サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「真田丸」の終わり。痛感:自分の人生は自分で作る。会社に委ねない。

2016年12月23日 09時48分03秒 | 日記
「真田丸」が終わりました。毎週、楽しみに見ていました。大坂夏の陣で、緒戦で豊臣方が善戦したのは知らなかったです。もうあの時代になると、大きな戦いは「関ケ原」くらいで、すでにそこから15年近く経過して、戦国時代の終末期で世代も交代。戦後の日本で言うならば、高度成長期から成熟期に入に入った時期。
 家康は豊臣家を潰したかったでしょうが、徳川方を始め、外様大名と言われる人たちは、「お付き合い」的な気持ちもあったと思います。それに引きかえ、豊臣方は浪人を抱えていました。浪人たちは、生活がかかっていますから必死です。それが緒戦の戦いに現れていたと思います。
 歴史には詳しくないのですが、交渉事においては家康が先行し、豊臣方がそれを受ける形でしたね。しかも意志統一もうまくできなかった。あれもうまくなかった。
 家康が、真田幸村に追いつめられ、いよいよ覚悟を決めたというのは本当のようですが、そうだとすると、家康も安全な場所に陣を張っていたわけではないですね。劣勢の軍勢に対して、30万の軍を率いた大将が、追いつめられること事態が徳川軍の結束力の弱さ・弱体化を物語って入るような気がいたします。
 勝てると思えない戦いに挑み、「あわや」と言う戦いにもって行った豊臣方の諸将は見事です。秀頼が自ら出陣していれば、もう少し戦況も変わったかもしれません。家康は老体に鞭打って、前線に位置し、秀頼は大坂城で待機して、様子を伺っていた。父・秀吉が何度も死地を潜り抜けてきたのとは、立場も時代も違うから仕方がないのですが、「ここだ」というポイントは逃さず出陣してほしかったですね。リーダーが陣頭指揮するのは是々非々ありましょうが、後方で適当にコメントされていると前線で戦っている将兵にしてみればおもしろくない。
 ビジネスの本・雑誌で、多くの社長のインタビューが掲載されています。それを読んでいて、「本当にこの人、やっているの?」と思うことは多々ございます。改革のネーミングこそ立派で、何かをやっている印象はありますが、会社員双六の上りのような人が改革を唱えても、よほどのことがないかぎり、肝心の社員が心を躍らせて仕事をするということは、まずありえません。「またいっているな」が関の山。日本の会社では、「失われた〇〇年」以降、「改革飽きた病」が蔓延している。結局どれも中途半端になり、中には取り組んだのかどうかも怪しいものもある。形だけ。
 他責になるが、あまりにも難しい時代になって、特に内部の「改革ごっこ」に追われて疲れた企業人は、外部環境の変化・対応に理解・追随するのも難しく、外で戦う気質も奪われていないか懸念しています。こういうときは、組織を当てにしない生き方だと思います。吉田松陰の意図を正しく理解していないかもしませんが、最後は草莽崛起(そうもうくっき)。志ある人が立ちあがれという意味で、かっこよすぎますが、言い換えるならば、少し控えめですが、自分の人生は自分で作る。会社に委ねないということですね。

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