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夢を生きる方々に学生がインタビュー

株式会社ミネージュ 代表取締役 峯田 友貴 社長

2022-10-24 07:00:00 | インタビュー記事
  • 日時:2022年10月7日(金)
  • 場所:ニューヨークラウンジ/ストリングスホテル 名古屋
  • インタビュアー:株式会社エアシード 村瀬美紀

 

◆峯田 友貴(みねだ ゆき)氏 プロフィール

愛知県生まれ。株式会社デンソーにて5年間勤務後、美容専門学校

及びネイルスクールに入校。同学校卒業後、

老舗の大手ネイルサロン&サロン『ネイリックス』名古屋松坂屋店

にてネイリストとして勤務。同社を約3か月で退職し、愛知県安城

市内のマンションの一室で、ネイルサロンを開業。現在は株式会社

ミネージュを設立し、複数のネイルサロン、ヘアサロン、アイビュ

ーティーサロン、エステサロンを運営。

 

 

◆現在運営しているサロンについて教えてください。

 愛知県名古屋市の栄にネイルサロンを1店舗。同県岡崎市内にアイ

ビューティー・ネイル・エステの複合サロンを2店舗。そして、同

県安城市内にヘア・まつげ・ネイル・エステの複合サロンを1店舗

運営しています。一時期は、県外にも店舗がありましたが、色々あ

りそちらの店舗は手放したところです。

 

◆今の仕事をするきっかけになった人などはいらっしゃいますか。

 

それは間違いなく、ヘアメイクアップアーティストの藤原美智子さ

んです。藤原美智子さんは、当時高校生だった私にとって強い憧れ

の対象であり、私の生き方の目標にもなった方です。当時、「ヘア

メイクアップアーティスト」としてメディアで「化粧」や「ヘアセ

ット」の提案だけではなく、自分らしく美しく輝くためのライフス

タイルごとみせてくれたのが、藤原さんでした。藤原さんの影響を

受けた美容関係者は多く、私もそのうちの一人でした。メディアに

藤原さんのお部屋のインテリアが掲載されているのを見つけると、

当時高校生だった私は、貯金を崩して同じような家具を購入してみたり、

ミニマリストなってみたり、藤原さんのスタイルをよく真似し

ていました。それほど藤原さんは、当時の私にとってある意味
「衝撃」ともいえる憧れの存在でした。

 

◆現在複数美容サロンを運営している経営者としてご活躍の

峯田社長ですが、学生時代はどのような人物でしたか。

 

学生時代(高校生の頃)は、学級委員や部長などチームを引っ張

るようなリーダータイプではありませんでした。むしろ集団で

群れることより、自由に自分の好きなことを突き詰めていく

タイプでした。ただ、人から喜ばれることは好きだったので、

先生やクラスメイトからの頼まれ事には喜んで応えることは多かったです。

 

◆率先してリーダーシップをとるタイプというより、突き詰めたセ

ンスや持ち前の明るさに自然と周りに人が集まるタイプの学生時代

だったんですね。

 

そうかもしれません。それが今の仕事のルーツになっていることは

確かです。職人気質なので…笑

 

 

◆峯田社長の仕事で大切にしていることに「職人気質」であること

が強く感じられますがいかがでしょうか。

 

はい。ネイルにおいては、ずっと職人として誇りを持っていたから

だと思います。独立当初は、55,000円のマンションの一室でネイル

の施術を提供していましたが、月間で200万以上の売上をあげてい

ました。様々なご縁や運が良かった事もありますが、何より誰より

も磨いてきた「技術」あってものだとも感じています。

 

 

◆峯田社長のサロンでは「3か月で稼げるネイリスト」に仕上げる

とお伺いしましたが、そのノウハウも「職人気質」であることに

起因していますか。

 

はい、そうですね。とにかく「反復練習」を中心とした現場主義

を大切にしています。資格があっても「ネイルができること」と

「売れるネイル技術を持っていること」は別だと考えています。

初月は100名ほどの施術をやってもらいます。早い方だと2か月

遅い方でも4,5か月かければ「売れる技術」を身につけることが

できます。なので、私の中で「3か月」を区切りにしています。

また、これからネイリストを目指す方々のためにも、新しい挑戦

も始めています。

 

 

◆その、『新しい挑戦』についてお伺いできますか。

 

 

はい、それはオリジナルジェルネイルの開発とネイルスクールの

立ち上げです。これ実はずっと実現したかったことなんです。

ジェルの品質は「発色」「テクスチャ-」「硬化熱」がポイントに

なってきます。「発色」は時間が経過ても黄ばみがでないか。

「テクスチャ-」はネイリストが塗りやすい粘度や質感か。

そして、「硬化熱」はジェルを固める際に爪に感じる熱さのことです。

この「硬化熱」を可能な限り抑えたいのです

がそのバランスが難しく…。ジェルと自爪の密着度が高いほど、お

客様が感じる熱の温度が高くなってしまいます。だからといって

密着度を低くする硬未化ジェルが残りやすくなってしまいます。

私が実現したいジェルは、新人のネイリストの方でも比較的

クオリティの高い施術ができるジェルネイルであることが

第一にあります。また、若い方でも取り扱いやすいように、

可能な限り安価で販売できるようにも工夫しているところです。

他にもこだわりはたくさん詰めているので、開発はかなり

時間をかけています。

先行して始まるネイルスクールも現場主義の次世代ネイルスクール

ですので楽しみにしていてください。

 

 

◆峯田社長の仕事に対する姿勢や熱い想いが周囲を動かす原動力に

なっていることを、お話させて頂きながら肌で感じさせて頂きまし

た。最後に、峯田社長が人生で一番大切にしていることを

お伺いしてもよろしいでしょうか。

 

はい。それは、「自由」であることです。よく「自由」であること

と「自由奔放」であることが混同されがちですが、私の中でその2

つは明確に違います。「自由奔放」は、まさに「奔放」、気分のまま

に自我を押し付けるような意味を感じます。対して「自由」である

ことは縛られることもなければ、周りや相手を縛ることもありませ

ん。なので、自分の好きを突き通すために相手に制限をさせるよ

うな言葉や行動は、私にとって「自由」ではないですね。

美容の世界は技術を持った方の集まりなので、自分を含めて(笑)

勝ち気な性格の方が多いです。その中で組織として一丸となって成

功していくには、心で感じて頭で考えることができる人が必要だと

感じます。勿論、私自身もそんな人間になれるように、自分の中の

バランスを見ながら成長してる最中です。

 

 

◆本日はお忙しい中、インタビューのお時間を頂きありがとうござ

います。

 

 

 

 

インタビュー時にご自身の豊富な経験を語ってくださる峯田氏。

合間に見せる豪快な笑顔は、その場の空気を魅了する、生まれなが

らのムードメーカーであることを感じさせてくれました。

 

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峯田社長のカリスマ性と、強くも優しい想いを感じられる時間でし

た。貴重なお時間を頂き感謝致します。

実は記事の内容以外に、もっと深い話や笑ってしまう話も多くして

頂きましたが、今回の記事の中には収まりきりませんでした。(笑)

引続き峯田社長のご活躍を追いかけていきたいと思います。

原稿作成/村瀬美紀(株式会社エアシード)

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(株)プルミエマリエ  山口 英樹 社長

2011-11-22 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2011年10月27日 13:00~14:00
●場所 株式会社プルミエマリエ 3F チャペル
●株式会社プルミエマリエについての詳細は 
こちら
●インタビュアー 水谷 翔 (株式会社アイミック)
   
●山口英樹(やまぐち ひでき)氏 プロフィール

大学卒業後、通信系の大手企業に就職し、
営業に従事するが、3年後に起業する。
1999年にブライダル事業を手掛ける
プルミエマリエを創業し、代表取締役に就任。
    
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今回は「世界一の花嫁」というコンセプトの元にブライダル
事業をご展開されているプルミエマリエの山口英樹社長に
インタビューさせていただきました。

  
   
◆現在のお仕事について聞かせてください
   
ウエディングドレスをはじめとする婚礼衣装全般のレンタルが
メインですが、婚礼で使用する場所(チャペル)もご提供させて
いただいております。基本的にはウエディングドレス屋さんという
位置付けだと思います。欧米に比べると日本では、お客様が

ドレスを買うという価値観はあまりなく、事業として成り立たたせる
には、レンタルという業態が主流になっていると感じています。
   
私達の提案する挙式スタイルをまとめると、以下の3つがメインです。

   
①リゾートチャペル(TUTUリゾートウエディング)でハワイや沖縄
 などのリゾート地で挙式を行うスタイル
 
②ルーメンスチャペル。結婚式自体をやらない方々向けの
 比較的安価で結婚する機会を提供する挙式スタイル
 
③従来からある式場やホテルで結婚式をしたい方々に向けた
 ウエディングドレスを提供するスタイル
  
  
◆リゾートウエディングの会場はいくつありますか?
  
沖縄に5つ、北海道に1つ、軽井沢に1つ、ハワイに1つですね。
東海エリアには弊社のみが扱える教会もあります。リゾートウエ
ディングの年間利用者数はハワイは約2万組、沖縄が約9千組で、
沖縄の需要が増えてきています。
   
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プルミエマリエ様 3階 チャペルルーム
 
 
 
◆会社を始めたきっかけを教えてください

  
もともと私の家系は自営業で、父親は車の修理屋さんを
やっていました。ですが、商売をしている両親の姿を傍で見て
いて、当時は自分には向いていないと感じていたので、
大学卒業後は、通信会社に入社しました。
  
通信会社に入った理由は、自分が行った仕事が実績として蓄積
されていくと感じたからです。入社してから約2年半は、一番早く
会社に出社し、一番遅くまで働いていました。仕事で成果を
上げるためには、誰よりも頑張らないといけないと思っていたから
です。様々なお付き合いやお誘いには、NOとは言わず必ず行く
ようにしていました。
   
仕事を始めてから2年後に部署替えがありました。今まで大きな
仕事をしていた部署に比べると、規模が小さなところで、それが
当時の自分には、あまり納得が行きませんでした(苦笑)。
 
ある時、上司と話すことがありました。自分は今まで社長になる
ために仕事を頑張ってきたことを伝えると、大きな会社であるので、
ここではどれほど頑張っても社長になれる可能性は限りなく
ゼロに近いこと聞き、愕然としました。それからは、恥ずかし
ながら仕事に身が入らなかったですね(苦笑)。
  
それでこのままでは自分がダメになってしまうと強く感じたので、
一念発起して起業をしました。
 
 
◆起業されてからはいかがでしたか?
   
最初は、父親の仕事の手伝いとイベント企画の仕事を中心に
行っていました。しばらくして、あるお客様をご紹介いただく
機会があり、その方から、結婚式の開催ができるかどうかと
尋ねられました。
    
当時の私は、結婚式を見たことも出たこともなく、何も分からない
状態でしたが、せっかくいただいた機会と思い、また当時の仕事に
比べると高額だったこともあり、お引き受けすることにしました。
正直言って、一番の動機はお金だったんですよ(苦笑)。
 
それからが本当に大変でした。知識・経験がゼロの状態での
スタートですから。毎回の打合せもドキドキしながら行くわけです、
こんなことを聞かれたらどうしようって(笑)。
とにかくブライダル関連の学習と練習を繰り返し行いました。
  
 
◆結婚式は無事に終わりましたか?
 
ええ、何とかお蔭さまで無事終了しました。実際に終わってみると、
結婚式は二人だけではなく家族や親族、友人など、本当に多くの
方々が関わっているのだと身を持って感じました。これには、
感動しましたね。
  
そしたら、何だか動機がお金だった自分が許せなくなったんです。
だから、お客さんに「この仕事は初めてでした」と報告に行きました。
たくさん不安にさせたでしょうし、ツメの甘い部分も多かったでしょう
から。
 
そしたら、お客さんから「最初から知っていたよ」と言われ
ました。「なぜ私を選んだんですか?」と尋ねたところ、「たくさん
いるプランナーの中から君が一番自分たちの結婚式を大事に
考えてくれると思ったから。」と。驚きました。
 
しかし、この仕事は責任が重いから今回で手を引こうと思っている
とお伝えすると、プレゼントさせていただいたアルバムを見ながら
お客さんに、
   
「山口君。君はここに写ってないね。でも僕たちのここ(ハート)に
写っているよ」と言われたんです。「え?」って。最初何を言われたか
わかりませんでした。続けて、
  
「来年も結婚記念日が来て、5年後も10年後も結婚記念日が来て
子供が生まれ家族が増えていく、その度にきっとあなたのことを
私たちは思い出します。ずっと私達の心の中に君がいることを
忘れないでね。」とお客さんがおっしゃってくれました。
  
強烈なインパクトを受けました。感動しました、本当に。この時、
人の心の中に生き続けられる仕事というものがあるんだと実感
したんです。
   
それから結婚式の仕事を本気になってやりました。「あなたの会社
で結婚式を挙げて良かった」と思って頂けるように、そして、このお
二人に、自信を持って仕事に臨んでいると伝えることができるように
頑張りました。
   
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ご案内いただいたスタッフ様と写真・アルバムの風景
 
 
◆お話を伺っていて心が温かくなりました。素敵なエピソードを
聞かせていただき、ありがとうございます。今後のブライダル
事業のビジョンをお聞かせ願えませんか?

    
まず、これまでの事業展開について少しお話させていただきます。 
創業10年目に会社を振り返ったんですが、恥ずかしながら、
そこには何も残っていなかったんですよ。ノウハウは無い、創業
メンバーは1人もいない。もう一度、これまでと同じ10年をやったら
会社も自分ももたないな、と感じました。
 
それならどうしたらいいか。世の中に認めてもらえる存在価値の
ある会社にしたい、世の中に必要とされるモノ・コトを発信できる
会社を創っていきたい、とても大変だった今までの10年があった
からこそ、このように思えました。それで、これからの10年を
見据えて、「世界一の花嫁」をコンセプトとして、社名もプルミエ
マリエに変更し、新しく動き始めました。
 
これから先、結婚式はますます日本の文化の象徴になると思い
ますし、相手や親子との絆を確認できる良い機会でもあります
ので、日本の良き文化の継承を、私達が結婚式を通じて発信して
いけるようになっていきたいと思っています。そのためには社員の
育成が重要ですね。プルミエマリエのコンセプトや大切にしている
ことを言葉や姿勢で伝えていける社員を育てていくことが今後の
課題でもあります。
  
   

◆社員教育はどのようになさっていますか?
 
自分で考え答えを出させるようにしています。私は答えや指示を
一方的に与えることで、社員の一人一人が自分で考えなくなり、
本来的に持っている価値や可能性の芽を摘んでしまいたくは
ありません。
 
意見を聞く時は、「会社の方針」「私が考えていること」「社会に認め
られるかことかどうか」を判断基準にしています。自分本位な考え方・
意見になっている時は指導します。
 
これに加えて、大切なのは、基本的なマナー・躾がしっかりできるよう
になってもらうことです。礼儀・作法・挨拶等は特に重要です。
マナーや躾ができている人はどこの会社に行っても通用すると思い
ますし、親になった時に子供に正しく教えられる。それが私達が目指す
社会から必要とさせる会社の人財だと思います。
   
  
◆理想の人生と将来の夢は何ですか?
  
生き方においては、いつまでも守りに入りたくないですね。
常に素直な心で新しい人や価値観に触れ続けていきたいということ
です。様々なご縁や機会を頂いたら、一つ余分をつけてお返しできる
ような生き方をしていきたいと思っています。
 
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◆夢に向かって頑張る人達に向けてメッセージをお願いします
  
自分達が育ててもらった日本という国を自分達が背負っていく
気持ちで頑張って欲しいですね。それから、社会に出るということは、
周りに対して何か一つでも価値を提供し続ける存在になることだと
思います。それは自分にしかできない可能性を形にするという
お金では買えないことでしょう。自分が提供できる価値を考え抜いて
頑張っていただきたいですね。こういう話は新卒採用の時にも
お伝えしています。
   
    
◆学生さん達は聞かれたらきっとワクワクするのではないで
しょうか。最後となりますが、求めていらっしゃる人材像や
採用基準はありますか?
  

例えば絵を描く時、一色でも素晴らしい絵を描くことができると
思います。でも、私達は色鮮やかな絵を描きたいと思っています。
色とは個性のことで、多くの個性が集まる会社にしたいんです。
つまり、自分を深く探求することが好きで、個性や持ち味を
しっかり理解し、周囲に伝えていける方に来ていただきたい
ですね。
     
また、素直な方が良いです。ブライダル業界は一生に一度の
イベントに関わります。だから、お客様との認識のズレも多いん
ですよ。その時は、ただ謝ることしかできない場合も実際に
あります。素直な気持ちを持って、過ぎた時間は取り返せない
ということやお客様にとって一生に一度のことを私たちに託して
いただいていることを理解して、お客様と向き合って欲しい。
そのように捉えられる方は、成長のスピードも早いと思いますね。
   
  
◆本日は大変お忙しい中、本当にありがとうございました
   
 
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山口社長のブライダル業界への強い思いと、そのきっかけと
なったエピソードがとても印象的でした。それから、働く従業員の
方々はとても明るく、気配り・心遣いが行き届いているプルミエマリエ
様の社内の様子・雰囲気にも感動いたしました。
本当に貴重な機会をいただきまして、ありがとうございました。
   
水谷 翔 (株式会社アイミック/起業家育成塾)
 
  
ウエディング業界という華々しいイメージですが、過去にたくさん
のご苦労をされていたことが印象的でした。それが今の社長の軸
となる考え方に結びついている印象を受けました。「人」というキ
ーワードで次の時代を担う人材教育に力を注がれていらっしゃり、
社員の方々も生き生きとされていました。それがプルミエマリエ様の
魅力なのだと感じました。お話を伺って、勉強になる考え方を
たくさん聴くことができました。ありがとうございました。
  
記事作成 梶田 泰平(起業家育成塾)
 
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ネッツトヨタ東名古屋㈱ 山口 忍 社長

2011-07-02 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2011年5月31日 15:00~16:00 
●場所 ネッツトヨタ東名古屋株式会社 応接室
●ネッツトヨタ東名古屋株式会社のホームページは 
こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
   
●山口忍(やまぐち しのぶ)氏 プロフィール 

愛知県生まれ。
東海高校卒業後、同志社大学商学部に入学。
大学卒業後は、トヨタ自動車株式会社に入社し、
財務・サービス・経営分析等の部門に従事。
1989年、ネッツトヨタ東名古屋株式会社に入社し、
2010年、代表取締役に就任。
  
 
002b
 
東海地方でトヨタ自動車の販売会社「キリンの親子が目印」で
なじみの深いネッツトヨタ東名古屋株式会社の山口忍社長に
インタビューをさせていただきました。会社経営に関するお話
から社員教育、そして今後のビジョンまで、情熱的に語って
いただきました。

   
  
◆この度はインタビューにご参加いただきありがとうございます。
 本日はよろしくお願いいたします。まずは、会社経営への考え方
 を教えていただけませんか?

   
先代から、経営とは何かということを考え抜き、トップの考えていること
を全社員に伝え、共有していくことがトップの役割と教わり、これを
実践してきました。経営理念を明確にし、事業を通じてそれを達成して
いくことで、社会のお役に立てますし、お客様と社員のためにも、私達
の会社は存在していると思います。
    
私達の会社では、本当にやりがいがある仕事をするために何が
必要かを全社員で考え、まとめています。その内容は、
       
1.明確な理念の展開を図ることができること
2.将来に向けて大きな夢を実現できること
3.マネジメントに参画し、自らの考えを自由に活かせること
4.豊かな心=感性を磨くことができること
5.豊かな生活とゆとりある人生を設計できるということ
   
です。去年から、採用活動等の際に、学生さん達の前でも会社経営
の理念やビジョンのお話をすることが度々ありますが、共感し、話の
内容を吸収していこうという積極的な方が数多くいらっしゃると感じて
います。理念が明確になると、実際にどうしていくかという戦略も明ら
かになってくると思いますし、共感される学生さんを採用したいと考え
ています。
   
    
◆これまでの事業展開の流れについて聞かせてください
 
会社は私の父が、昭和35年に愛知県の瑞穂区の汐路というところ
でトヨタ自動車の指定整備事業として始めました。その後、昭和45年
にカーリース事業として名豊リース(現キリックスリース)を設立し、
昭和54年にはトヨタビスタ東名古屋(現ネッツトヨタ東名古屋)を
設立し、昨年でキリックスグループ50周年を向かえました。
 
お蔭様で現在では、ネッツトヨタのブランドを21店舗、フォルクスワー
ゲンを3店舗、レクサスを1店舗、そして中古車の店舗を7店舗展開
させていただいています。
  
 
◆どのような経緯で働くようになったのですか?
 
私は大学卒業後、トヨタ自動車に入社いたしました。大学で会計学を
専門に学んでいたこともあり、始めは財務部に配属されました。
その後、サービス事業部、経営分析を行う部門と異動し、平成元年
にネッツトヨタ東名古屋株式会社に入社いたしました。
    
現在の代表というポジンションになるまでに、財務、営業、人事、
システム系など、あらゆることをやらせていただきました。
その時代に、財務諸表の読み方も学べたことは非常に有り難かった
ですし、様々な経験が今とても役に立っています。
  
でも、トヨタ自動車に入社した当初は、もっと財務の勉強をしないと
周りについていけないと危機感を覚え、通信教育で学びましたけど
(笑)。
   
008b
 
 
◆御社の強みやセールスポイントは何ですか?
  
グループ会社全体で社員は約850名いますが、全員が理念をよく
理解し、目的を持って仕事に取り組んでいることだと思います。
また、社員がチームで一つの仕事を成し遂げていく考え方と実践力
を兼ね備えていることも強みだと思います。
  
お客様に車を買っていただいた時、それを支えている社員や
スタッフは、数多くいます。お客様に買って良かったと言っていただく
ためには、その背後で、社員同士のチームとしての努力が必要と
されます。一人でできることは限界がありますし、皆が一丸となるから
こそ良いサービスが生まれてきます。
  
また、社員は年齢に関わらず若々しいことも挙げられると思います。
様々なことに興味を持ち、それらを吸収していく高い意欲がそういう
状態をキープさせるんでしょうね。販売店には、幅広い年齢層の方々
がいらっしゃいますので、お客様を見て、どういうライフスタイルを
しているか、また何を求めているかを瞬時に判断し、喜んでいただく
ためのアクションが必要です。そのためには、日々の自分づくりが
大切なのです。
  
 
◆社員とスタッフの方々には、非常に多面的な能力が必要と
 されているのですね。人づくりのために、どんな研修をされて
 いらっしゃるのですか?

   
人材教育は大きく分けて2つあります。一つ目は仕事力を高める
もの、二つ目は人間力を高めるものです。仕事力は、専門知識の
習得や対人コミュニケーション能力の向上によって、磨かれていく
と思います。一方、人間力は、人間の基軸を創っていくことで
高められていくと思います。
  
二つとも、一朝一夕で身に付けることができませんが、淡々と
やり続け、基本事項を徹底していくことで、必ずお客様の満足度
向上にも繋がっていくと思います。
    
私達の会社では、新入社員にはお手洗いの掃除を当番制でさせ
ます。最初は、ただの作業のように感じていると思いますが、
その中に目的を見い出し始めると、自発性が生まれてきます。
同じ動作でも、目的を追究していくことで、社会のために、そして、
お客様のために、という考えが生まれてきて、優れた社員が
育っていくと思います。
   
  
◆最も影響があったことは何ですか?
 
最も大きな影響は創業者である父親ですね。父親から「仕上げる」
という概念を叩き込まれたと思います。これが、私の人生にどれほど
大きな影響を与えたことかわかりません。経営に携わるようになって
からもそれがいかに大切かと肌で実感しました。
  
中学生の頃の話ですが、テストであまり良い点数が取れない時が
ありました。それを見て父親が怒り、教科書をビリビリに裂いて
しまうということがありました(苦笑)。そして、「お前は勉強の仕方が
わかっていないのだろう?」と言われました。
   
「1ページを完璧に仕上げたら、それと同じことを他のページにも
応用すればいい。そうすれば、たとえ30ページあっても同じこと」と
教わり、これは、会社で言えば、店舗展開の方法に応用できる訳
です。まず、1店舗目で、お客様に喜んでいただくためにできることを
最大限追究し、方法論を掴み、それを全ての店舗にも応用していく
という具合です。
    
また、小学生の時ですが、分団で帰っていると、誰かが石を投げ、
遠くでパリーン!という音が聞こえたんです。近くの民家のガラスが
割れたんですね。皆は怖くなって逃げてしまいましたが、私はその場
にいて、住民の方に謝りました。後ほど、友達の一人がガラスを
割ったのは私だと言いましたが、私ではありませんでした。
 
この一連の流れを知った父から、「お前は偉い。これから先も誠実に
生きろ」と言われました。この出来事からも大きな影響を受けたと
思います。生き方の基本を知ったと言いますか。
    
誠実とは何かということを考えるのは仕事の中でも非常に重要な
ことです。人が見ていないところでも、コツコツと鍛錬・訓練ができる
人が、成長する伸び代も大きい、誠実な人ではないでしょうか。
 
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◆今後の目標やビジョンを教えてください
 
個人的な目標は、今以上に自分自身をもっと高めていくことです。
それは、品格・品性・知識・教養など、あらゆる面での成長です。
いろんなお客様により良いサービスに提供させていただくために
必要なことでもあります。また、人の動きからより的確に相手の求めて
いることを知る力も強化したいです。まだまだ道半ばですね。
    
会社は、この街一番の素晴らしいサービスを提供する会社にして
いきたいですね。世の中から本当に必要とされる価値創造企業に
仕上げていくことがこれからの目標です。
  
 
◆最後に夢や目標に向かって頑張る人達に一言お願いします
  
物事を最後まで仕上げる習慣が身に付けば、夢が成就する可能性
が高くなると思います。そして、残りの要素は、志を持つことですね。
こうありたいと強く思う気持ちが、実現させる大きな力になります。
仕上げるまで志を持って挑戦し続ける、これが本当に大切なこと
ですね。若い方々にも、是非頑張っていただきたいと思います。
  
  
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
 
 
*****************************
 
山口社長は、非常に熱意を込めてお話してくださいました。
夢の実現の仕方は、私達の世代にとって、最も関心があることの
一つです。情熱的に語ってくださった姿が、後々大きな影響と
財産になることを強く感じました。
今回のインタビューで学ばせていただいたことを仕事に生かし、
また私の周りにも、実践を通じて伝えていきたいと思います。
本当に素晴らしいお話をありがとうございました。
  
原稿作成 水谷 翔 (起業家育成塾/株式会社アイミック)
   
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料亭 蔦茂(つたも) 深田 正雄 社長

2011-06-11 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2011年5月2日 11:20~12:20 
●場所 料亭 蔦茂(つたも)
●料亭 蔦茂のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●深田正雄(ふかだ まさお) 氏 プロフィール 

1948(昭和23)年、名古屋市生まれ。一橋大学商学部を
卒業後、単身渡米。フロリダ州オークランドでホテルの支配
人などを歴任。帰国後、1983年に森島羅紗店社長(2010
年に退任)、1995年蔦茂の社長に就任した。社業の傍ら、
地域活動や財界活動にも熱心で、1984年には会社経営
者の異業種交流組織・名古屋経営研究会を設立、2007年
に栄ミナミ地域活性化協議会の会長に就任。
 
 
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今回は名古屋の老舗料亭蔦茂(つたも)の深田正雄社長に
インタビューをさせていただきました。蔦茂を巡る長い歴史と
今後のビジョンについてお話を伺いました。

  
  
◆貴重なお時間をいただきありがとうございます。
 本日はよろしくお願いいたします。最初に料亭蔦茂の歴史を
 教えていただけますか?

 
料亭蔦茂は大正2年に私の祖父が始め、再来年で創業100年を
迎えますが、名古屋で最も古い料亭の一つだと思います。
料亭とは何かと聞かれれば、私はその度に「料亭とは日本文化の
テーマパークです」と答えています。日本の美しい庭と池に囲まれた
畳があるお座敷で召し上がっていただくお食事は格別だと思います。
又、お食事と共に芸者さん達の踊りを楽しんでいただくこともあります。
 
しかし、近来、今申しましたことが少なくなってきています。
リーマンショック以来、名古屋の多くの料亭が経営が困難になり、
閉店に追い込まれる事態となりました。そんな中、何とかこれまで
培ってきた歴史を残したいと思い、幅広い分野にチャレンジしながら
経営の強化を図っています。
 
   
◆深田社長は街づくりに非常に熱心に取り組んでいらっしゃると
 伺っていますが、詳しいお話を聞かせてください。

 
料亭蔦茂のある住吉地区は昔から遊興の街として栄えてきました。
が、同時に社会的な問題も数多く存在していました。違法風俗・カジノ
営業、客引き、暴力バー、ホームレス、麻薬販売、暴走族などです。

なかなか表立っては見えにくい部分ですが、改善するために、
たくさんの方々と共に活動して参りました。そうした活動の中で、
家業を守りながら街づくりをしていこうという私のスタンスも
出来上がっていったのです。
  
 
【料亭蔦茂の店内写真】
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◆料亭蔦茂の地域の住吉はどんな街だったのですか?
  
江戸時代から住吉は庶民と武士がともに楽しんだ三業者(芸者・
置屋・料亭)の町でした。なぜそうなったかということですが、まずは、
この時代の社会の構造をお話したいと思います。
    
かつて、尾張藩のお武家さんは職芸といって、お金を稼いでも良い
ことになっていました。ですから、町人や職人衆に対して寺子屋で
教師をやったんです。今の時代の知識教育とは違い、論語等を
読んで聞かせる人間の徳を高める教育です。これを行っていった
ことで、大衆の人間性と住人たちの人間性と知的レベルが向上し、
やがてモノづくりが盛んになりました。
 
読み書きの学習で識字率も非常に高くなる訳ですから、現代で言う
ところの作業のマニュアルなるものもできてきます。書物を庶民に
無料で貸す図書館のような施設も生まれ、「ものづくり」の街として
発展していきました。下級武士は職芸として職人のモノづくりを通じて、
お金を稼ぎますが、次はそれを使う場所を求めるようになりました。
それが、歌舞伎見物、祭礼、伝統芸能などの娯楽でした。
 
「300年前に世界で庶民が最も豊たかな街は?」と聞かれれば、
「それは名古屋です」と言えるのではないかと思います。名古屋開府
以来、250年の間、尾張地区の産業が非常に発展し、豊かな庶民と
支配者の武家衆が共に楽しみ、犯罪は少なく疫病も無かったの
ですから。これは世界中に類を見ません。
 
020b
資料を元に日本文化や名古屋の歴史をお話される深田社長 
 
 
◆歴史的な観点からお話をありがとうございます。
 次は深田社長が取り組まれている名古屋経営研究会に
 ついて教えていただけませんか?

  
1983年、名古屋に帰って来た35歳の時に立ち上げ、元々は
東海中学校の同級生の集まりでした。恥ずかしいお話を申し上げ
ますが、この当時、私が代表に就任したオーダーメイド用の服地卸
のモリシマの経営が著しく厳しい状況におかれていました。
この危機的な状況を、再建するためのケーススタディとして同級生の
知恵を拝借した訳です。これが、名古屋経営研究会の始まりです。
  
◆どんな活動をなさっているのですか?
 
現在は毎月1回交流会を開催しています。45社程、ご参加いただ
いていますが、名古屋でこの会が異業種交流会の走りになったの
ではないかと思います。メンバーは様々で、経営者・弁護士・会計士・
役所関係者・政治家等です。
 
 
◆栄ミナミ地域活性化協議会の詳しいお話を聞かせてください
  

発足は2007年です。この年の3月6日、名古屋駅にとんでもない
建物が出来るぞ、と声高く周囲でも騒ぎ始めていました。ミッドランド
スクエアですね。ということで、栄も負けているわけにはいかない、
盛り上げて行くために何とかしなければ・・・と、思いを同じくする
人達が集まり活動が始まりました。
   
まず最初に行ったことが、「栄ミナミ音楽祭」の開催です。株式会社
ゲインの藤井英明社長、株式会社 アイ・アンド・キューアドバタイ
ジングの藤井一彦社長、株式会社サンデーフォークプロモーションの
顧問の桑原宏司氏を中心とする、仲間たちのチームワークと奮闘に
よって実現が可能となりました。
   
驚いたのは、関係者や参加者が非常に熱いということです。
何でも手伝うからプランをどんどん持ってきてよ!という具合です。
私も彼らに接すれば接するほど、やる気がどんどん湧いてきました。
だから一緒に活動させていただくと、とても楽しいんですよね。
5回目を迎える今年は5月14日・15日に開催いたしますので、
街づくりにご興味がある方も無い方も、栄ミナミにお越しいただければ
嬉しいですね。
   
 
◆街と共に御社が発展なさってきたことがよく伝わってきます。
 今後の料亭蔦茂のブランド戦略をどのようにお考えですか?

  
やはり、料亭蔦茂は「日本文化のテーマパーク」の追求を目指し
ていますので、そのために、毎月文化イベントの開催等を行い、
少しでも多くの方に日本文化や名古屋の歴史を知っていただき
たいと思っています。そうすることで、日本料理をもっと楽しんで
いただくことができるようになるからです。
  
昨年から、JR東海タカシマヤさんの地下1F「ごちそう館」にも出店
しています。お弁当、お惣菜がメインですが、茶碗蒸し等も扱って
います。それから、配達やケータリングサービスもさせていただいて
います。お料理内容の質も然ることながら、もう一つ大切にしている
ことは、「つたも」というブランドを売っていくことです。
   
祖父から受け継いだ、約100年の歴史がありますから、それを
絶やさないように、後世にも名前を残していきたいと考えています。
 
 
010b
  
  
◆深田社長に最も影響があったことは何ですか?
  
影響があったことと聞かれるとそれはもう数多くありますが、
私が大学を卒業して単身渡米をした際、ホテル業界に入りました。
その時に出会った全米ホテル協会会長のロイ・ワトソンという方から
多大な恩恵と影響をいただいたと思います。
 
彼から、私が25歳の時、フロリダのオーランドのホテルを任され
ました。世間のことを何もわかっていない外国人の若造の私に
ですよ。こんなことができる、非常に器の大きな人だったんですね。
彼から「ホテルの仕事では地域交流が大切と」と経営の基本を
学び、その教えが今までの私を支えています。
    
それから、どんなことにも「Yes, I can!」と答える姿勢や目標を
明確にして、紙に書くことで実現性が高まることも教えていただき
ました。私にとっては、彼は最もお世話になった方であり、人生の
師でもあります。現在でも、たまに文通をする仲なんですよ。
  
 
◆最後に夢や目標に向かって頑張っている人達に、
 一言メッセージをお願いいたします。

 
「明元素」ですね。私の大好きな言葉です。どんな時も、明るく、
元気で、素直にいることが大事だと思います。この言葉は短い
ですが、とても奥が深いんですよ。この言葉の真意を、これからの
若い人達に、身体をもって伝えていくことが私の社会的な使命だと
思っています。
  
それから私のサブテーマですが、「3匹のタイ」というものがありま
して、認められたい、褒められたい、人の役に立ちたい、ということ
です。これが良いか悪いかわかりませんが(笑)、自分の性格かなぁ
とも思いますし、楽しく人生を生きて行きたいですね。
  
 
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
 
  
*****************************
 
文化と歴史を背景に進められた深田社長のお話は、人間模様と
社会を鮮明にイメージ出来、とても関心を高められる内容でした。
もし「自分の街をよく知っているか」と、誰かに尋ねられたら、
ここまで詳細に亘って自分には話すことができないと思いました。
生活空間をよく知ることは、後世の人達のことを考えると、非常に
大切なことだと気づき、まずは、自分の街の歴史や良さをしっかり
理解しようと思いました。貴重なお話をありがとうございました。
 
起業家育成塾 水谷翔 (株式会社アイミック)
 
*****************************


有限会社キャリア・サポート 三厨 万妃江 社長

2010-07-15 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2010年6月19日 9:00~10:00 
●場所 名古屋マリオットアソシアホテル 15F シーナリー
●有限会社キャリア・サポートのホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●三厨 万妃江(みくりや まきえ)氏 プロフィール 

1981年 愛知淑徳短期大学国文学科卒業。
1981年 医薬品総合商社にて総務部実務及び社員教育を担当。
1990年 財団法人日本総合研究所にて、研究員、社員教育
       トレーナーを務める。
1993年 独立してoffice Mを設立、社員教育トレーナー。
2003年 有限会社キャリア・サポート(旧OFFICE M)を設立、
       代表取締役に就任し、現在に至る。
 
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20年以上の社員教育の実績がある有限会社キャリア・
サポートの三厨万妃江社長にインタビューさせていただき
ました。お仕事内容に加え、三厨社長のご著書についても
お話を伺いました。
 

 
◆事業内容を教えてください

 
企業、医療・福祉施設、公共団体などの経営者や社員に向けて
人材育成のためのコンサルティングや研修、講演などをさせて
いただいています。また、投影法の心理テストSCT(文章完成
テスト)の普及・研究機関である東京国際・キャリアダイナミックス
研究所の講師もしています。
 
 
◆研修とSCTの具体的な内容を聞かせていただけませんか?
 

コンサルテーションや研修は「社員力向上」をテーマに、ホスピタリ
ティ、ビジネスマナー、コミュニケーションなどの向上を目指した
内容をさせていただいています。社員のモチベーションアップを
目的とした「社長塾~社員満足徹底実践会(ES会)~」も名古屋と
大阪で開講しています。
 
リピートをいただくことが多く、ある外資系の製薬メーカーさんから
は約20年ほぼ毎年ご依頼をいただいていますし、大学の医学部
付属病院では10年以上継続して研修をさせていただき、この病院
だけでも、延べで3000人以上に受講していただいています。
  
SCTとは、元々アメリカの軍隊で使われていた心理テストです。
文章完成法のテストなのですが、企業の人材採用のために
使われることが多いですね。私達はこのSCTの普及・研修・指導・
診断をさせていただいています。
  
 
◆創業されたのはいつですか?
 
独立した年が平成5年で、それから11年目に法人化しました。
  
  
◆それまではどういうお仕事をされていましたか?
 
大学を卒業して、医薬品総合商社に入社しました。地元では、
良い女性社員がいると言われている会社で、この会社の女性と
結婚することがその地域の男性にとって、ある種のステータスに
なっていました(笑)。でも、私が入社して数年したころから、女性の
質が落ちてきたと言われるようになりました。それで、上司から
何とか向上させたいから、東京に研修を受けに行って欲しいと
言われ、東京に行くことになりました。
     
そして、関西のある大企業の研修担当の女性課長さんと親交を
いただき、それまで新入社員研修しかしたことがなかった自社に
お招きして、女子社員研修を始めて開催することができました。
  
ある時、その女性課長さんから、女子社員教育インストラクター
という仕事があることを教えていただき、それを会社の上司に
受けたいと言いました。最初、上司からは、受けさせて辞められ
ると困るから受けさせれないと言われました。

しかし、私は長女だから、たとえ結婚しても岐阜を離れないので、
簡単にはやめませんから受けさせてください、とお願いし(笑)、
上司に納得していただき、研修を受けさせていただきました。
   
研修受講後、社内用の教育プログラムとテキストを作り、社内で
研修を実施しました。研修は社内で4回させていただきましたが、
この頃の後輩とは今でも繋がりがあります。
  
研修の仕事がどんどん楽しくなっていき、いろんな先生に自分が
やりたい研修の話をするようになっていました。そして、ある時、
お世話になっていた方から財団法人日本総合研究所を紹介して
いただいたんですが、大変有難いことに、受け入れていただける
ことになりました。転職をすることに対し、両親には最初、かなり
反対されましたけどね(苦笑)。でも、熱意を持って話したら、
納得してもらえました。
  
013b
 
 
◆財団法人日本総合研究所ではどんな仕事をされましたか?
  
まず、上司の鞄持ちから始まりました。これは、研修の雰囲気を
身体で覚えることができるので、とても大事なことなんです。日本
総合研究所は、医療機関に強かったので、全国各地の病院で、
研修をさせていただきました。上司の日程が調整できない時は、
自分が研修をさせていただくこともありました。新入社員研修を
はじめとする、ビジネスマナー研修がメインでほぼ毎日やりました。
ここでは、3年間お世話になりました。
 
 
◆入社の決め手になったのは何ですか?
 

入社後に聞いたことによると、実際の身の丈より大きく見えた
こと、面接時に「決められたプログラムをやらないといけないの
ですか?」という質問だったそうです。この質問によって、この
子は面白いな、と思っていただき、入社させていただくことが
できたのです。
 
 
◆なぜ独立しようと思ったのですか?
 

会社員だと毎日決まった時間、場所に行かなければいけないの
で、なかなか勉強する時間を作ることができません。でも、私は
専門職として一人前になりたいと思っていたので、そのためには
学習時間を確保する必要がありました。それで、独立というより
フリーになることにしました。最初は、ワープロとFAXを用意し、
OFFICE Mという屋号を付けて、自宅で始めました。
  
  
◆創業当時はどのようにお客様を開拓したのですか?
 

仕事がないことも覚悟の上のフリーランスでしたが、ありがたい
ことに、古巣の財団法人日本総合研究所からも大きな案件をい
ただけました。しかも魅力的な内容であったので、本当にいただ
けたことに感謝しています。
  
 
◆三厨さんは書籍の出版もされていますよね。出版された
書籍についてお話を聞かせていただけませんか?
 

2007年の4月に『やりたい仕事で幸せになる!』を出版させて
いただきました。当初は、名古屋で働く女性達がお金を出し合っ
て自費出版しようという計画でしたが、途中から出版社がついて
商業出版になりました。
 
この出版で、あさ出版さんとご縁をいただき、2008年の3月に
『ホスピタリティの心で変わる 大人のマナー』を出版させていた
だきました。ありがたいことに、この書籍の出版後、ホスピタリ
ティをテーマにした研修や講演のご依頼をいただくことが増え
ました。
    
それから、『あなたの笑顔に逢いたくて・・・』という書籍を6月に
出版しました。本書は、私達のお客様のたんぽぽ介護センターさん
からご依頼をいただいて執筆しました。この会社の代表の方は
顧客満足は社員の満足があってこそとおっしゃいます。これは
本当に素晴らしい考え方であると思いますし、私達の会社も社員
満足の向上がテーマなので、取材を通じて本当に多くのことを
学ばせていただきました。
 
015b
 
 
◆仕事で大切にしていることは何ですか?
 
やっぱり楽しむことですね。以前、ある受講生の方が「先生は
楽しそうに仕事をされていますね」とアンケートに書いてください
ました。これを読んだ時は本当に嬉しくて、受講生の方々から
このようなお声をいただくことが仕事の原動力になっていると
言えますね。気持ちよく楽しくやることが一番だと思います。
 
 
◆夢は何ですか?
 
私はこれまで、会社の内外で、多くの方々に育てていただきま
した。これからは、私のような仕事をしたいという方々のサポート
をする側に回りたいと思っています。これが、今の私がやってい
きたいと思っていることです。
 
 
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
 
  
****************************
 
社員研修の内容から仕事の魅力をお聞きすることができ、
とても嬉しかったです。三厨社長は、お仕事のお話をとても楽し
そうにされていました。本当に素晴らしいお話を聞かせていただ
けたことに感謝しています。インタビューにお答えいただき、
ありがとうございました。
  
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
****************************


陽光建物サービス㈱   斉藤 秀敏 社長

2010-04-30 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2010年3月24日 9:30~10:30 
●場所 陽光建物サービス株式会社 会議室
●陽光建物サービス株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●斉藤秀敏(さいとう ひでとし)氏 プロフィール 

1948年、北海道砂川市に生まれる。
高校卒業後、上京し、駒澤大学に入学。
1978年、陽光建物サービス有限会社を
設立し、代表取締役に就任。1983年、
株式会社に改組。1992年、本社ビル竣工。
 
011b
「石の上にも3年と言うが、3年では足りない。5年は必要」
こう語って下さったのは、陽光建物サービス株式会社の斉藤
秀敏社長。斉藤社長には、これまでの会社経営と人生を中心
に語っていただきました。

 
  
◆会社の創業期からのお話を聞かせてください
 
会社を創業したのは昭和53年で、私が29歳の時でした。今年で
33期目になります。私は、北海道の砂川市という人口2万人程度
の小さい町の出身で、大学入学の時に東京に出て来ました。地元
は、働く場所も限られていましたし、貧しい時代だったので、東京に
出てきた訳です。
  
大学に通いつつ、経理の専門学校にも行っていました。当時から、
将来は独立してやっていきたいという思いを持っていましたから、
二つの学校に通い、勉強していたのです。一般的な就職は考えて
いませんでしたね。どうもサラリーマンとして働く自分を想像できな
かったものですから(苦笑)。
 
大学卒業後は小さな会計事務所に就職しました。でも、立場が低く、
給料も非常に少なかった。生活していくことすら、ままならない状態
になってきたので、名古屋に行って働くことにしました。ギリギリの
状態で名古屋にやってきたので、最初は寝泊りするお金も無く、
公園で野宿していました。見回りに来る、公安官の人に注意された
こともありました(苦笑)。
 
職探しのために新聞を拾ってきて、求人欄を見ることから始めまし
た。そして、パチンコ店のホールスタッフの仕事を見つけたので、
頼みに行って、住み込みで働かせてもらえるようになりました。
それから、いくつか仕事を転々とした後、現在の妻の親父さんから
ビルメンテナンスの仕事を紹介してもらいました。これが、独立する
きっかけとなりました。
 
 
◆独立されてからはどうでしたか?
 
最初は仕事がさっぱりありませんでしたね(苦笑)。だから、17時
には仕事を終えて家に帰っていました。でも、しばらくして、貯水槽
や床の清掃・修理といった比較的簡単な仕事が増え、人も雇える
ようになりました。その後、ビルメンテナンスの仕事の専門知識を
持った人も入社してくれ、だんだん会社は発展していきました。
 
会社を創業して5年目にあるIT関係の経営者の方のご紹介で
青経塾に入塾しましたが、ここで初めて社是の重要さを知りました。
遠山塾主から、社是には、社会性、科学性、人間性が含まれてい
ないといけない、という経営の根本的なことを教えていただき、
私達もそれから一生懸命、社是を考えました。
 
003b
陽光建物サービス株式会社の社是
 
  
そして、創業12年目に本社ビルを建てました。まあ、バブル真っ
只中の時期だったので、何かと大変でしたが(苦笑)。仕事の内容
上、道具がたくさんありますし、倉庫も駐車場も必要だったので、
テナントに入るという選択肢は無かったのです。
  
024b  
陽光建物サービス株式会社の本社ビル
 
 
◆斉藤社長は若い時、特に苦労されていますが、ここまで
やって来ることができた一番のポイントは何ですか?

 
それはやっぱり負けん気が強いからですよ(笑)。なにくそって
やって来ましたから。ちょっとやそっとのことで諦めたらいけない
ですよね。
 
 
◆経営に関して心掛けられていることは何ですか?
  
建物は経費を削減して建てると、非常に質が悪くなり、脆くなりま
す。そういう建物は環境にも良くないんですね。だから、私達の会
社では、そうならないように、仕事をさせていただくようにしています。
良いサービス、良い会社を創っていこうと思うと、ただ利益を追求
するだけではいけないと思います。そして、社会や環境に気を配っ
て経営を行っていくことも大切であると考えています。
  
 
◆強みは何ですか?
  
24時間体制で建物の総合管理をさせていただいていることですね。
水漏れや設備・空調などの故障に関して、24時間対応できる会社
を目指しております。
 
 
◆今後のビジョンを聞かせて下さい
 
ずっと若い頃から、海外進出をしたいと思っています。
香港か中国行きたいですね。中国関係に強い人間との
ネットワークもありますので、これらを生かしていきたいですね。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
起業するのは簡単ですが、継続するのは非常に難しいものです。
そして、石の上にも3年と言いますが、私はそれでは短いと思って
います。5年は必要ですね。辛抱強く頑張って下さい。
 
 
012b
今回インタビューには、陽光建物サービス株式会社の斉藤説子
さんにもご同席していただきました。斉藤説子さんには、一言メッ
セージの際に、「最後の1%が奇跡を生みます。諦めずに頑張っ
て下さいね」という温かいお言葉をいただきました。
  
  
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
   

****************************
   
最初に斉藤社長にお会いしたのは20年以上前、
私が外資系の能力開発会社にいた頃である。
その後、私が会社を創業したときは、いろいろとご支援をいただき、
私の会社に職能資格制度をご依頼され、制度の導入と人事研修
をさせて頂いた。創業時で、本当にありがたい仕事だった。
その制度が今もお役に立っていると聞いて、とても嬉しかった。
先日、数年ぶりで某勉強会でお会いしたのがこのインタビュー
に繋がったのだが、不思議なご縁を感じる。
私の生涯の恩人の一人として私の恩人リストに名前が
ある方だ。

創業時は本当にありがとうございました。
そして、今回は貴重なお話をありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
この出逢いに感謝いたします。
    
起業家育成塾 塾長 三潴 克彦(みつま かつひこ)
      
      
   
****************************
 
斉藤社長の静かなご表情とお言葉の中に、私はズシリと重い
ものを感じました。若い頃の斉藤社長のエピソードは、私達の
ような豊かな世代からは想像することが容易ではありません。
しかし、そんな厳しい時代を生きて来られた斉藤社長の言葉は
一つ一つが静かであるにも関わらず、非常に重く、強い印象が
残りました。インタビューにお答えいただき本当にありがとうご
ざいました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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あいおい損害保険㈱   元副社長金子博昌 様

2010-04-08 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2010年3月24日 14:00~15:00 
●場所 あいおい損害保険株式会社 名古屋企業営業本部 
●あいおい損害保険株式会社のホームページは 
こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●金子博昌(かねこ ひろまさ)氏 プロフィール 

昭和19年生まれ。京都府出身。同志社大学経済学部
卒業。昭和41年、千代田火災海上保険株式会社(現:
あいおい損害保険株式会社)に入社し、営業部門、営業
推進部門での業務に従事。平成7年の取締役就任後は、
専業代理店担当部長、営業企画部長、名古屋企業営業
本部長を経て、平成16年4月、同社取締役副社長に就任。
平成19年より同社顧問を務め、平成21年退任。
 
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今回は元あいおい損害保険株式会社の副社長を務められた
金子博昌氏にお話を伺いました。これまでの人生を振り返っ
て語っていただきましたが、最後に若い世代に向けての熱い
エールもいただきました。

 
  
◆本日はインタビューへのご参加ありがとうございます。
金子さんは京都のご出身と伺っていますが、幼少期のお話を
聞かせていただけませんか?
 

私は京都の西京区というところで生まれました。父は東京都出身
で、母は愛媛県出身なのですが、私が生まれた頃には、京都に
住んでいたので、私は小中高とこの地域で育ちました。私が小さ
い頃は特に、山や畑が多く、自然に溢れた場所でした。そして、
大学は同志社大学に進学しました。
 
 
◆大学ではどういったことをされていましたか?
 

当時は、大学での活動というと、今のように多くの選択肢がある
訳ではなく、体育会系か学術系、そして学生運動を行う団体に
所属するくらいしかありませんでした。私は、高校の頃に少し身体
を悪くしていたので、経済研究会というお堅い名前の団体に所属
していました。でも、半分くらいは遊んでいる連中で構成されて
いる団体でしたよ(笑)。
   
私が在学していた頃の同志社大学は、学生運動の拠点校と言
われていました。ある時、友人に学生運動に参加してみないかと
誘われたので、行ってみることにしました。そこでは、これからの
世界はソビエト連邦に代表される「社会主義」か、アメリカを旗頭
とする「資本主義」が担うのか、日本はどの路線をいくのかなど、
学生達が白熱した議論を夜を徹して行っていました。考えると
青臭い話ですが、今の学生諸君にも世界の政治、社会の動向
にもっと関心を持って行動して貰いたいです。
 
また、当時は今ほど裕福ではありませんでしたので、私自身も
大学にいくなら自力で行けと言われていました。周囲もそんな
学生が多く、食べて行くのに一生懸命で、結構「堅実」な生活
ぶりでした。
  
 
◆就職活動はどのようにされたのですか?
 

就職活動の年は昭和40年でしたが、40年不況と言われ、就職
難の時代でした。そんな中、大学の先生に、金融機関に向いて
いるのでは、と言われました。でも、私は正直なところ銀行に就
職したいと思いませんでした。謹厳実直で皆さん真面目そうに
見えたし、髪は七、三分けにしなければいけないんだろうと思い、
とても私の性格では勤まらないと諦めました(笑)。
  
その後、友人から、「損保を受けたらどうか」という助言をもらい
ました。今のところ絶対に入りたいというような会社も無いし、就
職難の時代だから迷っていても仕方ないと思い、損保の会社を
受けることにしました。
 
そして、大変有難いご縁をいただくことになります。当時、私の
父が勤めていた京友禅の会社のメインバンクは「東海銀行」で
した。たぶん父が銀行の方に「息子の就職が決まらない」とこぼ
したのでしょうね。銀行の方が、それでは「当行の提携先の千代
田火災を受けたら」と言って推薦状を書いてくださいました。
お陰様で、千代田火災海上保険株式会社(現:あいおい損害保
険株式会社)に内定をいただくことができました。
 
033b
 
 
◆入社後はどのような仕事をされましたか?
 
最初は、書類の点検、整理や代理店関係事項の届出など営業
の仕事をしました。その後、営業部門に転勤になり、以来ずっと
営業関係の仕事をしてきました。損保営業の最前線は代理店
さんですので法人、個人、整備工場など、いろんな代理店さんを
担当してきました。また、新たに代理店事業を始める法人、
個人の開拓にも力を入れていました。
 
初めて営業に配属された昭和40年代は、日本人なら誰もが
「車を持つ」、「家を持つ」と豊かさを求めて働き、日本経済も
活況を呈していました。それらに拠って、損害保険の売上も
飛躍的に伸び、会社も活気に溢れているという非常にいい時
代でした。「営業ってこんなに毎日楽しくっていいのかな」と思っ
ていました(笑)。
  
勤務地は、大阪、東京、名古屋という順番に変わりました。
名古屋に初めて来た時、「最初の1年は地域に密着することが
大切。華々しく活躍したいなどと思わない方がいい」とアドバイス
を受けました。名古屋という地域に関しては、「一度信頼ができ
ると、ずっと長く付き合っていける」とよく言われますが、本当に
その通りでした。
 
 
◆仕事をされる中で心掛けられていたことはありますか?
 

そうですね、やっぱり、「今いるステージ」で一生懸命やることが
大事だと思って頑張ってきました。就職活動では苦労しましたし
ね。最初の5年間は、縁の下の力持ちになって基礎的な仕事を
しっかりやって、力を蓄えることが大切だと思っていました。
 
それから、仕事で成果を出すためには、優れた人間性を備える
ことがとても大事だと思います。長く付き合って行く中で、信頼を
深めていけるような人間であること、言い換えれば、損害保険
会社ですから、法人であれ、個人であれ、「お客様の抱えている
リスク」を自分が背負っていくという位の気概を持たないと仕事
で本当の成果を上げる事はできないでしょうね。
   
あとは、前の楽天イーグルスの野村監督が「勝に不思議な勝
あり、負けに不思議な負けなし」と言われていますが、勝戦の理
由を分析することも重要です。上手く行かなかった時の理由は
だいたいわかりますが、上手く行った時の理由はわからないこ
とが多々あります。しかし、このままにしておいてはいけません。
 
この理由のわからない不思議な勝を当然の勝にすることが、
仕事をやっていく中で非常に大切なことだと思います。強みを
最大限生かし、弱みを最小限に抑えるに通じますかね。
 
 
◆影響を受けた人や考えはありますか?
 
大きな影響を受けた人は場面によって色々ですね。基本的
な人間形成という部分では父親と大学で指導頂いた理論経済
学の渡辺教授です。会社に入ってからは諸先輩、同僚、お客
さんと枚挙に暇がないですが、仕事をする上で最も影響を受け
た恩人ともいうべき人は、「新入社員時代の大阪の営業部長」、
「課長代理時代の東京四営の課長」ですね。
 
あと、当時は全く雲の上の人でしたが入社時の社長です。
45年も前ですが、これからの時代は「国際化、情報化、大衆化」
がキーワードであると事あるごとに言っておられました。当時は
よく解りませんでしたが時代は確実にそうなっていますよね。
この先見性には驚いています。
 
そんな影響もあったのでしょうか、私は入社間もない頃から
「保険会社は一体何をするのか、どのように世の中の為になっ
ているのか」というようなことを常に考えていました。P・F・ドラッ
カー流に言えば「会社は何のために、誰のために存在するの
か」となるんですかね。こうした根本のところを考えていく姿勢
は仕事をする上でとても大切なことだと思います。
 
 
042b
 
 
◆今後のビジョンを聞かせて下さい
 
今は時間があります。「これまでやりたくても出来なかったこと」、
「今だから出来ること」をやりたいと思っています。お金儲けもいら
ないし、生臭い切った張ったの世界とは少し離れていたいです。
それと、微力ですがこれから前に向かって進んで行こうとしている
人のお役に立てればと思っています。
 
   
◆最後に一言お願いします
 
こうなりたいという自分の理想像を持つことは大切ですが、いきな
りそうなれるわけではありません。人に見えないところで努力し、
今いる環境の中で全力でやってこそ目標は達成されると思います。
上手くいかないことを周りのせいにしてはいけませんし、耀く世界
ばかりに行こうとしてもいけません。むしろ最初に苦労する経験は
後の財産になるでしょう。
 
そして、心身共に健全であれば「早い、遅い」、「大きい、小さい」と
色々あるでしょうが努力、頑張りの先に目標とする新しいステージ
が開けるのではないでしょうか。 是非とも頑張っていただきたい
ですね。
     
 
◆貴重なお話を聞かせていただき本当にありがとうございました
   

  
****************************
 
人から見えないところで行う努力や縁の下の力持ちとして頑張る
ことがいかに大切かということを豊富な実体験を踏まえてお話し
ていただき、私はこのお言葉が最も印象的でした。今回はインタ
ビューで学ばせていただいたことを少しずつ実践していきたいと
思います。大変素晴らしいお話を聞かせていただきまして、本当
にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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ご紹介者様へ
  
金子様をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長 にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
金子様のお話は大変勉強になりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
   
起業家育成塾 三潴 克彦(みつまかつひこ)
  
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プリムイソベン株式会社 小林 一茂 社長

2010-04-03 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2010年3月2日 10:00~11:00 
●場所 プリムイソベン株式会社 社長室
●プリムイソベン株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 水谷 翔
  
●小林一茂(こばやし かずしげ)氏 プロフィール 

1960年、静岡県生まれ。
愛知学院大学卒業後、ミノルタ事務機
販売会社(現コニカミノルタホールディングス)
に入社。1990年に同社を退社後、プリムイソ
ベン株式会社へ入社。2004年に代表取締役
社長に就任し、現在に至る。
 
012b
「社長を作っていきたい」、こう語られたのは、創業30年
以上の歴史を誇るプリムイソベン株式会社の小林一茂
社長。小林社長には、事業内容から今後の事業ビジョン
に込められた思いを中心にお話を伺いました。

 
 
◆事業内容について教えてください
 
私達は、1974年の創業から各種弁当類の生産販売を手掛け、
コンビニエンスストアやスーパーマーケットなどの成長と共に発展
してきました。現在は主に、中部圏の約700店舗のファミリーマ
ート様に弁当やサンドイッチなどを卸させていただいています。
そして、事業発展に合わせて、店舗の経営も手掛けるようになり
現在、ファミリーマート様の店舗を11店舗経営させていただい
ています。
 
しかし、コンビニエンスストアは非常に大きなマーケットですが、
ここ10年くらいのうちに、市場競争が激化し、過渡期になりつつあ
ります。ですので、次の打つ手として、FCで飲食店経営を2001年
から開始しました。とんかつ専門店、回転寿司、そば屋など、全部
で10店舗経営しています。
 
よく言われることですが、やはり経営上、最も大切なことは、お客
様にご満足いただけるサービスや商品をご提供することです。
私達の事業は、それぞれお客様が異なっていますが、常に最後に
サービスや商品を買うお客様を向いて仕事をすることに力を注い
でいます。
 
 
◆御社の強みは何ですか?
 
自由度のある社風が強みですね。現在のような流れが速い時代に
あっては、これからどのような業態の会社ができていくか予想がつ
きにくいので、働く社員達のアイデアを積極的に取り入れ、どんどん
チャレンジしていってもらえる環境作りに力を入れています。
 
 
◆小林社長は創業者でいらっしゃいますか?
 
違います。私の叔父が創業者なんですが、早くに他界していまい
ました。それで、共同創業者のうちの一人が会社を継いで、その
次に、全く畑違いにいた私に白羽の矢が立ちまして、現在3代目
の社長をやらせていただいています。
 
 
◆昔から社長をやりたいという思いをお持ちでしたか?
 
ありましたね。ただ、ゼロから起業したいという程の思いはありま
せんでした。でも、叔父の影響もあって、昔から将来は社長になり
たいと思っていましたね。その叔父というのは、非常にカリスマ性
があって、親戚同士で集まった時は、一人だけ違うオーラを発し
ていたんです(笑)。だから、叔父が現れるとその場の雰囲気も
変わりました。それを見て、カッコイイなって憧れていました。
 
私が社長をやらさせていただくことになってから5年が経ちました。
大変なことも多いですが、非常に多くのことを学ばせていただき、
良かったと思っています。そして、実は今、社長をたくさん作って
いきたいと思っているんですよ。
 
009b
 
  
◆その理由を聞かせていただけませんか?
   
前社長は非常に優秀な社長で、私が継がせていただく時、会社
の業績がとても好調だったのです。そこでホールディングスを作ら
なければ株譲渡が出来なかったのです。そのような経験から、
今は複数ある子会社を発展させていけるような社長を作って
いきたいと考えています。
 
1つの会社を大きくしていくよりも、個性的な中規模の会社が
いくつかあった方が、社会のお役にも立てるのではないかと
思っています。そして、従業員が安定して幸せな暮らしができる
ような体質の会社にすることが一番大事なことだと思っています。
 
    
◆学生時代はどういったことをされていましたか?
 
自慢できるようなことは一つもないですよ(笑)。でも、たくさんの種
類のアルバイトをやっていたので、広い見識を得ることができたと
思います。普段学生生活をしていたら入れないようなお店や場所
にいくこともありました。あとは、スポーツが好きで、いろいろやり
ましたね。お酒も大好きだったので、よく友人達と飲んでましたよ
(笑)。大学生活は本当に充実していて面白かったです。ただ当時
から、働くようになったらたとえどんな小さい会社であっても長たる
ポストに就きたいと思っていました。
 
  
◆影響のあったことは何ですか?
 
叔父の影響がやはり大きいでしょうね。生き方にしても、経営に
関しても。特に尊敬している経営者は京セラの創業者である稲盛
和夫さんですが、稲盛さんがおっしゃる「利他」という言葉と経営に
対する姿勢から影響を受けています。
 
それから、会社での話ですが、7年前、前社長の吉田が末期手前
の胃癌であることがわかり、ある日突然、「小林君、もうダメかも
しれない」という電話を受けました。この時は身震いましたね。どう
すればいいのか?、何度も自問しました。本当に突然の出来事
だったのですが、悩み抜いた結果、社長をさせていただくことに
しました。この一連の流れは、非常に大きな衝撃と影響を受けま
した。やはり、こういったことが大きな学びに繋がると思います。
で、肝心の前社長の吉田は今は回復してピンピンしていますけ
ど(笑)。
 
019b
 
 
◆会社の今後のビジョンについて聞かせてください
 
先ほどお話させていただきましたように、たくさんの社長を作って
いくことが目標です。強い会社を作っていきたいですね。到達点
はありません。何社できるかが勝負だと思っています。お客様に
喜んでいただける様々な可能性を追求していきたいです。
 
それと、中国でのビジネスの展開を考えています。私達の工場
に中国の研修生が来ていますが、中国に帰ってもなかなか働く
場所が無いのが現状です。それを何とかしたい。だから、研修生
が中国で働ける場所を作りたいのです。
 
また、先日、中国の広州に行きましたが、とんでもない大きさの
都市でした。まだまだこれから中国経済が発展していく気運を
感じましたし、進出していきたいですね。
 
 
◆小林社長の夢は何ですか?
 
理想は死ぬまで仕事に携わっていたいと思っています。でも、老後
に、ゆっくり暮らす選択をすることになった時は、奥さんと温かい
南の島で暮らしたいです。スポーツなど、やりたいことも一杯あり
ますが、そこそこできる環境があれば嬉しいですね。
 
  
◆最後に夢に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
一番大事なことは諦めないことでしょうね。優しい言葉や体験ばか
りでは夢を達成することはできないと思います。それと、いつも夢を
頭に強く思い、描くこと。信じれば全てが必ず報われるとは思いま
せんが、信じなければ何も報われないと思います。是非、頑張って
ください。
 
 
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
  

 
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社長の育成と今後中国展開を考えられているとお話いただいた
時の小林社長は非常に情熱的であり、お話を伺っている私も楽し
い気持ちになりました。お話いただいたことが、実現するように
願って止みません。インタビューにお答えいただき本当にありが
とうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
   
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ご紹介者様へ
  
小林様をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長 にこの場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
   
起業家育成塾 三潴 克彦(みつまかつひこ)
  
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ネットオフ株式会社    黒田 武志 社長

2009-11-30 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年11月12日 10:00~11:00 
●場所 ネットオフ株式会社 応接室
●ネットオフ株式会社のホームページは こちら

●中古品の通販・買取のイーブックオフのHPは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●黒田武志(くろだ たけし)氏 プロフィール
1965年、大阪府生まれ。
大阪市立大学商学部を卒業後、トヨタ自動車
株式会社入社。国内および海外のアフターマー
ケット部門の企画業務に従事。1998年、トヨタ
自動車株式会社を退社し、ブックオフコーポレー
ションの起業家支援制度(エンジェルプラン)の
第1号として、株式会社ブックウェーブを三重県
四日市市に設立。2000年、株式会社イーブック
オフを名古屋に設立し、代表取締役社長に就任。
2005年、ネットオフ株式会社に社名変更。
  
007b
インターネットを通じたリユースビジネスのパイオニアである
ネットオフ株式会社の黒田武志社長にインタビューさせていた
だきました。事業に関することから今後の展望まで幅広くお話
を伺いました。

 
 
◆事業内容を教えてください
 
私達の事業は一言で言えば、本・CD・DVD・ゲームソフトのインター
ネットを通じた買取と販売です。タイトル数が約30万点で在庫数が
約100万点になります。業界最大級の品揃えを実現している背景
には、工場の跡地を倉庫(商品センター)として活用していることが
挙げられます。この倉庫がネットオフの事業の中枢を担っています。
 
実は、先日、シリコンバレーで行われたビジネスプランコンテストで
優勝いたしました。googleなどを輩出したベンチャー支援組織である
プラグアンドプレーが開催したものです。グローバル展開を狙いたい
会社が世界各国から47社集まりました。このコンテストで、幸運に
も私達のビジネスモデルが好評を頂き、優勝することができたので
す。
 
 
◆それはすごいですね。優勝おめでとうございます。優勝の
ポイントは何だったのですか?

  
ビジネスモデルが非常にユニークということでした。中古品をインタ
ーネットを通じて弊社のように「C to C」以外に、「C to B to C」で
行っている会社は、世界でも類が無いようで、ここが高評価を頂く
ポイントとなりました。シリコンバレーでは、インターネットビジネス
において、仲介業は成り立たないと考えられていたようですが、
私達は、倉庫(商品センター)の活用とトヨタ生産方式を導入するこ
とで、それを実現できました。
 
 
◆トヨタ生産方式を導入されることになった経緯は何ですか?
 
トヨタ自動車やデンソーのOBの方々に来ていただき、ご指導して
いただきました。私は、起業する前、トヨタ自動車で働いていました。
トヨタ生産方式を導入したいと拘り、<wbr></wbr>1年間人材探しに奔走していた
ところ、昔の上司の紹介でOBの方を紹介していただきました。
現在のトヨタ自動車の社長を務められている豊田章男さんにも来て
頂いたこともあります。この時は、とても感激しましたね。
 
 
◆豊田章男さんはどうしてお見えになられたのですか?
 
トヨタ自動車の自動車関連の情報を総合的に提供するウェブサイ
ト「GAZOO.com」の担当役員を、当時豊田章男さんがされていたの
ですが、私が会社を創業した時、インターネット事業をその「GAZOO
.com」のワンコンテンツとしてさせていただいていました。こういった
経緯で豊田章男さんとご縁をいただいたのです。
 
003b
 
  
◆素晴らしい好機を手にされたんですね。続きをお願いします
  
この時が、1998年で、トヨタ自動車を退社し、ブックオフの起業家
支援制度(エンジェルプラン)の第1号店として、株式会社ブックオフ
ウェーブを創業しました。最初はブックオフのお店をのれん分けさせ
ていただき、経営を始めました。ただ、私がやりたかったことはイン
ターネットを通じたリユース事業だったので、三重、岡山、東京、
愛知に支店を拡げていく中で、常にどうしていけばいいか、試行錯誤
していました。
 
2000年、インターネットの事業をいよいよ始めることにしました。
立ち上げに際して、人を集めていたのですが、このことがトヨタ自動
車の頃の上司の耳に入り、「トヨタでもインターネット事業に力を入
れようと思っているから一緒にどうか」と声を掛けていただいたんで
す。これが先ほど、お話させていただいた「GAZOO.com」のワンコン
テンツとしてスタートするきっかけをいただいた時の話です。この上司
の方には、大変なご好意とご縁をいただき本当に今でも感謝してい
ます。
 
また、2000年の創業時には、ちょうどネットバブルが弾けた時期で、
ネット事業に対する世間の見方は厳しく、周囲からは反対されました。
でも、反対を押し切ってやりました。最初は、大きな倉庫に、たった
2列程しか在庫が無く、殺風景な商品センターでした。
  
売上は、創業時から毎年増収していましたが、6年間赤字でした。
だから、資金がもたないかもしれないという危機に何度か直面しま
した。こんな状況でしたが、UFJ銀行の当時の名古屋支店長さんに
支えていただき、厳しい時にも融資していただいたんです。お陰様
で現在は利益を出すことができています。
 
ここまで来るのに、途中で、良いことも大変なこともたくさんありまし
たが、多くの方々に支えられてやってくることができました。有難い
限りです。
  
   
◆いつから起業を考えていましたか?
 

実家はサラリーマン家庭ですし、学生時代に起業しようと思ったこと
もありません。周りもみんな大企業に勤めていますし、私が育った
環境は起業とは縁遠かったと思います。ですので、起業を意識し
始めたのは、会社に入社してからです。
 
トヨタ自動車でカーショップジェームスの立ち上げに関わったのです
が、この時に新規事業が面白いと思いました。一段落して、自分で
も何かやってみたい、と思うようになりました。ここが原点ではない
かと思いますね。
  
 
◆どのようなことに影響を受けましたか?
 

やはり、お話させていただきましたように、坂本孝社長からの影響
は大きいです。その他ですと、リクルートを創業された江副浩正さん
の、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉に
めげそうになった時、何度も励まされました。
 
 
◆スマイル・エコ・プログラムとは何ですか?
 

これは募金活動です。私達を通じて、いらないものを処分していた
だいた際に、お客様にはお金が入りますが、任意で、その一部を
募金していただくものです。現在、1割程度の方が募金をしてくださ
っていまして、大きな成果を上げています。
 
002b
 
 
◆今後のビジョンを教えてください
 
現在も進行中ですが、“総合リサイクルのネットオフ”を目指してい
ます。来年は、創業10周年ですので、第2創業をしよう!という
意気込みで、加速度を増していきたいと思っています。
 
 
◆黒田社長の夢は何ですか?
 
リユースビジネスでナンバーワンになりたいと思っています。
宅配便とインターネットを使ったリサイクル分野では、私達がパイオ
ニアですので、今以上に日本にこの流れを浸透させて行きたいです
ね。日本はモノに溢れていると思いますので、今あるモノをより良く
循環させていける仕組みを作って行きたいのです。そして、将来的
には、海外から「日本はリサイクル大国だ」と言われるようになる
ための貢献がしたいと考えています。
 
 
◆本日は本当に素晴らしいお話を聞かせていただきありがとう
ございました。最後に、御社では人財は募集されていますか?

 
ネット系のシステム開発に興味があったり、既にできる学生さん達
に来ていただきたいですね。今後もインターネットを通じたリユース
事業に力を入れていきますので、興味がある方に来ていただけ
れば幸いです。よろしくお願いします。
 
 
◆貴重なお話を聞かせていただき本当にありがとうございました
  
  
****************************
 
黒田社長は静かで落ち着かれた方でしたが、話しを始められると
内に込められた情熱を感じました。多くの方々のご支援や好機を
掴まれてきた背後には、黒田社長の熱い思いや志がそういった
ことを引き寄せたのかとさえ思われました。本当に素晴らしいお話
を聞かせていただきありがとうございました。今後の事業発展を
願っております。 
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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ナグラ産業株式会社   名倉 昌孝 社長

2009-11-10 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年10月29日 13:00~14:00 
●場所 ナグラ産業株式会社 応接室
●ナグラ産業株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●名倉昌孝(なぐら まさたか)氏 プロフィール 

拓殖大学卒業後、当時建築業界の最先端の
事業を展開していた企業に入社する。その後、
26歳の時に、ナグラ産業株式会社に入社。
30歳で代表取締役に就任し、現在に至る。
6年前に青政塾に入塾し、現在実践真っ最中。
ポリシー:「喜んで頂く」「曲がったことはしない」
趣味:ラグビー、車(サーキット走行)、ゴルフ
 
014b  
今回は建物の大規模修繕を手掛けられているナグラ産業株式
会社の名倉昌孝社長に、事業内容から現在力を入れられている
こと、また今後のビジョンや夢まで幅広くお話を伺いました

  
   
◆事業内容を教えて下さい
 
「建物を長生きさせる」をコンセプトに、建物外装の修繕事業をメイ
ンに行っています。特に力を入れているのは、マンションの大規模
修繕工事です。他には、塗装・防水工事や住宅リフォーム、建物劣
化診断などのサービスもさせていただいています。父が建築塗装施
工会社を創業したのが会社の始まりですが、私が10年前に、マン
ションの修繕事業を取り入れました。
 
 
◆お客様はどういった方々ですか?
 
修繕事業に関しては、マンションの管理組合や管理会社が主な
お客様ですね。塗装・防水事業やリフォーム事業のお客様は、
不動産関連企業、設計事務所、ゼネコン、ハウスメーカーなどで
す。いずれも東海三県が中心ですね。
 
また、修繕工事をさせていただく際には、私達が特に気を配って
いることがあります。それは、修繕工事をしている間、そのマン
ションに住んでいる住民の皆様に快適な生活を送っていただく
ための取り組みです。
 
 
◆具体的な取り組み内容を教えていただけませんか?
 
簡単に言えば、工事期間中、住民の皆様とのコミュニケーション
をしっかり取ることです。住民の皆様は工事の進行状況などに
関して詳しいことがわからないと思いますので、現場監督が住民の
皆様と意思疎通を行い、安全・安心で快適な生活を送っていただ
けるように考え、工事を進めていきます。
  
お陰様で、工事終了後のアンケートでは100点満点をいただく
ことが多々あります。これも現場監督が、住民の皆様に喜んで
いただくために、一生懸命取り組んできた結果だと思います。
  
これからもっと良くなると思いますが、住民の皆様に満足していた
だいているという点では、名古屋でトップクラスではないかと思って
います。こういった取り組みを評価していただき、建通新聞さんに
取り上げていただいたこともあります。
 
017b
 
 
◆住民の皆様からの満足がとても高いご様子で、素晴らしい
ことですね。人材教育にも力も入れられているのですか?

 
特に何らかの教育制度を取り入れているわけではありませんが、
チーム制で仕事をするようにし、積極的に意見交換を行ったり、
改善案を出して、より良いサービスをご提供させていただけるよ
う取り組んでいます。
 
 
◆現在の仕事をされるようになったきっかけは何ですか?
 

私が社長になったのは30歳の時ですが、小さい頃から、会社を
継ぐように言われて育てられました。それで、大学は経営学部に
入学しました。でも、就職活動の時期になって、とても悩みました。
自分が本当にやりたいことは何かって。ずっと考えていたんです
が、その時は答えが出ませんでした。
  
でも、会社を継ぐしかないと意思を固めました。それで、建築業界
で当時、最先端の事業を行っていた会社で、まずは修行をしよう
と思い入社させていただきました。この会社が建築物の修繕事業
をやっていたんですね。当時は、同じ事業をやっている会社は、
名古屋に何社かありましたが、関東のこちらの会社の方が、規模
も内容もずっと先を行っていました。
 
この会社では、修繕事業をはじめ多くのことを学ばせていただき
ました。そのお陰で、私が26歳でナグラ産業に入社して以降、
修繕事業を行うことができていますし、多くの部分で学びが生か
されています。
 
 
◆名倉社長の社内での役割は何でしょうか?
   

社員が働きやすい環境を作ることと人を育てることですね。去年
までは、私が営業をバリバリやっていましたが、これでは人が育っ
ていかないと思い、今年からは社員に任せています。また、新規事
業を考え実行していくことも社長の大事な仕事だと思っています。
なかなか上手く行かないことも多いですが、どんどん実践していき
たいと思っています。
 
 
◆人の募集は行っていますか?
 

現場監督の仕事をやっていただける方を募集しています。未経験
の方でもいろいろご指導させていただくので大丈夫です。私達の
仕事では、人とのコミュニケーションを円滑に取ることが大切です。
挨拶や返事がしっかりでき、笑顔が素敵な明るい方に来ていただ
ければ幸いです。サービス業の経験がある方なんて最適ではない
かと思います。よろしくお願いします。
 
035b
 
 
◆今後のビジョンを教えていただけませんか?
 

3年後に売上10億を達成し、中部地区でナンバーワンを目指して
います。そして、50歳までに全国展開を行い、100億円企業にし
たいですね。
 
 
◆名倉社長の夢は何ですか?
 
車が好きなので、50歳になったら車の事業をやりたいと思ってい
ます。試乗コース付きの中古車販売の会社をやることが夢です。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 

特に仕事で言えることですが、約束を守ることが最も大事なこと
です。これに尽きると思います。
  
  
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
  
   
****************************
  
リフォームや修繕のお仕事はよく耳にしたり、テレビ等で見ること
がありますが、今回の名倉社長のインタビューでは、そういったこと
を直にお聞きすることができ、大変勉強になりました。また、新しい
ものでなくても今あるものを修理すれば、より味わい深い使用品に
なる、こういったことも考えさせられるきっかけをいただきました。
インタビューにお答えいただき本当にありがとうございました。
  
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
   
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タカハシテクニア株式会社   高橋 弘茂 社長

2009-10-20 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年10月7日 9:30~10:30 
●場所 タカハシテクニア株式会社 応接室
●タカハシテクニア株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●高橋弘茂(たかはし ひろしげ)氏 プロフィール 

愛知県出身。高校卒業後、
タカハシテクニア株式会社に入社。
2001年、社長に就任し現在に至る。
23歳の時、※青経塾(青年経営者研修塾)に入塾。
現在は第36塾長を務めている。
 
010b
創業98年の歴史を誇るタカハシテクニア株式会社の高橋弘茂
社長にインタビューさせていただきました。事業内容や技術伝承
講座のテクニアカレッジ、そして長く続く会社の要因から今後の
事業構想まで、幅広くお話を伺いました。

 
 
◆事業内容を教えてください
 
主な事業は大きく分けて3つあります。まずは、金属加工の事業
ですが、これはお客様からご依頼いただいた設計案を元に、工作
機械や医療用機械、航空機などの部品を精密加工をさせていただ
きます。2つ目は、技術者派遣事業です。弊社の熟練技術者を他の
企業様に派遣させていただき、オペレーティングなどの面から、現場
でご指導させていただきます。最後は、技能伝承の研修を行うテク
ニアカレッジ事業です。
  
 
◆技能伝承の研修とは非常に独創的ですね。詳しい内容を聞か
せていただけませんか?
 

テクニアカレッジ事業は簡単に言えば、創業以来、受け継がれてきた
伝統の技を次世代につなげるための方法を学ぶことができる技能伝
承講座です。現在の製造業の現場では、よく昔から言われる「背中を
見て覚えろ」といった環境はほとんどありません。
 
コンピュータ化が進み、部品の製造や加工は、機械操作が
主流になり、人間の背中から学ぶことができない状況になりました。
それで、弊害も生まれてきました。出来上がった製品が、どんな
構造になっているかわからないんですね。そうすると、
新しい製品のアイデアや創造性も生まれにくくなってしまいます。
 
こうした状況の中で、当初は、機械に頼ってばかりではいけないと、
長い時間をかけて培われてきた技能を若い世代の社員達に伝える
ための社内研修会として始まりました。その後、多くの方々に価値
を見出していただけるようになり、お陰様で現在は、企業の技術者
を中心に、300人以上の方々にご利用いただいています。
 
テクニアカレッジは今後も発展させていきたいので、日本以外での
展開も考えています。現在は各国の大使館に足を運び情報収集と
アイデアを練っている段階です。
 
 
◆技能の伝承を目指され始められたのですね。大変素晴らしい
お話を聞かせていただきありがとうございます。テクニアカレッジ
が生まれるまでには困難な事もありましたか?
  

もう数えきれないくらいあります。失敗もたくさんしましたしね(苦笑)。
私が社長に就任させていただいた年は、2001年8月でITバブル
が弾け、現在のような経済不況でした。弊社の経営も非常に厳し
い状況にあり、とにかくまずはお客様を増やすことに力を入れない
といけませんでした。
 
製造業こそ営業戦略を強化すべきだと思いましたね。それで日夜、
営業活動を行い、50社くらい新たにお客様になっていただきました。
私は四代目でしたので、弊社の経営の第一線に携わっていた方々
にサポートしていただき、経営してくることができました。会社の
業績を向上させることができたのも、熟練の技術者の方々や父や
叔父の陰ながらの力添えがあったからです。こうした状況の中で少し
ずつテクニアカレッジの構想も出来上がっていきました。
 
020b
 
 
◆元々会社を継ぐというお話はあったのですか?
 

子供の頃からありましたね。でも絶対イヤだと当時は思ってました
(笑)。10代は音楽にどっぷりと漬かっていて、バンドをやっていまし
た。将来は音楽の道で食べて行こうと決め、高校から東京に行き
ましたが、挫折感を味わいました(苦笑)。やっぱり、音楽の世界で
生計を立てていくのは、とても難しいと痛感しました。いろんな人を
見て無理だろうな、って思いました。
 
それで、18歳の時に地元に帰ってきました。その時はもう夢が無い
んですよね。半年くらいだったかな、悩み続けました。とりあえず大
学に行こうかと思い、勉強を始めましたが、行ってどうするのかが
明確になっておらず、悶々とした毎日を送っていました。
 
いつだったかはっきり覚えていませんが、父の会社の工場に入って
行き、機械に触りました。それを境に、私は工場に入り浸るようにな
りました。そして、いつしか機械を触ることが、楽しくて仕方が無い
自分がいることに気づいたんですね。
 
ある日、私は父に連れられてある更地にやってきました。「ここに
工場を造ろうかと思っている」と一言。その瞬間、「親父、カッコイイ
な!」って心底思いました。この時から会社を継ぐ意思が決まり、
父のことを「社長」と呼ぶようになりました。
 
 
◆社長に就任されるまでの期間にご経験されたことを聞かせて
いただけませんか?
 

23歳の時ですが、私にとって大きな出来事がありました。それは
名古屋を中心に活動する青経塾に入塾させていただいたことです。
ある日の朝刊で「志」という一文字が目に飛び込み、「ここだ!」と
思ってすぐに足を運び、入塾させていただきましたが、その後、私の
人生観は一変しました。多くの素晴らしい経営者の方々にお会いし、
自分がいかに無知で、世間知らずだったかを痛感しました。
 
非常に多くのことを学ばせていただきましたが、特に、塾主をされて
いる遠山先生の高風を仰がせていただいたことは、私にとって非常に
大きな財産となりました。3年間学ばせていただいた後、青経塾を
卒業しましたが、現在私は、塾長という立場に立たせていただき、
微力ながら若手の人財育成にお力添えをさせていただいています。
 
その後、26歳からは、ヤマザキマザックのイギリス支社に修行に行
きました。現地調達や生産管理の方法、データベース作成からソフト
開発までさせていただき、経営する側と工場で働く従業員の立場で
物を見ることができるようになりました。ここで、タカハシテクニアに
戻った時に、どうしていくかという目標も見つけました。
 
006b
 
  
◆もう少しで御社は100周年を迎えられますが、これほど長く
続く会社は本当になかなか無いと思いますが、その一番の要因
になっているものは何でしょうか?

  
そうですね、一言で言えば、「社長が変わるたびに毎回創業している」
ことだと思います。事業のドメインチェンジも毎回行われていますし、
受け継ぐ部分と捨てる部分をはっきり分けて経営して来ていると思い
ますね。ただ、「ものづくりが好き」だという血は代々流れているの
ではないかという気はします。
 
 
◆御社の強みを教えていただけませんか?
 
「人」ですね。高い技能を持つ社員がいることが一番の強みだと思い
ます。技能の向上は多くの経験を蓄積しないといけません。弊社で
経験値が豊富な技術者の方々が働いていてくれることに本当に感謝
しています。
 
028b
タカハシテクニア株式会社で働かれる社員の皆様
 
 
◆高橋社長の夢は何ですか?
 
航空産業に今以上に携わっていきたいですね。今でも一部その仕事
をしていますが、もっと事業領域を拡大していきたい。幼い頃から飛行
機が好きだったこともあり、いつか自分達の手で飛行機という芸術品
を創り上げたいですね。
 
 
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
  

  
※青年経営者研修塾
   
菊水化学工業の遠山昌夫会長を塾主とした研修塾。
35年の活動で、卒業生は千人を超えている。
二十代で起業し、上場企業にまで育て上げた遠山塾主のもと、
「真の経営」を目指すものが集い、磨きあう場。「実践あるのみ」
という生き様が若い経営者に脈々と受け継がれている

 
****************************
 
高橋社長はとても情熱溢れる素晴らしいお方でした。部屋に入って
来られた時、室内の空気が一気に明るくなるような感覚を味わい
ました。そして、聞き手側である私にもエネルギーが伝わってきま
した。テクニアカレッジという座学と実技の両面から人財育成を行わ
れるという内容には強い関心を持ちました。今後も飛躍を願っており
ます。本当に素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうござい
ました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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株式会社エジックス   高山 仁惣 社長

2009-09-14 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年8月26日 10:00~11:00 
●場所 株式会社エジックス 応接室
●株式会社エジックスのホームページは 
こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●高山仁惣(たかやま ひとふさ)氏 プロフィール 

愛知県瀬戸市生まれ。
東京のデザインの専門学校を卒業後、
名古屋でインテリアデザインの会社を
創業する。2001年には、株式会社
エジックスを創業し、代表取締役に
就任する。
   
011b
今回は株式会社エジックスの高山仁惣社長にインタビューに
答えていただきました。数多くの困難を乗り越えて来られた
経験談や人生の転機、そして、不思議な出逢いのエピソード
を交えてお話してくださいました。

 
 
◆現在のお仕事を始められるまでの経緯を聞かせてください
 
今はソフトウェア開発の会社をやらせていただいていますが、元々
は建築業を志望していました。父が土建業をやっていて、兄も建築
関係の大学を卒業していましたし、当然、自分も建築という仕事に
携わろうと思っていましたね。でも、大学受験に失敗してしまい、
初めて生き方について考えることになりました。
 
当時は、本当に悩みに悩みました。自分という存在はいったい何
なんだろうと。今考えても一生で一番悩んだ時だと思います。期間
は1週間くらいだったので、短いと言えば短いですが、「自分のやり
たいことは何か」とずっとその期間は問いかけていました。それで、
悩み抜いた結果、デザインの専門学校に行くことにしたんです。
 
デザインに決めた理由は、海外の個性的な建築物に魅力を感じ、
そんな建築物を自分で創りたいと思ったからで、デザインという面
から建築に携わろうと考えたのです。しかし、次のステップが大変
だったんです。まずは、学校の担任の先生を説得し、次に父親を
説得しないといけない。父親に「YES」の返事をもらうのには苦労
しましたが、自分で生活費と学費をやり繰りすることを強く訴え、
父親に入学金を借金して、東京の専門学校に行きました。
 
 
◆東京でのご経験を教えてください
  
私が東京に行くことになった時、実は、今と同じように不況により
家業は上手くいっておらず、大変苦しかったんです。自分で
費用面は何とかしないといけないと強く思いました。それで、入学
と同時に、アルバイトを一生懸命やりました。1年目は飲食店で
やり、2年目は建築業の現場の仕事をやったんです。
 
この建築現場での経験が本当に大きな財産になりました。建築の
仕事がアルバイトを通じてよくわかりましたし、ここで多くの素晴ら
しい方々と出逢いました。繋がりは今でもありますし、自分が後に
名古屋で会社を興す際には、助けていただきました。不思議な
ご縁のありがたみを実感しましたね。
 
 
◆ご縁の不思議を強く実感されたんですね。かつて出逢われ
た方々と今でもお繋がりがあるのはすごいですね。その後は、
どうされたのですか?

 
専門学校を卒業し、名古屋に帰ってきて、インテリアデザインの
会社を興しました。そして、デザインの仕事をしていて、大切だと
思うようになったことがあります。それは、デザインとアートは違う
ということ。デザインには、先ずクライアントが存在し、そのクライ
アントに対し最大限のメリットをデザイナーの持つ、アイデアや
クリエイティビティで実現することが求められます。一方、アートは
自分の内面に有る様々なアイデンティティを見つめ、掘り下げ
作品に昇華させていく道だと思います。
 
   
デザインの仕事をやっていく中で、究極的には、「デザインは人と
モノの関わりを絶えず考えていくこと」であると思いました。視点を
変えますと、「どうやってその“関わり”を世の中にリリースしていく
か」を考え続けることです。
  
このような考えを私が持ち始めて仕事をするようになった矢先、
私の兄の知り合いから「独自で制作したコンピュータのソフト
ウェアを世の中に出すためにはどうすればいいか」というご相談
を受けました。この話が来て、私の仕事観と一致するものもあり
ましたし、もっと多くの出逢いや違ったフィールドで仕事ができる
のではないかと思い、好奇心をかき立てられました。
 
それで、そのご相談に乗らせていただくことにしましたが、ご相談
をしてくださった方は、実は高校の後輩でもあり、またしても不思
議なご縁を感じずにはいられませんでした。
   
まずは、当時の東海総研さん(現UFJ総合研究所)に、ソフト
ウェアの技術を評価していただきました。そこで「非常にユニーク
でオンリーワンの技術」と言っていただきました。これには、開発
者も私も嬉しかったです。
 
それで、この技術を世の中に出そうということで、周りの方々に
出資していただき、法人化することになりました。これが現在の
エジックスの創業です。ソフトウェアを使って、どうやって“関わり”
をデザインするか、新たな挑戦でした。
 
019b
 
 
◆エジックス様の創業のきっかけとなったのも不思議なご縁
の力が働いたんですね。創業後のお話をお聞かせください。

 
私達のソフトウェアは、ピア・ツー・ピアで動画配信ができるという
もので、「テレット」という商品名にしました。このソフトウェアのコア
技術は、データの圧縮と独自のプロトコルが同時に機能すること
でした。これら両方が同時に機能するソフトウェアは世界に類が
無いと言う事で、最大級の評価をいただけたのです。
 
創業時、IT関係の人脈は全くありませんでしたが、出資者の方々
に人脈リストを提出していただき、全国の企業に足を運びました。
しかし、現実は厳しく、大きな壁が立ちはだかりました。
  
プレゼンをすると、どの企業でも「すごい!」と言っていただけまし
たが、その次には「納入実績はありますか?」と聞かれました。
創業間もない時期です、納入実績が無いことをお伝えすると、
「では、また後日ご連絡いたします」と言われるのです。その後、
連絡があった企業はありませんでした。どこも買ってくれないこと
が現実でした。
  
資本金はみるみるうちに無くなり、底を尽きかけていました。ある
日の夜、今後どのようにすれば良いのかと眠ろうにも眠れない夜
が続いていましたが、そんな私の姿を見て、家内は、「一生懸命
やっているのは、みんなわかってくれるよ。やれるだけやって
みたらいいよ。一人で考えているのは大変だと思うから、周りの
皆さんに相談したら。」と言ってくれ、その言葉に励まされました。
 
それで、出資者の方々に集まっていただき、現状を報告しました。
「可能性はどうなのか?」と聞かれ、「どこに行っても評価は高い
ので、可能性はあると思います。」と答えると、「良い物が売れる
とは限らない。売れるものが良い物。」と助言をいただきました。
そして、私達が最後までやり通そうと強く思っていた姿勢を認め
ていただき、増資を行っていただいたのです。そして、間もなく、
転機が訪れました。
 
 
◆本当に臨場感が伝わるお話ですね。続きをお願いします。
 

売れる商品を作っていこうと方向転換をしましたが、既に商品化
していた救急車内バイタル伝送システム「メディテレット」は、どこ
かの企業に無料で提供させていただこうと思いました。それで、
救急車のモニターを作っているプロパック社に持っていこうとしま
した。しかし、その時はすでに、ウェルチアレンというニューヨーク
の会社に吸収合併されていたのです。
   
そこで、ニューヨークのウェルチアレン本社に「メディテレット」を
持っていきました。そうしたら「ずっとこのような技術を有した商品
を探していました!」と言われたんですね。本当に偶然です。すぐ
にウェルチアレンの日本法人でもプレゼンをさせていただきました。
そして、大きな評価をいただいたのですが、やはり次の質問が
来ました。「納入実績はありますか?」と。
 
一瞬迷いました。「ある」と言ってしまおうかと(苦笑)。
でも、嘘はいけません。素直に「ありません」と答えると、「では、
私達と契約しましょう。私達が第一号ですね。」と言ってくださった
んですね。いつもと対応が違うので、一瞬躊躇いましたが、すぐ
に、飛び上がるくらい嬉しくなりました。外資系企業の経営方針
は違うなぁ、と感じましたね。
 
すぐに出資者の方々に、この契約についてのご連絡をさせてい
ただきました。そして、創業以来、資本政策など様々な支援を
受けていました東海ビジネスドットコムさんにも、ご報告させて
いただいたところ、さらに私達の技術を求めていらした方の
ご紹介をいただき、少しづつ商品が世の中の方々に認めて
いただき始めることを実感しました。
 
可能性を信じてくださり出資と増資をしてくださった出資者の
方々や経営を見守ってくださる多くの方々に助けられてやって
これたと感じずにはいられません。本当に感謝してもしきれ
ない思いです。
 
 
◆高山社長の強い思いと可能性を信じてやってこられた姿が
お話をお聞きしていて、はっきりと浮かんできました。高山社長
が途中で挫けることなく、続けることができた原動力になって
いるものは一体何なのでしょうか?

 
「不屈の精神」という言葉が最も適切ではないかと思います。
何事もそうではないかと思いますが、負けたら終わりです。やり
始めたらやり続けることが本当に大切なことですね。よく言われ
ることですが「継続は力なり」ですよ。たくさん悩みましたが、
最後は何とかなると、楽観的にも考えていました。
 
034b
 
 
◆高山社長がこのように考えられるようになったきっかけ
などはありましたか?
 

そうですね、小さい頃に空手をやっていたんですが、それが影響
しているのかもしれません。世の中にもスポーツの世界にも理不
尽なことがたくさんあります。でも究極は、お互いに一対一でやっ
ているのだから、何があっても最後は自分で責任を取ることです。
どのような困難に出会っても自分の都合だけで諦めないで、絶対
に最後まで投げ出さない、そんな姿勢が身に着いたのかもしれ
ません。
 
 
◆今後の夢やビジョンは何ですか?
 
個人がアピールできる集団を作りたいですね。会社の経営を
していても思うことですが、もっと個人の良さや考え方を出して
いけるような風潮があっても良いのではないかと思います。
 
 
◆どういったことが必要だとお考えですか?
 
根本的には教育だと思いますね。私が教育上、大切だと思うこと
は、やはり最後まで投げ出さないで、何かをやり通すことの大切さ
とその実感を持ってもらうことだと思います。目先のスキルや知識
に目が行ってばかりいると、本当の達成感や遣り甲斐を感じること
はできないと思います。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
何かに挑戦しようとすると、四方八方から、実現を阻む障壁に出会
うと思います。でも、やっぱりそういった壁を乗り越えて初志貫徹を
して欲しいですね。一つのことをやり続けることで、とても多くのこと
を学ぶことができます。自分の人生!後悔なく、思う存分生きま
しょうよ!
 
 
◆大変貴重なお話をしていただき本当にありがとうございました  
 

 
****************************
 
高山社長のお話は聞いている私がその場にいるかの錯覚に
陥るほど臨場感溢れるお話でした。数多くの困難を乗り越え
られ、事業を継続されてきた高山社長のお言葉は重く、私の
心に強く残りました。「継続は力なり」、よく言われる言葉ですが、
高山社長のご経験と共に聞かせていただき、改めて単純な
言葉に秘められた深い意味を感じるきっかけをいただきました。
インタビューにお答えいただき本当にありがとうございました。
  
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
   
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株式会社藤田商店     藤田 和夫 社長

2009-08-24 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年8月3日 10:30~11:30 
●場所 株式会社藤田商店 社長室
●株式会社藤田商店のホームページは 
こちら
●環境対応商品カタログ「e-plan」の詳細は こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●藤田和夫(ふじた かずお)氏 プロフィール 

昭和24年、岐阜県岐阜市生まれ。
名城大学大学院医薬品分析学科修士課程卒業。
大学卒業後、マルコ製薬株式会社に入社し、
3年勤務の後、藤田商店に入社する。
平成3年に社長に就任し、現在に至る。
ポリシー:「慈愛と感謝の心」
趣味:読書
資格:薬剤師免許、中学1級、高校2級化学の教員免許
 
013b
今回は創業60年以上の歴史がある藤田商店の藤田和夫社長
にインタビューさせていただきました。事業内容から、現在注目
が集まっている環境対応商品カタログ「e-plan」について、そして、
藤田社長の人生観と今後のビジョンを中心にお話を伺いました。

  
   
◆御社の事業内容を教えてください
 
私達の事業は、簡単に言いますと、プレミアム商品や販売促進用の
景品の提案と販売です。具体的な商品としては、季節商品(正月・
クリスマス、夏祭り)や健康・レジャー用品、インテリア雑貨、キッチン
用品、ハウスワーク(防災防犯グッズ等も含む)、ステーショナリー、
アイデア商品、有名ブランドのタオルやバッグなど様々です。
 
これらの商品は「Zee‐Plan」というカタログに掲載し、ギフト小売店、
企画・広告・デザイン関連会社、百貨店を中心に販売しています。
本社は岐阜ですが、支店は岐阜にもう一つ、それから東京、大阪、
広島、福岡にあり、販売地域は日本全国に及びます。現在の商品
数は、全てのカタログを合わせて約1万点、売上高は40億円程度
です。
  
最近特に力を入れていることは、環境対応商品の販売や啓発
グッズ(マタニティマーク、ハンドルキーパー)の販売です。環境対応
の商品のカタログを「e‐plan」といいまして、ここに掲載されている
エコポイントでカタログ掲載商品を購入できるのですね。近年の
環境への社会的な意識の高まりによって、お陰様でたくさんの方々
にご利用いただいています。商品数は現在約800点ほどです。
 
Zeeplan2_3   
「Zee‐Plan」のカタログ
 
Winternow2
季節商品のカタログ

   
  
◆「e‐plan」に関して詳しく聞かせていただけませんか
 
「e‐plan」は実は今から10年前に始めました。環境に配慮をした
商品がこれからは大切だと思ったことがスタートのきっかけです。
初年度の売上は、1億円以上ありましたが、それから2年、3年と
経過していくうちに、どんどん売上が下がっていき、厳しい状況に
なっていきました。
 
そんな時に、私は社員に「もうe‐planはやめようと思うんだけど、
どう思うか」と聞きました。私はやめる気はありませんでしたが、
社員の全員の本当の声が知りたかったんですね。そしたら、みんな
が、止めずに続けよう、と言ってくれたんです。周囲からも「環境に
ついてよく考えている藤田さん」と言われ、親しまれるようになって
きていました。
 
そして本当に最近のことですが、転機がやってきました。私達の
「e‐plan」が経済産業省のエコポイントと交換可能な商品のカタ
ログとして認定され、ホームページで紹介していただくことになり
ました。 有難いことに、環境対応商品をカタログで販売している
会社は私達だけだったので、注目も集まりました。お陰様で、
特に経済産業省のホームページからのアクセスが多数あり、多く
の方々に支援される商品カタログになりつつあると感じています。
  
経済産業省 グリーン家電普及促進事業HP

 
10年やってきて本当に良かったと思います。一般の方々が環境
に配慮した商品に注目していることを実感できて嬉しいですが、
何よりも、止めずに続けてこれたのは、本当に素晴らしい社員や
取引先に恵まれていたからです。有難い限りです。
 
Eplan
環境対応商品カタログ「e-plan」 
 
  
  
◆会社の強みやこだわりを教えてください
 

やはり誠実できめ細やかな対応が強みだと思っています。
仕事の内容上、非常に細かい注意が必要とされます。それを
実行してくれている優秀な女性スタッフが大勢います。また、
長らく環境商品を扱ってきたこともあり、「環境商品は藤田さん」
と周囲から言っていただけることが大きいと思います。そうした
周りの声をいただいて、安心・安全の商品をお届けしている
会社としても認知されていると思います。そして、自己資本が
あつく、資金繰りが安定していることも私達の強みですね。
 
 
◆藤田商店様はこれまでどのように歩まれてきたのですか
  

藤田商店は、昭和21年、祖父の和傘の製造が始まりです。
それから、時代の移ろいに従って和傘製造に加えて洋傘も扱う
ようになっていきました。そして、父はその洋傘をギフトとして
箱詰めにして贈答することにしたんですね。当時、ギフトとして
送る傘は新しい取り組みでした。つまり、祖父は販路を変えたん
ですね。これが大きな成功を収め、会社が伸びていきました。
 
その後、輸入品の傘が大量に日本に入ってくるようになり、傘だけ
を扱っていたのでは、経営が立ち行かなくなってきました。それで、
セールスマンが必要なく、置いてくるだけで営業ができ、コストを
削減できるカタログ販売に注目しました。この時が、昭和62年で
傘の製造を廃止し、現在の姿の基盤ができた頃ですね。
 
018b
 
 
◆藤田社長が代表を務められるようになってからのお話を
聞かせてください

 
私は父から平成3年の9月に引き継ぎました。引き継いだ当時の
私にとっては、自らの言葉で経営理念をどのように表現するかが
最大の課題でした。考え抜いた末に、到達した理念が、「慈愛と
感謝の心」。当時から私には、環境悪化の問題が念頭にありました。
地球を守らないといけない、企業活動を通じて安心して暮らして
いける社会を作っていかなければいけない、命に関わる問題を
考えていくことが最も大切なのではないかという思いがあり、
このような思いを理念に込めたのです。
  
そして、環境へ配慮をした商品を扱っていこう、環境に良い商品の
カタログを作ろう、と思い始めようとするのですが、当時は、社員も
取引先からも反対されました。でも、私は「慈愛と感謝の心」を商品
カタログに入れていきたかったんですね。いろいろと苦労の末に
「e‐plan」の発刊にたどり着きました。
 
003b
藤田商店の岐阜本社
  
 
◆「慈愛と感謝の心」という経営理念にはとても温かい思い
を感じます。藤田社長がこの理念に込められた思いを詳しく
教えていただけませんか?

 
先程少し、お話をさせていただきましたように、環境問題への
思いと安全で安心な社会の実現が常に私の念頭にありましたが、
私がこのように考えるようになったきっかけをお話させていた
だきます。
 
私は小さい頃に小児麻痺を患い、それ以来現在まで足が不自
由な生活をおくっていました。人生を振り返りますと、自分が困っ
た時や苦労している時、いつも自分の傍に助けてくれる人がいま
した。自分一人の力では何一つとしてできなかった、周りの人が
支えてくれてきたから今があると切実に思います。
  
慈愛とは、親が子供をいつくしみ、かわいがるような、深い愛情
のことであり、代償を求めない愛のことです。私は他の人以上に
人に支えられて生きてきました。自分がどれだけ無償の愛をもら
って生きてきたことか、と感じざる得ません。
 
社長に就任した当時、仕入先の結婚式にいきました。そこで、
薬師寺の高田管長が「盲母1本の杖」というお話をされました。
題名だけ見ると、盲目の母親の話かと思うのですが、内容は
少し違います。それは、目の見えない夫を支える妻の話だった
んですね。どんな困難や壁に遭遇しても夫を助け、一緒に生き
ていく強く逞しい妻の姿。
 
この話を聞いた時、私の中で何かが変化し、「慈愛と感謝の心」
という言葉を自分の中から周りに発せらるようになったんです。
正直なことを言いますと、それまで「慈愛と感謝の心」は私の
中にはありましたが、周囲に伝えていくことに関して、躊躇があ
りました。この話がきっかけで私の深い部分に行き渡ったんだ
と思います。
 
022b
  
 
◆これからの事業展開のビジョンは何ですか?
 
まず、商品に関しては、「e-plan」と啓発グッズの拡大を考えて
います。「e-plan」は藤田商店のホームページから見ていただく
こともできますし、現在、約2000店舗のギフト商品の小売店でも
カタログを扱っていただいていますので、そちらでご覧になってい
ただくこともできます。商品販売に加えて、環境保護への活動も
積極的に行っていきたいと考えています。
 
啓発グッズは、マタニティマークやハンドルキーパーのバッジの
販売を行なってます。この内マタニティマークに関する商品を
現在は保健機関や市役所、企業を中心に顧客開拓を行って
います。妊婦さんへの社会的な配慮など、まだまだ浸透してい
ないと感じていますので、こちらも商品の販売と同時に啓発
活動の促進も行っていきたいです。
 
そして、今後の会社経営全体のことを考え、幹部の人材育成
にも積極的に力を入れていこうと思い、研修を予定しています。
  
   
◆具体的にはどういった研修を予定されているのですか?

 
企業戦略がわかるレベルを目指し、それに応じた研修を取り
入れようと考えています。時代の変化と共に、今までやっていた
ことを同じようにしていてはいけない、課題を見つけて解決して
いけるような人材が育っていく企業風土にしていかなければ、
と思っています。明日の藤田の発展を託す幹部候補を育てます。
 
 
◆藤田社長の夢や目標は何ですか?
 
会社のことになりますが、5年後には、年商50億で粗利益2割
の会社にしたいです。それと先程お話した、働く社員の全員が
戦略を持って経営に携わっていける会社にしていきたいですね。
 
 
◆大変素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
 
  
****************************
 
藤田社長は周りに助けられて生きてきたことについて、とても
真剣にお話してくださいました。そして何よりも私の心に響いた
ことは、藤田社長の温かいお人柄です。その片鱗というべき
ものは、インタビュー数日後もずっと私の心に残っていたように
感じました。藤田社長のその温かいお心からくる空気が、インタ
ビューに行かせていただいた際に、藤田商店様全体を流れる
安定感に繋がっているのかな、とさえ思えました。本当に
素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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株式会社桐美建設    桐部 達雄 専務

2009-08-14 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年7月16日 10:00~11:30
●場所 株式会社桐美建設 応接室
●株式会社桐美建設のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
   
●桐部達雄(きりべ たつお)氏 プロフィール

道都大学卒業後、地元設計事務所に
就職する。4年間の勤務を経て、
株式会社桐美建設に入社。現在は
専務取締役を務める。
ポリシー:唱導の人多く、行動の人少なく
趣味:仕事
   
記事は2009年当時のものです。
桐部様は退社いたしました。

 
023b  
今回のインタビューでは株式会社桐美建設の桐部達雄専務に
お話を伺いました。事業内容や仕事観、そして、現在新築工事が
計画されているベンチャー支援レンタルオフィス「dela‐do:ra」に
ついて詳しくお聞きしました。

 
 
◆事業内容についてお聞かせください
  
現在のメインになっている事業は建設業と不動産業の二つですね。
桐美建設は、私の父が平成3年に設立しました。それ以前から、
有限会社として建設業を行ってきましたが、現在の形となったのは
この時です。元々、父は一般住宅を手がけていましたが、建築業界の
中でも珍しいお寺の修繕なども行っていました。当時は、今の会社の
体制と違い、職人集団で、営業などは父が行っていました。
 
創業以来、基本的には一般住宅を手がけてきましたが、公共施設の
建設も行うようになっていきます。その後、NTTのアンテナ工事を行う
のですが、これが会社の発展のきっかけとなりました。最初は、私達
の会社の仕事ではなかったのですが、運良く私達がその工事を引き
受けることになりました。それからですね、いろいろな方々との人脈が
拡がっていき、会社も発展していきました。最近では、物件を購入
して運用したり、PFIの仕事も行っています。
 
※PFI(Private Finance Initiative)
民間企業が公共事業・サービスを代わりに行うこと
 
 
◆会社に入社されるまでの経緯を教えてください
 
大学卒業後は、桐美建設にすぐには入社せず、愛知県の設計事務
所で4年間働きました。この4年間が私にとって本当に大きかった
ですね。とにかく仕事にしても会社内の人間関係にしても厳しかった。
正直理不尽なことの連続で辛い時期もありましたね。しかし、この経験
は今思うと本当に良かったんです。
 
 
◆現在の仕事にどのように生かされていますか?
 

我慢して粘り強く仕事に望めるようになりましたね。仕事をしていると
理不尽なことって、たくさんあると思うんです。最近の方々を見ている
と、理に適ったことじゃないとしない、といった風潮があるように感じ
ます。理不尽なことに耐えることができないんですね。でも、仕事を
していれば、上手くいかないことが多々あります。そういった時にどう
対応できるかが仕事をして行く上で大切なことだと思います。思った
ようにいかない環境で働く経験ができたことは財産ですよ。
 
024b
 
 
◆御社の強みは何ですか?
 
無理難題な仕事でも、それをチャンスとして捉え、粘り強く立ち向かっ
ていく強さがあることだと思います。
 
 
◆仕事へのこだわりはありますか?
 
個人の能力を最大限引き出すことを念頭において仕事をしています。
働く人たちの個性的な部分を見つけ、それを伸ばして、創造性豊かな
仕事ができる環境を作っていければと思います。
 
また、私達の建設業という仕事は、基本的に建物というハードの
部分を作ることがメインです。しかし、ハードの部分だけではなく、
建物の内部であるソフト面でもより付加価値の高いサービスをして
いきたいですね。
 
 
◆現在御社は新築工事を計画されているとお聞きしました。
それについて詳しく教えていただけませんか?

 
現在、名古屋駅の近くに「dela‐do:ra(デラ ドーラ)」というレンタル
オフィスの新築工事を予定しています。ここで私達がさせていただき
たいと思っていることはベンチャー精神の強い方々への本気の支援
事業です。ヒントとなったのは、特に手塚治虫さんのような著名な
漫画家が集い切磋琢磨していた「トキワ荘」です。創業を予定して
いる方、あるいは創業し、より高いレヴェルを目指されている方々が
集う場所にしたいですね。
    
館内は一坪スペースのインキュベーションルームはもちろん、
大会議室やパーティーなどができる大広間、そして、ユニットバス
も用意します。また、各業界の専門家などをお招きし、起業家を
支援するためのセミナー等の開催も予定しています。
 
「dela‐do:ra」を名古屋の人や情報配信の中心地にしたいですね。
ここに行けば何かがあるぞ、と全国から名古屋に来られる皆様に
思っていただけるような場所にしたいと思っています。
 
D
「dela‐do:ra」の完成予想図
 
 
◆今後の夢や目標を聞かせてください
 

ゆくゆくは、共に働く社員やスタッフの力を100%から120%引き
出せるような経営者になりたいと思っています。また、社会貢献を
視点に入れた事業展開も私の大きな関心事の一つです。私自身
まだまだ未熟で勉強することばかりですが、仕事を通じて多くの
ことを学び、社会性ある仕事をしていきたいですね。
 
そして、将来、ホールディングを作りたいと思っています。建設業に
関連する仕事を拡大していき、自社で全てが回る仕組み作りを行い
たい。私は小粒でもピリリと辛い山椒を想定し、大企業化するよりも
ニッチの領域を大切にし、お客様をはじめ社会全員がハッピーに
なるような地域社会貢献型の仕事がしたいです。
  
034b
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
先程少しお話させていただきましたが、やはり、理不尽なことや
厳しいことを体験し、乗り越えることが大切です。その経験は、
やがて仕事をする上で大きな力となって生きてきます。
そして、夢や目標は大きく持ち、毎日こうなりたいと強く願っていれ
ば、やがて近づいてくると思います。
 
 
◆大変貴重なお話をしていただき本当にありがとうございました
 
 
*****************************
 
今回のインタビューで、私が最も印象に残っていることは、
名古屋のベンチャー支援版「トキワ荘」のお話でした。
名古屋という地域で志を高く持つ人達が集い日夜切磋琢磨
できる場所が生まれれば本当に素晴らしいことだと思います。
また、このお話をされた時の桐部様のエネルギーに溢れ、
生き生きとされていたご様子も印象的でした。お忙しいところ、
インタビューにお答えいただき本当にありがとうございました。
  
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************


アイセロ化学株式会社  伊藤 寛一 社長

2009-08-08 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年7月9日 10:00~11:00
●場所 アイセロ化学株式会社 本社 応接室
●アイセロ化学株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 
●伊藤寛一(いとう ひろかず)氏 プロフィール

愛知県江南市生まれ。
1967年早稲田大学商学部卒業後、
アイセロ化学株式会社に入社。
マーケティング本部長、製造本部長を
経て、2006年代表取締役社長に就任。
ポリシー:「人を信じ己を信ずる」 
趣味:ゴルフ・釣り・農作業
  
016b
今回は3年後に創業80周年を迎えるアイセロ化学株式会社の
伊藤寛一社長にお話を伺いました。大学卒業後、アイセロ化学と
共に人生を歩まれてきた伊藤社長に事業内容から経営理念、
そして今後のビジョンを中心に語っていただきました。

 
===========================
アイセロ化学株式会社は各方面から高い支持を得られています

 
「中部のナンバーワン企業」 日本経済新聞社
「愛知の優良100社」 日刊工業新聞社
「名古屋でがんばる元気な会社」 中央経済社
「愛知ブランド企業」 愛知県産業労働部

 
===========================
 
  
◆事業内容を教えてください
 
私達のメイン事業は、機能性プラスチック製品の開発・製造・販売
です。防錆フィルム、水溶性フィルム、クリーン容器や医療用のカプ
セル、そして、リサイクルゴミ袋などを大手メーカー中心に販売して
います。二代目の社長である牧野亘宏が当時、私達の規模の会社
で世の中の要求に応え生き残っていくためには、“「包む」役割を深く
考え、オリジナリティーのある製品造りを”という方針を出され、以後、
汎用性のポリエチレンフィルムや容器から機能性の高いプラスチック
製品に切り替えてきたとのことでした。
  
 
◆御社の社是や経営理念は大変素晴らしいと感じたのですが
詳しく聞かせていただけませんか?

  
今から40年ほどの前のことですが、公害問題がいよいよ社会的に
声高に叫ばれるようになっていました。このような中、アイセロ化学
は大きな決断を行いました。それは、企業として社会的責任を果た
すため、名古屋工場の自主的な閉鎖です。原材料として使われて
いるセロファンが製造過程で有害な物質を出していたからです。
当時の売上の約半分をこの工場閉鎖によって失うことになりました。
  
そして、この頃、確たる社是や企業理念ができていきました。
創業者の牧野新二と二代目の牧野亘宏が企業としてのあり方や
社会性、お客様や商品に対する責任を原点に戻って考え、理念を
生み出しアイセロ化学の核になる骨格を作りました。
   
 
アイセロ化学株式会社の社是
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アイセロ化学株式会社の経営理念

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◆「市場は小さければ小さいほど良い」という企業理念にはどう
いった思いを込められているのですか?

  
かつて、私達のようなプラスチックフィルム製品を作る会社は全国で
350社ほどありましたが、時代と共に企業数は減っていき、現在は、
170社程度となりました。やはり、同業界の海外勢が強くなってきて
いることが一番の原因ではないかと思います。マーケット自体非常に
競争力が高くなり、厳しい状況になっています。
 
しかし、競争は熾烈化していきますが、本当に世の中に役立つ商品
を作っていれば、小さな分野であっても可能性は拡がるのではないか
と考えました。そして、自分達の得意分野を生かして、自信を持って
市場開拓をしていこうと考えました。そして、開発されたものが「CBS」
商品です。
 
 
◆「CBS」商品とは何ですか?
  
CBSとはコンセプトなのですが、最初のCは「クリーン」を意味してい
ます。Bは「防錆」、そしてSが「水溶性」です。このコンセプトで作られる
製品の品質に関する要求は非常に高いです。しかし、要求が高いと
いうことは需要があるということです。お客様の高い要求にお応えし、
良い商品を作っていくことが、非常に大切なことですし、企業としての
社会性や可能性の拡大に繋がると信じています。
 
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◆今のお話をお聞きしてマーケティングにも力を入れられている
のではないかと思いましたが

  
そうですね、マーケティングは非常に重要だと考えています。
私は入社後、営業をしていましたが、一番大切なことは、お客様から
核心を突いた情報をお聞きすることだと学びました。お客様の本当の
ニーズを知り、自分達がどうしていくかを、どこまで追求できるかが
鍵だと思っています。
 
お客様のところに行くと、実に多くのことを学ばせていただけます。
現場に行き、私達の商品の使い方に関してなど、より良い方法を
ご提案させていただくこともあります。また、様々な状況によって、
ご要望が生まれてくることがあります。そういったお客様の現場の
声をお聞きし、製品の開発や販売に生かしていくことが何よりも
大切です。
 
現在、私達の会社では、防錆管理士の資格をはじめてとして、
様々な資格取得を進めています。こういった取り組みも、お客様に
よりよい製品をご提供させていただきたいという思いから始まり
ました。
  
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◆人材採用はされていますか?
 
毎年、技術者とスタッフ、合わせて20名ほど採用しています。昔から
の採用のためのチャネルがあり、九州の佐賀や長崎から来ていただ
く方が結構いますね。近年は、インターネットの普及もあってか、全国
から多数の応募をいただいています。特に技術職に就かれたい方は、
全国からお見えになります。
 
 
◆どんな人財を求められていますか?
 
まずは、元気で明るいことが大切ですね。そして、理科系なことでも、
体育会系や文科系なことでも、何かこれまでに力を注いでやってきた
ことがあり、得意分野を持っている方には是非来ていただきたい。
学力より本人の意志を大切にしたいですね。
 
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伊藤社長は、本当に明るくエネルギーに満ち溢れていらっしゃい
ました。時には、ユーモアを交えられ、楽しそうにお話してくださった
ので、聞き手である私達もインタビューが進むにつれ、どんどん 
お話に引き込まれ、楽しくなりました。あっという間にインタビューが
終わったと感じました。本当に素晴らしいお話を聞かせていただき
まして、ありがとうございました。
 
インタビュー後は、アイセロ化学様の製品のショールームを見学させて
いただきました。とても、清潔感と統一感がある綺麗なショールーム
でした。案内してくださった伊藤社長と竹下様、そして丁寧にご対応
してくださった芳賀様と藤倉様には、この場をお借りし、御礼申し上げ
ます。本当にありがとうございました。
  
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
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