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料亭 蔦茂(つたも) 深田 正雄 社長

2011-06-11 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2011年5月2日 11:20~12:20 
●場所 料亭 蔦茂(つたも)
●料亭 蔦茂のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●深田正雄(ふかだ まさお) 氏 プロフィール 

1948(昭和23)年、名古屋市生まれ。一橋大学商学部を
卒業後、単身渡米。フロリダ州オークランドでホテルの支配
人などを歴任。帰国後、1983年に森島羅紗店社長(2010
年に退任)、1995年蔦茂の社長に就任した。社業の傍ら、
地域活動や財界活動にも熱心で、1984年には会社経営
者の異業種交流組織・名古屋経営研究会を設立、2007年
に栄ミナミ地域活性化協議会の会長に就任。
 
 
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今回は名古屋の老舗料亭蔦茂(つたも)の深田正雄社長に
インタビューをさせていただきました。蔦茂を巡る長い歴史と
今後のビジョンについてお話を伺いました。

  
  
◆貴重なお時間をいただきありがとうございます。
 本日はよろしくお願いいたします。最初に料亭蔦茂の歴史を
 教えていただけますか?

 
料亭蔦茂は大正2年に私の祖父が始め、再来年で創業100年を
迎えますが、名古屋で最も古い料亭の一つだと思います。
料亭とは何かと聞かれれば、私はその度に「料亭とは日本文化の
テーマパークです」と答えています。日本の美しい庭と池に囲まれた
畳があるお座敷で召し上がっていただくお食事は格別だと思います。
又、お食事と共に芸者さん達の踊りを楽しんでいただくこともあります。
 
しかし、近来、今申しましたことが少なくなってきています。
リーマンショック以来、名古屋の多くの料亭が経営が困難になり、
閉店に追い込まれる事態となりました。そんな中、何とかこれまで
培ってきた歴史を残したいと思い、幅広い分野にチャレンジしながら
経営の強化を図っています。
 
   
◆深田社長は街づくりに非常に熱心に取り組んでいらっしゃると
 伺っていますが、詳しいお話を聞かせてください。

 
料亭蔦茂のある住吉地区は昔から遊興の街として栄えてきました。
が、同時に社会的な問題も数多く存在していました。違法風俗・カジノ
営業、客引き、暴力バー、ホームレス、麻薬販売、暴走族などです。

なかなか表立っては見えにくい部分ですが、改善するために、
たくさんの方々と共に活動して参りました。そうした活動の中で、
家業を守りながら街づくりをしていこうという私のスタンスも
出来上がっていったのです。
  
 
【料亭蔦茂の店内写真】
Photo
 
Photo_2
 
 
◆料亭蔦茂の地域の住吉はどんな街だったのですか?
  
江戸時代から住吉は庶民と武士がともに楽しんだ三業者(芸者・
置屋・料亭)の町でした。なぜそうなったかということですが、まずは、
この時代の社会の構造をお話したいと思います。
    
かつて、尾張藩のお武家さんは職芸といって、お金を稼いでも良い
ことになっていました。ですから、町人や職人衆に対して寺子屋で
教師をやったんです。今の時代の知識教育とは違い、論語等を
読んで聞かせる人間の徳を高める教育です。これを行っていった
ことで、大衆の人間性と住人たちの人間性と知的レベルが向上し、
やがてモノづくりが盛んになりました。
 
読み書きの学習で識字率も非常に高くなる訳ですから、現代で言う
ところの作業のマニュアルなるものもできてきます。書物を庶民に
無料で貸す図書館のような施設も生まれ、「ものづくり」の街として
発展していきました。下級武士は職芸として職人のモノづくりを通じて、
お金を稼ぎますが、次はそれを使う場所を求めるようになりました。
それが、歌舞伎見物、祭礼、伝統芸能などの娯楽でした。
 
「300年前に世界で庶民が最も豊たかな街は?」と聞かれれば、
「それは名古屋です」と言えるのではないかと思います。名古屋開府
以来、250年の間、尾張地区の産業が非常に発展し、豊かな庶民と
支配者の武家衆が共に楽しみ、犯罪は少なく疫病も無かったの
ですから。これは世界中に類を見ません。
 
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資料を元に日本文化や名古屋の歴史をお話される深田社長 
 
 
◆歴史的な観点からお話をありがとうございます。
 次は深田社長が取り組まれている名古屋経営研究会に
 ついて教えていただけませんか?

  
1983年、名古屋に帰って来た35歳の時に立ち上げ、元々は
東海中学校の同級生の集まりでした。恥ずかしいお話を申し上げ
ますが、この当時、私が代表に就任したオーダーメイド用の服地卸
のモリシマの経営が著しく厳しい状況におかれていました。
この危機的な状況を、再建するためのケーススタディとして同級生の
知恵を拝借した訳です。これが、名古屋経営研究会の始まりです。
  
◆どんな活動をなさっているのですか?
 
現在は毎月1回交流会を開催しています。45社程、ご参加いただ
いていますが、名古屋でこの会が異業種交流会の走りになったの
ではないかと思います。メンバーは様々で、経営者・弁護士・会計士・
役所関係者・政治家等です。
 
 
◆栄ミナミ地域活性化協議会の詳しいお話を聞かせてください
  

発足は2007年です。この年の3月6日、名古屋駅にとんでもない
建物が出来るぞ、と声高く周囲でも騒ぎ始めていました。ミッドランド
スクエアですね。ということで、栄も負けているわけにはいかない、
盛り上げて行くために何とかしなければ・・・と、思いを同じくする
人達が集まり活動が始まりました。
   
まず最初に行ったことが、「栄ミナミ音楽祭」の開催です。株式会社
ゲインの藤井英明社長、株式会社 アイ・アンド・キューアドバタイ
ジングの藤井一彦社長、株式会社サンデーフォークプロモーションの
顧問の桑原宏司氏を中心とする、仲間たちのチームワークと奮闘に
よって実現が可能となりました。
   
驚いたのは、関係者や参加者が非常に熱いということです。
何でも手伝うからプランをどんどん持ってきてよ!という具合です。
私も彼らに接すれば接するほど、やる気がどんどん湧いてきました。
だから一緒に活動させていただくと、とても楽しいんですよね。
5回目を迎える今年は5月14日・15日に開催いたしますので、
街づくりにご興味がある方も無い方も、栄ミナミにお越しいただければ
嬉しいですね。
   
 
◆街と共に御社が発展なさってきたことがよく伝わってきます。
 今後の料亭蔦茂のブランド戦略をどのようにお考えですか?

  
やはり、料亭蔦茂は「日本文化のテーマパーク」の追求を目指し
ていますので、そのために、毎月文化イベントの開催等を行い、
少しでも多くの方に日本文化や名古屋の歴史を知っていただき
たいと思っています。そうすることで、日本料理をもっと楽しんで
いただくことができるようになるからです。
  
昨年から、JR東海タカシマヤさんの地下1F「ごちそう館」にも出店
しています。お弁当、お惣菜がメインですが、茶碗蒸し等も扱って
います。それから、配達やケータリングサービスもさせていただいて
います。お料理内容の質も然ることながら、もう一つ大切にしている
ことは、「つたも」というブランドを売っていくことです。
   
祖父から受け継いだ、約100年の歴史がありますから、それを
絶やさないように、後世にも名前を残していきたいと考えています。
 
 
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◆深田社長に最も影響があったことは何ですか?
  
影響があったことと聞かれるとそれはもう数多くありますが、
私が大学を卒業して単身渡米をした際、ホテル業界に入りました。
その時に出会った全米ホテル協会会長のロイ・ワトソンという方から
多大な恩恵と影響をいただいたと思います。
 
彼から、私が25歳の時、フロリダのオーランドのホテルを任され
ました。世間のことを何もわかっていない外国人の若造の私に
ですよ。こんなことができる、非常に器の大きな人だったんですね。
彼から「ホテルの仕事では地域交流が大切と」と経営の基本を
学び、その教えが今までの私を支えています。
    
それから、どんなことにも「Yes, I can!」と答える姿勢や目標を
明確にして、紙に書くことで実現性が高まることも教えていただき
ました。私にとっては、彼は最もお世話になった方であり、人生の
師でもあります。現在でも、たまに文通をする仲なんですよ。
  
 
◆最後に夢や目標に向かって頑張っている人達に、
 一言メッセージをお願いいたします。

 
「明元素」ですね。私の大好きな言葉です。どんな時も、明るく、
元気で、素直にいることが大事だと思います。この言葉は短い
ですが、とても奥が深いんですよ。この言葉の真意を、これからの
若い人達に、身体をもって伝えていくことが私の社会的な使命だと
思っています。
  
それから私のサブテーマですが、「3匹のタイ」というものがありま
して、認められたい、褒められたい、人の役に立ちたい、ということ
です。これが良いか悪いかわかりませんが(笑)、自分の性格かなぁ
とも思いますし、楽しく人生を生きて行きたいですね。
  
 
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
 
  
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文化と歴史を背景に進められた深田社長のお話は、人間模様と
社会を鮮明にイメージ出来、とても関心を高められる内容でした。
もし「自分の街をよく知っているか」と、誰かに尋ねられたら、
ここまで詳細に亘って自分には話すことができないと思いました。
生活空間をよく知ることは、後世の人達のことを考えると、非常に
大切なことだと気づき、まずは、自分の街の歴史や良さをしっかり
理解しようと思いました。貴重なお話をありがとうございました。
 
起業家育成塾 水谷翔 (株式会社アイミック)
 
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