HIRO伝説

乃木坂46&欅坂46のこれからを見届けます!

NMB48、カモネギックス MV Full!

2013年10月04日 21時44分44秒 | Weblog

こちらからどうぞ⇒ http://v.yinyuetai.com/video/775618

 

選抜メンバー

(センター:山本彩)


SKE48リクエストアワー2013が「全国30スクリーンの映画館」で生中継決定!

2013年10月04日 21時27分03秒 | Weblog

「SKE48 リクエストアワーセットリストベスト50 2013」映画館生中継決定のお知らせ!
http://ameblo.jp/akihabara48/entry-11627948422.html



2013-10-04 21:00:00
「SKE48 リクエストアワーセットリストベスト50 2013」
映画館生中継決定のお知らせ!
テーマ:発売案内(催事)

来る10月10日(木)、11(金)に開催いたします
『SKE48 リクエストアワーセットリストベスト50 2013 ~
あなたの好きな曲を神曲と呼ぶ。だから、リクエストアワーは神曲祭り。~』。
チケット先行発売へ非常にたくさんのご応募をいただきまして、
誠にありがとうございました!

昨年に比べ2倍の席数をご用意したものの、
全国各所から予想を上回るご応募をいただいた結果、
多くの落選者が出ましたことをお詫びいたします。
しかしながらここで朗報です!

今回、お問い合わせやご要望の多かった
「映画館での生中継」を実施させていただける運びとなりました!!

SKE48としては初の映画館中継。48グループから見ても、
2012年5月『見逃した君たちへ2』以来約1年半ぶりの開催です。
なお、映画館中継のチケット代は
指定席(4,800円)の半額2,400円となります。
全国津々浦々に散らばるSKE48ファンの皆さま!
当日はお近くの映画館までおでかけいただき、
日本一熱い時間をともに過ごしましょう!

生中継 !「SKE48 リクエストアワーセットリストベスト50 2013 ~
あなたの好きな曲を神曲と呼ぶ。だから、リクエストアワーは神曲祭り。~」
■開催日: 2013年10月10日(木)、11日(金)
■生中継開始時刻: 18:00(予定)
■映画館での鑑賞料金: 2,400円(税込)

■生中継実施劇場:全国30スクリーン
【北海道】ユナイテッド・シネマ札幌/【宮城県】MOVIX仙台/
【群馬県】MOVIX伊勢崎/【茨城県】シネプレックス水戸/
【埼玉県】MOVIXさいたま/【千葉県】シネプレックス幕張/
【東京都】新宿バルト9/TOHOシネマズ 六本木ヒルズ/TOHOシネマズ 渋谷/【神奈川県】横浜ブルク13/109シネマズ川崎/
【新潟県】T・ジョイ新潟万代/
【静岡県】TOHOシネマズ 浜松/
【愛知県】109シネマズ名古屋/TOHOシネマズ 名古屋ベイシティ/安城コロナシネマワールド/春日井コロナシネマワールド/イオンシネマ 大高/MOVIX三好/ユナイテッド・シネマ豊橋18/【三重県】109シネマズ四日市/
【京都府】MOVIX京都/【大阪府】TOHOシネマズ なんば/
梅田ブルク7/TOHOシネマズ 梅田/【兵庫県】TOHOシネマズ 西宮OS/
【広島県】広島バルト11/
【福岡県】T・ジョイ博多/ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13/
TOHOシネマズ 天神

■チケット販売期間:10月5日(土)10:00~
チケットぴあにて一斉発売
※チケット申込みは、こちら(http://pia.jp/t/ske48-lv/

■配給:ソニー“Livespire” (ソニーPCL株式会社)

上記の内容は、Livespire(ライブスパイア)のHPでもご確認いただけます。


(AKB的人生論)峯岸みなみ 前を向いて歩く理由!

2013年10月04日 21時18分39秒 | Weblog

 先日の握手会。私を応援してくださっている50代の男性の方がうれしそうに話しました。「さっき、びっくりすることがあってね。偶然、この会場で20年ぶりに息子にあったんだよ」。若い頃に離婚。息子さんは奥さんに引き取られたそうです。「おやじ!」と呼び止めたのは息子さん。推しメンは、ぱるる(島崎遥香)。ふたりはAKB48のことで話が盛り上がったそうです。私は、その話をうかがって、AKB48ってすごいな、人をつなげる力があるんだ、とうれしくなりました。

  

 以前、いじめが原因で部屋から出られなかったファンの方が、私たちのことをテレビで見て、「一歩踏み出す気持ちになれました」という手紙を送ってくださったこともあります。

 誰かの役に立てたとき、自分も幸せな気持ちになれます。私は人を喜ばせることが好きです。自分なら、こうされるとうれしいだろうな、と相手の視点に立つようにしています。

 MCでは、AKB48を初めて知る方が多い時と少ない時で、テーマを変え、あまり目立たないメンバーがいれば、その良さをわかってもらえるように話題をふっています。

 2年前、秋元康さんから「峯岸はサービス精神がある。それは芸能人として大切なことです」とメールをいただいたことがあります。

 どうして私はサービス精神が強くなったのだろう……。「自分に自信をもてなかった」。考えてみると、そんな理由が思い浮かびます。

 私は特別にかわいいわけではないし、何か抜き出た才能があるわけでもない、と思っています。何をしなくても、ただそこに存在するだけで人をひきつけてしまうタレントさんもいますが、私はそうではありません。だから、自分ができる精いっぱいのことをして、楽しんでもらって、自分を知ってもらおうと努力するようになったのではないかと。そのことで、結果的に、人のためにいろいろなことができたし、喜んでもらえました。ファンの方やメンバー、スタッフさん、AKB48にかかわるみんなに楽しい気持ちでいて欲しい。そして、両親には、私が有名になって、恩返しをしたい。常にそう考えて生きてきました。

 だけど、そんな大切な人たちを悲しませてしまったことがあります。

  

■あの時、自分を責め続けた

 今年1月。私のスキャンダルが週刊誌で報道されたことを知って、私は自分で髪を切りました。「反省=丸刈り」と、イメージが直結したからです。ほかにも謝罪や反省の気持ちを示す方法はあったかもしれませんが、そのときは、冷静に考える余裕がまったくありませんでした。インターネットで、謝罪したとき、涙がこぼれました。髪を切ったこと以上に、大好きなAKB48を卒業することになるかもしれない、という悲しみと不安が大きかったからです。

 その後の反響は思わぬものでした。全国的なニュースになったり、海外のテレビや新聞でも取り上げられたり、世間の注目を浴びることとなってしまいました。メンバーやファンの方たちもショックを受け、母は泣きました。そのときに初めて冷静になれたような気がします。「取り返しがつかないことをしてしまった、なんて子どもじみたことをしてしまったんだ」。激しく落ちこみました。

 私への処分は研究生への降格。脱退という最悪の事態はなくなっても、私の頭の中は申し訳なさでいっぱい。大好きなAKB48に自分が泥を塗ってしまったのですから。たくさん泣きました。自分で自分を責め続けて……。

 迷惑をかけてしまった私に、メンバーたちは優しかったです。入浴剤と発毛剤をふくろいっぱいに詰め、「ゆっくり休んでね」といってくれた(篠田)麻里子。おしゃれな帽子を買ってくれた(小嶋)陽菜。メールもたくさんもらいました。みるきー(渡辺美優紀)からは「どんな峯岸さんでも私は好きです」。島田晴香からは「AKB48に残る決意をしてくれてよかったです」。それまで深く語り合う機会のなかったぱるるや(松井)玲奈も気づかいの言葉をおくってくれました。

 私から離れていかれたファンの方はたくさんおられますし、批判のお言葉もたくさんいただきました。一時期は人前に出ることが苦しくて、公演に立つことが怖いと感じていました。お客さんたちは、私を受け入れてくれないんじゃないかと思ったんです。

  

■真っ暗な中で触れた優しさ

 騒動後初のAKB48劇場での公演。ある方は、私が舞台に立っていることを確認して、泣きながら拍手をしてくださいました。ある方は曲中に目が合ったとき、口ぱくで思いを伝えてくださいました。「がんばれ」って。何人かでも応援をしてくれている人がいる。「私、がんばっていいんだ」。恐怖感が消え、前を向いて歩いていくことの理由が見つかったような気がしました。真っ暗な中で、私に手を差し伸べてくれた人たちの優しさやありがたさ。私の頭の中は、冷たいものと温かいものが混ざり合って、ごっちゃになりました。人生で、こんな気持ちになることは、もうないかもしれません。

 選抜メンバーから外れ、テレビ出演などの機会も一時期より少なくなりました。所属先はチームBからチーム研究生に変わり、仲の良かったメンバーもいません。最初、研究生たちとは「仲良くなれないだろう」と感じていました。研究生は中学生くらいのメンバーが主体。そこに自分の居場所があると思えなかったのです。そんな気持ちをよそに、彼女たちは、私を受け入れてくれました。私の年齢(まだ20歳ですが、彼女たちからするとおばさん?)やカツラのことをいじって、笑いにしてくれたんです。子どもなりの感性で。私に気を使って、狙ったのではなく、無意識にしていることが救われました。

 私も彼女たちに報いようと行動しました。若い研究生にとっては、ずっと先輩の選抜メンバーたちは、なかなか話しかけられない存在のようです。チーム4のセンターを務めるこじまこ(小嶋真子)には、センターとしての悩みや不安がありました。だけど、私には、センターの経験がないので、こじまこが敬意をもっている、ぱるるをリハーサルのときに紹介。ふたりはアドレスを交換し、後日、ぱるるなりに、センターとしてのがんばり方を教えてくれたみたいで、こじまこもすっきりしたようです。

 研究生たちは場面ごとの表情の見せ方やMCでの話し方も質問してきてくれました。そのアドバイスを実践してくれて、ちょっと前進した姿を目にしたときは本当にうれしいです。親心?でしょうか。

■少し強くなりました

 8月に、研究生から正規メンバーに昇格。一緒に昇格した研究生らとチーム4の結成が決まり、キャプテンに指名されました。騒動から半年しかたっていないので、早いんじゃないだろうか、という気持ちは正直ありましたが、せっかくいただいた機会を大切にしたいと思っています。今の私の使命はチーム4を成功させること。AKB48は来月で8周年。洗練されたグループに成長したように思います。発足して数年の頃は今よりずっと未完成だけど、がむしゃらで、毎日、たくさん泣いたり笑ったりしていました。若いチーム4には「あの頃」のAKB48が詰まっています。昔のAKB48の雰囲気をなつかしむファンの方たちにとって、オアシスとなるようなチームにすることがひとつの目標です。

 チーム4の中にも、本格的な活動の前から日の当たっている子もいれば、まだな子もいます。日の当たっていない時期を経験している私には、その子の悩みや悔しさはわかるので、聞いてあげられると思っています。「ここであきらめるのはもったいないよ」と。

 私が培ってきた8年間のすべてを伝えたい。私の教えることが尽きたときにみんながAKB48の先端を走っている。その姿を見届け、私は次の自分の道を歩きはじめたいですね。

 騒動の後で変わったのは、バンジージャンプを飛べるようになったこと。テレビ番組で企画されたとき、あまりの怖さに飛べなくて、断念したこともありましたが、今は大丈夫。「死にはしない」「なんとでもなる」。怖い場面でも、開き直って、前へ進めるようになりました。「もう何でもできる!」。そんな心境です。性格にも少し変化が。今までの自分は場の空気を読んで、相手の顔色をうかがって行動するタイプ。批判的なご意見をいただいたときは、敏感に受け止めすぎて、自分で自分を傷つけていました。でも、人間は完璧ではありえないし、人にどう思われても、自分は自分。現在は、批判的なご意見にも、柔軟に受け止めることができるようになりました。自分は少し強くなったと思っています。

 私は特にそうですが、人生には浮き沈みがあります。だから、親に教わった「勝っておごるな、負けて腐るな」という言葉を肝に銘じています。勝っているときにも謙虚で人のために生きていれば、人はついてきてくれる。負けたときも、くじけずあきらめなければ、また光が見えてくる。本当にそうだな、と実感しています。

■番記者から

 みぃちゃんこと峯岸みなみを初めて取材したのは、2009年の夏。パリのジャパンエキスポにAKB48が招かれたときのこと。ファンの応援ツアーも同時にあり、最終日はメンバーと一緒の食事会があった。同じテーブルには佐藤亜美菜。みぃちゃんが何やら一生懸命にその隣にいた亜美菜ファンに話しかけていた。緊張のあまり、あまり話せない男性を盛り上げようとしていたのだ。みぃちゃんは言った。「旅行代を払ってきたんだから、その分、ちゃんと楽しもうよ!」。当時17歳。若いのにサービスの意味を熟知しているようだった。初期メンバーで、マイナー時代の苦労も体験している。そのためかAKB48が、大ブレークしてからも、サービス精神は変わらなかった。

 「サービス精神は大切です。AKB48は自分次第で物事が動きます。ブログを毎日、更新したり、握手会で個性を出したり、公演でがんばりを見せたり、メンバーたちが自分のやり方で、ファンの方たちに喜んでいただけるように努力しています。そうした行動がチームや自分の成長にもつながると思っています」

 AKB48では、「バラエティー班」の中心メンバー。「AKB48の名前があるおかげで、テレビ番組の仕事でも、共演者の方たちから、気をつかっていただけることがあるので、救われています」

 芸能人では、バラエティー番組で何度か共演したことのあるミッツ・マングローブに、かわいがってもらっているそうだ。「収録後にご飯に誘ってくださることもあります。将来の私には役立つかもしれないけど、今の私にはあまり役に立たないことをよく教えてくださいます」とほほ笑む。

 騒動から半年。髪はだいぶ伸びた。「ずっと長い髪で通していたので、ヘアスタイルを変える勇気がありませんでしたが、(騒動は)ショートにする機会になったので、それもよかった、と今は思うようにしています」と前向きに考えられるようになった。

 渦中は、不安や後悔、自責の念と、さまざまな感情に襲われた。その頃から、日記をつけるようになったという。「悲しいときに、ただずっと悲しんでいるのは簡単。だけど、そのときにしか持てない感情を忘れてしまうのは、もったいない。いつか何かの役に立てられるんじゃないか、と思って書き留めるようになりました。いつか、経験を詞や文章で表現してみたいですね」。なるほど~、人生にむだはない。