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夢を生きる方々に学生がインタビュー

(株)アドバンスト・コミュニケーションズ            取締役 若月光博氏

2008-08-18 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年7月16日 13:30~15:00
●場所 セレンディップ・コンサルティング株式会社 会議室
●(株)アドバンスト・コミュニケーションズのホームページはこちら 

●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 
●若月光博氏 プロフィール
静岡県富士市出身。名古屋大学経済学部卒業。
・1989年 静岡銀行入社
・1996年 監査法人トーマツ入社
・1997年~2003年 しずおかベンチャーサポート
              事務局長
・2000年~しずおか産業創造機構 経営アドバイザー
       中小企業基盤整備機構 経営支援アドバイザー
・2001年 トーマツコンサルティング(株) 取締役
・2003年 プロジェクトA 取締役副社長
・2004年~2006年 プロジェクトA 代表取締役社長
・2006年~2008年 ミズ・バラエティー 社外取締役
・2006年 アドバンスト・コミュニケーションズ 取締役
・2008年 名古屋大学大学院 非常勤講師
 
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今まで数多くの企業支援、企業再生を経験され、まさに企業
コンサルティングのプロとして活躍される(株)アドバンスト・
コミュニケーションズの取締役である若月光博氏にお仕事
内容を中心にインタビューにお答えいただきました。 
  

  
◆現在のお仕事について聞かせてください

 
アドバンスト・コミュニケーションズでは主にセットトップ
ボックスという製品の開発からセットトップボックスに関する
システムのコンサルティングを行っています。
 
私は、アドバンスト・コミュニケーションズでは取締役を務め
会社の仕組み作りをメインに仕事をしています。仕組み作りでは、
ヒト、モノ、カネ、情報といった経営資源の調達及び効率的な
運用を目指しています。具体的には、人事制度の構築、システム
構築、業務の標準化とルール化や戦略構築も行っています。また、
資金調達と運用、J-SOX法に対する対応なども行っています。
 
  
◆アドバンスト・コミュニケーションズで働かれるまでの
 お仕事を教えてください

   
名古屋大学の経済学部を卒業して静岡銀行に入社しました。
そして、その7年半後に監査法人のトーマツに入社することに
なるのですが、トーマツで「しずおかベンチャーサポート」という
プロジェクトに関わったことが私の転機となりました。当時、
まだ31歳で、駆け出しの頃でしたが、自分が考えた政策に
各方面の方々から好評をいただいたことがこのプロジェクトを
通じて私の今後の人生が大きく変わっていく始まりでした。
 
今から11年前のことです、ベンチャーブームが巻き起こって
おり、トーマツの社内でも、ベンチャー企業に対する関心が
非常に高まっていました。そうした世間の動きの中、公的機関が
ベンチャーサポートを行う取り組みを始めていました。しかし、
ノウハウ不足や人材がいないという問題点を抱えていました。
そうした時に、民間からもサポートメンバーを、ということで私は
ご縁があり、そのプロジェクトに呼んでいただき、私を含めた
7人で「しずおかベンチャーサポート」というプロジェクトが発足し、
事務局長をさせていただきました。
 
当時、ベンチャー企業を含めて、企業間同士の異業種交流会が
盛んに行われていましたが、その成果には少し疑問を感じてい
ました。企業の事業や政策に対する決定権を持った人たちがあま
り参加していない現状があり、これではせっかくの出逢いがもっ
たいないのではないかと思い、決定権がある社長や取締役クラス
の人たちが参加できる仕組み作りに力を入れました。そして、会社
同士のニーズを一致させることを最優先に考えました。
 
それから、会社を発展するために必要な仕組み作りをテーマに
進めていくことにしました。基本的には、資金、人、技術開発、
販路の確保の4つの支援が大切になると思いましたが、それを
行う根本として会社の知名度のアップと信用が大変重要なことに
気づきました。
 
そこで、静岡新聞の編集長の方に加わっていただき、大きな
メディアを使ってサポートする企業の広告・宣伝を行うことで
知名度と信用力のアップをし。また、野村証券の営業やM&A
の専門家で、大きなネットワークを持っている方々にもご参加を
いただき、企業をサポートしていく仕組みを発展継続させていける
ように取り組みました。
「しずおかベンチャーサポート」の運営委員に異動がなかったため、
仕組みのノウハウが蓄積できたことが成功の要因となったと思います。
  
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その後、トーマツコンサルティングの取締役を務めさせていただ
くことになりました。トーマツコンサルティングに出向したきっ
かけは「しずおかベンチャーサポート」で企業を支援することに
強い魅力を感じるようになっていたからです。丁度、私が入社
した頃、業種を問わず、バブルが弾けたインパクトを受けていま
した。ここでは、企業の立ち上げから人事に対するコンサルティ
ング、企業再生や上場支援などの仕事を行いました。
 
トーマツコンサルティングで仕事を行っていく中で、今後は企業
の当事者として、自ら実践いたいと思うようになりました。そん
な時に偶然、「しずおかベンチャーサポート」の時のクライアント
であったプロジェクトAというエクセルやパワーポイントなどの
技術系の本を作っている会社の支援をして欲しいと依頼を受けま
した。最初は一週間に一度程度ということでしたが、結局フルで
働くことになり、取締役副社長になりました。その後、会社の立て
直しに従事し、翌年には代表取締役となりました。入社して3年後、
会社が安定してきたところで売却することに決めました。
 
売却の時期と時を同じくして「しずおかベンチャーサポート」で
関わりがあったミズ・バラエティーという会社の方から経営の
支援をして欲しいというお話をいただきました。こちらも結局
社外取締役としてお仕事を引き受けることになりました。
主に、財務に関して銀行とのパイプラインの構築や人事体系
作り、法務面の整備から上場準備などを行いました。こちら
では一年半ほどの期間お仕事をしました。
 
また、ミズ・バラエティーの社外取締役になった数ヵ月後に、
タイミング良く現在のアドバンスト・コミュニケーションズの社長
の山田から声を掛けていただき、取締役として入社しました。
そして、現在も主に会社の仕組み作りに力を入れています。
 
 
◆学生時代の考え方や行動の仕方を教えてください
 
大学受験の時の話ですが、地方の大学に行った方々のお話の方が
魅力的に感じ、都会に行く気はありませんでした。東京で過ごし
た方々のお話はチヤホヤした話が多く(笑)、それは私の肌に合わ
ないと感じました。それで名古屋に魅力を感じて名古屋大学に
進学することを決めました。あと大学で車に乗りたかった(笑)。
 
昔からずっと野球をやっていたこともあり、大学でも野球に打ち
込みました。野球で結構精神面が鍛えられたと思っています。
それは、仕事にとても生きていると思いますね。でも、当時の私を
知る人は、今の自分の仕事を伝えると驚きます。人前で話したり
することが苦手でしたし、性格も保守的でシャイでした。だから、
今とは正反対と言えるかもしれません。人生何があるかわから
ないとつくづく思います(笑)。
 
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◆理想の人生や将来の夢について聞かせてください
 
「しずおかベンチャーサポート」に関わって以来、特にベンチャー
企業の支援やそこで拡がるネットワークの中で仕事をすることが
楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。それで、今後は、もっと上を
目指して、企業を支援する腕を磨いていきたいと思っています。
 
そして、まだ具体的には決まっていませんが、仕事をして出逢った
素晴らしい方々と企業を立ち上げる夢を抱いています。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
「百聞は一見にしかず」という言葉の重みを改めて感じています。
私は先ほどもお話しましたが、現在と昔では大きく違います。
昔は本当に口数が少なく、シャイでしたが、様々な経験を通じて人間
が、自分が変わることを体感しました。その度に、経験から学べる
ことがいかに多いかと思います。だから、トライ&エラーで頑張っ
ていって欲しいと思います。
 
 
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
 
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若月様は「ほっとけない」タイプの方でした。
人から頼まれたり、求められると損得を考えず行動する人が
います。後で苦労することはわかっていてもつい支援してしまう。
それで喜んでもらうと達成感を感じて、ついまた引き受けてしまう。
「頼まれ事は、試され事」と言う人がいます。
人は頼みごとをする相手を選びます。そして期待するのです。
その期待に応えていくとだんだん実績になり、さらに難しい事を
頼まれるようになり、ますます信頼が高まっていきます。
若月様のお話をお聞きしてそんなことを感じました。
「社長が頼みたくなる人、若月様」
貴重なお話をありがとうございました。
 
ご同行頂き、お話を頂いた経営企画室長の望月様にも
この場をお借りしてお礼申し上げます。
ありがとうございました。 

起業家育成塾 塾長 三潴 克彦   
    
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若月様が現場で体験されてきた企業再生やご支援のお話は
大変興味深いものでした。若月様のご縁や繋がりから拡がって
いったお仕事に関するお話だけでも多くのことを勉強させて
いただきました。
  
特に印象的だったことは、20代の若い頃に頑張って取り組んだ
ことが、その後の人との繋がりや、素晴らしい出逢いから様々な
機会が生まれてきたということです。
 
インタビューにお答えいただきありがとうございました。
今回教えていただいたことを生かして頑張ります。 
 
原稿作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
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ご紹介者様へ
  
若月氏をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
   
起業家育成塾一同
  
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テクノサーチ株式会社   執行役員 上野允久氏

2008-08-04 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年7月10日 13:30~15:00
●場所 テクノサーチ株式会社 会議室
●テクノサーチ株式会社のホームページは 
こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 
●上野允久(うえの のぶひさ)氏 プロフィール

岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部卒業後、
東海銀行(現:三菱東京UFJ銀行)に入社。支店勤務後
証券部門にて新商品開発や新規事業立ち上げに従事する。
支店の営業課長や支店長、証券会社への出向などを経て、
東海総合研究所経営コンサルティング部の責任者として7年
歴任。
現在は世界初の民間の特許庁登録特許調査機関で
あるテクノサーチ株式会社の経営管理部長を務める。

 
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「サラリーマンはクリエイティブな仕事だと思います」
      
今回のインタビューでこのようにお話してくださったのは
世界初の特許調査の民間企業、テクノサーチ株式会社の
上野允久経営管理部長。大学卒業後は銀行に就職するも
新商品開発、新規事業立ち上げを数多く行い、自らの
クリエイティブなサラリーマン生活を語られました。

=========================== 
◆テクノサーチ株式会社 業務内容
 
1.登録調査機関として、特許庁から依頼を受けた審査対象の
  出願特許について、その先行技術の調査業務
 
2.特定登録調査機関として、特許出願その他の者の求めに
  応じ、特許出願にかかわる発明と同一技術分野の先行技術の
  調査業務
 
3.技術情報および技術ノウハウの仲介およびコンサルティング
  業務
 
4.その他知的財産に関わる業務
===========================
 
 
◆テクノサーチ株式会社の創業のきっかけは何ですか
 
2002年、当時内閣では、小泉首相主催の「知的財産戦略会議」
が設立されました。政府が日本を知的財産立国を目指し、同年の
12月には知的財産基本法が成立しました。この流れに伴い、
テクノサーチ株式会社は世界初の特許審査に関わる特許調査の
民間企業として2004年10月に誕生しました。
 
日本では、知的財産の中心である特許の出願件数は、毎年40万
件前後で推移しており、世界1位、2位を競う特許出願大国です。
2008年3月末時点の特許審査待ち期間は28ヶ月を超え、
審査待ち件数は約90万件弱を推定されています。そこで、そうい
った現状を踏まえ、迅速な対応や業務を行うためにテクノサーチは
民間企業として誕生したのです。
 
結果として、出願されている特許の特許権を早期に確定させる
ことができれば、その研究成果の権利を早く行使していくことが
できるようになります。そして、企業と日本経済の国際競争力を
高めていくこになります。
 
テクノサーチは企業の開発事業などに長年携わってきた技術力
が高く、経験豊富な人材を採用しています。高度な技術者の集団
と言えると思います。
 
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◆テクノサーチで働かれるまでのお仕事を教えてください
 
岐阜県の岐阜市出身なのですが、名古屋大学の法学部を
卒業して、東海銀行(現:三菱東京UFJ銀行)に入社しました。
支店勤務後、事業調査部というところに入り、産業や企業の
調査などを行っていました。その後の銀行員の期間は長く
25年間勤めることになります。
 
私が30歳前くらいの時、ある飲み会の席で友人達と話をして
いて「これから証券の時代が来るのではないか」という話題に
なりました。当時の銀行では自己申告で次の仕事を希望できる
風土があり、友人の話に共感して、私は証券部門の仕事がやり
たいと申し出ました。当時の銀行で証券を希望する人はほとんど
おらず、変なやつだと思われたと思いますが(笑)、最終的には
証券部門に行かせてもらうことができました。
 
そこでは株の取得審査や社債の発行のお手伝いをしていました
が、未上場企業の魅力を感じましたね。銀行と証券はまだはっ
きりと分離されていた時代ですが、自由化の大きな波が起きはじ
めた頃でもありました。そんな矢先、31歳の時だったと思います
が、上からの指令で、画期的な金融新商品を開発しろと言われ
ました。しかも一人で(笑)。大きな仕事を任されたこと、これが
私の転機になりましたね。
 
正直新商品を作れって言われて、思いつくままにやりました。
新しいことにチャレンジすることって面白いな、と感じ挑戦しまし
たね。途中で先輩も加わり、仕事に打ち込みました。二人で
新商品を使って100億円集め、この事業は大成功でした。
その後その商品では、新しい金融手法も開発したりしました。
 
それからは銀行の支店と証券部門を行き来しましたね。銀行の
大阪支店の営業課長となり、大企業の創業社長や経理部長と
折衝する仕事をしました。また、支店長も経験しました。証券部門
に戻った時に「今後は株式公開の時代になるのではないか」
と思い株式公開を支援するチームの設置を提言しました。
この時代は銀行と証券の垣根が急激に低くなっていく時でしたね。
 
次に「投資信託を銀行が扱う時代がくるのではないか」という
レポートを役員に提出しましたら、またしてもリーダーに任命され
ました。それは銀行資本100%の証券会社と投資信託会社を
同時に作るプロジェクトチームのリーダーの仕事でした。
会社創業の準備をし、大蔵省との折衝も行いました。
 
その後、もう一度銀行の支店長をやってから、東海総研に行きま
した。東海総研では経営コンサルティング部門の責任者をやった
後、取締役になり、7年ほど勤めました。その間子会社としてISO
に関するコンサルティング会社を資本金5000万円で作り、
最終的に現金が2億円残りましたから成功しましたよ。
 
また、同時期に部下のコンサルタント諸君を支援する形で、
ベンチャー企業支援の東海ビジネスドットコムや環境経営の
エコステージ協会の設置や運営に関与しました。これらは東海
総研初の試みでしたね。どちらも上手く行きました。また、今も
続いていますが、大学で「起業論」の講座を持ったのもこの
頃です。
 
自分の活動を振り返ってくると割合いろんなことをやってきた
なぁ、と思いますよ。サラリーマンは業務をこなしているとい
うイメージがあるかもしれませんが、そればかりではないと
思います。退屈な業務を担当したときは、逆に勉強の機会だと
思っていろいろインプットしました。ビジネスに従事することは
とてもクリエイティブな仕事だし、日本がここまで大きくなった
のは、多くのサラリーマンが新しいことに、次々とチャレンジ
してきた結果ではないかと思っています。
 
名古屋大学の法学部の同窓会に行くと、弁護士や裁判官と
して活躍している人たちもいますが、サラリーマンのほうが
案外クリエイティブなんじゃないかと何度も思いました。
  
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◆自分に最も影響があったことは何ですか
 
そうですね、何かと言われると難しいのですが、やはり自分の
原点は30歳前くらいに証券の時代が来るのではないか、と
飲み会の席で話し、その後に新商品開発に携わったことでは
ないかと思いますね。
 
大学時代はごく普通の大学生でした。マージャンが好きで
友人達と楽しくやっていた思い出がありますね。就職活動も
あまり考えずにしましたね。たまたまゼミの連中について
行った先が銀行で、そのまま銀行に入ったくらいですし(笑)。
 
ただ、新しいことを吸収するという視点でしたら、子供の頃
から新聞を読むことがすごく好きでした。毎日新しい情報を
見ることができ、楽しいと思っていましたから。
 
仕事を始めるまでは自分から人に積極的に接する人間では
無かったのですが、銀行で働く時に仕事だと割り切って考え
るようになってからは、人と会うのが嫌ではなくなりました。
誰かに会えば新しい情報が吸収できるし、だんだん楽しくな
っていきました。支店長時代にはものすごく多くの人に会い
ましたね。
 
また、銀行の調査部門にいた時に先輩からファクト・ファイン
ディングと何度も言われました。事実を見て判断せよ、という
ことですね。現場に見に行き、状況や相手を自分の目で確か
めること、これを徹底的に叩き込まれました。この経験の
お陰で仕事に対する考え方や行動の仕方が変わりました。
  
  
◆理想の人生と将来の夢について聞かせてください
 
テクノサーチ株式会社は設立して5年目ですが、もう少し
安定させたいと思っています。
 
銀行員時代から経験してきたことを生かして、あと2社ほど
会社経営に携われたら嬉しいですね。自分で会社をやるのか、
誰かを手伝うのかなどは、まだわかりませんが、これからの
時代を考えると、ベンチャー企業の上場を支援する会社で
仕事したいという思いがあります。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 

進んでチャンスにチャレンジしていって欲しいと思います。
自分の目の前にある状況が、ピンチなのかチャンスなのかを
よく見極めて判断し、行動してください。
 
見極める目を養うにはやはり日々の努力が大切です。
日頃から新聞や本などをよく読んで情報収集を行い、
考え方を磨き、人と会って話をすることが大切です。
 
これは証券会社にいた時の体験談ですが、国際的な証券会社を
作ろうと思った時に、立地条件が非常に大切だと思いました。
ですので、会社が入居する候補場所に自分で歩いて行き、
現場を数十箇所見て考え、設置場所を決めました。
 
また、学生の方々は国際社会で働くことを視野に入れて、
語学力を磨くとともに、知的財産権や特許に関わる勉強をすると
良いと思います。特許庁や弁理士協会、商工会議所などが
安価でセミナーを行っている場合が多いので、インターネットなど
で調べてみると良いと思います。
 
 
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
  
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ご紹介者様へ
  
上野允久氏をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
高村社長インタビュー記事は こちら

起業家育成塾一同
        
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上野部長のお話は本当に心躍る思いでした。
私は新しい事業や新商品開発と聞くとベンチャー企業を
イメージしてしまいます。
 
しかし、上野部長のお話をお聞きし、そういった私の既成概念は
全く違うものに変わりました。むしろ、サラリーマンとしてクリエイ
ティブな仕事を行うからこそ日本の経済発展に貢献してきたの
ではないか、という視点でのお話こそ「新」のイメージとなりました。
 
新しい商品を生み出し、新しい場所でチャレンジされてきた
起業家精神に富む上野部長の体験談は大変貴重なお話で
あったと思います。お忙しい中本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
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