ひと日記

お気に入りのモノ・ヒト・コト・場所について超マイペースで綴ります。

ウィンドウペインのジャケット&キャメルヘアのポロコート

2009-12-28 17:01:50 | 白井さん
 

 12月最後の週末、喧騒のクリスマスを終えた横浜の街はゆっくりとその表情を年の瀬のそれへと変えつつありました。この日の白井さんは仕事納め。このブログ本年最後の“白井さん”は信濃屋流の着こなしには欠かせない“オリーブ色の”ウィンドウペインのジャケットと、白井さんが『ポロコートの大本命はやはりキャメル』と仰るその“大本命”キャメルへアのポロコートです。

   

 白井さんが『ルチアーノもおんなじ様なの持ってたなぁ』と仰るミックス調の柔らかいオリーブ色に淡いオレンジのウィンドウペインが入ったジャケットと、『最も好きで一番多く買っているのがグレーフランネルのパンツ。気に入って買って家に帰ると全く同じ色のパンツがあったりするくらい苦笑。』と仰るそのグレーフランネルパンツは共に伊ルチアーノ・バルベラ製。胸元にはジャケットと同系色のチーフを柔らかく挿し、ガンクラブチェックのウールタイ(こちらも恐らくバルベラ製で70年代後半の品。今では珍しいことに当時は同素材で作られたウール100%のシャツも信濃屋さんで扱っていたそうです。)をしっかりと結び上げ、タイのノットとシャツの間にだらしない隙を見せないいつもの白井さんのスタイル。インナーのVネックスウェーターはパンツより少し濃いめのグレーを合わせ、足元は英ヘンリー・マックスウェルのUチップ・フルブローグと、白井さんの2009年仕事納めの装いは、リラックスしたジャケットスタイルでした。

   

 続くキャメルヘアのポロコートも伊ルチアーノ・バルベラ製。この日の白井さん、気分はどうやら“ルチアーノDAY”のご様子。コートのキャメルヘアの素材感の重さを考慮して襟元は軽やかに緑のシルクマフラーを掛け、年代物のボルサリーノは今日はノーライニング。そろそろお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、白井さんは茶の帽子を戴くことが多く、ご自宅のワードローブの中の帽子の類もまた茶色が圧倒的に多いそうです。さて、いつもは“手ぶら主義”の白井さんですが、今日は愛用の“Fugee”さんの鞄を携えていました。そして、その美しい手縫いのステッチを眺めては『こんな綺麗な仕事をする人はいないよ。』と絶賛されているハンドメイドの鞄を握る白井さんの手にはエルメスのペッカリーグローブ(カシミアライニング)一双とステッキ一本。以上’09ファイナル・白井流コートスタイル本日は“6点”セットでした。

 

 さて、いつものように余談ですが、この日信濃屋さんに到着した私が地下の紳士フロアに降りると、白井さんは丁度お馴染みのお客様方(これがまた皆さんお洒落な方ばかりでした汗)と装い同様のリラックスした雰囲気で談笑中。私もお仲間に入れていただき皆さんのお話を楽しく聞かせていただきました。また思いがけず、お客様のお一人に『ブログ見ましたよ。』と優しくお声をかけて頂きびっくり!もう唯々おろおろして通り一遍のお礼を言うのが精一杯でした。
 
   

 お話の内容はやはり服飾談義中心。白井さんを筆頭に座中の皆さんは経験豊富な方ばかり。白井さんがこの日お持ちになられた映画スターの写真の話や、紳士服の名店居並ぶミラノでの遣り取りの話など、飛び交う述語や固有名詞は初めて耳にする言葉ばかり。私はひたすらメモを取るばかり汗。

 『ティンカーティでは云々・・・。』『ああ、ティンカーティね云々・・・。』とお客様と白井さん。

 『ティンカーティって何ですか?』と私。

 『ティンカーティ知らないの?だめだなぁ笑』と白井さん~とこんな調子の中、話題はいつしかお客様がお履きになられているシップスでお求めになられたというフランネルパンツの後ろに施された“ロッカーループ”について(ここで失礼ながらお客様にお願いして一枚パチリ!)・・・。ロッカーループ!文字通りロッカーのフックに引っ掛けるためのループで、シップスといえば当然鈴木晴生さんご提案のお品だとか。私にはこれまた初耳の述語の登場でしたが、その時白井さんがすかさず『シャツにもあるんだよ。』と仰って見せてくれたのは、昔々に誂えた白井さんの私物の1着。白井さんが『今度フライ(伊)に見本で貸してやろうかな。昔の人はこういうちゃんとしたものを普通に作っていたんだよ。』という程に匠の技が随所に光る逸品はなんとびっくりのメイドインジャパン!なるほど確かにその背にはちゃんとループも施されていました。後ろ襟にちらりと覗く替え襟用の銀ボタンもたいへん洒落たものでした。むむぅ~昔はフライより凄いシャツが普通にあったのか汗。

 

 白井さんといえばその装いに注目が集まりがちですが、実は白井さんについていつも驚かされるのはそればかりではなく、汲めど尽きせぬ話柄の多さと退屈知らずの巧みな話術、またそれらを支える驚異的な知識の量と記憶力(でもグレーフランネルパンツだけは例外か!?)もまた然りなのです。『最近はすぐ忘れちゃう苦笑。』と白井さんは自嘲されていますが、お歳の割りにどうのこうのという問題以前に、その“引き出し”の多さと内容の正確さには舌を巻くばかりで、そう思われているのは私のみならず多くの信濃屋の顧客の方々も同様ではないでしょうか。

 

 “引き出し”といえば、『今日はこんなのを持ってきたんだけどね。目は良いほうなの?』と白井さんが鞄同様愛用している“Fugee”さんのお財布からひゅっと出して私に見せてくれたのは本当に小さな小さな一枚の写真でした。

 『何だか判る?』と白井さん。

 『(しばらく凝視して)あ!!白井少年!!?』と驚きの私。



 写真の裏書には─Aug.1947 長者町 カマボコ兵舎にて─とありました。

 『おじが通訳をしていたから米兵の兵舎によく連れて行って貰ってね。座っているのは米兵が食事をするテーブル。その食事の輪の中にも入れてもらったよ。横浜の米軍はオクタゴン(第八軍)といって皆赤と白の八角形のエンブレムを着けてたな。』と、白井さんは私の手帳にその紋章の絵をかいてくれました。『ピーチジャムをたっぷり塗った真っ白なパン、バターでぐつぐつ煮たコーン、“ブルーシール”の青いラベルの1ポンドアイスクリームetc・・・今食べたら大して美味しくもないかもしれないけどその頃は何よりのご馳走だった。中でも新山下にあったペプシ・コーラの工場で飲んだ出来立てのペプシの味は今でも憶えている。薬っぽい味でまだ出来立てだから温くてね。だから今でもコーラに氷は入れないんだよ。』『子供だったから米兵が話す悪い言葉ばかりを真っ先に覚えて、カッコつけて友達としょっちゅう真似してた笑。○○○○ ○○○!!ってね。』と口を尖らせて往時のご自身を真似る白井さんの表情はそれはもう真剣そのもので、まるで当時の白井少年が目の前に在るかのようでした笑。聞いているだけで当時の横浜の風景が鮮やかに色彩を帯びて目の前に広がるようで、白井さんの独特の色彩感覚は着こなしのみならず、話術にもまた等しく活かされていると感るのは私だけでしょうか。また邂逅以来、私は白井さんから服飾についてのあれこれを教えていただきましたが、この様な服飾とは一見全然関係の無いお話も実に面白く興味は尽きません。中でも一番興味深いお話の一つに白井さんの原風景ともいえる“戦後”のそれが真っ先に挙げられ、それは決して色褪せたただの昔話とは私には到底聞こえず、ちょっと上手く言えませんが、今の白井さんとダイレクトに繋がっているようなお話に感じられるのです。

 あまりに貴重なプライベートでの写真ですので撮影を躊躇しましたが、白井さんには『どうぞどうぞ』とあっさりお許し頂きました。もしかしたら私のために。。。白井さん、ありがとうございました。