数学のヒント

初等数学の復習と脳の活性化

目の力、目の能力を測る(ランドルト氏環)

2015-01-26 11:29:36 | 日記

 ヒトの体力や能力を測るもの、・・・握力、垂直跳び、肺活量、背筋力、敏捷性、視力、動体視力、立位体前屈、柔軟性、滑舌力、話力、学力、記憶力、臭覚力、触覚力、味覚力、投力、走力、持久力、聴力、跳躍力、挙げる力(重量挙げなど)、登攀力、暗記力、計算力、反射神経、想像力、創造力、判断力、免疫力、治癒力、(病気などの)抵抗力・・・
 力がいっぱいつくけど力を測るって何のため? 小学校の頃からいっぱい測ってきたけど、測れなかったり測りにくいものもある。
 今日は目の話。何故目を測るのか、力を測るというより健康のために測る、検査するという意味あいが強い。赤信号が青く見えないか、遠くにある1台の車が2台に見えないか、遠近を認識できるか、安全に外出できることを確認するということか。
 不幸にして普通より劣っていたら目の機能が何故低下したかを調べ、普通の状態までに治療し健康な暮らしができるようにするわけだ。
 近頃では近くの文字を読むと目が疲れ、遠くに目を転じるとボワァーンとする、これを改善するのにはどうすればよいか、という遠近識別能力というのも目ぢからのひとつで高齢化社会ではこの能力の改善策が重要になるだろう。
 ものがはっきり見えるというのは嬉しいもので、そのために「あなたの視力は1.2です。0.6です。」と言われて一喜一憂したもの。あのCの形に疑問も抱かず50年を過してきたが、最近ランドルト氏環という名前がついていることを知った。
 円の直径や隙間の幅がランドルト氏により考案され、万国共通で検査できるようになった。1.5mmの間隔を作って5m離れたところから。8方角が識別できれば「あなたの視力は1.0」となるのだと。
 つまりxメートル離れて1.5mmの間隔が識別できたときの視力yには

 y=x/5 

の関係があり、
 5mの距離を変えずに隙間の間隔xミリメートルと視力yには

 y=1.5/x 

の関係がある。
 今まで視力検査表はなにか特別なノーハウがあるものだと思っていたが、すごく単純で自分でも作れることがわかった。無料でダウンロードできるサイトがあることも知った。
 朝と夕方で視力が変わるかどうか、疲れたときはどうか、など試してみるのもよい。


ワイヤ梯子は知恵と数学で改良された

2015-01-13 11:28:09 | 日記

 学生時代、探検部でケービング(洞窟探検)を楽しんだ。当時のフィールドは富士山麓の知られざる風穴群であり引佐郡に点在する鍾乳洞群だった。
 DIYのような店のない時代、ケービングの必需品であるワイヤ梯子は自作せざるを得なかった。
 材料はきわめて素朴で3mmΦワイヤ、アルミパイプ、釘、半田などである。
 軽量化を図る上でのポイントは半田の量を如何に少なくできるかにある。ステップの幅を広げるのもよいが安全性を確保するには20cm幅が妥当であり、釘の脱落防止の半田の量を減らすことしかなかった。
 竪穴下降では50mのワイヤ梯子が欲しい。20mくらいにしてつなげてもよいのだが軽くて長いのが行動するには最適となる。
 実際に釘のまわりを半田で固めるのは熟練を要した。溶けた半田が釘に付着せずにどんどんパイプの中に溜まるのである。もうひとつ半田の役目で判明したこと、それは釘の脱落防止だけではなかった。みっちり充填してパイプとワイヤのガタを少なくすることで荷重が衝撃的に作用してもズレずにパイプの水平度を保つ、すなわち安全性が高まることにあった。
 そこでパイプに充填される半田の体積と比重を使い50mのワイヤ梯子重量を算出した。結果は推して測るべし、とんでもない重量になってしまった。
 結局パイプが衝撃荷重で曲がることを許容してパイプ直径を絞り込んだ改良型は、実用に耐えるばかりかしなやかな美しいワイヤ梯子となってケービング文化の醸成にひと役かったのである。


人間の1日で移動できる距離はどれだけか

2015-01-11 08:13:25 | 日記

 幕末の志士はなぜ若かったのか。始まった大河ドラマ「花燃ゆ」第1回を鑑賞した。
 いつも思うのだがこの時期の世の中を動かしていたのが10代、20代の人たちであったのはなぜなのだろうか。
 そのとき30代、40代の人たちはいったい何をしていたのだろう。
 よほど世の中が腐りきっていて止むに止まれず10代の若者が立ち上がったということなのだろうか。

 そして今日の本題である幕末の志士のもう一つの驚き、それは京都だ長崎だ江戸だと皆歩いて移動したこと。1日の移動距離は何kmだったのか。
 私が大学1年の冬、人間の限界を知りたくて浜松から静岡までを一晩かけて歩きとおす実験をしたことがある。柔道部、陸上部、そして東北の山で鍛えた脚力にはいささかの自信があり、12時間あれば鉄路で77kmになる浜松静岡間を歩きとおせると読んだ。
 おりしも冬の強風のなか順調に繰り出したかにみえたが強風で体温を奪われ、難所小夜の中山で大休止、ついに十数時間の行脚は足の苦痛に耐えかね島田で終了した。その後下級生が気候温暖な時期に踏破を果たしたが、1日で77kmの移動は厳しいことを悟った。   
 では幕末の志士は1日にどれだけ進んだのだろう。東京・長崎間の距離は鉄路で1350kmある。時速6kmとして1日12時間歩く脚力があったと仮定しよう。さらに雨風洪水夏冬関係なく1日72km進んだと仮定しよう。すると1350÷72=18.75日かかることがわかった。
 きわめて好条件での18.75日であるから実際には1ヶ月から2ヶ月を要したであろう。時間軸が現代の何十倍もあった。旅が当時の人々にとって一大冒険だったのがわかる。