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夢を生きる方々に学生がインタビュー

株式会社エジックス   高山 仁惣 社長

2009-09-14 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年8月26日 10:00~11:00 
●場所 株式会社エジックス 応接室
●株式会社エジックスのホームページは 
こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●高山仁惣(たかやま ひとふさ)氏 プロフィール 

愛知県瀬戸市生まれ。
東京のデザインの専門学校を卒業後、
名古屋でインテリアデザインの会社を
創業する。2001年には、株式会社
エジックスを創業し、代表取締役に
就任する。
   
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今回は株式会社エジックスの高山仁惣社長にインタビューに
答えていただきました。数多くの困難を乗り越えて来られた
経験談や人生の転機、そして、不思議な出逢いのエピソード
を交えてお話してくださいました。

 
 
◆現在のお仕事を始められるまでの経緯を聞かせてください
 
今はソフトウェア開発の会社をやらせていただいていますが、元々
は建築業を志望していました。父が土建業をやっていて、兄も建築
関係の大学を卒業していましたし、当然、自分も建築という仕事に
携わろうと思っていましたね。でも、大学受験に失敗してしまい、
初めて生き方について考えることになりました。
 
当時は、本当に悩みに悩みました。自分という存在はいったい何
なんだろうと。今考えても一生で一番悩んだ時だと思います。期間
は1週間くらいだったので、短いと言えば短いですが、「自分のやり
たいことは何か」とずっとその期間は問いかけていました。それで、
悩み抜いた結果、デザインの専門学校に行くことにしたんです。
 
デザインに決めた理由は、海外の個性的な建築物に魅力を感じ、
そんな建築物を自分で創りたいと思ったからで、デザインという面
から建築に携わろうと考えたのです。しかし、次のステップが大変
だったんです。まずは、学校の担任の先生を説得し、次に父親を
説得しないといけない。父親に「YES」の返事をもらうのには苦労
しましたが、自分で生活費と学費をやり繰りすることを強く訴え、
父親に入学金を借金して、東京の専門学校に行きました。
 
 
◆東京でのご経験を教えてください
  
私が東京に行くことになった時、実は、今と同じように不況により
家業は上手くいっておらず、大変苦しかったんです。自分で
費用面は何とかしないといけないと強く思いました。それで、入学
と同時に、アルバイトを一生懸命やりました。1年目は飲食店で
やり、2年目は建築業の現場の仕事をやったんです。
 
この建築現場での経験が本当に大きな財産になりました。建築の
仕事がアルバイトを通じてよくわかりましたし、ここで多くの素晴ら
しい方々と出逢いました。繋がりは今でもありますし、自分が後に
名古屋で会社を興す際には、助けていただきました。不思議な
ご縁のありがたみを実感しましたね。
 
 
◆ご縁の不思議を強く実感されたんですね。かつて出逢われ
た方々と今でもお繋がりがあるのはすごいですね。その後は、
どうされたのですか?

 
専門学校を卒業し、名古屋に帰ってきて、インテリアデザインの
会社を興しました。そして、デザインの仕事をしていて、大切だと
思うようになったことがあります。それは、デザインとアートは違う
ということ。デザインには、先ずクライアントが存在し、そのクライ
アントに対し最大限のメリットをデザイナーの持つ、アイデアや
クリエイティビティで実現することが求められます。一方、アートは
自分の内面に有る様々なアイデンティティを見つめ、掘り下げ
作品に昇華させていく道だと思います。
 
   
デザインの仕事をやっていく中で、究極的には、「デザインは人と
モノの関わりを絶えず考えていくこと」であると思いました。視点を
変えますと、「どうやってその“関わり”を世の中にリリースしていく
か」を考え続けることです。
  
このような考えを私が持ち始めて仕事をするようになった矢先、
私の兄の知り合いから「独自で制作したコンピュータのソフト
ウェアを世の中に出すためにはどうすればいいか」というご相談
を受けました。この話が来て、私の仕事観と一致するものもあり
ましたし、もっと多くの出逢いや違ったフィールドで仕事ができる
のではないかと思い、好奇心をかき立てられました。
 
それで、そのご相談に乗らせていただくことにしましたが、ご相談
をしてくださった方は、実は高校の後輩でもあり、またしても不思
議なご縁を感じずにはいられませんでした。
   
まずは、当時の東海総研さん(現UFJ総合研究所)に、ソフト
ウェアの技術を評価していただきました。そこで「非常にユニーク
でオンリーワンの技術」と言っていただきました。これには、開発
者も私も嬉しかったです。
 
それで、この技術を世の中に出そうということで、周りの方々に
出資していただき、法人化することになりました。これが現在の
エジックスの創業です。ソフトウェアを使って、どうやって“関わり”
をデザインするか、新たな挑戦でした。
 
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◆エジックス様の創業のきっかけとなったのも不思議なご縁
の力が働いたんですね。創業後のお話をお聞かせください。

 
私達のソフトウェアは、ピア・ツー・ピアで動画配信ができるという
もので、「テレット」という商品名にしました。このソフトウェアのコア
技術は、データの圧縮と独自のプロトコルが同時に機能すること
でした。これら両方が同時に機能するソフトウェアは世界に類が
無いと言う事で、最大級の評価をいただけたのです。
 
創業時、IT関係の人脈は全くありませんでしたが、出資者の方々
に人脈リストを提出していただき、全国の企業に足を運びました。
しかし、現実は厳しく、大きな壁が立ちはだかりました。
  
プレゼンをすると、どの企業でも「すごい!」と言っていただけまし
たが、その次には「納入実績はありますか?」と聞かれました。
創業間もない時期です、納入実績が無いことをお伝えすると、
「では、また後日ご連絡いたします」と言われるのです。その後、
連絡があった企業はありませんでした。どこも買ってくれないこと
が現実でした。
  
資本金はみるみるうちに無くなり、底を尽きかけていました。ある
日の夜、今後どのようにすれば良いのかと眠ろうにも眠れない夜
が続いていましたが、そんな私の姿を見て、家内は、「一生懸命
やっているのは、みんなわかってくれるよ。やれるだけやって
みたらいいよ。一人で考えているのは大変だと思うから、周りの
皆さんに相談したら。」と言ってくれ、その言葉に励まされました。
 
それで、出資者の方々に集まっていただき、現状を報告しました。
「可能性はどうなのか?」と聞かれ、「どこに行っても評価は高い
ので、可能性はあると思います。」と答えると、「良い物が売れる
とは限らない。売れるものが良い物。」と助言をいただきました。
そして、私達が最後までやり通そうと強く思っていた姿勢を認め
ていただき、増資を行っていただいたのです。そして、間もなく、
転機が訪れました。
 
 
◆本当に臨場感が伝わるお話ですね。続きをお願いします。
 

売れる商品を作っていこうと方向転換をしましたが、既に商品化
していた救急車内バイタル伝送システム「メディテレット」は、どこ
かの企業に無料で提供させていただこうと思いました。それで、
救急車のモニターを作っているプロパック社に持っていこうとしま
した。しかし、その時はすでに、ウェルチアレンというニューヨーク
の会社に吸収合併されていたのです。
   
そこで、ニューヨークのウェルチアレン本社に「メディテレット」を
持っていきました。そうしたら「ずっとこのような技術を有した商品
を探していました!」と言われたんですね。本当に偶然です。すぐ
にウェルチアレンの日本法人でもプレゼンをさせていただきました。
そして、大きな評価をいただいたのですが、やはり次の質問が
来ました。「納入実績はありますか?」と。
 
一瞬迷いました。「ある」と言ってしまおうかと(苦笑)。
でも、嘘はいけません。素直に「ありません」と答えると、「では、
私達と契約しましょう。私達が第一号ですね。」と言ってくださった
んですね。いつもと対応が違うので、一瞬躊躇いましたが、すぐ
に、飛び上がるくらい嬉しくなりました。外資系企業の経営方針
は違うなぁ、と感じましたね。
 
すぐに出資者の方々に、この契約についてのご連絡をさせてい
ただきました。そして、創業以来、資本政策など様々な支援を
受けていました東海ビジネスドットコムさんにも、ご報告させて
いただいたところ、さらに私達の技術を求めていらした方の
ご紹介をいただき、少しづつ商品が世の中の方々に認めて
いただき始めることを実感しました。
 
可能性を信じてくださり出資と増資をしてくださった出資者の
方々や経営を見守ってくださる多くの方々に助けられてやって
これたと感じずにはいられません。本当に感謝してもしきれ
ない思いです。
 
 
◆高山社長の強い思いと可能性を信じてやってこられた姿が
お話をお聞きしていて、はっきりと浮かんできました。高山社長
が途中で挫けることなく、続けることができた原動力になって
いるものは一体何なのでしょうか?

 
「不屈の精神」という言葉が最も適切ではないかと思います。
何事もそうではないかと思いますが、負けたら終わりです。やり
始めたらやり続けることが本当に大切なことですね。よく言われ
ることですが「継続は力なり」ですよ。たくさん悩みましたが、
最後は何とかなると、楽観的にも考えていました。
 
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◆高山社長がこのように考えられるようになったきっかけ
などはありましたか?
 

そうですね、小さい頃に空手をやっていたんですが、それが影響
しているのかもしれません。世の中にもスポーツの世界にも理不
尽なことがたくさんあります。でも究極は、お互いに一対一でやっ
ているのだから、何があっても最後は自分で責任を取ることです。
どのような困難に出会っても自分の都合だけで諦めないで、絶対
に最後まで投げ出さない、そんな姿勢が身に着いたのかもしれ
ません。
 
 
◆今後の夢やビジョンは何ですか?
 
個人がアピールできる集団を作りたいですね。会社の経営を
していても思うことですが、もっと個人の良さや考え方を出して
いけるような風潮があっても良いのではないかと思います。
 
 
◆どういったことが必要だとお考えですか?
 
根本的には教育だと思いますね。私が教育上、大切だと思うこと
は、やはり最後まで投げ出さないで、何かをやり通すことの大切さ
とその実感を持ってもらうことだと思います。目先のスキルや知識
に目が行ってばかりいると、本当の達成感や遣り甲斐を感じること
はできないと思います。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
何かに挑戦しようとすると、四方八方から、実現を阻む障壁に出会
うと思います。でも、やっぱりそういった壁を乗り越えて初志貫徹を
して欲しいですね。一つのことをやり続けることで、とても多くのこと
を学ぶことができます。自分の人生!後悔なく、思う存分生きま
しょうよ!
 
 
◆大変貴重なお話をしていただき本当にありがとうございました  
 

 
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高山社長のお話は聞いている私がその場にいるかの錯覚に
陥るほど臨場感溢れるお話でした。数多くの困難を乗り越え
られ、事業を継続されてきた高山社長のお言葉は重く、私の
心に強く残りました。「継続は力なり」、よく言われる言葉ですが、
高山社長のご経験と共に聞かせていただき、改めて単純な
言葉に秘められた深い意味を感じるきっかけをいただきました。
インタビューにお答えいただき本当にありがとうございました。
  
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
   
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