サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「嫌だ嫌だ」の苦しみに耐えるより、「嫌だが何とかする」という苦しみに挑まない限り、「折れない心」を構築できないかも。但し、、、。

2016年12月24日 10時36分07秒 | 日記
「折れない心」 これがこんなに難しい言葉とは思いませんでした。世代論で語るのは好きではないのですが、「折れる心の持ち主は、こんな解釈をするのか」ということに出くわすことが多いですね。その際、「本来、こう考えるもの」と説明すると、相手は黙ってしまう。実は、こうなるともうほとんどダメで、本人は聞けるだけの心の余裕がない。
 自分自身、「もう、勝手にしたら」と思います。先日、ある会社の人から相談を受けました。若手の態度について。それは尋常じゃない。「遅れてくるのが平気」。本当は、本人も平気とは思っていないが、「まぁいいや」か「しまった。でも今日は仕方がない」のくり返し。
 私は、相談してくれた人に対して、こう言いました。「まず、始末書を書かせる。それでもだめなら、会社の就業規則に則って処分する。もし、それを拒否をするなら、しかるべき病院に行くことを課する。ここで「〇〇症」とでも出れば、始末書の作成は不要、処分も行わない。会社は毅然とした態度で臨む。」と。
 実はこれには、遡った対応があります。職場としては、それ以前からもその若い人の要望は汲んできた。そこで業務内容の変更他、上司の態度改善等、配慮した結果の上でのこと。
 少子化、さらに大量入社層が50代を迎え、どこも将来を考えて、若手を採らなければならない。ここから先しばらく売り手市場が続く。先日会ってきた学生にもどこか余裕すら感じる。若手が少ない分、40~50代の業務への負担は大きい。若手に手が回らないというのは弁解ともとれるが、上司が「やってみよう」と言ったって、「やりません。やれません」では、どうしようもない。
 こんなことを繰りかえしていると、「グローバル人材の育成」なんて言葉が、はるか前の古典語のように聞こえてくる。「人としてどうなのか」と言うところからやらないと。
 残念ながら、こういう若い人と対峙できる人材開発担当者も少ない。いつもいうところのカリキュラムを回すのが役割になっている。しかし、よくよくその仕事をみると、確かにその仕事にはそれなりに意味があることがわかるが、なぜ、そこにそんな時間をかけるのか気になる。これ以上のことはやりたくないから、ゆるゆるとやっているように見える。
 しかし、本人はゆるゆるとやっていない気持ちでいる。仕方がないから私はこういった。「今のあなたの仕事は、次の段階でこうなることが予想される。そうすると、向こうからこんな回答がくるだろう。その時の対応として、可能性から考えていくと、、、、」。実は、過去自分が通ってきた道なので、どんなことをすると、どんなことになるのか予想がつく。「転ばぬ先の杖」の役割になるのは容易だが、これは育成としてはよくない。チャレンジ精神を忘れる。 では、「転ばぬ先の杖」を外してトライさせるとどうなるか。担当は「心が折れない」程度の仕事に留まり、悪循環にはまる。
 「嫌だ嫌だ」の苦しみに耐えるより、「嫌だが何とかしよう」という苦しみに挑まない限り、「折れない心」を作ることができないのではないか。これは、まだ仮説であるし、メンタルに入ってしまった人には向かない対策ではある。月並みだが、健全なうちは壁を越える試みに望ませないと。

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