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夢を生きる方々に学生がインタビュー

英治出版株式会社    原田 英治 社長

2008-09-29 07:00:00 | インタビュー記事

今回はブックファンドという独自のビジネスモデルで事業展開
を行うベンチャー出版社である英治出版の原田英治社長に
インタビュー形式の原稿をご投稿していただきました。 

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●株式会社英治出版のホームページは こちら

 
●原田英治氏 プロフィール

慶応大学法学部法律学科卒業後、
アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)に入社。
数年勤務の後、退職し、家業である一世印刷株式会社に入社する。
取締役、代表取締役副社長を務めた後、一世印刷株式会社を退職
し、有限会社原田英治事務所を設立。2000年に現在の英治出版
株式会社に改組し、代表取締役に就任。「ブックファンド」という
新しい出版ビジネスモデルを考案し、事業展開を行っている。
 
  
◆現在のお仕事について
 
英治出版という出版社を経営しています。自分たちの役割を出版社
というより、「パブリッシャー(publisher)」だと思っています。
パブリッシャーの語源にはパブリック(public)があり、私たちが
共感し応援したい著者や作品をパブリックにすることで、著者の
夢や目標を前進させる「応援ビジネス」が私たちの仕事です。
 
「パブリック」という言葉を意識した時、二つの大きな方向性が
表れました。パブリックにすることで社会的価値を形勢するのが
目的であり、紙の本を出版することが目的ではない。目的達成の
ためにメディアはもっと柔軟に選択すべきだと気づきました。
 
もう一つは、パブリックって日本だけじゃない、という視点。
日本だけじゃないという視点は、世界の多くの出版社もあまり
持ち合わせていない考え方のように思います。著者に対して母国語
で対峙しなければならない出版業の特性からか、編集者だけでなく
経営者までもが国内指向が強い経営体質になっています。
 
僕らは2004年1月から韓国に子会社「エイジ21」を設立し、
韓国語での出版活動を行っています。近い将来、英語圏にも進出
予定です。将来的には、なるべく多くの言語での出版インフラを
もつことで、世界が共有すべき情報や思想を世界に提供し、それ
をきっかけに一つでも多くの対話が生まれることを願っています。
 
もうひとつ英治出版の特徴的なところは、ブックファンド事業に
あります。これはプロジェクトスタイル出版のことで、出版資金を
外部調達することから「ブックファンド」と呼んでいます。個人や
企業など出版業を本業で営むひとでなくても、プロジェクトとして
1タイトルからの出版事業に挑戦できる仕組みです。現在は外資系
コンサルティング会社など、企業ブランディングの出版に使われる
ことが 多い仕組みです。
 
なかにはスリランカで活動するNGOが計画する孤児院建設を出版
プロジェクト化して応援する企画であったり、グローバルな視点が
要される社会問題をテーマにした書籍をそのテーマに共感するひと
たちが出資して出版されたものなどがあります。日本の出版社と
共同出資で海外(韓国)で出版したり、韓国企業が出資して日本で
出版したりと、継続して出版業を営むのではなく、私たちのイン
フラをプロジェクト単位で利用する出版活用事例が増えています。
 
近い将来、私たちが英語圏やその他言語に進出した際には、特に
非英語圏の著者や出版社に英語をはじめ様々の言語での出版に
どんどんチャレンジしてもらいたいと思っています。日本に、
世界に、出版界に新しいプレイヤーが参入することで、世界は
もっと面白くなるし、近くなる。プロジェクトスタイルでの
出版参入を支援するのが英治出版のブックファンドです。
 
 
◆会社を始めたきっかけは
 
祖父が起業した家業の印刷・出版業に携わっていましたが、
経営方針の違いからその会社を辞め、妻と二人で自宅の一室を
事務所に出版社を創業しました。私たちの会社と仕事をすること
で、社員、取引先、ステークホルダーの方々の夢が大きくなって
いく組織を作りたいというのが創業時の夢でした。
今も、それを目指して経営しています。
 
 
◆学生時代の考え方や行動の仕方
 

小学生の時からスイミングの選手として週6日、また中学・高校も
水泳部に所属し、体を鍛えました。祖父の代からの趣味である囲碁
を父親から習いました。高校時代には埼玉県代表として全国高校
囲碁選手権に出場し、勝負勘といいますか、交渉術といいますか、
勝敗を左右するコミュニケーションについて碁盤の上で体感した
ことは大きな財産です。
 
高校3年のとき、AFSを通じてアメリカのカリフォルニア州に
一年間交換留学しました。 故郷を離れ、家族以外と生活したのは
初めての経験でしたし、さらに言葉も通じないわけですから、
異文化コミュニケーションについて多くを学ぶことになりました。
自分の持っている文化的背景やメンタルモデル、他人の持っている
それらを認識することで、感情的な反応を極力抑えて思考したり
理解したりすることの重要性を学びました。
 
大学時代はファミコン世代で、よくゲームをやっていた記憶があり
ますが、留学団体のAFSでボランティアしたこと、大学1年の夏休み
に友達とアメリカ一周10000マイルのドライブ旅行をしたこと
などが印象に残っています。そして大学時代に、英治出版を現在
応援してくれている仲間たちに出会いました。
 
 
◆就職活動、社会人、働くことについて
 

大学卒業と同時に起業したくて、起業プランについてあれこれと
考えていましたが、これといったプランにたどりつけず、就職を
し経験を積むことにしました。それで選んだのがアンダーセン
コンサルティング(現アクセンチュア)でした。
 
(当時は)経営の勉強、システムの勉強ができ、多用な業種が
見られると思っての就職でした。シカゴでのプロジェクトや国内
大型プロジェクトなど、約4年間でとてもよい経験をさせてもらい
ました。アクセンチュアで得た経験と人脈がなければ、現在の
英治出版は存在しないと間違いなく言えます。
  
その後、家業の印刷会社などで学んだことも小さな会社を経営する
うえで実務的でとても重要なことが多くありました。経営の小さい、
細かいことに気がつくことができるとしたら家業での経験が活きて
いますし、大きな経験(「○○億円という対価が得られる仕事って」
のようなこと)についてはアクセンチュアで体感したことが活きて
いると思います。
  
  
◆自分に最も影響のあった事(人)
 
大学時代に熱心にしていたAFS(留学団体)でのボランティア活動
を自業自得から一時辞めざるを得ない状況になったことがあります。
自分なりに熱心にやっていたつもりでしたから、「僕がいなくなれ
ば、この団体の業務は支障をきたすのではないか」と考えていた
くらいでした。
 
しかし、ある友人が、「(僕が)いなくても、組織はまわる。
多少は混乱するだろうけどね」と教えてくれました。そして、
やはりその言葉どおりに組織は無事に業務をこなしていくわけです。
この経験は、組織が持つ力と構成要因であるメンバーの力の
関係性について大事なことを教えてくれました。
 
あと、元リクルートフェローであり和田中校長であった藤原和博
さん。英治出版の応援団長にもなっていただいていますが、以前
彼から「(原田は)自分でお金はもっていないかもしれないけど、
自分でやりたいことに必要なお金を集める能力はあるでしょ」と
言ってもらった。
 
当時は時価総額などの言葉がもてはやされていた時代でしたので
なおさらですが、「そうだ。僕はやりたいことがやりたいだけで、
やりたいことをやるのに自分のお金かどうかなんて関係なかった」
ということを気づかせてくれる大事な言葉となりました。
 
 
◆理想の人生と将来の夢について
 
自分の想像力を駆使し、誰かの夢を応援していく。目標達成に壁が
あれば、その壁を乗り越えるために、さらに想像力を駆使していく。
想像力の限界が自分の限界になる。そうやって、誰かを応援し続け
る中で、自分の限界を拡げていきたい。誰かの夢を応援した結果が
世の中に十分貯金できると、知らないところで少しずつ、そして
一気に自分の夢が前進していく感じ。そういった興奮と感動を
味わいたい。
 
そういう姿勢で社会と関わって歩いていきたい。そしてその姿勢に
共鳴し自分と同じ方向に向かって歩いてくれる仲間がいたら、
とても幸せだと思う。生物的に僕が死を迎えることがあっても、
僕が歩いてきた道と同じ方向に向かって歩き続ける仲間たちが
いる限り、僕の人生は続いていくのかもしれない。
 
他人から見れば、紆余曲折の人生に見えたとしても、自分で振り
返ったときに、まっすぐな道を歩いてきたと思える人生を送りたい。
そして、これからも自分の目には、まっすぐな道を歩いていきたい。
 
そう思えたら満点。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言
 
夢限大の人生。夢の大きさが、自分の大きさになる。
「誰かの夢を応援すると、自分の夢が前進する」 
           
                英治出版創業者 原田英治
   
    

 
 
◆原稿のご投稿を本当にありがとうございました 
 
 

*****************************
  
英治出版株式会社 
代表取締役 原田英治 様
 
今回はお忙しい中、原稿のご投稿をありがとうございました。
私たち学生にとって、事業をされている方の人生のプロセスを
教えていただくことは将来についてとても多くの教訓を学ぶことが
できます。本当にありがとうございました。
   
英治出版の書籍「シンクロ二シティ」を手にしてその内容の感動を
覚えたのは、今から半年以上前のことでした。その後、英治出版の
出版プロデューサーである秋元麻希さまのご好意により、その書籍
の監訳を務められた神戸大学大学院教授の金井壽宏先生への
インタビューを実現することができました。そして、今回、秋元さま
から英治出版の創業者の原田英治社長のご紹介をいただき
ました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう
ございました。

記事編集 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
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㈱スタンディングエッグ   安井 正典 社長

2008-09-08 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年8月12日 10:00~11:30 
●場所 株式会社スタンディングエッグ 本社 会議室
●スタンディングエッグのホームページは 
こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつまかつひこ)
    
 
●安井正典氏 プロフィール
愛知県名古屋市生まれ。埼玉工業大学卒業後、
名古屋に本社を置く製造業に入社。
関連法人で米国へ出向、帰国後に独立。
1989年に(株)スタンディングエッグを設立し、
代表取締役に就任。2004年、SOHOプラザ設立。
 
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「自分の存在意義を発揮できる起業家を輩出したい」
今回このように話してくださった方は、愛知県を中心に
起業支援を行う(株)スタンディングエッグの安井社長。
事業内容から創業時の思いを中心にお話を伺いました。
  

  
◆スタンディングエッグの事業内容を教えてください
 
一般的に企業が必要とする資源は「ヒト」「モノ」「カネ」「情報」
だと言われています。しかし、ベンチャービジネス後進国と言われ
る日本では、起業を目指すアントレプレナー(起業家)に対して、
それらを支援する仕組みが整っていません。アントレプレナーが単独
で試行錯誤しているばかりで、ベンチャービジネスが前進していない
のが現状ではないかと思います。
    
そこで私達スタンディングエッグでは、アントレプレナーの皆様に
対して会社を発展させていくお手伝いを事業として行っています。
具体的には、起業や会社運営に関する各種セミナー、イベントの
開催、情報の提供、事業企画・独立開業のサポート、設立事業の
アフターフォロー、専門業者の紹介やコンサルティング、レンタル
オフィス運営などの面から支援させていただいています。
     
これらの起業家支援プログラムの中核に「SEユニット」というもの
があります。これは、起業家やあるいは起業したいと思っている
人達が集まって、3人1組でチームを作るものです。このプログ
ラムのメリットは、仲間が3人いることによって、事業に対する
意見交換をし、より発展的な事業を作り上げていくことができる点と
創業時の人財不足を解消できることです。「SEユニット」で作成
された事業プランを専門家集団が審査をし、最終審査で選ばれた
チームに対して起業資金の出資や融資を行います。この取り組み
は今年で3回目となりました。
  
  
◆起業を目指す人達はどのような方が多いですか
 
スタンディングエッグの門を叩いてくれる方々は、現在は男性が
圧倒的に多いですね。年齢は30代から40代が中心です。
女性の方ですと、最近は女性起業家も増えてきたとは思いますが、
実際にいらっしゃる方がまだまだ少ないです。もっと起業したいと
思っている女性の方々に起業支援を行う仕組みがあることを知っ
ていただきたいと思っています。学生さんはほとんどいませんが、
1人だけいらっしゃいます。
 
また、起業を目指される方は一度会社員となり、会社を辞めて創業
を目指す方が多いように思います。中には、商材やアイデアは決ま
っていないけど、起業に携わりたいと言って来られる方もいますの
で、そういった方々にも、もっと来ていただきたいと思っています。
経理や営業を得意とする方などは、例え創業時にアイデアなどが
無くても、チームを組み、自分の強みを生かして事業を発展させて
いっていただくケースもあるからです。
 
 
◆スタンディングエッグの名前の由来は何ですか
 
私が起業支援の会社をやりたいと思った時に、社名をいろいろ
考えていた時、ふとした瞬間に出てきたキーワードがスタンディング
エッグでした。卵には、アイデアとそれを実行していく起業家の
イメージが湧き、スタンディングはその卵を立たせる、つまり
アイデアや起業家を育てていくという意味を持たせ、この名前に
しました。
 
025
 
 
◆安井社長が起業をしようと思ったきっかけは何ですか
 
前職で働いていた時に、アメリカのニュージャージーでSOHO向け
のプリンターの販売を行っていました。
特に当時驚いたことは、たくさんの一流大学卒の人がSOHOで
起業を目指している姿を見たことです。ニューヨーク大学のある
日本人教授がこのようにおっしゃっていました。
 
「日本人はどうすれば一流の会社に入れるのか、と聞きに来るが、
アメリカ人はどうすれば一流の会社を作れるのか、と聞きに来る」
 
私は、この言葉を聞いて衝撃を受け、アメリカの現地の人達の自分
の存在意義を見出せる場所を自ら作り出していく姿勢に大きな感銘
を受けました。私がこの体験をしたのは、今から15、6年前ですが、
インターネットが登場する前の時期で、起業家達がネット事業に
対して熱気を帯び、まさにネット革命の前夜という雰囲気でした。
 
日本に帰国後、国内事業に携わる中、日本のSOHO事業の調査を
行う機会がありましたが、アメリカと日本のSOHO事業のギャップに
気づきました。まず、起業を目指す人自体が少なかったことと日本の
SOHOは税理士や会計士などの「○○士」の方々が支援する仕組み
が主であったことでした。つまり起業を目指す人達にとって、事業を
発展させていく全体の仕組み作りがアメリカに比べて大きく遅れを
取っていたのです。
 
そして、アメリカでの体験と日本の現状を見て、もっと日本でも
起業家を輩出したい、SOHO事業を活性化させていきたいという
思いを持って、1998年にスタンディングエッグを設立しました。
しかし、最初は周りからの反対も多く、また、創業時は数多くの
失敗をしました。しかし、試行錯誤を繰り返し、創業したいと思う
人達の気持ちを肌で感じることができました。そのお陰で現在の
スタンディングエッグがあると思います。
 
  
◆どのような学生生活を送られていたのですか
 
昔から、変わったことをするのが好きでしたね(笑)。大学に入っ
た時に「名声向上委員会」というサークルを設立しました。名前が
怪しいので、サークルで飲み屋に行くと、「何の集まりですか」と
聞かれることもしばしばありました(笑)。
 
私が入学した大学は設立間もない大学でした。だから、その大学
の知名度を上げるために作ったサークルです。大学側にはとても
喜ばれましたよ。集まった仲間達と「鳥人間コンテスト」に応募したり、
「アメリカ横断ウルトラクイズ」に出演したりといろいろやりました。
あれは本当に面白かったですよ。
 
このように具体的に何かを自分で作ってやる、といったことは
大学に入ってからだったと思います。高校ではアーチェリーを
やったりと、個人技が好きでしたね。団体行動は元来苦手で(笑)。
 
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◆将来の夢や理想の人生について聞かせてください
 

当社から輩出した方々が事業で成功して「スタンディングエッグ
があったから成功したんだよ」と言われるような会社になりたい
ですね。そのためには、まだまだ未熟な部分もありますので、
しっかりと起業家を支援できる会社作りを今後も行って行きたい
と思います。
  
また当社には「“人とは違う”そんな貴方を応援したい」という
キャッチフレーズがあります。この言葉のように、私自身も型破り
と言われる程の独創性を持ち、自分の信じた道を進んで行きた
いと思っています。
 
 
◆夢に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
起業家の支援の事業をやっていますと、今後、何が日本のコア
になっていき、世界と渡り合えるのか、と考えることが多くなりま
した。やはり日本は今まで高い技術力を世界に発信してきたと
思います。そうした歴史的な観点を持ち、今後を見据え、自分が
どのように歩んでいくか、何をやっていくか、ということをしっかり
考えていくことが大切だと思います。
  
  
◆本日は大変素晴らしいお話をありがとうございました
 

 
*****************************
 
安井社長はアメリカで起業家が育つ風土を見て、日本でも活性化
させていきたい、とお話してくださいました。日本で育った私はある
時期まで、働き方というのは会社に入社する、という選択肢しか
持っていませんでした。しかし、安井社長がおっしゃったように
起業という選択肢で自分の存在意義を見つる方法もあることを
改めて強く感じました。
   
安井社長のアメリカでの体験談や日本とのギャップや現状、今後に
ついてお話を聞かせていただいたことで、多くの可能性に目を向ける
ことができたように思います。本日はお忙しい中、素晴らしいお話を
聞かせていただきありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************
   
ご紹介者様へ
  
安井社長をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
   
三潴 克彦 (起業家育成塾)

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シニアサロン「悠友知摘」    責任者 桑原英太郎 氏  

2008-09-01 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2008年8月9日 9:00~10:30 
●場所 プロトコーポレーション本社ビル3F 
     セカンドライフサロン悠友知摘 セミナールーム
●悠友知摘(ゆうゆうちてき)のホームページは こちら
●インタビュアー 塾長 三潴 克彦 (みつま かつひこ)

 
●桑原英太郎氏 プロフィール
東京都荒川区日暮里出身。東洋大学社会学部社会学科卒業。
在学中に、ハーバード大学と北京大学に留学し、社会学や
歴史学を学ぶ。また、大学2年生の時より、テレビ朝日に
アルバイトとして入社。ニュースステーション、スーパー
Jチャンネル、ANNニュースなどの現場で仕事をするが、
大学卒業後はプロトコーポレーションに入社をする。
2006年に新規事業「悠友知摘」を立ち上げる。
 
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シニア市場に新しいタイプの交流型サロンである「悠友知摘」の
事業を立ち上げれた桑原英太郎氏に、事業のきっかけや現在
に至るまでにご自身の体験談について語っていただきました。

 
 
=========================== 
◆セカンドライフサロン「悠友知摘」について
      

名古屋市に本社を置くプロトコーポレーションの新規事業。 
2006年7月にシニア向けの会員制サロンとして名古屋にオープン。
「仕事に出会う・趣味に出会う・仲間に出会う」をキーワードとして
定年を迎えたシニア向けに「場所の開放」をメインとしたサービスを
展開している。人との交わりや新しい趣味の発見、これまで
培ってきたキャリアの数々を活用し、仕事を通じて社会貢献する
など、セカンドライフを生き生きと送るためのサロンスペースを
提供する。オープンから2ヶ月で会員数は140人を超え、
現在では1200人程にもなる。 
 
◆メディア紹介履歴
 
日本経済新聞、中日新聞、日経ビジネス、日経トレンディ
日経流通新聞(日経MJ)、中部経済新聞、定年時代、
日経BP「セカンドステージ」 NHK総合「おはよう東海」

   
=========================== 
 
 
◆「悠友知摘(ゆうゆうちてき)」を始めたきっかけは何ですか
  
大学卒業後、プロトコーポレーションに入社して、初めはクルマ
情報誌「Goo」の営業の仕事をしていたのですが、後に新規事業
開発部へ行くことになります。新規事業を立ち上げる際、だいたい
のマーケットはすでに手がつけられている状態でしたが、そんな中
でも競合が少ない市場を開拓をすることにしました。
競合が少なければNO1と同時にONLY1になれますので。
     
「悠友知摘」を始める前でも、シニア市場はすでに多くの注目が
集まっていました。しかし、これといって成功した事業があまり無く、
新しいサービスが生まれる可能性は大いにあると感じていました。
そこで、「シニア」×「居場所提供」というマーケットに絞って考えて
いきました。
  
2年前のことですが、アメリカのシカゴで「マザー・カフェ・プラス
(MCP)」という“シニア向けのスターバックス”をコンセプトにした
新しいサービスが生まれており、このMCPのモデルを調べ、
日本版のMCPができないかと考えました。
  
しかし、日本版MCPを行おうとしましたが、最初はどうして良いか
わかりませんでした。様々な情報を本やインターネットで調べま
したが、最終的にはシカゴへと足を運び、MCPを体感しようと現地
まで行きました。そして、日本での事業モデルの大きなヒントを
掴み、試行錯誤の末、「悠友知摘」が生まれました。
 
  
◆「悠友知摘」を始めるまではどのような仕事をしていたのですか
 
入社後は、「クルマ情報誌Goo」の東京エリアの担当をし、通常は
3名で行う仕事を一手に引き受けて、トヨタ、ニッサン、ホンダ、
スバル、ダイハツ、スズキなど東京エリアのほとんどのメーカーと
仕事をしていました。
 
大変な仕事でしたが、ライバル誌との企画争いに競り勝ち、東京
エリアのメーカー系の情報ページのブランディングを確立すること
に成功しました。その他にも多くのGoo関連の新規商品開発を行い
ました。新規事業開発部に異動し、シニア市場向けのサービスを
携わるようになったのは2004年の時でした。
 
また、東京で仕事をしていた時に、ビジネスについて詳しく学び
たいと思い、グロービスに通いMBAの勉強をしました。ゲーム理論
やマーケティングの教養を深め、ステレオタイプではない独自の
見解を持っていたいという思いが強くありました。グロービス主催の
マーケティングの全国大会では優勝することができました。
 
 
◆大学時代のテレビ局での仕事について聞かせてください
 
大学2年生の時から、テレビ朝日にアルバイト採用で入社させて
いただき、ニュースステーション(現報道ステーション)やスーパー
Jチャンネル、ANNニュースの現場で仕事をさせていただきました。
湾岸戦争の報道の仕事をしていた時に、中国の共同通信と共同で
仕事したりと、大変刺激的でした。また、和歌山カレー事件なども
担当させていただきました。
 
アルバイト入社した時は、報道局アシスタントディレクターでした
が、その後、総勢で30人くらいのADをまとめるディレクターの
仕事もさせていただきました。在学期間中にこのような素晴らしい
経験をさせていただいたことが現在の自分にどれほど大きな影響を
与えたかは計り知れません。
  
テレビ局で仕事をしようと思ったきっかけは、小学生の頃から
「情報」というものが自分の中に常にあり、それを伝える仕事を
したいとずっと思っていたことが一番大きな理由だと思います。
 
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◆プロトコーポレーションで働こうと思った理由は何ですか
 
大学を卒業する時にテレビ朝日から、正社員としてBS系の仕事の
お話をいただいていたのですが、現場から離れずに仕事したい、
小さな組織で挑戦したい、紙媒体の情報を経験したいという思い
からプロトコーポレーションに入社を決めました。
 
昔から、新しいことに挑戦して何かを創っていくということが
好きな性分があったのだと思います。そうして、チャレンジ
できる会社としてプロトコーポレーションを選びました。
  
 
◆大学まではどういったことをされていたのですか 
  
小学2年生の時から、「情報」を伝えることに魅力を感じ、新聞を
作っていました。クラブ活動や学級での取り組みではなく、
自主制作で行っていました。
 
小学校の時に、給食のおばさんが、生徒のことを考えて栄養の
高い給食を作っているのに、食べ残しが多いことを残念がってい
ました。これはみんなに伝えるべきだと思い、新聞形式にして
学校の掲示板に貼り出しました。その後、バスの運転手さんや
警察官などいろいろな職業の方にインタビューもしましたね。
    
高校生の時は、今は亡き黒澤明監督に取材をさせていただき
ました。2年間くらいアポを取り続けて、最終的には取材を
受け入れてくださいました。これは、大変貴重な経験をしたこと
と同時に、何事もやってみるもんだ、と思いました。
 
  
◆留学についての体験談を聞かせてください
 
そうですね、大学在学中に留学するのですが、最初の動機が実に
単純なものでした。ある時に留学するために資料を見たのですが、
「TOEIC930点以上」というものがあり、一番高い条件という
ことでした。その大学がハーバード大学です。
 
私はあまりハーバード大学について当時、詳しいことは知りません
でしたが、条件が厳しくなると無性にやる気が昔出て(笑)、それで
勉強して条件をクリアし、留学することになりました。ハーバード
大学へは半年行き、社会学を学びました。
 
もう一つの留学先は北京大学です。在学中にアジア圏でバック
パッカーをしていたのですが、偶然、ある安宿に泊まった時に、
仲良くなった人がいました。それが北京大学の教授でした。
その出逢いとご縁のお陰で、北京大学に入学させてもらい
そこで4ヶ月ほど歴史学を学びました。
  
 
◆勉強は好きだったのですか
   
大学時代、勉強したか、と聞かれると正直あまりやった覚えが
無いのですが、興味や関心があることはとことんやりました。
そんな時は、学校の図書館の一番奥の書庫に
こもって一人で勉強していましたね(笑)。良いことではないの
ですが、講義に出席して勉強する、ということはあまりなかった
です(笑)。
 
例えば、大学に入学した1年生の頃に「映画館.com」という
サイトを作って運営していました。最初、サイトの作り方も
わかりませんでしたが、独学でHTMLを勉強してサイト作りをし、
チャットルームなども作ったんです。結構サイトが成長して、
オフ会をやったら、70人くらいの参加者がありました。
 
新しい刺激や何かを自分で創っていくことが非常に好きな性分
なのだと思います。何かをするための勉強なら、徹底してやる
タイプなのだと思います。 
テレビ朝日の仕事も大切でしたから当時は3時間くらいしか
寝てませんでしたね。  
 
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◆理想の人生や将来の夢について聞かせてください
 

50歳で引退して、ネパールで事業を行いたいと思っています。
バックパッカーでネパールに行った時に、今後必ずネパールが
発展してくると感じました。また、ネパールで絵本を出版したい
とも思っています。
経済が発展すると古き良き文化は置きざりにされがちです。
ですから、語り継がれている様な物語を絵本にして残す事業
には大きな意味があると思います。
 
私は現在は31歳ですが、シニアビジネスに、今後も長く関わっ
ていこうと思っています。今から、10年後に日本以上の高齢
社会が韓国に訪れると言われています。それを見据えて、さらに
良いサービスを作り、事業展開を行っていきたいと考えています。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
私は、何か事を起こす時には、明確な動機が必要だと思います。
強い思い、必ず成功させるという「執念」を持って何かを始めないと、
壁にぶつかった時や挫折した時に、起き上がってくるエネルギーが
湧いてこないのではないかと思います。スキルや技術力だけで事業
を始めると最初は上手くいくけど、途中で終わってしまった、という
例を今までたくさん目にしてきました。強い思いやコンセプトを持って
取り組んでいれば、ノウハウや方法論は後から付いてくるものだと
思います。
 
それと、自分の目を信じて欲しいと思います。マーケティングなど
の情報を全て鵜呑みにせず、現場で自分の目で見た情報を大切に
行動していくと良いと思います。
「これはいける!」というファーストインプレッションって、
意外と当たっているものですよ。
 
 
◆本日は大変貴重なお話をありがとうございました
 
 

*****************************
 
桑原さんは大変頭脳明晰でスピード感があるお方でした。
今後を見据えて事業の布石を打っていかれる姿勢とお話には
大変興味深く聞かせていただきました。また、内心にある熱い
思いを語ってくださり、ハートフルな一面も見せてくださいました。
 
「情報」を伝えていくことに興味を持たれて、小学校から大学、
そして会社に入社されるまで、様々なことを経験されて桑原さんが
作っていかれたキャリアについての体験談から、貴重な気づきを
たくさん与えていただきました。本日はお忙しい中、インタビューに
お答えくださいまして、本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
 
*****************************
   
ご紹介者様へ
  
桑原様をご紹介いただいた
テクノサーチ株式会社の上野允久様に、
この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
上野允久様インタビュー記事は こちら
      
起業家育成塾 三潴 克彦 (みつまかつひこ)
   
*****************************
    


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