数学のヒント

初等数学の復習と脳の活性化

地域の学習塾(1)

2012-11-16 23:43:35 | 日記
地域の学習塾講師になりたいと思い、本日当該学習塾の代表とお話をした。
本来数学に特化したかたちを希望するのだが、おもに中学生を対象に5教科、とくに英語と数学を受け持ってほしいとのこと。
講師1に対して中学生3名を1コマ80分で講義するようである。
私の信念とは異なるが、いろいろな指導の仕方があってしかるべきであり、是非当該学習塾の進め方を学んでみたいと思う。
ちなみにどちらかというと女性のほうがソフトで中学生が安心する傾向があるそうな。
もちろん大学生程度の講師のほうが親しみやすいようで、しかしながら峠を越えた高齢者の応募が増えてきているとのこと。
これからその傾向が顕著になり10年後はほとんどが高齢化した講師で埋まると思われる。

地域活動としての楽しむ数学の勧め

2012-11-15 19:58:52 | 日記
本来数学は楽しくないし楽しめない。なので「楽しむ数学」と名付けたい。
ここでは老いも若きも数学を楽しむ或いは算数を楽しむことにある。
世の中に広くあるクイズの答えを見い出すのでもよいし
公文(KUMON)みたいに計算を速く確実にできるようになる、のでもよいし
中学や高校の試験問題を解いたり入試問題を解いたり
教科書の例題をなぞったり
大学で習う式の展開に触れるのでもよい。
それとあまたの「数学が楽しくなる本」を始めとする数学本で教養を身につけるもよし。
数学検定の勉強の場でもよし。
個人のレベルで誰が優っているなどの力比べは御法度。
サークルは一般に黙々とした会になりがちだが、トークを大事にする。
わからないことはサークルの人に聞くことが出来る。
題材は算数・数学に関することならなんでもOK。
地域の中学校・高等学校の数学先生にもサークルを紹介しておく。
サークルは月2回で19時から21時までとする。
19時に集まるのが望ましいが、いつ入室してもいつ退室してもOK。
老若男女どなたでもOK。
費用は0円。
のどが渇くので飲み物は持参。
ということを全国各地のコミュニティで展開してはいかが。

つらつら思う高校生数学の極意

2012-11-12 14:50:58 | 日記
数Ⅰ、数ⅡB、数Ⅲが四十数年前に使われていた高校の教科書である。
入学早々因数分解の洗礼を受けた。そして結構難しい因数分解を解いてけなげに勉強して授業に遅れまいとするクラスメートにある種驚かされた。
その心は大学受験のため、という意識ではなく、クラスの中で遅れをとるまいという意識からであったと思う。
それに対して我輩はなんとか楽をしてよい点数を取りたい、という合理的精神の持ち主であったように思う。
南部重信先生、田中清先生、熊谷彬先生、そして岩澤達郎先生。
授業はそれぞれにおもむきがあり、自分の型をもっておられた。
それだけにその場で理解できたかのような錯覚に陥るかさっぱり理解できずに終わってしまうかのどちらかであり、結果はテストで苦労するという悪循環との闘いであった。
いうまでもないが高校では数学だけではなくさまざまな教科があり、それぞれに面白みがある。
古文やら漢文、倫理社会などもっとゆっくり取組んでみたかった。
しかしすぐに大学受験があるという状況では教科に力の配分が生じるというのは無理もないことである。
その点保健体育や音楽、そして美術の先生はそのあたりをよく心得ておられた。
息抜きの教科があるということで数少ないストレス開放の場となったわけである。
3年になってから通称「電話帳」という過去問題集に慌てて取組むなど、数学に関しては余裕のない3年間であったように思う。
当時のテストは100点満点で10点、20点が珍しくなく、それが生徒を奮い立たせるのではなく逆の効果であるやる気のなさを生んでいたのかもしれない。
一期校の大学を失敗してわかったことは数学の出来不出来が合否を大きく左右するということであった。
出来れば100点、出来なければ0点という、まさにバクチ的教科であったのだ。
というわけで数学の面白さとか楽しさなどあるはずもなく、また感じることもなかった。
でも今でも数学に面白さや楽しさを求めようとは思わない。
とくに教える側で面白さ・楽しさを訴えようとしているお歴々がいらっしゃるが、そんなことを訴えるのではなく簡単に満点が取れる極意を教えてほしいものだ。

数学の学力向上はやっぱり塾なのか

2012-11-11 21:40:53 | 日記
人に教わることが大嫌いだった。
ひそかに孤独に勉強をして学校のテストで良い点数をとり快感を得る。
しかしそれができたのはせいぜい高2の始めくらいまでか。
生来の勉強嫌いが、進学校のなかで置いていかれないようにとよく頑張ったほうだ。
しかし数学的帰納法とか漸化式とかになると相当手こずったし、テスト形式が大問が3つか4つになって完全回答が難しくなると、ねばりだけではどうしようもなくなってきた。
当時から通信教育のZ会はあり受験をめざす人たちの雑誌で喧伝されていたが、我らの学校で何名が活用していたか。
仙台にどんな進学塾があったかも覚えていない。
だいたいが体育系の部活動を一生懸命取組んで例外なく一浪、そして茶畑短大という進学塾で高校教師がめんどうをみてくれてその結果地元の大学に合格、というパターンであった。
当時の現役で進学塾に行ったから成績が伸びたというのは聞いたことがないが、数学のツボを教えてもらってもよかったかなと思う。
しかしあくまで塾は合格のための便法であると思うし、その後の人生にどれだけ役立つといえるのかは疑問である。

高等学校の数学が中学校と異なるところ

2012-11-10 21:33:23 | 日記
中学校と異なるところとは、教科書を広げてみれば一目瞭然であるが、考え方や視点を変えないとわかりにくいところといえばよいだろうか。
ベクトルなどはその典型で、確率、数列や級数、順列や組合せも悩ましい。
「赤い玉と白い玉が・・・」と書かれていると、またかと思ってしまい基本を忘れてしまうのだから厄介だ。
教科書さえしっかりマスターすれば怖い問題はなくなり、応用で解けると大見得を切るわけだがそれは次の段階であり、本音をいえば怖い問題が少なくなるのはやはりたくさんの良問に触れればこそであろう。
それにしても数学の問題は難しい。
しかし難産の末解けたとなるとそれが自信につながるから不思議なものだ。
数学の解法とはそもそもヒラメキの連続ではないだろうか。
ヒラメクというのはマグレなのか地道な努力が実を結んでのものか、どっちともいえないところが数学の怖さであり面白さであると想う。