ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

ウィンドウペインのツイードジャケット&アルパカのポロコート

2010-02-05 10:01:10 | 白井さん




 昨日2月4日は立春。暦の上では春ですが例年日本列島はこれからの一ヶ月間が真冬の厳しい寒さを迎える時期となります。この日の横浜は曇り空。空気はより乾燥の度合いを増し、これまでとは寒さの種類が違うように感じました。毎回私は信濃屋さんを訪れると最初に前回撮影分の写真を数枚白井さんにお渡しするのですが、この日は受け取られた写真の冷たさに白井さんも思わずびっくり(笑)。屋外と屋内との気温差が最も大きいのもこの季節ならではですね。

 今日の白井さんの装いは、不思議な、そしてちょっと神秘的ともいえるような深みのある色合いのブルーグレー色のウィンドウペインのツイードジャケットを主役にしてググッと“色調を抑えた”着こなし。そして肌寒い朝晩の行き帰り路には心強い見方となるアルパカのポロコートに綺麗な黄緑色のカシミアマフラーをしっかと巻いた完全防寒“SHIRAI STYLE” です。  

 さて本題に入る前に好例の前回訂正です(笑)。白井さんのスーツに関する記述の中で・・・『次の年に信濃屋さんのスタッフのお一人Yさんに奨めて同じものをバルベラで作らせたそうですが、同じ紺ストでもやはり微妙に違いがあったそうです。』・・・という一文がありましたが、“次の年”ではなくて“7~8年後”の誤りでした。『いきなり次の年でガラッと変ることはあまりないね。』とのこと(白井さん談)。ただし“同じ紺ストでもやはり微妙に違いがあったそうです”というセンテンスについて白井さんは『7~8年後の違いは“微妙に”ではなくて“はっきりと”厚さと密度が違っていた。どちらの方がしっかりした作りの生地であったかは・・・(笑)』と仰っていました。今回は私の記憶力の低さが招いた誤記でした。この場を借りて訂正させて頂きます。では本題へ・・・(笑)

   

 ’90年前後のルチアーノ・バルベラ(伊)のジャケットは2度目の登場となるツイードで、今日は寒いのでインナーにニットを合わせていますが、元々はべステッドジャケットとして作製されたそうですよ。ツイードのべステッドジャケット・・・なんて洒落てるのでしょう!茶のペインが入ったブルーグレー色の実に深みのある色合いが、ツイードのカサカサに乾いたような見た目の質感と見事に相まって、まさに大人のためのカントリージャケットといえる一着。私は個人的に青色が一番好きな色なので、今回のジャケットは(というか毎回そうなんですが汗)パーマネントコレクションとして深く記憶に留めて、いずれ同じような生地との出会いが叶えば是非自分のワードローブに加えたいと思う一着です!

 因みにジャケットの製作元は前々回登場したダリオ・ザファーニ氏のセントアンドリュース製のようです。ちょっと余談ですが、白井さんはその日お召しになっている服についていきなりべらべらと薀蓄を語ることはまずありません。そうした行為は“白井流ダンディズム”に反したこと。ですから私はまず最初にその日の服がどこのものかクイズ形式で当ててみるのが最初の関門になっています。私は必至になって穴が開くほどその日の一着をじっと睨みますが、当たったことは今まで一度も無く白井さんから正解を伺うばかり。しかし今回、控えめで上品な“感じ”がする襟の雰囲気をヒントに『セントアンドリュースですか?』と回答すると、白井さんは『まあほぼそんなところだね。』と仰って内側のバルベラのタグをそっと見せてくれました。恐らくルチアーノ・バルベラがセントアンドリュースに製作させたジャケットと解釈して良いのでしょう。記念すべき初の及第点!うれしい!(完全に自己満足)
 
 オックスフォードBDのホワイトシャツに、マニファットゥーレ・クラバッテ(伊)のシルクタイは山吹色の小紋柄。巷ではポピュラーな存在の小さな小紋柄のネクタイですが実は今回が初登場。『白井さんは小さな小紋柄のタイはお嫌いなのかな?』と密かに思っていた私の推測も見事に覆されました(汗)。信濃屋さんのセールでワゴンの中から“これいいじゃん、ひょいっ”と選んだ一本だそうです。白井さんがよく仰ることのようですが(銀座天神山Iさん談)、ネクタイを買うときに服との合わせ方を考えてあれこれ悩むよりも、色や柄などを見て“あっこれいいな”と思ったら直感で“さっと”選んで、その後合わせ方をあれこれ試してみる方が意外な発見もあってコーディネートのセンスを磨くには一番、とのことです。ところがこの“さっと”選ぶというのが実に難しい! このお話を聞いて以来私も『よし!俺も“さっと”選ぶぞ!』と心に決めてネクタイ売り場の前に立つのですが、たくさんのネクタイを前にすると次第にあれこれ考え始め、最後の方は“で?結局俺はどの色柄がいいなって思うんだ?”と自分自身の好みが判らなくなり、ぐったりと疲れ果てた挙句に結局何も買わず仕舞いというパターンが殆どです。Iさんには『まぁ、そんな高度な買い方ができるのは白井さんだけだから。』と慰めていただいています(涙)。写真ではグレーに見えますが、インナーのニット(恐らくカシミア)はダークオリーブ。ペイズリーのチーフの色はタイとニットの中間色を選ばれてのことでしょうか今日は黄土色。パンツは白井さんのジャケットスタイルの大定番グレーフランネルです。
 
 実は以前、銀座天神山のIさんから『白井さんにはまず“今日の着こなしのポイント”を伺ったほうが良いよ。』とアドヴァイスをいただいた私は、最近必ず白井さんにこの質問をするようにしています。今回のポイントは“トーン(色調)を抑えたような・・・?”着こなしだそうですが、そう改まって聞かれると白井さんも答えに窮されていつもちょっとお困りのご様子です(笑)。きっと白井さんは今日もワードローブの前であれこれ考えたりせずに、どのアイテムもささっと直感で選ばれたのでしょう。それでもまるで緻密に計算し尽くされたような白井さんの着こなしを拝見するたびに、やはり“毎日の積み重ね”が大事なのだな~と思います。

   

 お帰りのコートはアニョーナ(伊)の濃茶のアルパカ・ポロコート。前回は同色系のチェック柄のマフラーを合わせていらっしゃいましたが、今回は色鮮やかなライトグリーンのカシミアマフラー。フェルトの毛足が短く細めのリボンが巻かれた“巻き”の帽子は初登場のハーバート・ジョンソン(英)。ライナー無しのソフト帽はくるくる巻いて収納できるので信濃屋さんの先代の社長さんはこういう呼び方をされていたそうです。かつて信濃屋さんで取り扱いがあった帽子メーカーだそうでネットで調べてみると、映画“インディー・ジョーンズ”でジョーンズ博士が被っていた帽子を作ったメーカーとしても知られているみたいですね。手袋も初登場、スウェード革でチェスター・ジェフリーズ(英)のものだそうですが『よく知らない』とのこと。お手元のステッキは久しぶりの登場、スポーティーな装いではこれ!ラヴァリーニ(伊)。寒い冬の夜もこれで安心の完全防寒&エレガントなコートスタイル5点セットでのお帰りでした。

   

 『あれ?靴の紹介は?』と思われた方!ご安心下さい(笑)。今回は余談を絡めつつご紹介したいために最後にもってきました。“最後に控えしは~”(服部 晋さん風)フローシャイム(米)スコッチグレイン(揉み革)のロングウィングティップ。『これは正真正銘の50年選手。銀座のフタバヤで当時2万5千円だったなあ。“うわっ、かっこいい~、でも高ぇ~!”って思ったよ。初任給が1万6千円の時代だったからね。』と白井さんが懐かしむまさに珠玉の逸品の登場です。私もこの日この靴を白井さんが履かれているのを発見した時は“うお!遂にフローシャイムの登場だ!”と胴が震えました。白井さんの私物の名品コレクションが収められているキャビネットに常時陳列されているこの靴が放つ存在感は、この信濃屋さんが、そして所有者である白井さんが他とは懸絶した存在であることの、まさに無言の証明ともいえるのですが、その美術品のような静かな佇まいから一転、白井さんの足元に納まると生命を甦らせたかの如く活き活きとし、輝きは一層増し、出番を与えられた喜びを謳歌しているように感じられ、やはり靴は履くものなのだ!そう一人合点してしまいました。

 さて、いつもよりやや興奮ぎみで靴の撮影をしていた私の頭をよぎったのは、このブログを応援してくださっている皆様のお一人で、昔のアメリカ靴を筆頭に銘靴をこよなく愛する『おじおじさん』のお名前でした。すると『ああ~きっとこの靴の写真には喜んでくださるだろうな~。』と考えていた私の背後になんとご来店されたおじおじさんが姿を現されたのです!お足元には思い出のボストニアンを履かれて(笑)これには本当にびっくりしました。白井さんも最初は状況が掴めないご様子でしたが、おじおじさんとは銀座天神山さんで面識があった私が不調法ながら間に入らせていただき、お名刺の交換も無事済まされると、やはりお二人が大好きな往年のアメリカ靴談義に花が咲いて、初心者の私などには全くついていけないお話ながら、初対面に近いはずのお二人が実に楽しげにお話されている様子を肴に私も至福の時間を共有することができました。白井さんも乗ってこられたのか、白井さんが若かりし頃、古いアメリカ靴の絵や写真をスクラップした“ネタ帳”や、シルヴァーノ・ラッタンツィ氏にオリジナルシューズの発注をする際に渡した白井さん直筆の靴のイラスト集などを『普段はなかなか見せないんだよ。』と仰って見せてくれたり、横浜出身のお二人が出身高校のお話をされる段になった時に『そうだ!Today’s episode!』と仰って、今日は私が大好きな戦後のお話をご披露してくださいました。

 『高校生当時、本牧の海側の兵卒が住むエリア1から山側の将校が住むエリア2至る道は日本人は通れなくて、ハウジングの門番には日本人の嫌なオヤジが二人いたりしたんだけど我々の高校の生徒は特別に通学路として通行できたんだ。ある日雨が酷くて友達3~4人とバスストップで雨宿りしていると“ビック”(ビュイック。当時は皆“ビック”と呼んでいたのだそうです笑)に乗った将校が通りがかって乗ってけてってくれたんだよ。ナンバープレートがキャンバス地で覆われていたのを不思議に思っていたんだけど、まいっかってな感じでそんなことが2回か3回くらいあったのかなぁ。そしたら後日オフィシャルでその車が行進するのを見たときはびっくりしたよ。ば~っと6台くらいのバイクに先導されてさ、後ろにもば~っと。で、キャンバス地が取り払われたナンバープレートを見るとバ~ンと星が3つ!そうジェネラル、中将の車だったんだよ。当時のオクタゴン(第8軍)は中将が最高位で確か二人居たんだけど、そのうちの一人、ウォーカー中将は朝鮮戦争で戦死しちゃったから、残ってたのはもう一人の“アイケルバーガー”。恐らく間違いないと思うよ。かの有名な、マッカーサーが1945年8月30日に専用機「バターン号」で神奈川県の厚木海軍飛行場に到着した時の、写真でマッカーサーの隣に立っていたのがアイケルバーガー。そんな偉い人だなんて知らなかったからさ、すっかり友達になっちゃって。“ハロ~”なんて言ってさ(笑)。』

 白井さんらしい微笑ましいエピソードですね(笑)。至福の時間はあっという間に過ぎるもの。おじおじさんはご自身のブログ『本格靴コレクター・おじおじの日記』でこの体験を忘れないように早速その日の晩にこの日の出来事を綴ったそうです。おじおじさんは心血を注がれた靴コレクションに合わせる為に数年前から服選びにも力を入れ始められたそうです。きっと珠玉の銘靴たちとの素晴らしいコラボレイションを積み重ねていかれるのでしょうね。

 最後に、おじおじさんはブログで『hitoさん、本当に横入りすみませんでした。何卒ご容赦ください。』と綴られていましたが、何を仰いますか、決してそのようなことはありません。実は、私は白井さんと二人きりになると、白井さんは基本的に無駄口は少ない方ですし、何を喋って良いのやら未だに見当がつかず、阿呆のようにぼ~っと白井さんを眺めている時間ばかりで、今日などは肝心の服の話は何処へやら、何故か落語の話を白井さんに振る始末。お隣におじおじさんのような見識の深い方が居てくださればこれほど心強いことはありません(シャッターチャンスも増えますし笑)。先日、信濃屋顧客列伝中のお一人で、このブログでもご紹介した“N様”が私に『あなたのブログが触媒になって、白井さん中心に信濃屋さんに服好きの紳士諸兄が集う“サロン”のような場ができると良いね。』と仰ってくださったことがありました。私の拙いブログなど何程のこともありませんが、もし自然と今日のような場面がもっともっと増えたなら私にとってこれほど心楽しくわくわくすることはありません。