先日ラジオで「全国に災害伝承碑というのがある」と言っていました。「国交省国土地理院」の資料で近くの伝承碑を探すと大津市梅ノ木(R367沿い)にありました。
内容を確認すると1662年(寛文)の近江・若狭地震に伴う比良山系武奈ヶ岳西面で発生した大規模な山崩れの伝承碑とのこと。
先日枚方から移動の時に立ち寄ってみました。R367沿い梅ノ木集落から5分ほど登ったところに普済寺という寺院がありますがここの境内にありました。
1662年6月16日昼前、近江・若狭地震により大規模な山崩れが発生し、町居村、榎(梅ノ木)村が壊滅的な被害を受け、倒壊・埋没50軒以上、死者560人という大きな災害となったといわれています。伝承碑は1758年(宝暦)のほぼ100年後に建立されたとのこと。
お寺の周りを見るといかにも山崩れしそうな大きな岩がごろごろした旧斜面になっています。
京都から比良山系を通り小浜方面へ至るラインには花折断層があり、危険な地域との認識は持っていました。加えて比良山系の西側斜面は極めて傾斜がきつく、近年進められた針葉樹の植林により素人目にも大きな地震が発生するとあちこちで山崩れが起きるのではないかとの危惧がありました。
梅ノ木の対岸(採石場入り口)あたりから崩落したと思われる山(沢筋)を望む。崩壊の起点となったと思われる個所は標高1000mで武奈ヶ岳へ向かう登山道に接しており、現在も崩壊が進み「イオウハゲ」と呼ばれています。
沢筋の下部杉の植林地あたりが崩壊土砂が堆積した跡でしょうか。
標高差700mを崩れ落ちてきた土砂は葛川を埋めつくし対岸(現在の採石場)まで達し、巨大な自然ダムとなり上流の坊村あたりまで水に浸かったそうです。土砂に埋没した家はさらに水に浸かり、2週間後には自然ダムの崩壊により流されてしまいました。壊滅的な打撃で人手もなく、近隣でも同様な土砂崩れが頻発していたようで救出活動はほぼできなかったとのことです。
昨年も被災地の沢筋では砂防堤工事が進められていましたが、とても大規模な山崩れに対応できるようなものではなく、かろうじて極々近年の土砂流出に間に合うかなという程度。
国交省も当然過去の災害は認識しているとは思いますが、数百年に一度の災害にまで気を配る気持ちはさらさらなさそうです。想定外(想定の対象にしていない?)でしょうかね。
大規模災害と言えば必ず思い起こすことがあります。私が高校生の頃1972年7月6日故郷の天草上島倉岳町周辺で時間100mmを越える豪雨が発生し、土石流などで100人以上の犠牲者が出たと記憶しています。私が住んでいる天草下島は災害レベルではありませんでしたが、高校の同じクラスの人の家族が被災していたので非常に印象に残っています。地元では発生日から「76(ナナロク)水害」と呼ばれていました。
考えるとすでに50年の時が経っています。私にとってはそれほど長い時間とは思いませんが、身近でない人や今の若い世代の人にとっては「50年も昔の話」で災害を認知している人も少ないのではないでしょうか。「自然災害伝承碑DB」を見るとこの水害に伴う伝承碑は2か所あることが分かりました。
たまには
「自然災害伝承碑DB」を見て過去の災害を確認することは大事なことだと改めて思いました。