HIRO伝説

乃木坂46&欅坂46のこれからを見届けます!

NMB48に城恵理子が電撃復帰(動画)!

2013年10月16日 20時56分57秒 | Weblog


 

アイドルグループのNMB48が、大阪・大阪城ホールで結成3周年記念コンサート「N­MB48 3rd Anniversary Special Live」を行った。昨年9月に学業専念のためグループを卒業した城恵理子がサプライ­ズで登場し、電撃復帰を発表した。私服姿で登場した城は、「テレビや雑誌でNMBの活­躍を見て、私は本当は何がしたいんだろうと思うようになりました。納得できない方、受­け入れられないメンバーもいると思うけど、これからの行動を見てほしい」と涙ながらに­決意を表明。運営関係者によると、城から復帰の意向を聞き、特別オーディションが開か­れ、この日から研究生としての復帰が決まった。

出席者:NMB48


板野友美、「an・an」独占5500字ロングインタビュー限定公開!

2013年10月16日 05時00分01秒 | Weblog

8年ぶりの長期休暇。
板野さんが超〜甘えた相手は誰?

ーー8/27にAKB48を卒業し、しばらくお休みを取っていたと聞きましたが、どのくらい休んでたんですか?

3週間休んでました! AKB48に入ってからは、長い休みっていってもお正月に5日くらいで、海外旅行とかも行けなくて。なので、卒業したら絶対長い休みを取ろうって決めてたんです。プライベートで旅行に行くぞ!って。

ーー8年越しの夢ですね。で、実際旅行に行きました?

えーと、まず友達とハワイに行って、そのあとサンフランシスコとロスに。そっちは両親と一緒に。

ーーその行き先はどうやって決めたんですか?

ハワイは、周りの友達がみんな、“ハワイいいよ〜!”って言ってたんですよ。なので、1週間行きました。買い物したり、パラセーリングやったり、夜景見に行ったり。水圧で空を飛ぶ“フライボード”っていうのもやった。あと、ホテルもいろいろ泊まってみたかったから、毎日別のところに移動してたんで、超ハードな旅行(笑)。で、ハワイで1週間遊んだあとにサンフランシスコに移ったんですけど、そこからは両親と3人の家族旅行で。

ーー家族水入らずも、久しぶりですよね。

そうですね。毎日本当に忙しかったんで、家族と話す時間もなかったんで…。なんか、ずーっと両親と一緒にいるのが不思議な感じでした。いつもは妹がいるから、家族といても、妹とのおしゃべりに夢中になっちゃうことが多いんで。

ーーどんな話をしました?

話というより、ひたすら私が甘えさせてもらってた感じ。“あれ食べた〜い、そこ行きた〜い、今は眠いから出かけたくな〜い”とか(笑)。日本にいると、家族といても周りの目が気になっちゃうんですが、さすがにロスでは誰も私だって気がつかなかったから、思いっきり遊べたのがすごく楽しかった。

ーー東京だと、出かけるのも気を使っちゃう?

例えば家族でごはんでも、個室があるお店じゃないと…とか思うし。でももう、最近は気にしないかなぁ。

ーーやっぱり、写真撮られたりすることもありますよね?

そうですねぇ…。あの、声をかけてもらえるのとかは、嬉しいんです。でも、勝手に写真撮るのとかは…。なんで撮るんだろうって思う。あ、カメラ向けてるなぁ〜と思ったら、下むいたり、顔を背けたりします(笑)。でも卒業してすぐ、髪の色を変えて前髪を作ったんですが、そこからしばらくはバレなかったから、ちょっと嬉しかった。ま、あんまりもう気にしなくなったかな。別になんでもいいですよって。

ーー今はネットもありますよね。芸能人にとっては、日常生活を送りづらいのかな、と想像するんですが…。

昔は、みんながネットに何を書いてるのかがすごく気になって、見ちゃってたんですけど…。自分にとってイヤなことが書いてあると、気になっちゃいますよね。でも、マイナスな意見ばっかり読むと、どんどん人間が小さくなっちゃう。それに気がついてからは、見なくなりました。私は私で、やりたいことをやればいいんだって。

全然売れなかったAKB48のことより、
悩みの種だった“あること”。

ーー話はちょっと昔に戻りまして、そもそもなぜ、芸能界に入りたいと思ったんですか?

小さいころ、SPEEDさんに憧れていて、歌ったり踊ったりする人になりたいなって思ってたんです。ダンスを習っていて、かっこいい曲に合わせてダンスするっていうのに憧れてました。でも中学生になるときに、学業を優先した方がいいってことで、一度やめたんです。で、中学生になって、新しい友達もできて、放課後プリクラ撮りに行ったり、毎日楽しかった。このまま楽しく青春を送れればいいかなーって感じになってたんですけど、高校受験が近づいてきて、将来のことを改めて考えたときに、「やっぱり、友がやりたいことをやるのがいいんじゃない?」って両親が言ってくれて。じゃあ、ここでどうにもならなかったら諦めようっていうつもりで、いくつかオーディションを受けたんですけど、そのうちの一つがAKB48のだったんですね。

ーーでもまだそのときは、AKB48は知名度はゼロ、というよりグループもなかったですよね。

そう。でも母が、「秋元さんってすごい人だから、これは受けてみたら?」って勧めてくれて。確か、劇場をベースに活躍するアイドルグループで、その劇場で人気になったらソロデビューっていうコンセプトだったんです。私もそんなにグループに入りたかったわけじゃなかったんで(笑)、これはいいかもって思って。

ーーで、晴れて400倍の倍率を突破し、合格した。

それが中2のときだったんですけど、そこからはハードスケジュールで…。しかも、私はダンスが得意だったからかっこ良く踊ろうって思ってたら、ダンスを教えてくださる夏まゆみ先生から、「アイドルのダンスは、そんなに激しく踊らなくていいから」って言われてしまって。正直、ダンスにダメ出しされてしまったら、私がここにいる意味って何…? って、すごい悩みました。しかも、最初はセンターだったのに、しばらくしたら端っこに定位置を変えられたんです。ポジションを決めるのは秋元さんだって聞いてたから、「私、秋元さんに嫌われてるじゃん…」って思ってました、真剣に。

ーーしかもAKB48は、なかなか売れませんでしたしね。それも辛かったんじゃないですか?

よくAKB48のヒストリーを語るとき、1回目の公演のお客さんがゼロだったっていう話が出ますけど、当事者の私としては、そんなことよりポジションを変えられた自分への危機感の方がすごかった。挽回しなきゃいけないのに、どうしたらいいのかわかんないし。

ーー現状に関して、秋元康さんに相談とかはできなかった?

当時はしゃべったりとか、一切できませんでしたから。普段はほとんど会う機会もなくて、確かステージのゲネプロを見に来るって感じだったかな。いつも、メガネかけてじーっとステージを見て立ってるんです。で、「芸能界とは」とか「初日に向けて考えることは」とか、格言みたいな長いセリフを言って去っていく(笑)。だから話をするとか以前に、あの人超コワイって思ってました。当時はメンバーとはライバル意識が強いから、正直どこまで心を許していいのかわからないし…。

ーーやめたいとは思わなかったですか?

悩みはハンパなかったですね(笑)。でも、中学生だったから気持ちの整理がうまくできなくて、何が自分にとってつらいのかもよくわかんなかったっていうのが、本当のところかな。

総選挙で4位→8位に落ちて、
あのキャラが生まれた!?

ーー少しずつ人気が出て、そこからあっという間に国民的グループになったAKB48。特に板野さんは、たくさんいるメンバーの中でも“キャラ立ち”が早かったですね。

意図的にキャラを作ったわけじゃないんですよ。もともと私、アイドルに向いてないなって思ってたんで、自分らしくしていたら、目立っちゃったっていうのはあるかもしれません(笑)。

ーー板野さんにとってアイドルって、どんなイメージですか?

ピンクのフリフリの衣装を着たい子、みたいな。でも私はそういうのより、黒い服とか着たいって思っちゃうタイプだから。最初のうちは、かわいい感じも似合うかもって思ってやってたんですけど、徐々に“なんか私っぽくないかも…”と思うようになって。最初の頃は、そういう自分を出さないようにしてたんだけど、3度目の総選挙で順位が下がった頃から、〝私は私! やりたいことをやろう〞って思えたんです。茶髪にするのは禁止されていたけど、高校生になったら茶髪にするのはAKBに入る前からの夢だったから、やらなかったら後悔すると思いました。ピアスも、公演のときは外すのがルールだったんだけど、たまたま着けて出ちゃったときがあって。でももしそれで〝違反です、AKBをやめてください〞って言われたら、それはそれかな、私はそこまでの人間なんだろうなって思ってました。その考えが変わった一番大きなきっかけは、ソロ活動を始めたことだと思います。

ーー総選挙で4位になったあと、ソロでの仕事が増えていきましたよね。

はい。最初、総選挙をやるよって言われたときは、これでもっと前に行けたらいいなって思ってたんです。同時に、ずっと選抜に入っていると、前回より絶対上に行かなきゃっていうプレッシャーも大きかった。そんなときに、順位が落ちたんです。4位から8位になった。ソロもAKB48も両方やって、こんなに頑張ってるのにそこを認めてもらえてないんだなって、落ち込みました。でもソロ活動を通して、自分がやりたいこととか、自分の個性がなんなのか、少しずつ見えてきたんです。そのときくらいから、ここでがむしゃらに1位を目指すより、自分らしく頑張ることに意味があるんだろうなって気がついたというか。

ーー握手会に何か思い出はありますか?

ファンの人たちと直接会えたのは、やっぱりすごい経験です。特に、来てくれる女の子は“超熱血な女子”だと思うので、嬉しかった。だって女の子って、ちょっとかわいいとか、ちょっと好きってくらいの気持ちじゃ、握手会とか行かないじゃないですか(笑)。

ーー板野さんのファンって、どんな人が多いんですか? 系統みたいなのってあります?

私のファンはおとなしいかも? 「ともちんは好きなようにやってください、僕はそれについていきます」みたいな(笑)。でもメンバーによっては、ダメ出し的なことを言うファンが多い子とかもいるみたい。そういう人は、握手会は大変だろうなぁって思う。

ーー8年間AKB48にいて、楽しかったことは何ですか?

みんなで目標を考えて、それを一つ一つ、一緒にクリアできたことかな。例えば、コンサートをアリーナでやりたい、東京ドームに立ちたい、紅白に出たい…みたいなことがみんなの中で見えてきて、「来年できたらいいね」とか言ってたんです。それを実際、叶えていく。1つクリアしたら、じゃあ次、また次ってやっていくのは、本当に楽しかった。思い出って、誰かと共有してるとより強くなりますよね。ソロだと、ステージに上がったときの景色は私1人しか見ないものだけど、AKB48だったら、みんなで同じ景色を見て、同じように嬉しがったり、悲しがったりしてたんですよね。みんなと一緒に、その時間にその場所にいて、同じものを見てたってことは、すごく幸せでした。それが一番かけがえのない思い出です。

ソロになろう! って決めた瞬間、
板野さんに訪れた困難とは?

ーーそんな思い出深いAKB48を、この夏卒業されたわけですが…。

卒業したいって思ったきっかけは、ソロデビューという夢がかなって、嬉しかったんですが、同時に自分の実力を思い知らされたというか…。番組とかも、AKB48のメンバーだからってことで出させてもらえたりと、自分自身に失望するばかりだったんです。ソロとしてそこに立つならば、スキルを上げて立ちたいし、夢だった分、中途半端にしたくなかったんです。もっとソロにかける時間が欲しいって思い始めたときに、(前田)敦子の卒業が決まって。じゃあ次は私が卒業しようって。でも卒業ってすごく大きなものだった。特に(篠田)麻里子が卒業したあと、私がメインの番組やライブが増えてきて、それが思いのほか大変で。自分の卒業スペシャルみたいな番組も作ってもらえたし、ドームのコンサートでもセレモニーがあった。嬉しいけれど、その全てで8年間の集大成を、後輩にもお客さんにもちゃんと見せなくちゃいけない。それがものすごいプレッシャーでした。それから、私はすごく話すのが苦手だったんですが、テレビとかでもたくさん卒業にまつわるコメントを求められるから、ちゃんと話ができるようにならなきゃいけなかったし。すごく濃い期間でした。おかげでかなり成長できたと思います。

ーーソロになったら、どんなことをやりたいですか?

やっぱり、歌とダンス、それから演技も興味あります。特に演技は、AKB48のときも一生懸命やってたけれど、やっぱり “齧った”程度だったと思うんです。それに本気で取り組んだら、私どこまで伸びるんだろうって、ワクワクしてます。これからは自分と、思いっきり戦ってみたいです。

ーー努力するの、嫌いじゃない?

嫌いじゃないです。自分の理想像に近づくための努力なら、いくらでも頑張れる。努力って、すればその分ちゃんと自分に返ってきますよね。そうやって一つ一つ自信をつけて、これから歩いていければなって思ってます。

ーーところでAKB48を卒業したら、いよいよ恋愛が解禁になります。さっそく彼氏を作っちゃったりしますか?!

えー、なんにも考えてないです。作りたいとかもないし…(笑)。あんまり恋愛に憧れとか、ないんですよね。AKB48のときにも、そんなに恋したいとか思わなかったんですよ。今は自分の恋愛も、人の恋愛の噂も正直興味ないかな(笑)。

ーーあらら、22歳の女子にしては控えめというかなんというか‥。

あ、別に、22歳の女の子に、彼氏がいても全然いいと思います。結婚もできる年なわけだし。いつか結婚もしたいと思うし。でも、うーん、なんか今は、いいやって感じ。だって、ときめいたりすること、ホントないんですよ。ヤバいくらいない(笑)。

ーー強いて言うなら、好みのタイプってどんな感じですか?

……一緒にいて楽しいとか…? あ、気が利く人は好きです。私、つけ爪してるんで缶の飲み物を開けられないんです。それを、サッと開けてくれる人とかいいかも。あの、よく女の子で、“ミステリアスな人が好き!”とか言う子がいますけど、私そういうの、全然ないですね(笑)。

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いたの・ともみ '91年生まれ、神奈川県出身。'05年AKB48オープニングメンバーとしてデビューし、選抜メンバーとして参加。'11年ソロデビュー、今年8月にAKB48を卒業した。私服スナップをまとめた単行本『板野って、オシャレなの!?』(講談社)が好評発売中。


板野友美、秋元氏に「嫌われてると思ってた」 恋愛観など告白!

2013年10月16日 04時56分20秒 | Weblog

 今年8月にAKB48を卒業したタレントの板野友美が、16日発売の女性ファッション誌『an・an』(マガジンハウス)で、AKBでの葛藤、秋元康氏への思い、自身の恋愛観などを告白している。

 

 同誌のインタビューに応じた板野は、AKBでの活動について、当初ダンスに自信があったたものの「そんなハードな踊り、アイドルには必要ない」と注意された上に、「最初はセンターだったのに、すぐ端になってしまった」と強い危機感があったことを吐露。その不安は、公演初日にお客が誰もいなかったことよりも「自分に対する危機感の方が強かった」と言うほどで、「挽回してセンターに戻りたいけど、何をどう努力すればいいのか分からない」「メンバー同士も仲間意識よりライバル意識の方が強かったから、当時は自分一人で葛藤していました」と赤裸々に当時の思いを告白している。

 総合プロデューサーの秋元康氏とは、当時口をきけるような間柄ではなかったようで「リハーサルの時に来るんですが、いつもメガネかけてスーツで、じーっと黙ってて立ってて、最後に“頑張りなさい”と言って去っていく」人物だったといい、「正直、“この人、超コワイ”って思ってました」と回顧。さらに、センターを決める立場だったこともあり「私はセンターを外された経験があったので、絶対嫌われてるって思ってました(笑)」と本音を明かしている。

 また、3度目の総選挙で順位が下がった頃から「“私は私! やりたいことをやろう”って思えた」とある意味ターニングポイントになったと明かし、「茶髪にするのは禁止されていたけど、高校生になったら茶髪にするのはAKBに入る前からの夢だったから、やらなかったら後悔すると思いました」「ピアスも、公演のときは外すのがルールだったんだけど、たまたま着けて出ちゃったときがあって。でももしそれで“違反です、AKBをやめて下さい”って言われたら、それはそれかな、私はそこまでの人間なんだろうなって思ってました」と覚悟のルール違反だったとした。

 約8年の活動に終止符を打ち、今後はソロで活動していくが「納得行く自分を目指したい。そのための努力は惜しみたくない」とさらに上を目指すと誓い、「いつか理想の自分になれたら、代々木体育館でコンサートをやるのが、今の夢ですね」と語っている。

 恋愛も解禁となるが、「誰かに“カッコイイ”とか、思うことがないですもん…」と現状を嘆きつつ、好きなタイプには「私つけ爪してるから缶が開けられないんで、飲み物を渡してくれるときに先に開けておいてくれるとキュンとするかも。気が利く人がいいかなぁって」と自身の恋愛観を明かしている。