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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

今の企画・計画であなたは燃えますか?(愛ある問いかけ ② 8/10)

2014-01-16 | 第十章「今ここでの恩寵」

 ふと思い起こすと、今までの職業や家庭生活を通して企画や計画であれやこれや悩んだことは実に多かった。

 もちろん企画や計画には、ちょっと調べると様々な技法やテンプレートがあるものだ。従って、企画や計画をすること自体は、それほど専門性があることではない。

 そして、それに従えばまあ無難な企画や計画はできるものだ(家計簿でも、旅行の計画でも、事業計画でも)。ただ、本当に良い企画か計画になるかどうかは別問題だ。

 本当に良い企画や計画を作るには・・・企画や計画のノウハウではなく、臨床心理学の知見、「生き甲斐の心理学」が実に役立つ。しかし、それは殆ど知られていないようだ(もちろん、例えば優良企業の意思決定者は、おそらく経験上、生き甲斐の心理学と同じような知恵を知っていると思うのだが)

 ひとつは、企画や計画は当然ながらポジティブな要素とともにネガティブな要素も出てくる。そのネガティブな要素を心の防衛機制を払いつつ理性的に追求し、湧き上がるストレス曲線の真の感情を捉えることである。100人がYesというような防衛機制の塊のような企画や計画はあやしい・・・というような経験上の知恵もある。

 そして、もう一つはポジティブな情動が沸き立つか・・・つまり、燃えるか?である。企画や計画のゴールを思い描くことで燃えるかである。企画や計画をつくる段階で燃えるような情動がわかなければ、ゴールに到達してもたぶんわかない。このあたりの人の真実はロジャースの命題6に詳しい。

 命題6:情動は、前述のような目標志向的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標指向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追求的様相が完成的様相に関係しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。

 さて、今日はこれから八王子にA先生の「うきうき太極拳」。うきうきする追求的様相は完成的様相にきっと関係しているかな!

愛ある問いかけ ② 8/10      

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どんな人の行動も理解可能だと思いますか?(愛ある問いかけ ② 7/10)

2014-01-15 | 第十章「今ここでの恩寵」

  昨日は、母方の伯母さんの葬儀であった。八王子から都心を横切り、千葉県のカトリック市川教会まで行った。とても心に残る葬儀と告別式だったと思う。

 母と、その伯母は殆ど同時期に戦後カトリックの受洗をした。母から聞いたのだが、母方の祖父母は仏教徒であったので、受洗するときに祖父の許可を求めたそうだ。

 そして、「日本ではカトリックの信仰を持つことは大変だよ」と言われたが許可をもらったそうだ。祖父の親友にカトリック信徒がいらして、その影響も大きかったのではと今では推察している。そのこともあり、私もカトリックの幼児洗礼を受け今に至っている。

 キリスト教は、古代はともかく、日本に伝来したのが16世紀であり、戦国時代に一時人口の10%位クリスチャンになったそうだが、今では人口の1%程度と言われている。私も、職場や親戚をみてもクリスチャンは実に少ない。マイノリティである。

 そして、少なくて当然ながら日本でのキリスト教やカトリックに対する理解はかなり低いと感じている。有識者のクリスチャンでない方のキリスト教への認識も意外と低く(周りにクリスチャンがいないので当然だろが)、その著作での誤解が誤解を再生産しているようだ。

 かつて、比較宗教学のT先生が言われていて心に残ったことがある。自分が信じていない他宗教のことを書くときは、その宗教の信徒に一度は内容を確認してもらうということだ。宗教も時代とともに変化していく、100年前の教義を今も通用すると信じて書いても、今では大きく変わっていることもあるのだ。特に今は世界が大きく変わる時なので当然といえば当然。

 もちろん、その言葉は自分に対する大切な自戒の言葉でもある。

 こうして、宗教は無理解や偏見の問題も秘めているが。宗教以外にも民族間や文化の違いによる問題もある。あるいは、同じ日本人であっても、脳の障害や心の病もあったりということもある。

 そして、私もケアの仕事でお付き合いさせていただいた認知症の方もいる。

 それに対する大小多寡の偏見というか、理解放棄を現場で随分出会ったが、臨床心理学の面で画期的な理論があることを、私は「生き甲斐の心理学」で学んだ。

 カール・ロジャース(心理学者としてだけではなく、国際貢献でノーベル平和賞の候補にもなった)の理論で、性格形成論の19の命題として有名なものだ。

 その一つは次のように語る。

 「行動を理解するために、もっとも有利な観点は、その個人自身の内部的照合枠(interenal frame of reference)から得られるものである。」

 人の行動が如何に奇妙に見えても、その裏には、その人なりの理由があるということだ。それは、その人の歴史のなかに秘められている。倫理道徳等の面では問題があっても、その裏には、はっとするような理由があることが多い。

 外から勝手に断じるのではなく、心をこめて聴いてみると、随分違うというのが私の拙い経験である。もちろん、それにすべて賛同することはないが、その方の立場なら、そうなるのだなあと想いを寄せることは、この寒々とした時代では大切だと思う。

愛ある問いかけ ② 7/10      

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3年先を見通すもの!(愛ある問いかけ ② 6/10)

2014-01-14 | 第十章「今ここでの恩寵」

 普通の生活では今の問題を考えることに追われるのだが、久しぶりに助成金の関係で3年先のことを考える機会があった。

 一年単位であれば、今のことなので、リアルにある程度判り描けるが、それを越すと途端に見えなくなってくる。まあ、ライフプランニング的な変化(例えば定年とか)は、ある程度見通されるが、その他はどうか?

 40歳台はじめ時に、ライフプラニングのコースを受けて、60歳台を描いた経験があるが、仕事をし続けているというところは当たっていたが、他は全くと言っていいほど変わってしまった。それは、自分の自己概念が激変したなのだろう。

 自分や周りを予測し、3年を耐えるもの。

 ちょうど黒田如水(吉川英治著)を読み始めているが、家老を務める小藩が毛利につくか織田につくかという問題を黒田官兵衛が思索する場面だった。官兵衛が注目したのは、毛利と織田の哲学みたいなものだった。

 そして、思うのだが、哲学とか思想を抜きに中長期を耐えるものはないのだろう。もちろん依存ということはあるかもしれないが、厳しい時代にはそれもゆるされない。私の40歳台のライフプラニングも、その根幹が薄弱だったと今は感じている。

 今日の問いかけは、「自分には誇れる哲学あるか?」。派生して「自分の生涯を賭けることを一言で言えますか?」。自分自身を考えても、ちょっと残酷な質問かなと思うが、死ぬ運命の人間にとっては大切なのだと思う。

 因みに、黒田如水は最近の研究によると生涯クリスチャンだったらしい。

愛ある問いかけ ② 6/10      

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自分の防衛機制で一番人生に影響があったのは?(愛ある問いかけ ② 5/10)

2014-01-13 | 第十章「今ここでの恩寵」

 もうすぐ訪問して2年が経つが、ウィーン大学のフロイトの像はとても印象的であった。ちょうど中欧は寒波に襲われ、死者が出るほど寒い日が続いていた。雪景色のウィーン大学に入ったのは良いが、有名なフロイト像にたどりつくまで、目立たないこともあり大変であった。

 となりにはゴミ箱が置いてある、世界的なフロイトには不釣り合いの地味な展示であった。しかし、この像が作られるまでには様々なドラマ、ユダヤ人差別もあったとも聴く。

 現代の臨床心理学に多大な影響を与えたフロイト。恐らく、フロイトなしではU先生の「生き甲斐の心理学」も無かったかもしれない。

 さて、フロイトの14の防衛機制は「生き甲斐の心理学」で沢山学ぶ。抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償だ。

 ただ、これを、そんなのがあるね。で、一般教養で終わらせても殆ど意味がない。やはり自己分析に役立てることで、それこそ、ウィーンのフロイト像にすがり付きたくなるのだろう。

 そして、最近はよく「自分の防衛機制で一番人生に影響があったのは?」と自問自答している。

 今朝の私の自問自答の回答は、<抑制>、である。

 今までの人生のうち、最近の十年余りを除き、抑制が余りに大きかったように感じるのだ。企業人として、家族の一人として、コミュニティの中で・・・もちろん、所属するグループにより、その抑制の大小多寡はあるが。

 抑制は何かユニフォームを着るようなところがある。外見上似ているように内面も似ているような錯覚を人に与える。そして、それにより自分の自然体が個性が消されていく。それも、良いところが沢山あるが、そればかりだと、実感のない人生になってしまうと今では思う。

 もちろん現実を吟味することは大事だが、つまらない抑制を取り除くように自然体で生きることを心がけていくと、景色が随分変わってくるものだ。去る人もいるが、より判り合える隣人も増える。自分の目指す方向も見えやすくなってくる。

 私の場合、抑制は今でもいろいろあるが、例えば自分がカトリック信徒であることに口をつぐむことがあった。これといって苦い経験はないのだが、幼い頃から、自然にそうなったところがある。

 しかし、自然体を心がけ、必要に応じて自然体で開示すれば何ということもない。そして、抑制が少なくなれば、それこそ昨日のブログではないが、見通しが良くなっていくようだ。 

 愛ある問いかけ ② 4/10      

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自分が求めていることを明確に言えるだろうか?(愛ある問いかけ ② 4/10 )

2014-01-12 | 第十章「今ここでの恩寵」

 私の散歩コースの一つ、大栗川流域は昭和40年代くらいまで、蛇行する川で、数年ごとに氾濫し、多大な被害があったそうである。それが、浚渫工事等のおかげで最近は氾濫することは全く無くなったようだ(今後もそうであることを願うが)。
 
 恩師のU先生からよく聴く、ヒンズー教の教え「人は考えたとおりの人間になる」ではないが、社会も個々人の夢とか願いがとても大事で、それによって多くの問題が解決されてきたのだと思う。
  
 さて、「自分は求めていることを明確に言えるだろうか?」、と今日は考えてみた。

 これに類するが全く異なる質問に、「与えられていないことは?」がある。

 前者の質問は、主体的な問いかけだが、後者の質問は受身的な問いかけだ。そして、前者のように自問自答して、自分の主体的な行動が見えてくる時、本質的に何かが変わり出す。

 一昔前の大栗川で妄想すると、田畑の洪水の補償の多可で不満を言い合うより、川の治水工事を推進する活動のが大切なのだろう。他人に変な期待をするより自ら動くことが、いつの世も大事なのだ。
 
 この「自分は求めていることを明確に言えるだろうか?」の派生的な自問自答には、
「自分の生涯を賭けていることを一言で言えるか?」もあるだろう。悔いのない人生を送る上で大事な問いかけだと思う。

 愛ある問いかけ ② 4/10      

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