サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「昔は昔、今は今」と割り切って考えることで、過去の延長線上で考えるクセを治したいものです。

2016年12月08日 20時56分45秒 | 日記
 リーダーというものを人材開発的に見る場合、言葉は少し不適切ですが、戦史
は参考になります。ナポレオンは、こう言っています。「戦史を読め。そして自
分ならどうするかを考えよ。決断の養成に役立つ」と。
 今日は12月8日、昭和16年のこの日、太平洋戦争が始まった日。日本軍の
真珠湾攻撃から始まったこの戦争。戦争はよくないことです。ここでは戦いの当
否は問わず、リーダーを育成する、或はリーダーが決断する、リーダーを選ぶと
いう点から、考えさせられる事項について述べたいと思います。
 1.米国と戦った連合艦隊司令長官(山本五十六)は、戦う前からこの戦争に反
  対していた。
  米軍の強さ熟知していた山本個人にとっては、「自分が指揮官やるなんて」
  と思ったことでしょう。しかし、軍人である以上、命令には逆らえない。戦
  うしかなかったのですね。そして彼の予言通り、「1年や1年半は暴れて見
  せます」という戦果は得ましたが、その後悲惨な最期に。
 2.戦勝国・米国も「らしからぬ」戦い方--真珠湾攻撃直前の緊張感の無さ
  昭和20年、勝つには勝ったものの米国も相当の痛手を受けて勝った。真珠
  湾攻撃直前の米国・ハワイは、攻撃した日が日曜日だったこともあり、「ま
  さか日本が攻めて来るなんて」という様子。(むろん、結果的に宣戦布告が
  55分遅れたという事実はありますが)
 日本は、連合艦隊司令長官・山本が乗った飛行機が撃墜されて亡くなった後、
それ以降の連合艦隊司令長官の人事が驚きの連続。海軍大学の卒業年次で決めて
いた。得意の年功序列人事。一方、米国はハワイの攻撃を受けたという理由で、
太平洋艦隊司令長官のニミッツを更迭し、なんと50人余り飛び越してキンメル
が着任。キンメルは、前からその打診があったという話もあるようですが、米国
の実力主義といえども、平時の時はみんなやりにくいだろうということで見送ら
れていたのでしょう。しかし、戦争が始まってそうは言っていられないというこ
とで、50人抜きの大抜擢。ここが日本と米国の差なのでしょうね。
 「トラ・トラ・トラ」という映画では、南雲艦隊が第二次攻撃隊をハワイに向
けて突撃させておけばよかったのかもしれようなことが描かれていましたが、そ
れは後世の人だから何とでも言える話し。連合艦隊を無傷で帰らなせないと、こ
の後の戦いは難しいという南雲の気持ちもわかります。そういう意味では、真珠
湾を遡ること約35年前。日露戦争における日本海海戦は、まさに奇跡の大勝利
で、「出来過ぎ」といえます。それが伏線となり、「日本海軍強し」という幻影
が指揮官たちを悩ませたに違いありません。「時代」「人」「装備」が違うので
すから、戦い方も違うし同じわけがない。「昔は昔、今は今」と割り切って考え
ることで、過去の延長線上で考えるクセを治したいものです。