ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-17街巡り 町家と湧き水

2024年02月11日 | 日記
昨日の盛岡街巡り、5コース目に入った。町家と名水の下町コースだ。
あさ開前に集合。
あさ開創業は明治4年初代村井源蔵は盛岡藩士として戊辰戦争に出兵。
その後,商人となり酒造業を始める。
白い漆喰の倉が大きな敷地内に建っている。
その足でで大慈寺へ。
明治17年、1884年 下の橋刑務所(現、下の橋中学校から出火。河南大火で
1700軒焼失されたといわれる。大慈寺も焼失。
原敬が祖先の恩返しとして援助し再建。大正7年(1918年)。当時(2000万~3000万)の支援
原内閣時代。
原一族と原敬の墓がある。遺言に戒名はいらない。姓名のみと記されていた。
右側が原敬、左側に妻の浅。墓石には原敬と名前だけが刻まれてある。いかにも平民宰らしい。
その後3代名水といわれる青龍水へ
1番が飲み水、2番がコメとぎ用、3番が洗い水4番が足洗い用と区分されている。
ちょうど市民がペットボトルを数本持参して水汲んでいた。
まろやかで美味しいと評判なのだ。

近くに同じく名水の大慈清水がある。ここは5つの区分がなされ、農機具の洗い場があった。

その後木津屋と惣門跡へ惣門跡は番所で6時から夕方6時まで開いていた。
「入り鉄砲と出女には気を付けろ」と言われていた。
次は円光寺。米内光政の墓がある。業績は前々号で紹介。
またここは南部藩と切支丹説話でも有名である。
奥女中のお連の父が切支丹信者ということで処刑。その首を葬ろうと寺に頼むが断られ
円光寺で罪人だから表立って引き受けられないがそなたの孝行を無駄にできないと
外の塀から首を投げて中に入れたら供養しようと。引き受けたと。
その後、お連は自首。藩主の行信は孝行娘のお連の罪を許し側室に迎える。
それが首塚として残っている
最後はうなぎの寝床の町家通りを散策。町家物語館で終了。延べ1500m

その後茶畑の16羅漢を散策。天気が良く暖かくて今までの中で最も気持ちのいい日だった


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2024-16 すいか栽培講習会

2024年02月11日 | 日記
2月なのにすいかの講習とは、と周りの人たちは驚いてしまう。
しかし、例年この時期に催されているのだ。
この地域は県内でも有数のスイカの名産地である。受講者20名弱。
主催はJAと種苗会社。
昨年度は霜や高温で、特に果物に被害が大きかったようだ。
今年度も昨年同様の気候と予想される、と
そこで注意したいのが乾燥だ。適度な水分量を与えないと
着果した実が大きくならない。
スイカの手順は
4月、畑づくり、たい肥を1トン全面散布して耕す。
雨が降った後に土を固めてシートを敷く。
5月上旬、苗植え。㈱間は1m。今年は60本予定している。
それに小玉とメロンも10数本プラス。
今年は霜よけようにキャップを被せてみようと予定。
トンネル掛け。様子を見ながらトンネルに穴をあけ4本立ちにする。
1か月後に徐々にトンネルをはがしていく。
畝の横4mに有機肥料を全面散布して置く。
それにシートを被せる。ここがポイント!草除けなのだが
ビニルシートだと水分補給ができないので除草シートの方が水分がしみこみ安いそうだ。

しかし値段が高いのだ。混合して使用する予定。
受粉。それから45日。4本立てにして摘果作業。
農薬散布等々。
7月大玉は下旬から1ヶ月間収穫。
ざっと、これが高温の夏にする作業だ。
何よりも天候と相談しながらであくまでも予定である。

今回の講習会終了後、担当者から40分ぐらい
昨年の反省を踏まえて指導を受けた。心強い相談相手であった。



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