イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

肩車!幼児の目線と大人の目線。

2007-02-18 | 第二章「五感と体感」

幼いころ祖父は会社から帰ると、私を肩車に乗せた。「ゴンゴロ坊主だよ、ゴンゴロ坊主だよ」と祖父が言いながら部屋を何回か歩き回り、最後にぐるぐる回して降ろす。

普段の視線と異なる、大人の視線のスリルになんともいえないものを感じた。ゴンゴロ坊主とはなにかと、Googleで検索したが、ゴンゴー(妖怪、河童?)はあってもゴンゴロは無かった。だが、恐らく先祖代々伝わる民話的な要素があるようだ。

目線!写真は20cm, 60cm, 140cmの高さで縫いぐるみのお人形等を写したものである。幼児、子供の目線と大人の目線はこんなにも違うのかと、改めて見直した。

小学校の同窓会に行ったとき、あるいは生まれ故郷に久しぶりに行き、街を通るときに感じる違和感は、子供のころの原風景と大人になってからの目線が異なるためかもしれない。

肩車に乗せられた時の楽しい思い出、楽しい体感、忘れられない!

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多摩動物公園前エスカレータ。

2007-02-17 | 第二章「五感と体感」

昨日は、多摩モノレールの多摩動物公園前駅からモノレールに乗る機会があった。モノレールに乗るために、巨大なエスカレータを乗ると右手にガラス越しに公園が見える。冬で葉を落とした木々でちょっと寂しげであった。

冬の平日の昼ごろであり、人影も少なく、巨大なエスカレータに乗っているのは私だけで、ちょっと不思議な気持ちになった。勿論、春の休日は楽しげな家族連れでいっぱいになる。娘たちを連れて行った多摩動物園は良き思い出の地でもある。

エスカレータで昇る体感。

エスカレータに乗る原型は、幼いころに家族でデパートに行ったときであっただろうか。はっきり覚えていないが、楽しげでワクワクする体験であったように思う。

巨大なエスカレータを一人で昇ると、ちょっと不思議な気持ちになるのは、そんな原型があるためかもしれない。

プラットフォームまでは、さらにもうひとつエスカレータを昇る。

明るいプラットフォームまでもう少しである。

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ありのままの自分。

2007-02-16 | 第二章「五感と体感」

昨日で「意識と知覚」を終えて、今日から「五感と体感」のテーマに向かおうという矢先に朝から腹の調子が悪く、激しく胃痛を感じた。

胃痛を感じたのは本当に久しぶりであった。有機体である自分を、久しぶりに胃痛で実感したひと時であり感謝すべきかもしれない。

話は変わるが、最近いろいろ歴史の本を読んでいる。歴史に興味を持つようになったのは、1970年代後半に会社に入ってすぐ関西に転勤となってからだ。京都、奈良と休日にはよく寺院・仏閣を見学した。

特に印象が深かったのは、飛鳥である。猿石その他不思議なものがあり、これが日本かと謎に思った。正倉院展でシルクロードから来た夥しい宝物を見たときも驚いた。

従来持っていた自分の日本の歴史観に対し、実感を伴った混乱感。それが歴史に対する興味となっている。あるがままの歴史を知りたい。

さて、話は戻るが、自分のあるがままをフィルターなしに知りたいと思うようになったのは、歴史と違って比較的最近である。

日常的な意識と知覚の世界の奥に、五感(視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚)と体感で感知する世界があるように思う。そして、五感と体感は、今ここの、ありのままの自分を垣間見させてくれると思う。

自分との楽しい出会いが殆どだと楽観しているが、さてどんなものであろうか?

その前に医者に行こう!

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自分のイメージを意識してみる。

2007-02-15 | 第一章「意識と知覚」

車をよく運転するようになり、道路のコーナーにあるミラーが気になるようになった。凸面鏡のミラー、写真のように美しい青空が映っていたりする。自分の姿を映すと、不思議な気分にもなる。

自分のイメージというものは誰でも持っていると思う。あるがままの自分に対して、思い込んでいる自分のイメージがある。私は正義感に溢れている。私は緻密だ。私は国語がにがてである。私は気が短い。最近太り気味だ。などなど・・

そのイメージは好ましいものもあるし、好ましくないものもある。好ましくないものは違和感があったりして意識に上りがちであるが、好ましいものは、これで良いんだというように意識に上りにくい。

自分のイメージがどのように形成されるか考えてみると、幼少のころからの成育史も重要であるが、世相、長年勤めてきた会社の文化、日々の家庭生活、仕事の仲間、地域の仲間など外部からの影響も大きい。

好ましいか、好ましくないかは自分の価値観というより、外部の価値観で決まってきたところもある。

いずれにせよ、自分のイメージはあるがままの自分にとっても、他人にとっても兎角問題になりがちだ。

実態に合わない自分のイメージを変えて一皮むけるには、自分の思考・感情・行動を誠実に考えてみることが大切だと思う。

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長寿の鯉はジャンプが下手!

2007-02-14 | 第一章「意識と知覚」

Wikipediaによると中国に、が滝を登りきると龍になるという言い伝えがある。また登龍門ということで、立身出世を託した鯉幟が日本でもてはやされたそうである。

ただ、鯉は一般にジャンプ力が弱く、どうも滝を登ることもあまりない。ただ、強烈な生命力があり長寿である。

龍になれと期待されても、ジャンプも下手な鯉。そして強烈な環境適応力を駆使して長寿を全うする鯉!

期待と現実のはざまに苦悩する人は多い。幼少の時いつの間にか、両親などから刷り込まれた理想や期待に傷つく人も多い。

龍にならなくても良い、悪食と言われても良い、汚染された水の中を貪欲に生き延びて欲しい。

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