六十里越えの国道252号線をすすむと田子倉湖が目に飛び込んできた。湖は突然、劇的にあらわれたのだ。
思わずバイクをとめて絶景に見入った。これだけダイナミックな風景には中々出会えないだろう。
山をくだって田子倉湖の畔にでた。静かで大きな湖だ。
山道をゆく。只見の町に入ってゆくがこんな山奥によく集落があるなと感じるほど山深いところだ。町の中をすすむと青少年旅行村の看板がある。17時までと書いてあり、時刻は17時半になっているが、とにかくキャンプができるのか聞いてみることにした。
受付に人はいるだろうかと不安だったが、行ってみるといた。キャンプができるのかたずねてみると宿泊可能とのこと。泊まれるときいてホッとした。料金は700円だ。職員の方は今夜は21時までいるそうで、風呂やスーパーの場所などを親切におしえてくれた。
今夜の野営地は決まった。管理棟の前は貸し切りのスペース?のようだ。
奥にあるオート・キャンプ・サイトに移動するとかなり混んでいる。人気のキャンプ場なのだ。夏休みだからファミリーが多いが、グループやソロ・キャンパーもいる。サイトの端に空いているスペースをみつけ、テントを設営することにした。
テントを立てていると、奥に自転車の人がもうひとりやってきた。同年輩の方で自転車は輪行ランドナーのマッドガードをはずしたものだ。こんにちは、とランドナー氏と挨拶をかわす。風呂とスーパーにゆくことにするが、帰ってきたら暗くなっているだろうからランタンの用意もしておいた。
只見川には川霧がわいていた。この橋の上からはブロッケン現象も見られるのだそうだ。
スーパーをのぞくとこちらの方が肉も魚も豊富でよいものがある。しかし買物は風呂の後にすることにして、会津ただみ振興公社の運営している、まち湯ひとっぷろ、にゆく。料金は500円だ。お湯はバスクリンをいれたようななグリーンの熱い湯だった。露天風呂はないがサウナはある。そのサウナにはだれも入っていなくて私の貸し切りだ。ここは食事もできる施設だった。
風呂は20時までだがスーパーは19時までだ。19時前にスーパーにより、買物をしてテントにもどると、さっそくビールを開けた。
スーパーで馬刺しを買ってきた。福島は馬肉の人気が高いようだ。以前も購入したことがあったが、そのときと同じニンニクのきいた味噌ダレがついていた。その味噌の入っていた袋の切れ端が馬刺しの上にのっかっているのはご愛嬌である。
馬刺しを食べ終えると、新潟のスーパーで買ってきた豚ロースともやしにする。
まずもやしを敷き詰めて焼く。
その真ん中に豚ロースを投入する。豚肉は思ったよりも薄いから、焼肉用ではなくて炒めもの用みたいだ。味つけは焼肉のタレにする。こんなものだがものすごく美味しかった。
子供たちがにぎやかに花火をしている。それをツマミにしてのむ。子供がうれしくてはしゃぎまわっているのを見るのはよいものだ。親は周囲にだいぶ気をつかっているが。
星がすごい。こんなにたくさんの星くずを見たのはひさしぶりだ。

福島・新潟県境から奥只見湖畔の銀山平にむかうのは、国道352号線だが舗装林道のような道だ。沢が道路を横切っているところが何ヶ所もあった。

道路は山の中腹に無理やりつけられている。山肌にある白い横線が道のあるところだ。谷底を避けて高いところをすすむようになっていたが、一定の高さの場所をゆくのが効率的なのだろう。

道路の上の法面は崩落防止のためにコンクリートでかためられている。狭いルートだが2輪通行止めだった理由がわからない。事故が多かったからなのだろうか。

道はカーブが延々とつづく山岳路だ。速度は上げられないから距離はかせげない。たまに対向車が来るが蛇とカエルが1匹ずつが路上にいた。

遠くに奥只見湖がみえてきた。

沢が道路を流れているところでは、藻が生えているところがあり、バイクを傾けて通過するとすべることがあり、ヒヤリとした。

細くて狭いクネクネ道を何10キロも走り、15時に銀山平の船着場に到着した。

ここが奥只見湖のバック・ウォーター、北ノ又川のそそぐ地点だ。はじめて来たがここは釣人の憧れの地だ。大型のイワナやサクラマスが釣れるからだが、容易には行けない秘境だからでもある。

以前釣りに熱中していたころはここに来たかったものなのだ。その感慨にひたりたいが雨が落ちてきた。ガスも出てきたのでここを離れることにした。

次は北にある田子倉湖にゆきたいが北上する道はない。西にすすんで峠越えし、新潟県の小出まで下って別ルートで福島方向にもどらなければならない。峠道ををトンネルでパスするシルバーラインがあるが、ここは現在も2輪通行止めである。何故なのか理由がわからない。役人の硬い頭では、バイクはトンネルでは危険と刷り込まれてしまっていて、道理がわからなくなっているのだろう(読者の方にご指摘をいただいた。シルバーラインは路面にたえず水が湧き出しているため、2輪通行止めなのだそうだ)。

狭い山道をのぼり枝折峠についた。雨は落ちていないがガスが濃い。雲の中なのかもしれないとも思う。晴れていれば絶景だそうだが風景は何もみえなかった。
峠からの下りも霧で視界が悪く、道は細い舗装林道である。カーブの連続する難路をライトをつけて慎重に走ってゆく。山をおりてゆくと晴れてきた。湯之谷温泉まで下ると道路の斜度はおちついて、道幅も広くなる。小出駅のちかくまでいって国道17号線に入って北上し、すぐに国道252号線に折れて福島方向にむかった。

Aコープ広瀬店があったので夕食の食材を買うために立ち寄った。肉や魚に欲しいものがないが、何か買っておかないとこの先で店がないかもしれないので、豚ロース肉ともやし、水2リットルを手に入れておく。時刻は16時すぎだった。
ここから只見町まで50キロほどだ。キャンプ地は福島県柳津町の森林公園を候補としていた。しかしそこまではまだ距離がある。すぐ先にある守門温泉にも野営場はあるが、以前利用したときの印象が悪いから使いたくない。最終的に柳津までゆくとしても、どこかで宿泊地に出会うこともあるかもしれないと考えていた。

小出から田子倉湖にぬけるルートはよく整備されていた。奥只見湖の狭い道路とはまったくちがっていて、ずっと二車線だしスノー・シェッドもたくさんかけられている。六十里越という古い生活道路のためのようだが、雪割街道という詩的な名前もついていた。

六十里越トンネルをでて新潟から福島県に入ったところで休憩する。気温はさがり寒いほどだ。奥只見湖にも同じ看板があったが、ライト・トラップによる昆虫採集は禁止です、とある。ここで照明をつけて虫取りをしたらたくさんとれてしまうのだろう。地図を見て野営場所を検討すると只見町に青少年旅行村のキャンプ場がある。泊まれるのかわからないが、ここをのぞいてゆくことにした。

2018年の8月。福島と新潟との県境地帯、奥只見湖や銀山平、田子倉湖をめぐるキャンプ・ツーリングにでかけた。高速道路は使わずに国道を北上し、栃木県鬼怒川のスポーツ公園で休憩する。空には雲が多い。昨日の関東地方は雨がはげしく降ったが、当日も夕立の予報がでていて、天候はいってみなければわからない状況だった。それでもバイクで走りたい気持ちが強くてツーリングにでたのだ。休んでいると東武鉄道のSLが汽笛をならして走り去ってゆく音がきこえた。

国道121号線の日光街道(会津西街道)を北上してゆく。横をながれる川は増水して濁っている。少し前に雨が降ったようで路面もぬれていた。日光市横川の不動滝で休憩する。滝の水量もおおく水がはげしく落ちていた。

雨がパラパラと落ちてくるがすぐにやんでくれる。山王峠をこえるとひんやりとしてきた。ワークマン製のジャケットを着ていたが寒いほどだ。メッシュ・ジャケット買おうと思ったのだが、2万円もするからワークマンの寅壱という作業着にしたのだ。一見するとそうとは見えず、4900円と格安だった。

そろそろ昼食をとりたいと思っていると、風雨で落ちてしまった青い栗をみつけた。今年はじめて目にする栗だ。

会津高原駅付近を走っているとサルが2匹いた。道路をわたっている。サルは意外と大きく、後ろを歩いている奴と目があった。11時すぎに蕎麦屋の『おり田』にはいった。たのんだのは天ぷら蕎麦1400円の大盛り300円で1700円である。

几帳面な仕事のしてあるきれいな蕎麦と素朴な接客だった。☆5点満点・平均3点で3、2点。

前回に引き続きだが、今回もツルツルのタイヤでツーリングにでてきた。なるべくタイヤを使い倒したいという貧乏根性からである。溝はほぼないが、林道を走る予定はないので丈夫だろう。エネオスがあったので給油をする。22、9K/L。ここはTポイントカードのつかえない店だった。

蓮の花が咲いていたのでバイクをとめた。

同じことを考えた犬連れの夫婦といっしょに蓮の花をたのしんだ。

国道352号線の沼田街道をすすむと大桃の歌舞伎舞台の案内がでていたので立ち寄る。

村歌舞伎の舞台である。茅葺の屋根にはぺんぺん草が生えているが、歌舞伎の当日は華やかに飾り立てられている写真が案内板にあった。

桧枝岐を通過して尾瀬の北の入口、沼山峠につづく御池についた。20年以上前に沼山峠に車をとめて尾瀬沼にいったことがあるが、現在は御池ー沼山峠間はマイカー規制がされていた。

御池の手前から道は狭くなり舗装林道のようになった。森も深くなり、ここは樹海ラインと言う名前がついている。それでもこんな山奥に住んでいる人がいて驚いてしまった。

ブナとシラカバのおおい深い樹林帯を通過して福島・新潟の県境についた。20年以上前はこの手前から2輪は通行禁止だったのだ。むなしく引き返したことがあり、そのときのリベンジでやってきたのだが、じつに四半世紀ぶりの再訪問である。

只見川にかかる橋が県境だ。ここまで深山に入ると沢の水も澄みきっていた。

富岡の町の中心部、マミーマートの前で国道6号線にはいることができた。むかったのはキャンプ仲間と何度も夜宴をした天神岬だ。北海道仲間のやまちゃんから、天神岬のキャンプ場が再開されていることを聞いていたのである。国道から天神岬に折れるところは何もなかったはずが、今はコメリができ、避難住宅も建ち並んでいた。風景があまりにも変わったので、わからなくて一度通り過ぎてしまった。

駐車場からキャンプ場を見る。

バーベキューをしているグループやファミキャンの人がいた。

場内はきれいに整備されている。

太平洋が見えて気持ちがよい。しかし獣が多くなっているので、イノシシに注意という看板もでていた。

温泉とレストランのあるしおかぜ荘にゆく。

風呂につかることにする。料金は700円だ。湯は関東に多い黒い色のもので、ヌルヌルとしたとてもよい泉質だ。以前はなかった露天風呂がつくられていて、さらに好ましい施設になっていた。体が冷えていたので最初は熱く感じたが湯の温度はたかくない。特に露天風呂は38℃なのでゆっくりとつかっていられた。

風呂の後はレストラン岬にいって昼食にする。メニューは豊富で、店内は8分の入りとままずまずのにぎわい。地元の人が多いようだ。海産物がたべたかったのでいちばん高い岬膳2080円を注文した。

豪華な料理がやってきた。しかも品数を考えたらお値打ちだ。

刺身のイカの鮮度がよく、ブリもしっかりしているから天然物か。天ぷらには海老天が2本もあった。

具沢山の茶碗蒸しにサラダとデザート。次に来てもこれをたのむと思う。☆5点満点平均3点で3、4点。窓からはキャンプ場と海が見えた。

天神岬からいわきに南下する。いわきの街は大きい。ベンツの正規販売店もある。いわきにある国宝の白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)にやってきた。

福島にこんな国宝があるのは最近まで知らなかった。地図をみていて気づいたのである。

阿弥陀堂の前には浄土をあらわす池がつくられている。

茅葺屋根の上品な阿弥陀堂だ。ここは奥州平泉の藤原清衡の娘で、岩城の国主に嫁いだ徳姫が建立した寺だそうだ。堂の中には阿弥陀如来と観世音菩薩、勢至菩薩などが安置されていて、お坊さんが丁寧に説明をしてくれた。

阿弥陀堂のおまいりがすむと池を一周してみる。しずかに、ゆっくりとあるく。

この木の奥に阿弥陀堂がたっている。

池にはいろいろな花がさいていた。

時間がおしてきたので湯本ICから常磐道にのって南下する。東海PAで休憩した。
水戸で高速をおり、ここからは一般道で自宅にむかう。茨城の田んぼは早くも青々としている。そしてヒメジョオンは少なかった。

帰宅前にコンビニによった。買物を終え、エンジンをかけようとしてデコンプ・レバーをにぎると、ワイヤーが切れてしまった。あと数キロで家に着くというのに最後に山場がまっていたのだ。予備のワイヤーは持っているが、できればこのまま帰りたい。650ccの大きなピストンをもつDRは、デコンプで圧縮をぬかないとキックが踏めないのだ。ためしにやってみるも、びくともしない。しかし以前、ヤマハSRにのる友人が、デコンプなしでDRのキックをしたことがあった。それを思い出して、右足に全体重をのせると、ゆっくりとキックがおりる。そうしてさぐると、踏めるポイントがあることがわかった。そのポイントでキックをすると、3回目でエンジンはかかってくれた。エンジンがあたたまっていたからかかったのだ。そうでなければ、デコンプ無しに始動することは不可能だった。これで自宅に帰り着くことができた。(デコンプ・ワイヤーの交換記事はこちら)
走行距離 900キロ

2日目。5時に目が覚めた。二度寝して5時半に起床する。よく眠った。昨夜は冷え込まず、10℃以下にはならなかったようだ。

湯をわかしてコーヒーを飲み、カップ麺の朝食をとる。

食べていたら椅子がこわれてしまった。

場内を散歩する。カッコウが鳴いている。ホーホケキョ、と言っているが、たまに、ホー、ダメジャン、とも聞こえる。ダメジャン? 笑ってしまった。

バイクは駐車場にとめておいた。他にいたオートバイはスズキ・Vストーム、トライアンフ・タイガーとアメリカン・バイクでアドベンチャー系が目立った。

霧がでてきたがすぐに晴れた。

こんな車で来ていたキャンパーもいた。まんまレーシングカーだ。

フライシートが朝露で濡れていたので撤収に手間取り7時20分に出発する。バイクの奥には線量計があって、原発事故のことを考えると心が重くなった。
山を下ってゆくと気温が丁度よく、風を切ってバイクで走るのが爽快だ。オートバイって最高だと思う瞬間である。二本松に入ると気温は14℃、19℃と上がってゆく。郡山から国道288号線で太平洋にむかうが、交通量のすくない快走路だ。山道でカーブがつづくので自分のペースで気分よくすすんでいった。

三春駅にたちよった。きれいな駅舎だ。

三春にはデコ屋敷というところがあるが、デコとは木彫りの人形で、三春は木彫りや張子の人形が名産で、駅に展示してあった。

見ていて楽しい。

国道288号線の都路街道をゆく。山ツツジが咲いている。耕作放棄地が増えてきた。

手入れのしてある田んぼの畦には山形と同じようにヒメジョオンが咲いている。そして獣避けに電気柵が設置されていた。

きれいな花が咲いているのでバイクをとめた。

よいところだと単純に思ったのだが、これも耕作放棄地なのかもしれない。作物を育てられないから花を植えたのだろうか。しかし地元の方は生活をしているし、豊かな印象をうける。とてもよい田舎だ。

国道288号線をすすむと原発近くにでる。さすがにそこは通れないだろうと思い、国道399号線に折れて南下し、川内村で休憩するとここにも線量計があった。村役場には、お帰り川内村、と大きく掲げられていた。
県道36号線で夜ノ森を通って国道6号線ににアクセスすることにする。山の中を走っていると寒い。21℃とあるがトンネルに入ると辛いほどだ。富岡町に入ると畑と田んぼはすべて放置されている。それどころか耕作を諦めて太陽光発電のパネルを敷きつめている畑も目立った。原子力発電所の事故で作物がつくれなくなった耕作地なのに、そこで太陽光発電をして、売電事業をしているこの皮肉な現実に、喉の奥に異物がつまったような感覚を味わった。よいところなのに、よい田舎なのに、無念だ。

県道35号線との分岐をすぎると、スクリーニングと表示された検問所のようなものがあり、看板がたっていた。

バイクや歩行者は通行できないとある。車の通行はできるようになったと聞いていたが、まだまだ高線量なのだ。スクリーニングとは被爆量の継続検査をしているようだ。ここの方に道を聞いて、県道35号線に引き返して南下し、富岡にでることにした。

米沢から赤湯に北上した。距離は18キロほどだ。高校一年生のときに自転車で東北一周の旅にでたのだが、そのときに野宿しようとして断られたのが赤湯駅なのだ。若い駅員さんには許可をもらったのだが、その後で駅長風の人にダメだと言われ、近くの公園のベンチで野宿をした。それを偲ぼうとしたのだが、駅舎はモダンなものに建て替えられていて、当時の面影はない。今では山形新幹線もとまるようだ。田舎の小さな駅だったが40年もたてば変わるよね。公園は近くにふたつあり、烏帽子公園にいってみたが、泊まったのはここではなかった。
ふたたび米沢にむかう。道路の横には田んぼがひろがるが、畦にヒメジョオンが咲いているのが印象的だ。畦はきれいに草刈りをするイメージがあるが、こちらでは野の花はのこすのだろうか。畦だけでなく、路傍や空地にもヒメジョオンはたくさん生えていて、タンポポも残っていた。

米沢にある茅葺屋根の笹野観音堂にゆきたかったが時間がおしてきた。今回はパスすることにして国道121号線で福島県の喜多方にむかう。県境をこえて道の駅喜多の郷で休憩した。ここには蔵の湯が併設されているが、よい風呂だった印象がのこっている。

道の駅の横には池があり、右の森の中にキャンプ場があるので、いつか利用してみたいと思っている。

喜多方のスーパーで夕食の材料を買い、国道459号線で裏磐梯の桧原湖を通過してゆく。

国道115号線にはいって土湯にむかう。今日の宿泊地はあだたら高原キャンプ場だ。何度も利用している、お気に入りの無料の野営場である。高度を上げてゆくと冷えてきた。土湯トンネルでは寒いほどだ。トンネルをぬけて下ってゆくと気温は上昇してくれた。

18時20分にキャンプ場についた。明るいうちに到着したいと思っていたから希望どおりである。

車・バイクの乗り入れは禁止になっていた。

他のキャンパーから距離をとって場所を決め、テントを設営する。

帰ってから確認すると前回とほぼ同じところだった。

キャンプ場の前にあるスカイピアの空の湯にゆく。料金は510円だがJAFの割引があり410円になった。空の湯は露天風呂はなく、景色も見えない温泉だ。☆5点満点平均3点で2、9点。

風呂上りに260円と観光地価格の発泡酒を飲みつつメモをつける。

夕食は牛バラ肉と豚カシラ肉とモヤシである。それに焼酎の水割りだ。

牛バラ肉の第一ロット。ジンギスカン鍋で焼いてゆく。味つけは焼肉のタレだ。

豚カシラで第二ロット。ロット、と言うのは北海道仲間のマックさんの口癖だった。カシラの味つけは塩コショーだ。

牛バラの第三ロット。モヤシもうまい。

豚カシラで第四ロット。焼酎がすすむ。

同じく第四ロット。モヤシを追加。

モヤシが終わり残った肉で第五ロット。

肉祭りはこれで終了。ひとり焼肉もよしである。食後は食器を洗い、冷えてきたのでテントにはいり酒をのんだ。福島市の明朝の最低気温は11℃の予想である。それよりも高地のここは10℃を切るだろうから冬用のシュラフを用意している。寝袋にはいって飲んでいるとすぐに眠ってしまった。

2018年の5月。米沢と福島をめぐるキャンプ・ツーリングにでた。まず東北道で米沢にむかう。栃木県の矢板北PAで休むが、このときは福島西ICで高速をでて、国道13号線で栗子峠をこえて米沢に入るつもりだった。以前米沢や山寺にいったときはこのルートだったし、私の地図が2007年版だったからである。

福島県にはいり北上してゆく。福島はひろい。なかなか県北にある福島市につかない。ようやく福島松川PAに到達して一息いれると、私の地図では工事中になっている東北中央道が、福島から米沢まで開通していることを知った。この自動車道を利用すれば1時間以上の短縮は確実なので、このルートをえらんだが、福島・米沢間は無料だったから、この道路に気づいてよかった。

米沢にはいりまず米沢城址にある上杉神社にむかう。神社の周辺は渋滞し、混雑していたが、たくさんいるバイクは都内・埼玉ナンバーだった。ライダーの年齢層はは50代、60代である。彼らと会釈をかわしてオートバイをとめ、参道をあるいた。

藩の財政を立て直した上杉鷹山(ようざん)候の像があった。

神社の入口には毘沙門天の毘と龍の旗がある。勇壮だ。

唐門。

本殿。

上杉謙信候の亡骸が安置されていたという本丸跡から堀越しに城址公園をみる。昼時となった。いろいろとゆきたいお店はあるのだが、土地勘がないし、バイクにスマホ・ホルダーを装備していないからナビまかせにもできない。時間をかければ目的のレストランにゆけるが、旅先で時をロスするのはもったいないので、一期一会でここだと感じた店舗に入ることにした。

上杉家歴代の藩主の墓である上杉家霊廟にむかうと地元の車でにぎわっている蕎麦屋があった。

可祝屋支店という食堂だ。ここに入ることにした。

山形では蕎麦屋でラーメンをたべると聞く。店内の客もほとんどが中華そばか冷し中華なので、中華そば600円の大盛りプラス100円の700円をオーダーした。

ラーメンの第一印象はあっさり、さっぱりで毎日たべられる味だ。薄口だが肉の出汁がきいている。たくあんがついているのが珍しい。ネギがきいていて、メンマはやさしい。しかし単調なのでたべすすむと飽きてくるのが難。☆5点満点平均3点で2、9点。

上杉家霊廟にすすむ。厳粛な雰囲気だ。

入場料は350円。

謙信候の墓所が中央にある、

謙信候の亡骸は米沢城から霊廟の中央にうつされている。

左右には歴代の藩主の墓所がならび、鷹山候のものもあった。

町にもどると米沢織りのお店があった。

米織会館だ。米沢織りは有名なので立ち寄ってみた。

男着物のコート。とんびと呼ばれるもの。8万くらいだったか。

店内のディスプレイ。

男用の角帯や反物など。帯は2・3万のものが多かった。米沢は紬が有名だが、名産と言えば、はかまの生地なのだそうだ。はかまと言えば仙台平が有名だが、全国シュアでは米沢がナンバーワンとのこと。知らなかった。米沢弁のお店のお姉さんに教えてもらった。

ゆっくりと荷物をまとめて8時半にキャンプ場をでた。二本松に下ってゆくが涼しくて気持ちのよいたどりだ。ただ手だけが冷たい。もうすこしたつと冬用のグローブの季節だ。山をおりると13℃だった。

国道4号線を南下して道の駅ひらたで休憩する。この花は大文字草だそうだ。珍しいので写真をとった。

気温はあがってきた。

小名浜にやってきた。アクアマリンの建物が印象的で、新しい橋ができて風景が一新されていた。

いわき・ら・ら・ミュウを見物する。物販店とレストランが入っている観光施設だ。

小名浜のチーナン食堂にゆく。6人ならんでいたので私もその列にくわわった。前回利用した海鮮料理のうろこいちの前には、たいへんな数の人がならんでいた。これだけ並ばれると入るのは断念するほどだ。

10分ほどで席につけた。たのんだのはラーメン半チャーハンの850円。店内のほとんどの人がらーめんを注文していた。

料理は5分ほどで提供された。手早い。スープはあっさり。硬めのストレート麺。凝ったラーメンではなく、昔から同じ味なんだろうなと思える一杯。

具沢山のチャーハン。量もたっぷり。接客が親身なのがよいが、わざわざ行くほどではないな。

6号線を南下してゆく。茨城県の北茨城にはいるが、ここは海と山がある土地として、関東でいちばん土地が安いのではないかと、ひそかに注目しているところだ。水戸から北茨城にかけての海岸線が、別荘地として穴場ではなかろうか。買わないけど。
水戸から高速に乗り、帰路についた。

6時に目をさますとテントの中はオレンジ色だった。日がでてテントの中がフライシートの色に染まっているのである。外には霜がおりていた。夜から朝にかけて冷え込んだが、シュラフに入っていれば快適だった。

キャンプ場内を散歩してみた。まだ皆さん寝ている。

たくさんのテントがたっていた。

スタイルは多様だ。

私のテント・サイト。

ここは草が深いキャンプ場だ。

朝食はコーヒーとカップめん。

となりのスクーターの人は朝から焚き火をおこしている。

昨夜もずっと焚き火をして飲み食いしていたが、今朝も熾き火に鍋をかけていた。

焚き火が目的なのだろう。ここはそんなことができるキャンプ場だ。彼は炊き上がった米を口にふくんで味をたしかめると、ひとりでうなずいていた。同じ年くらいの人だった。

今日も快晴だ。

棚倉町の山本不動尊を15時前にでて、いそいであだたら高原キャンプ場にやってきた。スクーターのキャンパーのとなりにバイクをとめる。スクーター氏はたのしそうに焚き火で調理をしていた。

暗くなるとテントの設営がやりづらくなるので、17時までにキャンプ場につきたいと思っていたが、そのとおりの到着となった。

サイトにはワイルドなキャンパーが散らばっている。皆さん自分のキャンプ・スタイルが確立しているようで、筋金入りのアウトドアマンばかりの雰囲気だ。
ここはトイレが汲み取りなので人気がないキャンプ場だ。しかし私のようにそれを気にしない者にとっては、空いていて、自然に近いところがたまらなく魅力的な野営場である。だいたい私がキャンプをはじめた40年前は、キャンプ場のトイレは汲み取りしかなかったのだ。キャンプは大自然の中でたのしむものだから、それで当然なのである。水洗トイレやウォシュレット、温泉がなければキャンプできないと言う人もいるが、それならわざわざキャンプをしなくてもよいのではないかと私は感じる。

買い物と給油はすませてきた。日が暮れる前に手早くテントをたて、シュラフやマット、食器やランプなどの用意をととのえておいた。

暮れてきた。よい雰囲気である。

キャンプ場の前にある日帰り温泉のスカイピアにゆく。料金は510円だ。フィンランド式という低温サウナと大風呂がふたつあり、露天風呂はなしである。これまではバイクで5分ほどの岳温泉にいっていたのでスカイピアははじめてだ。キャンプ場から歩いてゆけるから、こちらのほうが便利である。

温泉で疲れをながし、風呂上りに休憩所でビールを飲んだ。

食堂は残念ながら閉店していた。メニューはもつ煮、餃子、シュウマイ、おでんなど。営業していれば利用しただろう。時刻は18時すぎ。ビールを飲みながらここでメモをつけた。

テントにもどり、ひとり宴会を開始する。今夜は満月である。月は見えるが星はすくない。

今宵の肴は馬刺し。そして地酒の大七。日本酒を空けると焼酎に切り替えて飲みすすむ。馬肉のタレはニンニク味噌に辛子入り。このタレが馬肉によくあう。馬肉がなくなった後は、この味噌をツマミとした。ひとりなのにキャンプの夜はたまらなく愉快に更けてゆく。息が白くなった。気温は10℃以下のようだ。