■起業家育成塾トップインタビュー

夢を生きる方々に学生がインタビュー

株式会社アイミック     加藤 育美 社長

2007-10-15 10:03:20 | インタビュー記事

日時 2007年7月17日 14:00~16:00
●場所 株式会社アイミック
●株式会社アイミックについての詳細は こちら

●インタビュアー 塾長 三潴 克彦
 
   
   
●加藤 育美さんプロフィール
    

名古屋生まれ。
20歳で、ミス・ユニバース 中部地区代表に選出。
同時期にモデル事務所に所属し、学業と二足のわらじを履く。
22歳で、キャンペーン派遣会社「リックアソシエイト」を設立し、
23歳で電話代行事務所TBSサービスを設立。
24歳で「株式会社アイミック」を設立。
   
*****************************
  
現在のお仕事について教えて下さい。
  
現在は、ずっと続けている電話代行の仕事と、
教育の仕事に力を入れています。 
電話代行業務と出逢ったのは23歳のときです。
後ほどまたお話をさせていただきますが、
この頃、このお仕事に興味を持っていたのです。
    
そんなとき名古屋市内で、電話代行の先駆者という方に出会い
ました。是非このお仕事のノウハウが欲しい!と思い、
オーナーを訪ねてみると、「自分は入院しなくてはならなくなって、
もうじき店を閉めるから、君がやってみないか」といわれました。
      
7坪の部屋の中、机のうえに並ぶ50台の黒電話。
話はトントンと進みました。話が来てから1週間で50台全ての
電話加入権の名義を変えました。
その方に1週間だけつきっきりで教えていただき、2週間で
その店のオーナーとなり、50本の電話の秘書となりました。
                 
Dscn0247b_1
   
       
何人くらいでやられたのですか?
   
私とバイトの子2人、計3人で50本の電話代行業務をしてい
ました。始終電話がなるので、一人で4本の電話にでるんです。
電話に出て、保留の機械にのせて、又電話に出て、
保留の機械にのせる…。技ですよ。笑
今考えると、よくやったなぁと思いますが、
若いから、なんでも怖がらずに挑戦できたんでしょうね。
   
         
一人で4本の電話にでるって凄いですね。
その時のクライアントさんはどんな方だったんですか。

   
クライアントさんは、そういうシステムを知っている、
事務所をもたない会社がほとんどですが、おもしろいところで、
廃品回収の会社からの依頼もありましたよ。
   
この場合、お客様は、ご主人と奥さんの二人でやっている
ような所と思って電話をしてこられるため、「こちらは○○で
ございます。」などとかしこまってでたら、「何を気取ってるんだ」と
言われてしまいます。
   
そこで、電話代行の仕事というのは、お客さまが満足する声で
対応しなければいけないということを学びました。
一つは「はい、も~しも~し」、一つは「こちらは…」と、
声色を変えて電話にでるんです。
役者さんみたいでしょ(笑)。
  
   
そうですね。(笑)
その当時NTTの電話代行はありましたか?

   
なかったんです。NTTテレメイトさんが、見学に
みえたくらいですから。
当時愛知県で7社しかなかったようなんです。
ただ、やり始めて10ヶ月目のときには、もうやめようと
思ったんです。
電話は鳴っていないのに、リンリン、リンリン、電話の音が
鳴り止まないようになってしまって…(耳鳴りですね)。
それと平行で、モデルの仕事、キャンペーンの派遣の仕事、
3つかけもちでやっていたため、ほとほと疲れてしまったんです。
             
そんなとき、中小企業診断士の方から、
「あなたがやろうとしているのは、これからのビジネス、
やめるなんてもったいない。何もあなたが全部やらなくても
いいのだから、株式会社をおこしなさい。」
そう言われたのです。
   
何もしらない箱入り娘だったので、
株式会社ってなんですか?
司法書士ってなんですか?そこから始めました。
   
そうやって出来た会社が「アイミック」です。
資本金は株式会社にする前に貯めました。
今考えると、よくあんなに貯められたなと思います。
    
         
加藤さんが始められたときが、電話代行の走りですからね。  
 興味をもったきっかけはなんでしたか?
                 

母親の一言でした。
実は、一番最初に作った会社は、電話代行の「アイミック」ではなく、
21歳のときにつくった「リック・アソシエイトオフィス」という派遣会社
なんです。
  
その頃、名古屋にはキャンペーンガールを派遣する事務所が
なかったんです。
キャンペーンガールのお仕事をしていると、どこの会社の人?
とよく聞かれるんです。
所属の会社がないと、次のお仕事がとれなかったので、
次から「リックアソシエイトオフィス」という会社を友人と2人で作り
名刺を配るようになりました。
        
そうなると、事務所専用の電話が必要になり、母の事務所に
置かしてもらいました。その時、「この電話を代行してくれる
ところはないの?」と母親にいわれ、この言葉がきっかけで
電話代行に興味をもつようになりました。
    
  
    
    
この派遣会社ではどんな業務をされたんですか?
   
今は、スーパーに派遣の女の子を手配する会社は
たくさんありますよね。
昔は学生を派遣する会社というのがなかったんです。
    
カップヌードルで有名な大手の会社が、
「若い女の子を派遣する会社がないので、お願いできないで
しょうか。」と訪ねてきました。
そのとき、登録者は私1人にもかかわらず、
1000人は必要だろうというその仕事を引き受けたんです。
  
     
どうやって人を集めたんですか?
     
  
友人や友人の妹を紹介してもらったりして、なんとか人を
集めました。それでも人が足りないときは、栄の噴水広場で、
女の子に声かけました。ただ、それだと、当日休む女の子が
1人はでてくるので、代わりに私が行って…
毎週土・日はすべて派遣のお仕事をしていましたね。
      
      
大変ではなかったですか。
  
いえ、それが楽しかったんです。
販売が大好きなんです。
マーガリンを100ケース売り切ったり、豆乳をケース売り
したり、商品が残るのがかわいそうなので全部売り切る
ように頑張っていました。
あるスーパーでは、「売りきる女の子」として伝説だったん
ですよ。(笑)
           
モデルをしていたときも、私って商売人だな。と思うことが
ありました。撮影会のときには、カメラを持った方達が集まり、
しきりにパシャパシャシャッターをきるんです。友人は、
たくさんの人が集まってくれることに嬉しいと言っていたのですが、
私は、前の人がカメラフィルムを変えたときに嬉しさがこみ上げて
くるんです。今日はフィルム3本売った!と。
別にフィルム屋さんじゃないんですけれどね(笑)
      
      
◆本当に商売が好きなんですね。
働くようになったきっかけはなんですか。
            

父の死がきっかけでした。
父は凄く厳しい人で、女の子は学問や仕事なんてそんなに
できないでいい。いい人をみつけてお嫁にいきなさい。という
考え方でした。私もその環境の中、のほほんと生活をしていた
のですが、19歳のとき、父が亡くなったんです。
   
その時の私は仏壇の前で泣いてばかりいました。
しかし、ふと、今流している自分の涙が、純粋な涙じゃないことに
気がついたんです。最初は父を失った悲しみだけで、泣いていた
のですが、途中から、大学どうしよう、これからどうなっちゃうん
だろう。と、自分のことを考えてしまっていたのです。
そんな自分が嫌になって、なんでだろう、と考えました。
     
誰かに頼って生きてるからだ!
自分のことは自分でやろう。人に頼らずに生きていこう!
この時、こう決意しました。
自立した瞬間だったと思います。
    
どうしたら、母と弟を支えていけるだろうか考えていたとき、
あなたは世間しらずだから、お仕事をしていくなら、
何か看板をつけたほうがいいのでは。と叔母が、
ミス・ユニバースのコンテストに応募してくれたんです。
      
運よく、20歳のときに、中部地区の代表に選出されて、
それを機に様々なお仕事をさせていただくようになりました。
  
    
       
この時の加藤さんはどんな学生だったんですか。
   
ミス・ユニバース中部地区代表になったとき、インタビューを
受けた記事あるんです。学生のときの私を顕著に表していると
思うので、よかったらご覧ください。  
   
―ミス・ユニバースへの出場動機はなんでしたか?
    
一度飛んでみたい!ということ。
それがどんなものか見当もつかないけど、あとで後悔してもいい
から自分にも青春時代というものがあったという、思い出になる
ものが欲しかったからなんです。大学生活はこれからだから、
いろいろとアタックしていきますよ。
    
ー大学ってどんなところだと思う?
   
大学って鏡みたいなものだわ。
自分が変わらなくては、そこに写るものは決して変わることはない
ということ。もし、じっと自分が見ていれば、相手もじっと見ている
だけ。いつまでも同じ自分、自分の手で自分を変えなくては、
なんの変化も起こらない。しかし、自分が行動を起こせば、
その過程は一つ残らず写すし、結果もその通り、寸分違わず
写し出される。怖いといえば怖いけれど、考えようによっては楽しい。
     
ーどんな人生が夢ですか。
   
太く短く生きたい。
も一度生まれ変わっても、またこの人生を!
と言えるような人生を送りたい。
    
     
後悔してもいいから飛んでみたい…。
凄くエネルギーを感じますね。加藤さんの学生の頃の
この記事を読んで、影響を受ける学生は多いと思います。
ありがとうございます。就職活動はされなかったということは、
なんらか事業をしようと思ったのですか。

   
就職活動は一応したんですよ。
全部で2・3社受けたんです。
しかし、最終面接のときに悩んで行かないんです。
父が事業家という影響もあったのでしょうが、
一番の理由は、「歯車のひとつになりたくない。」と思ったからです。
   
例えば、その時凄くいい車で、売りたい!と思っても、
何年か経ってモデルチェンジした車が、お客さんに勧めたい
商品じゃなくなってしまったら売りたくない。そう思ったんです。
その時、私はサラリーマンにむいていないな、と思いました。
私は自分が好きな商品を売り続けたいんです。自分の起業の
大きな理由は、この「歯車になりたくない。」だと思います。
   
   
学生にとって、ここが一つの選択肢になるんでしょうね。
自分が売りたくないものを売ることが平気な人は、
サラリーマンでやっていける。しかし、それが苦痛でやって
いけないと思う人は、起業が向いている。最近の学生は、
一度社会を経験してから起業するパターンが多いようです。
       
     
私も、就職活動をやめるとき、一度社会にでてから…と、
周りからの説得がありましたよ。しかし私は、
「一回務めたら、絶対やらないと思う。」と言っていました(笑)
     
思うのですが、人が起業するときというのは、   
「もの凄く夢があるとき」か、「無鉄砲な若さがあるとき」か、
「せっぱつまったとき」、この3つくらいだと思います。
  
周りの女性起業家を見ていると、
・捨てきれない夢のため、子育てが終わってから起業する人。
・20代などで、怖いもの知らずの若さと夢があって起業する人。
・生活のため、子供を養うために起業する人。がいます。
   
  
◆加藤さんはどういうタイプで起業されましたか。
          
そうですね。私の場合は、「若くて何もしらないからできた」
というタイプだと思います。
知っていたら、できなかったと思います。
       
起業というのは、モノを知らないときの方ができるのかも
しれません。自分のやろうとしていることをすっごく知ってるか、
知らないか。どちらかだと思います。  
下手に知っていると、もっと勉強しよう。という気持ちが働いて、
進みだすのが遅くなってしまうと思うのです。
 
    
     
先ほどからお話を伺っていると、
加藤さんは「知らない」から始まっていますもんね。

      
知っていたらできなかったと思います。
当時、電話代行はなかったですし、マネキン派遣もなかったですし、
人材派遣もほとんどなくて、お手本がない、ほんと知らないこと
だらけから始まりました。
   
   
ここまでやってこれたポイントはなんですか?
         
「自己管理」です。
   
戦う相手は自分。
私は怠け者だから、働いているのだと思います。
いつも自分との戦いです。
朝起きるのも戦い。お酒を飲みすぎないのも戦い。
   
自分の弱さにだけは負けないようにしよう!と、会社を興した
ときに決めました。何度もたたんでしまいたいと思ったことは
あります。しかし、過去を振り返ると、何にも苦労はなかった
ように思います。
     
ただ、それは乗り越えられたから言えるのかもしれません。
人は、乗り越えられない壁はこないと思ってますから。
   
        
ここから先どういう風にやっていこうと考えていますか。
       
最初の20年は、人にも迷惑をかけながら進んだり、
勉強しながらやってきました。これからの20年は、
社会に貢献していきたいと思っています。
少しでも学んだことを、これから始める人たちに
お伝えできたらと思います。
   
     
これからの20年、やりたいことは具体的に決まって
いますか。

   
まだ決めていないんです。探し中です。  
ただ、漠然とは考えています。
私、日本は本当に美しいと思うんです。マナー研修など、
今やっている教育とはまた違う分野での教育に携わりたいです。
海外の人が日本に来たときに、「ああ、日本は汚いな」と思って
欲しくないんです。「やっぱり日本は美しい国だった」と
感じてもらいたい。
責任ももたないのにルールを守らない人に伝えたい。
そういう気持ちがあります。
    
Dscn0225b
   
夢に向かって頑張る学生に何かメッセージをお願いします。  
      
「大人になれば、もっとわかるようになる。」
そう思っている人は多いのではないでしょうか。
私は学生の頃、そう思っていました。
  
しかし現実は、大人になってもそう変わりません。
知識や経験は増えますが、そのぶん忘れていくんです。
今出来なければ、来年もできない、10年後もできていない。
そう考えた方がいいです。
やりたいときにやらないと一生やれないと思います。
頑張ってくださいね。 
         
*****************************
  
女性として、大変魅力的な方というのを感じました。
表情豊かで、明るく、可愛らしく、そして力強い。
お話を聞かせていただいた帰り道、私も働く女性として輝きたい!
と、やる気のエネルギーをいただきました。
お話は、とても共感できることが多く、興味の引かれる話題ばかりで、
あっという間の時間でした。
   
今の学生に、必要なことをたくさん教えていただいたように感じます。
お忙しい中、お時間を割いてお話をしてくださり、
本当にありがとうございました。
  
私達も加藤社長のように、エネルギッシュに動けるよう、
頑張ります。そして、「今やれないことは一生できない」
という言葉を胸に刻み、後悔しない人生を送れるよう、務めます。
素敵なお時間を本当にありがとうございました。
  
   
                        起業家育成塾 國井 美佐 
   
*****************************