数学のヒント

初等数学の復習と脳の活性化

マトリョーシカも相似の図形

2014-10-26 09:21:07 | 日記

 マトリョーシカの中に一回り小さいマトリョーシカが入っていた。そしてそのマトリョーシカの胴体を外すとまた小さなマトリョーシカが入っていた。遠い昔の記憶が蘇ってくる。その絵柄がまた素晴らしい。ロシアの、当時はソビエトだったが、民芸品だという。たしかモスクワあたりでおみやげに買われたものだったと思う。あの丸みは日本のこけしにも似て優美であり、表情も心を和ませる優しい表情をしている。
 マトリョーシカに会いたくなったら専門店がある。それは千葉駅という至近距離にあった。千葉駅前のSデパート、9階にたくさんの専門店が入っているのだが何気なく歩いていたらたくさんの人形に会えたのである。
 ところで相似の図形といえば平面図形を思い浮かべがちだが、マトリョーシカは空間図形になる。相似の図形があることによって世の中ずいぶん便利になったし発展もした。地図の世界や顕微鏡の世界もそうなのだと思う。
 私たちの社会、どんな相似の図形があるのか調べてみるのも楽しい。


手先を使って脳の働きを改善する

2014-10-15 17:08:34 | 日記

 朝日新聞の隔週日曜にあった桜井進氏(1968-)の連載が終わり、替わって坪田耕三氏(1947-)の「切ってはって算数力」が始まった。手を動かせば「算数力」も伸びる、という持論をおもちだという。
 これを読んで思ったことがある。数学の問題が与えられたとき、まんじりともせず虚空を見上げる、そんな中学生が多い。そんな中学生には先ず絵を描いてごらんといっている。いわゆる文章問題は、考えて結果を出す生徒もいるが文章を数式に展開できない生徒が多いものだ。数学の文章問題というのは矛盾がないように、そして余計な修飾がなく、最低限の言葉で書かれている。そのとき文章に沿って絵を描くとひらめきが生まれ数式をひねり出すことができる。手を動かす、という意味では通じるところがある。
 坪田氏の「手を動かす」とは同様のことなのか、今後の展開が楽しみだ。
 ちなみに10月5日の記事ではサッカーボールの縫い目は何本かを解いていた。


ノーベル工学賞、そしてノーベル数学賞

2014-10-11 09:03:59 | 日記

 ノーベル賞は日本人の大好きな賞である。ノーベル(1833-1896)はダイナマイトなどを作り発展させた化学者であり発明家であり実業家であり巨万の富を得て、その富を人類の自然科学、人文科学の発展に貢献した人びとに分け与えたいと考えたという。
 ノーベルは5分野に賞を与えるとした。医学生理学、物理学、化学、文学、平和である。そして私たちが知る受賞者はいつも格式の高い学者様然とした聖人君子の身なりであり、それが日本人のノーベル賞渇望の力になってきた。しかし今回の受賞者を見ると、うむ少し変わったなという感じがしなくもない。
 赤崎勇氏(1929-)は従来の学者様で異論はないが、天野浩氏(1960-)のなぜ物理学賞?というコメントと、あの特許権利で一石を投じた中村修二氏(1954-)の怒り発言には学者という枠を超えた人間味が感じられる。
 青色発光ダイオード(青色LED)開発実用化の功績が物理学賞ではなく化学賞にふさわしいと考えたり、はたまたどちらにもふさわしくないと考える人々は多いのではないだろうか。
 現代では物理と化学の垣根が低くなってきているし、科学よりも技術の発展が人類社会に大きく貢献・寄与する事実も否定できない。ノーベルだって技術者だったろうし中村氏も実は技術者の鏡であると考えるのが自然ではないだろうか。
 いまさらノーベル工学賞の新設はありえないだろうが、数学賞を設けなかった罪とあわせて、この際7分野に広げてはどうだろう。
 数学者にとってノーベル賞は魅力がなく、受賞するならフィールズ賞でしょうという思いは強いだろうが、ノーベル賞大好きな日本人のためにここは我慢してメジャーなノーベル数学賞新設に協力してはいかがだろう。


人類痛恨の勇み足「原発」を負の世界遺産に

2014-10-09 23:19:56 | 脱原発

 第2次世界大戦で原爆を投下され幾万の尊い命を失い、あげくの果てに無条件降伏をした日本は、それから10年も経たないうちに原子力をコントロールしようという動きに出た。
 なぜ?という疑問もわくが、原爆で経験したあの超とてつもなく大きなエネルギーを僅かなウラン塊で達成できる魅力は軽薄な政治家にとっては権力を握るための恰好の素材だったことは理解できる。
 思えば原子力がいかに危ういと知ったのは原子力船むつの漂流事件あたりからだろうか。人間が原子力をコントロールできるなんて100年いや1000年早かったのだ。
 それでも1974年、原子力は必ず人間の手でコントロールできるとして当時の研究者、技術者、、事業者、政府、国民は原子力を葬ることはしなかった。そして数年後の1979年、スリーマイル島で燃料棒のメルトダウンが起こった。
 その後も原子力の事故は絶えることがない。それでも原発は多重の安全防護をしているとして、原発は安全という誰も実証していない虚構の中30年以上も国民は騙され続けてきた。
 世界遺産には「負の」世界遺産もあるそうだ。アウシュビッツがそうだ。しかし原発は特定の国の世界遺産ではない。世界中いたるところが世界遺産となるのだ。しかし原発は遺産にはできるわけがない、と思う。廃棄物処理事業は遺産になることを許さないからだ。事業が終わり文字通り遺産となって再び人類が笑顔を取り戻す日はいつになるのだろう。