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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

あとで役立つ手書きノート!(ありのままになる 8/10)

2015-10-15 | 第一章「意識と知覚」

 断捨離で捨てることの大切さが有名になったが、ノートなど、捨てて後悔・・・というご経験はいかがでしょうか?

 生育史を大切にすることは大事なこと。思い出の写真や記念は比較的残るが、必死に勉強したときのノートや手帳や日記はどうだろうか?特にメモの類は、どうもメモをとるのが下手という自己概念があったようで、私の場合散逸したりなくなったりすることが多い。思い出すと、高校生の時に某先生からノートの取り方で侮蔑されたことがあり、どうもそれが後を引いているように思う。しかし、生き甲斐の心理学については、15年近く学んでいるが、全部残っている。

 さて、その蓄積されたノートについては、レポートを書いたりすること以外は見返したりすることは余りなかった。これもノートとりの劣等感ゆえか。確かにメモはわかりにくくて、見ているといやになることが多かったからだろう。 

 そんな死蔵したようなノートだったが、今論文を書くときになり、10年前のノートがとても役立っている。心理学は、不思議な学問で同じことを聞いても、長年勉強した時と、2-3年勉強しただけの時とは理解にそうとう差があるようだ。10年前にU先生の勉強会で分かったようで人ごとのように聞いていた話(たまたまメモした)が、十年後にノートを見てはっと悟りを得た?ことも。

 今でも、ノートを取るのは下手であり、恐らく高校生の時に侮蔑された閾を脱してはいないと思う。ただ、最近はノートを愛することの大事さを遅ればせながら実感してきた。人の記憶もそうだが記録することの大事さだ。一つの記録は、そのときだけでなく別の時に違って解釈され宝となる。

ありのままになる 8/10

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