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ベースボールと戦争③沢村栄治の野球生命を奪った3度の兵役

2011年08月16日 | Baseball/MLB

沢村栄治(1917-1944)

 

 終戦記念日に合わせて、「靖国の“鎮魂”を疑う」と題し、以前別媒体で発表した「ベースボールと戦争」を加筆訂正のうえ転載します。今日は伝説の名投手・沢村栄治が3度の兵役によって野球生命、さらには洋々たる前途をどのように断たれたかのエピソードです。

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1934年(昭和9年)1120日、静岡・草薙球場で日米野球第8戦が開催された。この日、全日本チームが先発のマウンドに送り出した17歳の沢村栄治投手は、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグ(ヤンキース)、ジミー・フォックス(アスレチックス)らを擁した大リーグオールスターチームを相手に「歴史的快投」を演じた。

 ここまで全日本は7戦全敗で、沢村も第5戦で大敗を喫していたが、この試合では快速球と「懸河のドロップ」と呼ばれた大きなカーブがさえわたった。1回一死後、二番チャーリー・ゲーリンジャー(タイガース)、三番ルースを連続三振に切って取り、二回も四番ゲーリッグ、五番フォックスのバットが空を切る。この4選手はのちに米国の野球殿堂入りを果たし、ゲーリッグとフォックスは同年と前年の三冠王だった。

 六回を終えて、沢村は被安打21四球、6奪三振と堂々の投球内容だったが、七回一死後、カウント1-0からゲーリッグに弾丸ライナーのソロ本塁打を浴び、これが決勝点となって沢村は01で惜敗したが、被安打51四球、9奪三振の見事な投球内容だった。

 1936年(昭和11年)に日本職業野球連盟が7球団で旗揚げすると、沢村は史上初のノーヒットノーランを含む14勝をマークし、洲崎球場で行なわれた大阪タイガースとの優勝決定戦でも全3試合に登板し2勝をあげ、巨人の初優勝に貢献した。さらに翌37年春のリーグ戦では24勝、防御率0.81のほか、奪三振、完封、勝率すべて1位の「投手五冠」で優勝の原動力となり、プロ野球の初代MVP(最高殊勲選手)に選ばれている(現在、その表彰状は東京の野球体育博物館に展示されている)。

 そんな沢村に「異変」が生じたのは1937年秋のリーグ戦だった。

 野球記者・大和球士氏(故人)の著書「プロ野球三国志」によれば、秋季リーグ戦開幕前の721日、沢村は故郷の三重県宇治山田に一時帰郷し、徴兵検査を受けている。結果は「甲種合格」で、シーズン終了後の現役入隊が決まった。すでに日中戦争の戦火が拡大の一途をたどっていた当時、軍隊に入ることはいやがうえにも「死」と直面することになる。

 沢村の精神的ショックは大きく、秋季リーグ戦では96敗、防御率2.38と大きく成績を落とした。とくにライバルのタイガース戦では登板のたびにKOされ、そのため巨人はタイガースに7戦全敗、年度優勝決定戦でも24敗で王座を明け渡している。

 

 入営後の沢村は、中国戦線に派遣され、銃弾が左手を貫通する重傷を負い、軍隊内での「手榴弾投げ競争」にもたびたび駆り出されて右肩を痛めた。40年に復帰したとき、全盛期の快速球は見る影もなくなり、制球力に活路を求めて4076日には現在も日本プロ野球記録(広島・外木場義郎とタイ)の3度目のノーヒッターを達成したものの、入営前の2年間(4シーズン)合計で47勝、奪三振448、防御率1.33をマークしながら、結局、実働わずか5年間(7シーズン)で通算63勝、防御率1.74、奪三振554の生涯成績で終わっている。

 さらに41年秋、44年秋と3度の召集を受けた末、4412月2日、フィリピンに向かう輸送船が台湾沖で米軍艦に撃沈され、その生涯を閉じた。2710カ月だった。

 

 沢村の短すぎる生涯には、日米関係の悪化と開戦によって、軍国主義体制による野球への「敵性競技」視が強まったことが大きく影を落としていた。

 たとえば兵役猶予のため大学夜間部に籍を置く方法もあったのだが、沢村は京都商を中退していたうえ、職業野球を代表する大スターだったがゆえに、球団幹部が軍部の不興を買うことを恐れ、兵役猶予のための中学卒業資格取得や大学夜間部入学を許さなかったといわれている。

 予備役からの2度の応召についても、野球界の象徴的存在だったことで当局による何らかの恣意的な意図が介在したとの見方が少なくない。

 

   いかに敵国アメリカの国技とはいえ、軍国主義体制、戦時下における野球への弾圧ぶりは尋常なものではなかった。その背景には、大正デモクラシーが昭和の到来とともに終焉を迎え、日本が急速に軍国主義化へと進むなかで、野球が権力や体制から敵視・危険視されていった歴史的な経緯があった(つづく)。

 

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