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タカハシテクニア株式会社   高橋 弘茂 社長

2009-10-20 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年10月7日 9:30~10:30 
●場所 タカハシテクニア株式会社 応接室
●タカハシテクニア株式会社のホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
  
●高橋弘茂(たかはし ひろしげ)氏 プロフィール 

愛知県出身。高校卒業後、
タカハシテクニア株式会社に入社。
2001年、社長に就任し現在に至る。
23歳の時、※青経塾(青年経営者研修塾)に入塾。
現在は第36塾長を務めている。
 
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創業98年の歴史を誇るタカハシテクニア株式会社の高橋弘茂
社長にインタビューさせていただきました。事業内容や技術伝承
講座のテクニアカレッジ、そして長く続く会社の要因から今後の
事業構想まで、幅広くお話を伺いました。

 
 
◆事業内容を教えてください
 
主な事業は大きく分けて3つあります。まずは、金属加工の事業
ですが、これはお客様からご依頼いただいた設計案を元に、工作
機械や医療用機械、航空機などの部品を精密加工をさせていただ
きます。2つ目は、技術者派遣事業です。弊社の熟練技術者を他の
企業様に派遣させていただき、オペレーティングなどの面から、現場
でご指導させていただきます。最後は、技能伝承の研修を行うテク
ニアカレッジ事業です。
  
 
◆技能伝承の研修とは非常に独創的ですね。詳しい内容を聞か
せていただけませんか?
 

テクニアカレッジ事業は簡単に言えば、創業以来、受け継がれてきた
伝統の技を次世代につなげるための方法を学ぶことができる技能伝
承講座です。現在の製造業の現場では、よく昔から言われる「背中を
見て覚えろ」といった環境はほとんどありません。
 
コンピュータ化が進み、部品の製造や加工は、機械操作が
主流になり、人間の背中から学ぶことができない状況になりました。
それで、弊害も生まれてきました。出来上がった製品が、どんな
構造になっているかわからないんですね。そうすると、
新しい製品のアイデアや創造性も生まれにくくなってしまいます。
 
こうした状況の中で、当初は、機械に頼ってばかりではいけないと、
長い時間をかけて培われてきた技能を若い世代の社員達に伝える
ための社内研修会として始まりました。その後、多くの方々に価値
を見出していただけるようになり、お陰様で現在は、企業の技術者
を中心に、300人以上の方々にご利用いただいています。
 
テクニアカレッジは今後も発展させていきたいので、日本以外での
展開も考えています。現在は各国の大使館に足を運び情報収集と
アイデアを練っている段階です。
 
 
◆技能の伝承を目指され始められたのですね。大変素晴らしい
お話を聞かせていただきありがとうございます。テクニアカレッジ
が生まれるまでには困難な事もありましたか?
  

もう数えきれないくらいあります。失敗もたくさんしましたしね(苦笑)。
私が社長に就任させていただいた年は、2001年8月でITバブル
が弾け、現在のような経済不況でした。弊社の経営も非常に厳し
い状況にあり、とにかくまずはお客様を増やすことに力を入れない
といけませんでした。
 
製造業こそ営業戦略を強化すべきだと思いましたね。それで日夜、
営業活動を行い、50社くらい新たにお客様になっていただきました。
私は四代目でしたので、弊社の経営の第一線に携わっていた方々
にサポートしていただき、経営してくることができました。会社の
業績を向上させることができたのも、熟練の技術者の方々や父や
叔父の陰ながらの力添えがあったからです。こうした状況の中で少し
ずつテクニアカレッジの構想も出来上がっていきました。
 
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◆元々会社を継ぐというお話はあったのですか?
 

子供の頃からありましたね。でも絶対イヤだと当時は思ってました
(笑)。10代は音楽にどっぷりと漬かっていて、バンドをやっていまし
た。将来は音楽の道で食べて行こうと決め、高校から東京に行き
ましたが、挫折感を味わいました(苦笑)。やっぱり、音楽の世界で
生計を立てていくのは、とても難しいと痛感しました。いろんな人を
見て無理だろうな、って思いました。
 
それで、18歳の時に地元に帰ってきました。その時はもう夢が無い
んですよね。半年くらいだったかな、悩み続けました。とりあえず大
学に行こうかと思い、勉強を始めましたが、行ってどうするのかが
明確になっておらず、悶々とした毎日を送っていました。
 
いつだったかはっきり覚えていませんが、父の会社の工場に入って
行き、機械に触りました。それを境に、私は工場に入り浸るようにな
りました。そして、いつしか機械を触ることが、楽しくて仕方が無い
自分がいることに気づいたんですね。
 
ある日、私は父に連れられてある更地にやってきました。「ここに
工場を造ろうかと思っている」と一言。その瞬間、「親父、カッコイイ
な!」って心底思いました。この時から会社を継ぐ意思が決まり、
父のことを「社長」と呼ぶようになりました。
 
 
◆社長に就任されるまでの期間にご経験されたことを聞かせて
いただけませんか?
 

23歳の時ですが、私にとって大きな出来事がありました。それは
名古屋を中心に活動する青経塾に入塾させていただいたことです。
ある日の朝刊で「志」という一文字が目に飛び込み、「ここだ!」と
思ってすぐに足を運び、入塾させていただきましたが、その後、私の
人生観は一変しました。多くの素晴らしい経営者の方々にお会いし、
自分がいかに無知で、世間知らずだったかを痛感しました。
 
非常に多くのことを学ばせていただきましたが、特に、塾主をされて
いる遠山先生の高風を仰がせていただいたことは、私にとって非常に
大きな財産となりました。3年間学ばせていただいた後、青経塾を
卒業しましたが、現在私は、塾長という立場に立たせていただき、
微力ながら若手の人財育成にお力添えをさせていただいています。
 
その後、26歳からは、ヤマザキマザックのイギリス支社に修行に行
きました。現地調達や生産管理の方法、データベース作成からソフト
開発までさせていただき、経営する側と工場で働く従業員の立場で
物を見ることができるようになりました。ここで、タカハシテクニアに
戻った時に、どうしていくかという目標も見つけました。
 
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◆もう少しで御社は100周年を迎えられますが、これほど長く
続く会社は本当になかなか無いと思いますが、その一番の要因
になっているものは何でしょうか?

  
そうですね、一言で言えば、「社長が変わるたびに毎回創業している」
ことだと思います。事業のドメインチェンジも毎回行われていますし、
受け継ぐ部分と捨てる部分をはっきり分けて経営して来ていると思い
ますね。ただ、「ものづくりが好き」だという血は代々流れているの
ではないかという気はします。
 
 
◆御社の強みを教えていただけませんか?
 
「人」ですね。高い技能を持つ社員がいることが一番の強みだと思い
ます。技能の向上は多くの経験を蓄積しないといけません。弊社で
経験値が豊富な技術者の方々が働いていてくれることに本当に感謝
しています。
 
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タカハシテクニア株式会社で働かれる社員の皆様
 
 
◆高橋社長の夢は何ですか?
 
航空産業に今以上に携わっていきたいですね。今でも一部その仕事
をしていますが、もっと事業領域を拡大していきたい。幼い頃から飛行
機が好きだったこともあり、いつか自分達の手で飛行機という芸術品
を創り上げたいですね。
 
 
◆素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうございました
  

  
※青年経営者研修塾
   
菊水化学工業の遠山昌夫会長を塾主とした研修塾。
35年の活動で、卒業生は千人を超えている。
二十代で起業し、上場企業にまで育て上げた遠山塾主のもと、
「真の経営」を目指すものが集い、磨きあう場。「実践あるのみ」
という生き様が若い経営者に脈々と受け継がれている

 
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高橋社長はとても情熱溢れる素晴らしいお方でした。部屋に入って
来られた時、室内の空気が一気に明るくなるような感覚を味わい
ました。そして、聞き手側である私にもエネルギーが伝わってきま
した。テクニアカレッジという座学と実技の両面から人財育成を行わ
れるという内容には強い関心を持ちました。今後も飛躍を願っており
ます。本当に素晴らしいお話を聞かせていただきありがとうござい
ました。
 
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
  
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