さぁ、ニットのセーターを脱ぎ捨てよう! 教室でのもっぱらの話題は、ボタンダウンのシャツをパンツの下にたくし込むか、外に出すか? 日本は平和だぁ。
「絶対、外に出すのが今の着方!」
と、高校生の母のご託宣どおり、外出し派が圧倒的だ。というより、中出し、もとい、中入れはぼくぐらいのものか?
「あったりまえや、いまどき…」と、女子高生はラジカルだ。
待てい、知命のオヤジにそんな要求しても、あかんぞぉー。送り主は居ないが、なにせアイヴィーリーガーズ譲りの 伝統主義のぼくだ。何のためにベルトに金をかけておるとお思いか?
「どうせユニクロやろ?」
大学生の突っ込みは鋭い。君ら家族は吉本か。
かってのアイビーファッションは服装にとどまることなくそのライフスタイルまでも決める重要なアイデンティティとなっていた。流行りだからと、そう簡単にスタイルまでは捨てられない。今、スタイルを決めつけないのがスタイルのように思えてならない。
「女性がペディキュアを塗るときは、キャミソールとフレアショーツで決めてほしい」というぼくの切なる「こうあってほしい」症候群も、いまや恐竜と同じく壊滅的危機に瀕している。ジャージでペディキュアだとぉ。オヤジの夢が剥がれ落ちていく。なんて時代だ。
中華ランチの後の烏龍茶のようにぴったりハマるものがある。それが安らぎをもたらし、自然と自分のスタイルになっていく。単なるたとえ話だが、ブルーグラッサーにもスタイルがある。巨漢、デブ、禿げ、テクニシャン…。いや、見栄えではなく、心根の持ち方だ。ハートが素敵なのだ。師匠とひさびさにJ.D.クロウのバンジョーを聴いた。すんなり同化してゆく自分がいる。これだ。師匠の存在は、大きい
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