
1960年代、所得倍増計画の真っ只中、ボウリング場は日に日に増えていった。同級生で高校生のくせにマイボウルを持っていたのは確か医者の息子だった。
始めの頃は自動でスコアを計算してくれず、自分で計算するしかなかったが、そのうち自動で計算してくれて、しまいには帰り際にスコアシートを渡してくれるようになった。
それをじっくり眺めては次の機会にどうすればスコアがアップするか検討するようになった。
ボウリング場はレストランも併設され、主体的な趣味をもたない中の下の庶民の恰好の娯楽場となったのである。
回想はそこまで。実はこのスコア計算もちょっとした頭の運動になると気付いたのである。まあスペアは次の1投、ストライクは2投までのピンが倒れた数を加算するだけのことだが、ストライクが8回もあったのにトータルスコアが100点に満たないこともある。
楽しむ数学の会で、スコア計算の話をしたら皆目の輝きが増した。やはり好きなことには目がないのである。70歳近くになったいい爺さん婆さんでも、なのである。
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