ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-28 ガイド模擬実地

2024年02月24日 | 日記
今日もまた寒い1日だった。
今週から街巡りガイドの模擬実地が始まった。
午前2時間、午後からも2時間、実際にガイド訓練。冷たい空気が身体に染み渡る寒さだ。
今までは午前中だけ現地でガイド研修で午後は室内で座学研修だった。

研修生6人。先人たちの青春コース。先人とは石川啄木と10歳違いに宮澤賢治だ。
盛岡では啄木は20歳まで 賢治は盛岡中学と盛岡高等農林、過ごしている。
そういうわけで青春時代と言える。

石碑が盛岡城の2の丸にあるので2人の偉人と盛岡城についてがガイドの範囲だ。
トップバッターだった。スタートの中津川と中の橋についての説明だった。
ここは城下町としての歴史を説明した。
ポイントは1コース24か所。その中で半分に絞って1人2か所説明する。
長いと飽きるので2分30秒以内が理想と言われた。
城に入った。先人は得意なのだが城内はまだ覚えきれていない。
2か所目は本丸を下った広場での馬の品質を見るところだった。
ここは下見でスルーしてしまい覚えていなかった。失敗してしまった。
午後は駅から開運橋を通って啄木新婚の家、
そして賢治が初の童話を出版した光原社の材木町周辺。
ここでは啄木新婚の家、が始めにあたった。
妻の節子と結婚式をするのだが啄木はなんと欠席。
花婿のいない結婚式だった。啄木はというと本の出版のため上京し
帰りに仙台で友人たちと飲み明かしていたのだ。しかも飲み代が払えず
土井晩翠から借金、そして渋民へ。盛岡へは5日後に着くのだ。
こんなエピソードを話したらたくさんあるのだ。啄木は。
そして材木町で。次の木伏通りにも啄木の歌碑がある。
そこでも説明のガイドがあたった。おかしなことに、
この歌碑は恋をうたったものだ。しかも結婚して2年後。
妻ではなくほかの女性にである。吹き出してしまった。
なぜこんな歌碑を選んだんだろうと。
自分が今回、模擬であたった部分だけ紹介したのだが
やはりしっかり説明の準備をすれば聞きやすいだろうと思った。
思いだけでは時間内に収まらないのだった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする