■起業家育成塾トップインタビュー

夢を生きる方々に学生がインタビュー

㈱ポッカコーポレーション 内藤由治 名誉会長

2009-04-20 07:00:00 | インタビュー記事

●日時 2009年3月31日 14:00~15:30
●場所 セレンディップ・コンサルティング株式会社 会議室
●株式会社ポッカコーポレーションのホームページは こちら
●インタビュアー 起業家育成塾 三潴 克彦 (みつま かつひこ)
 
  
●内藤由治(ないとう よしはる)氏 プロフィール
1946年愛知県豊橋市生まれ。
名古屋大学法学部卒業後、ソニーに入社。
ソニーのフランス現地法人日本代表や
経営企画室マーケティング総括課長などを
歴任後、86年にソニーを退社する。同年、
義兄が創業したポッカコーポレーションへ
入社。総合企画部部長、東京支店長などを
歴任し、98年代表取締役に就任。06年
取締役会長、08年名誉会長。
    
001b
今回はソニーで海外法人代表を務められ、ポッカコーポ
レーションの経営では敏腕さを発揮された内藤由治氏に
これまでのお仕事の経緯や今後のビジョンについて語って
いただきました。また、本日が名誉会長として最後の日で
あったことに出逢いの不思議を感じつつ進めさせて頂き
ました。

   
   
◆現在のお仕事について聞かせてください
 
去年の7月から名誉会長となりました。それまでは、2年間取締役
会長の役職に就いていました。近年の私の役割は、役員会などの
主要な会議に出席し、会社の方針や経営に関して意見を添える
ことやポッカの大株主であるファンド会社へアドバイスさせていた
だくことです。
  
他には、中部経済界の活動があります。中部には、主に6つ
の経済団体がありますが、それら全てに会社を登録していました。
中でも中部経済同友会では、中部の企業がより良い企業活動が
できるような仕組み作りを熱心に考えていました。
 
私は中部経済同友会が運営する会のうちの一つの副世話人を
させていただいており、月一回、35人ほどのメンバーが集まって
いました。参加者の多くは年配の経営者なので、もっと若い世代の
経営者が参加できるようにし、会を活性化させたいと思い、様々な
取り組みを行ってきました。
 
 
◆ポッカコーポレーションへの入社のきっかけは何だったのですか
 
入社することになったきっかけは、私の義理の兄であり、ポッカ
コーポレーションの創業者の谷田利景氏からのお誘いがあった
からです。谷田氏は創業者ということもあり、経営手法がカリスマ型
でした。しかし、時代と共にカリスマ型から近代経営型に変えていく
必要があると感じていたんだと思います。そこで、当時ソニーで
働いていた私に声が掛かりました。
  
 
◆入社後のエピソードを聞かせてください 
 

こういう場合、普通なら役員から入社すると思いますが、私は次長と
してスタートしました。最初は大変なことばかりでしたよ(苦笑)。小さい
ことから大きいことまで本当に苦悩の連続でした。まず、会議が定刻
通りに始まらない。1時間以上開始が遅れることもしばしばありました。
私が未熟だったせいもあると思いますが、会議を定刻通り始めるの
に5年もかかりましたから。
 
今振り返るとソニーを辞めてポッカに入社するという決断をよくした
なあ、と思いますが、結果的にはこれで良かったと思っています。
当時、私はソニーに入社して、フランス現地法人の日本人トップと
して働き、日本に帰ってからは戦略部隊にいました。
まさに、飛ぶ鳥を落す勢いで、恐れるものは何もないというような
高慢な状態でした(笑)。
 
今思うとそのままの自分でいたら必ずどこかで失敗していたと思い
ます。正直ポッカに入社して、思ったように行かない悔しい下積み
時代を経てきたからこそ今の自分があると思っています。
  
 
◆ポッカの社長になられてからのお話を聞かせてください
 
私が社長になったのは1998年ですが、まさにその後は激動の
8年間でした。社長に就任してから間もなく、大前研一さんが書い
た『ドットコム・ショック』を読み、強烈な衝撃を受けました。会社の
システムがこのままではいけないと。当時、ポッカで使っていた
社内システムは電算機に毛が生えたようなシステムだったので、
社内のトータルシステムを新しくする決意をしました。
 
当時、会社の売上げは連結で1000億円ほどで、システムへの
投資は数十億円規模にもなり、大きな決断でした。しかし、やるなら
徹底的にやり、情報系システムでナンバーワンの企業になろうと
意気込み取り組みました。互換性の高いシステム
の導入やIBMのノーツを入れ、2000年頃には、社員は一人一台
パソコンを持って仕事をするようになっていました。なので、社外
から人が来てポッカの社員が一人一人パソコンを持って仕事を
している姿を見て驚いていました。
  
006b
 
  
◆TPMの導入のきっかけを教えてください
 
ある時にソニー時代の先輩がTPMを売り込みにやってきました。
その時、私はTPMのことを知りませんでした。先輩は「これはいい
ですよ。ウソだと思って一度やってみてください」とおっしゃったので、
私も興味を持ち導入することにしました。最初、わからないことだら
けだったのですが、先輩の熱心なアドバイスと一緒になって動いて
くださったお陰で、やがてTPMのすごさを知ることになりました。
 
工場を定期的に訪問し、現場で働く人達とのコミュニケーションを
取ることが増えていきました。工場の社員の意識も態度も変わり、
やがて工場そのものが変わる瞬間を目の当たりにしました。それと
同時に5Sの本当の意味も知りました。
 
そして、私は大きなことに気づきました。TPMはマネジメントツール
なんだと。これには本当に驚きました。文字通り目からウロコの
経験をさせていただきました。それ以降、私はやることは徹底的に
やろうとTPMの実行に取り組んできました。
  
ポッカには名古屋近辺に工場が3つあります。その中でも藤岡の
工場が特に著しい成果を上げていました。トヨタ系企業の方で
数十年前からTPMを導入している方々と一緒に藤岡の工場を
訪れたことがありましたが、その方々から「素晴らしい」との評価
をいただきました。これは本当に嬉しかったですよ。
働く社員の人達、TPM導入に際して一緒に動いてくれた社員、
そして、TPM導入のきっかけをくださった先輩には感無量です。
  
※TPM: Total  Productive Maintenance(Management) 
  総合的設備管理
 
  
◆学生時代のことを聞かせてください
  
大学生の頃は、少林寺拳法を3年間やっていました。明確な
動機があったわけではなく、ただ強くなりたいと思って続け、
2段まで行きました。
  
勉強面はと言うと、講義には出席していましたが、その他の時間
は、自分の興味や関心がある分野の本をひたすら読んでいました。
中でも吉田松陰には大きな感銘を受けました。吉田松陰の
生涯を知り、男気がある生き方だと思いましたね。海外に
行きたいという思いが強くなったのも、吉田松陰の人生を
知ったことから大きな影響を受けていると思います。  
  
 
◆なぜソニーに入社しようと思ったのですか
 
実は元々サラリーマンになるつもりはなかったんです。大学で
法律を学び弁護士になろうと思っていました。でも、なかなか
上手くいかなかった。それで、法律を仕事に生かせて、しかも
海外で働ける会社はないかと探していて、最終的にソニーの
入社試験を受けることにしました。そして、運よくご縁をいただ
きました。
 
 
◆ソニーでのお仕事について教えてください
 
入社時は、売上げが1800億円ほどで、サラリーマンの初任給
は3万円前後の時代でした。社長は井深大さん、副社長は盛田
昭夫さんのペアで、ソニーがいよいよ海外に大きく進出する時期
でした。
 
ソニーのすごいところは、今から40年も前にも関わらず、非常に
柔軟性が高い企業風土でした。自分がやりたいことを言い続ける
と本当にそれをやらせてくれるんです。私は日頃から、海外で、
法律の教養を生かせる仕事をしたいと思っていたので、そう
発言していました。
 
入社して数年後、とうとう私は業務部の法務担当に行かせてもら
えました。その後、ソニー欧州のリーガルリエゾンの代表者となり
ました。当時、ソニーの商品を売っているヨーロッパの販売会社の
資本は第三者が握っていました。それら全てをソニーの資本に
するということが私に課された仕事でした。これは本当に大変で
した。ぶった切りの世界ですから(苦笑)。
  
この仕事を通じて生まれた利益でヨーロッパにソニーの代理店を
つくり、強力な販売網を築きました。そして、私がこのように働き
活躍できたのは、ソニーで出逢った上司の方のお陰でした。
 
025b
 
  
◆その上司の方はどのような方だったのですか
 
本当に私利私欲がない方でした。権力に興味が無かったん
ですね。会社のために何がベストか、を常に考えられており、
人間性が素晴らしい方でした。「社長になりたい」とか「出世した
い」とかいうことを一切聞きませんでした。また、知的好奇心も
強い方で、新しいことや新しい動きに敏感でした。
 
部下に、強く指示することもほとんどなく、「こうしたいけど、どう
かな」と、聞く姿勢の方でした。この方の下で働かせていただいた
経験は私にとってかけがえのないものとなりました。ソニーでは
16年間働きましたが、この上司の方との出逢いと海外で働いた
ことが私のビジネスマンとしての基礎をつくりました。
  
 
◆これからセレンディップ・コンサルティングの最高顧問を
されるとのことですが、そうなった経緯を教えてください

 
セレンディップ・コンサルティングを創業され、現在社長を務められ
ている高村さんと初めて出逢った時は、私がまだポッカにおり、
高村さんはトーマツで働かれていました。その時に、高村さんの
素晴らしい人柄を知り、その後、お付き合いさせていただいて
いました。
 
私は随分前から60歳くらいに、また違う会社で働きたいと思って
いました。元来、いろんな人が育っていくことが楽しいと思う性分
でした。ビジネスフィールドで高村さんがベンチャー企業の支援を
目指されていることと、私がトップではなく後方から支援していく
仕事をしたいと考えていたことが一致し、セレンディップ・コンサル
ティングへは顧問としてむかえていただくことになりました。
 
会社が育つポイントとして、働く社員の学ぶ意欲をいかにトップが
引き上げるかということと自己実現のための環境作りができるか
が重要だと思います。今後、私が働いていく中で、この課題を
達成し、ビジネス界に貢献していきたいと思っています。
 
 
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
 
絶対に諦めないことが大切だと思います。執念に近い情熱を
持って取り組んで欲しいと思います。
    
最近わかるようになったことですが、決して良いと言えない環境で
一人で仕事をしている人が、コツコツと長年諦めずに努力し続けて
いると、やがて人間として開花する瞬間があると思います。
 
また、常に視野を広く持って欲しいと思います。大学などから
講演を依頼されて近頃よく言っていることですが、これからは
日本人ではなく、アジア人だという意識を持って欲しいです。
時代は確実に変化しています。これからの時代を生きて抜く
ためにアジア全体で協力し、日本人もアジア人としての意識を
持つことが重要だと思います。
 
 
◆大変貴重なお話をしていただき本当にありがとうございました
     
        
*****************************

ご紹介者様へ
  
内藤会長をご紹介いただいた
セレンディップ・コンサルティング株式会社の
高村社長に、この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
高村社長インタビュー記事は こちら

内藤会長は4月からセレンディップ・コンサルティング
の最高顧問としてご活躍されています。

起業家育成塾 三潴 克彦 (みつまかつひこ
         
***************************** 
  
内藤会長は物静かにお話されましたが、大変情熱的な方である
印象を強く受けました。また、お話の随所で見受けられましたが、
情熱的で、かつ非常に論理的に物事を処理され、仕事をされて
いるよう思いました。海外での勤労経験が豊富な内藤会長は
言葉と文化の壁を越えた人間同士の繋がりを築かれる能力に
長けた方であるとも思えました。お忙しいところインタビューに
お答えいただき、貴重なお話を本当にありがとうございました。
 
記事作成 水谷 翔(起業家育成塾)
   
*****************************