皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

武士の世の始まり 平氏、栄える~平忠盛伝①

2019-09-21 22:47:02 | 昔々の物語

 武士を意味する『侍』とは「侍ふ(さぶらう)』から出たという。「さぶらう」とは身分の高いひとのそば近くに控えること。その言葉通り、源氏も弊誌も都の貴族=公家にさぶらい、護衛の役を務めた。源氏と平氏は競い合うようにして勢いを伸ばし、はじめは源氏が優勢であった。特に奥州の反乱を鎮めた八幡太郎義家は「天下一の武勇の士」とうたわれた。

 これに対し平氏はあまり振るわなった。はじめ東国に勢力を伸ばしたものの、平将門の乱によって地盤を失い、その後伊賀、伊勢(三重県)に本拠を移し「伊勢平氏」と呼ばれるようになった。

 伊勢平氏が中央の貴族に名を知られるようになったのは平清盛の祖父正盛の時。当時の白河法皇の信頼を得て、朝廷のいうことを聞かない八幡太郎義家の次男、源義親を討って武名をあげた。

 そのころ源氏は義家の後を巡り、一族の争いが起きていた。義家の孫、源為義が後を継ぎ棟梁となったが凡庸な人物で、貴族や朝廷の信頼を得ることができなかった。

一方平家は棟梁となる人物の引継ぎが上手くいっていた。正盛の息子平忠盛は、父と共に白河法皇に仕え、朝廷の命により二度に亘って瀬戸内海や九州沿岸の海賊を討ち滅ぼし、同時に中国との貿易を大いにとりまとめ、宋との商人との間で取引を行い、財力を蓄えていった。

 その財力で寺社を建て、土地を寄進し上皇による政治を支えることで益々信頼を勝ち取り、結果昇殿を許される身分を得た。内裏の清涼殿の間に出入りを許されることで、貴族でも特別の資格でなければ許されない名誉であった。昇殿を許された人物のことを「殿上人」と呼び敬われた。雲上人ともいい、雲の上の人という意味であった。

 しかし周囲の貴族たちは忠盛の昇殿に反発した。これまでの身分では武士は貴族に仕える立場であり、低い存在であると思われてきたからだ。憤慨した貴族たちは宮中での宴会の席で忠盛を闇討ちにする計画を立てた。暗闇に紛れて討ち滅ぼす、闇討ちの計画が立てられていったという。


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