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“イチローの姿をした神”が実行した「逆算のバッティング」

2009年03月25日 | Baseball/MLB

 

「イチローの姿をした神」

 

 ベースボールが他の球技(ボールゲーム)と比較して際立って異色と言える点は大きく二つある。

 

  ひとつはサッカーやバスケットボールなどがボールを直接ゴールに入れること(得点をゴール、あるいはポイントと呼ぶ)、すなわち攻撃側がゴールとボールの距離を近づけるために苦心惨憺するのに対して、ベースボールではランナーがホームプレートを踏むことで得点が入り(得点をRunと呼ぶ)、攻撃側はボールとゴール(ホームプレート)の距離をできる限り遠ざけようとバッティングに臨む。もっともゴールとボールの位置を遠ざけるホームランは、最高の形での得点方法となるわけだ。

 

  もうひとつは、バッターが攻撃(オフェンス)、投手・野手が守備(ディフェンス)に分類されてはいるが、ゲームでもっとも“攻撃的”なイニシアチブを取っているのがピッチャーだということだ。実際、ゲームやプレーはピッチャーがボールを投げなければ始まらない。

 

  日本プロ野球最高最強の投手であった稲尾和久さん(西鉄ライオンズ)のピッチング哲学として有名だったのが「逆算のピッチング」だ。これは相手打者を打ち取るためのウィニングショットをあらかじめ想定しておき、その時点から時計を逆回転させるようにして、勝負球に至るまでの配球を考える方法だ。つまり、勝負球を外角低めのスライダーとあらかじめ決めておいてから、伏線となる配球を組み立てるやり方になる。

 

 当然、対戦を重ねれば重ねるほど、打者にも相手投手のデータは蓄積されているし、多くの打者は狙い球をあらかじめ決めたり絞ったりして打席に入るわけだが、それでも基本的にはベースボールが投手の主導権によって進行するゲームである以上、バッターが“逆算のバッティング”を実行するのは、完全に不可能ではないが極めて困難な作業になる。

 

 ところが、昨日のWBC決勝戦、延長10回表、二死走者二、三塁の場面でバッターボックスに入ったイチローは、見事にそれをやってのけた。もちろん投手がイニシアチブを取っている以上、何球目をどの方向に打つと決めるのは難しいが、それでも韓国代表のクローザー、イム・チャンヨン(東京ヤクルト)の8球目、シンカーを叩いたセンター前への2点タイムリーヒットは、意図的にせよ本能的にせよ、あらかじめ彼の頭の中にイメージされていた一打だったと思う。

 

 あの場面、一点も与えたくない韓国の野手陣は内・外野ともバックホームを優先した陣形を取り、外野手も前進守備を敷いていた。もしイチローが内野手の間を抜いたり、頭を越えたりするシングルヒットを放っても、レフトやライト方向では、生還できるのは三塁走者の内川だけ。だが、9回裏に驚異的な粘りで同点に追いついた韓国打線の底力を考えれば、あの場面では二塁走者の岩村も迎え入れて絶対に2点差にしたいところだった。だとすれば、長打以外で理想的なのは、本塁までの返球距離が両翼に比べて長いセンターに、できれば低い弾道で二遊間を抜けるシングルヒットを放つことだった。

 

 7球目までのイムの投球で、実はレフトかライトに打ち返せる球は少なくとも2球はあったが、イチローはそれをファウルするか見送って、あくまでもセンター前に打ち返せるボールを待った。そしてイムのシンカーが真ん中に入ったところを、見事にセンター方向へ打ち返すことができた。

 

 そのイチローの姿を見て、キューバの指導者フィデル・カストロ前議長も、「世界最高の打者」と絶賛したという。

 

  イチロー自身も試合後に口にしていたが、観客席、そしてテレビ中継を通じての無数のファンからの注目を一身に集めてのあの場面で、本人はもちろん、ファンの大多数が期待し、願い、思い描いた結果を実現できるバッターは、世界中のベースボールプレーヤーのなかでも片手で数えるほどしかいない。イチローが持つ天性の野球センスと、ここまで積み重ねてきた不断の努力が、あの一打を導いたのだ。

 

 かつて、NBAのプレーオフで驚異的な63得点をマークしたマイケル・ジョーダン(ブルズ)を評して、対戦相手セルティックスのエースだったラリー・バード「あれはマイケル・ジョーダンの姿をした神だ」の名言を残したが、その言葉はそのまま昨日のイチローにもあてはまるだろう。しかもジョーダンは63点を挙げながらその試合で敗れたのに対し、イチローは見事に連覇を呼び寄せる一打を放ったのである。そう、私たちは昨日、「イチローの姿をした神」をドジャースタジアムのスタンドや中継のテレビ画面を通じて目撃することができたのだ。過日のエントリーで私はイチローを、タイ・カッブやテッド・ウィリアムズ、ロジャース・ホーンスビーの域に達した大打者と書いたが、もはやそれ以上に、ジョーダンやベーブ・ルースのように神格化・偶像化される存在にまでのぼりつめたのかもしれない。

 

 それにしても、試合前に重苦しく私の心に漂っていた“厭戦気分”を完全に払拭するかのように、日韓の両代表チームは最高の決勝戦を見せてくれた。韓国はベースランニングにおける完成度や、正捕手パク・キョンワンに9回裏代打を出した関係で、イチローに対するベンチの敬遠指示が徹底せず、痛恨の一打を喫してしまったが、それでもリードオフマンのイ・ヨンギュが見せた闘志あふれるヘッドスライディング(ヘルメットがベースランニングで割れるシーンにははじめてお目にかかった)に象徴されるように、最後の最後まで闘争心が薄れることはなかった。イムがあの場面で結果的にイチローとの勝負を選び、敗れたことも、「戦術としての敬遠」を当たり前のように受け止めているファンの目には、潔く、さわやかなシーンに映ったはずだ。
 野村克也監督もコメントしていたが、WBCの舞台でアジアの野球レベルの高さを間違いなくアピールすることができたし、私が望んでいた「最高のベースボールゲーム」を堪能させてもらった。

 

 試合前のセレモニーで、優勝トロフィー返還を行なった王貞治前WBC代表監督が、病気の後遺症で歩行が不自由なため、フィールドに整列せずダッグアウトにいた韓国のキム・インシク監督のもとに歩み寄り、握手と抱擁を交わした姿は本当に感動的だった。とかく日韓両国の対抗意識がいたずらにヒートアップし、私が感じたような“厭戦気分”を味わっていたファンが少なからずいたなかで、それを一気に氷解されたのは、やはり王さんの人間性の素晴らしさだと思う。

 

 できれば試合後に両者がお互いの健闘をたたえ合うシーンを見たかったし、運営方法は抜本的に見直してほしい(決勝トーナメントは日米韓のオールスターを中止して充てるべきだと思う)し、ベストナインに城島健司ではなくイバン・ロドリゲスが選出されたことには大いに不満を感じるが、それでも前回大会に比べれば、選手たちと同じ帽子をかぶり、スタジャンを着込んで応援し、試合終了後にはダッグアウトで真っ先に選手を出迎えていた加藤コミッショナーの姿には(前職の方と比べれば特に=笑)好感がもてたし、清原和博の解説者ぶりも大いに楽しむことができた(彼はボキャブラリーを増やし、言語表現を磨けば、野球中継の人気を再上昇させられるくらいの素質を持っていると思う)。あと、ドジャースタジアムのネット裏2列目の席に伊良部秀輝の姿がありましたネ(笑)。報知新聞の蛭間豊章記者がコラムで書いていたとおり、「不完全な大会ながら、完璧なエンディング」であったと私も思う。

 

 日本野球界に残されたテーマは、「スモールベースボール」の成功におぼれず、野球界全体で得点力の向上を目指すことであり、そのためには松井秀喜以来見当たらない本当の“スラッガー”を発掘し、育成しなければならない。

 

 ともあれ、日本代表の連続優勝を心から祝福したい。

 

 

 

 

  

 

  

  

 

イチロー×北野武キャッチボール
北野 武,イチロー×北野武「キャッチボール」製作委員会
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