができていくか予想がつ
きにくいので、働く社員達のアイデアを積極的に取り入れ、どんどん
チャレンジしていってもらえる環境作りに力を入れています。
 
 
◆小林社長は創業者でいらっしゃいますか?
 
違います。私の叔父が創業者なんですが、早くに他界していまい
ました。それで、共同創業者のうちの一人が会社を継いで、その
次に、全く畑違いにいた私に白羽の矢が立ちまして、現在3代目
の社長をやらせていただいています。
 
 
◆昔から社長をやりたいという思いをお持ちでしたか?
 
ありましたね。ただ、ゼロから起業したいという程の思いはありま
せんでした。でも、叔父の影響もあって、昔から将来は社長になり
たいと思っていましたね。その叔父というのは、非常にカリスマ性
があって、親戚同士で集まった時は、一人だけ違うオーラを発し
ていたんです(笑)。だから、叔父が現れるとその場の雰囲気も
変わりました。それを見て、カッコイイなって憧れていました。
 
私が社長をやらさせていただくことになってから5年が経ちました。
大変なことも多いですが、非常に多くのことを学ばせていただき、
良かったと思っています。そして、実は今、社長をたくさん作って
いきたいと思っているんですよ。
 
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◆その理由を聞かせていただけませんか?
   
前社長は非常に優秀な社長で、私が継がせていただく時、会社
の業績がとても好調だったのです。そこでホールディングスを作ら
なければ株譲渡が出来なかったのです。そのような経験から、
今は複数ある子会社を発展させていけるような社長を作って
いきたいと考えています。
 
1つの会社を大きくしていくよりも、個性的な中規模の会社が
いくつかあった方が、社会のお役にも立てるのではないかと
思っています。そして、従業員が安定して幸せな暮らしができる
ような体質の会社にすることが一番大事なことだと思っています。
 
    
◆学生時代はどういったことをされていましたか?
 
自慢できるようなことは一つもないですよ(笑)。でも、たくさんの種
類のアルバイトをやっていたので、広い見識を得ることができたと
思います。普段学生生活をしていたら入れないようなお店や場所
にいくこともありました。あとは、スポーツが好きで、いろいろやり
ましたね。お酒も大好きだったので、よく友人達と飲んでましたよ
(笑)。大学生活は本当に充実していて面白かったです。ただ当時
から、働くようになったらたとえどんな小さい会社であっても長たる
ポストに就きたいと思っていました。
 
  
◆影響のあったことは何ですか?
 
叔父の影響がやはり大きいでしょうね。生き方にしても、経営に
関しても。特に尊敬している経営者は京セラの創業者である稲盛
和夫さんですが、稲盛さんがおっしゃる「利他」という言葉と経営に
対する姿勢から影響を受けています。
 
それから、会社での話ですが、7年前、前社長の吉田が末期手前
の胃癌であることがわかり、ある日突然、「小林君、もうダメかも
しれない」という電話を受けました。この時は身震いましたね。どう
すればいいのか?、何度も自問しました。本当に突然の出来事
だったのですが、悩み抜いた結果、社長をさせていただくことに
しました。この一連の流れは、非常に大きな衝撃と影響を受けま
した。やはり、こういったことが大きな学びに繋がると思います。
で、肝心の前社長の吉田は今は回復してピンピンしていますけ
ど(笑)。
 
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◆会社の今後のビジョンについて聞かせてください
 
先ほどお話させていただきましたように、たくさんの社長を作って
いくことが目標です。強い会社を作っていきたいですね。到達点
はありません。何社できるかが勝負だと思っています。お客様に
喜んでいただける様々な可能性を追求していきたいです。
 
それと、中国でのビジネスの展開を考えています。私達の工場
に中国の研修生が来ていますが、中国に帰ってもなかなか働く
場所が無いのが現状です。それを何とかしたい。だから、研修生
が中国で働ける場所を作りたいのです。
 
また、先日、中国の広州に行きましたが、とんでもない大きさの
都市でした。まだまだこれから中国経済が発展していく気運を
感じましたし、進出していきたいですね。
 
 
◆小林社長の夢は何ですか?
 
理想は死ぬまで仕事に携わっていたいと思っています。でも、老後
に、ゆっくり暮らす選択をすることになった時は、奥さんと温かい
南の島で暮らしたいです。スポーツなど、やりたいことも一杯あり
ますが、そこそこできる環境があれば嬉しいですね。
 
  
◆最後に夢に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
一番大事なことは諦めないことでしょうね。優しい言葉や体験ばか
りでは夢を達成することはできないと思います。それと、いつも夢を
頭に強く思い、描くこと。信じれば全てが必ず報われるとは思いま
せんが、信じなければ何も報われないと思います。是非、頑張って
ください。
 
 
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
  

 
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社長の育成と今後中国展開を考えられているとお話いただいた
時の小林社長は非常に情熱的であり、お話を伺っている私も楽し
い気持ちになりました。お話いただいたことが、実現するように
願って止みません。インタビューにお答えいただき本当にありが
とうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
   
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ご紹介者様へ
  
小林様をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長 にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
   
起業家育成塾 三潴 克彦(みつまかつひこ)
  
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