1985年8月12日に発生した日航機墜落事故のことは鮮明に覚えておられる方も多いと思います。
相模湾上空からジャンボ機が迷走、最終的には群馬県の御巣鷹山に墜落し520名の方がなくなられました。その中でも奇跡的に4名の生存者が発見されたことも印象に残っています。
事故から2年後に発表された事故調の「事故報告書」では「相模湾上空で突然、垂直尾翼の大半とAPU(補助動力装置)を失い、さらに油圧系統が破壊されたことから操縦、および航行不能に陥り墜落した」とされ、その原因は「過去に修理ミスがあった圧力隔壁が長年の応力劣化で亀裂が成長し、一気に破壊して機内空気が大量に機体後部に噴出して垂直尾翼と油圧配管を破壊し、操縦不能に陥り、そして墜落した」ということでした。
当時、私も含めて航空関係の知識のない一般人にとっては「公式な事故調が調べたのだからそういうことかなあ・・・」と思っていましたが。
最近はコロナ過でたっぷり時間があるので「日航機墜落事故 真実と真相」という本を読んでみました。
この本は事故から30年近くたった2015年3月に発行されたもので次男(15歳)、長女(12歳)、親戚3名をなくされ、「事故調報告書」に疑問を持つ遺族の方が書いたものです。
この本が一般の本と違うところは某有名大学の理工系を卒業し、技術者として長年勤めた著者が論文形式で書かれた内容です。自ら航空機関連を始めいろんな情報を集めて、事故調の報告書や日航、政府関係者などの対応を一つ一つ綿密に検証しています。
結論としては「事故報告書」は最初から結論ありきの捏造報告書であり、真実は
①相模湾で自衛隊訓練中の無人標的機(訓練の標的に使う無人機)が何らかの異常で日航機に衝突し垂直尾翼とAPUを破壊。
②事故機は緊急信号を発信。自衛隊戦闘機2機がスクランブル発進し追尾。事故機の状況、標的機の部品付着、手動操縦が可能なことを確認報告。
③自衛隊・政府は事故機の監視、機長が事故原因を認識しているかの把握、事態の隠蔽を指示した。
④事故機は手動による操縦が可能で横田基地に着陸しようとした(米軍の許可も出ていた)が、自衛隊が阻止した。
⑤事故機は長野県川上村方面へ迂回したが、最終的には群馬県の山中で自衛隊機がミサイルを発射し、第4エンジンを破壊し、墜落させた。
⑥政府・自衛隊は墜落地点確定を意図的に翌朝まで遅らせ救助活動をせず、その間に事故現場から証拠物件の搬出を行った。
⑦米軍部隊は墜落から20分後には墜落現場上空に到着し、救助活動を開始しようとしていたが政府は救助活動の中止を要請し、かん口令を求めた。(10年後に米軍中尉が公表した)
というものです。
自衛隊の不祥事を隠蔽しようと当時の政府(中曽根康弘総理)と防衛庁長官(加藤紘一)及び自衛隊が共謀し、可能だった緊急着陸を阻止し、最後にはミサイルで撃墜し524名の命も含めて証拠隠滅をはかったものと書かれています。
当時の内閣は「総理大臣:中曽根康弘、防衛庁長官:加藤紘一、官房長官:藤波孝生、運輸大臣:山下徳雄、大蔵大臣:竹下登、外務大臣:安倍晋太郎、文部大臣:森喜朗、厚生大臣:渡辺恒三」そうそうたるメンバーですが、すべての閣僚が手を染めたかどうかは別にして、事の次第は認識していたはずです。
中曽根康弘は2009年9月1日テレビ番組で事故から10年後の「米軍中尉の発表(救助活動の中止およびかん口令の要請)は事実だ」と認め、「日航機事故には別の真実があり、真実は墓まで持っていく」と述べたとのこと。
当時から自民党の国民を欺く隠蔽体質は脈々と今の時代も受け継がれているようです。
というか、これが政治闘争を目的とする為政者の本質なのでしょう。「国民のため」というのは言葉だけのものというのが、現在の政府を見ても実感です。
最初、読み始めたときは「こんなことがあり得るのかな・・・」と思っていましたが、読み進むうちに確信に変わってきました。
マスコミも政府隠蔽工作に流される中、遺族ながら一個人としてこれだけの内容を本にするのは大変なことかと思います(大手出版社の協力は得られなかった?場合によっては命にもかかわる)。信念と勇気をもって事故(事件)を検証し、論理的に仮説を述べられています。
それに対して政府や事故調は一切の反論や再検証は拒否してだんまりを貫いています。
事の真相は明らかと思いますが、520名の命を奪ったこの事故(事件)の真相をここまで権力の力で書き換えて良いのか。やはり日本は民主国家ではなかったのですね。
明治政府以来「自分たちに都合の悪い歴史や事実はなかったことにし塗り替える」体質はしっかりと引き継がれているようです。