人類はホモサピエンスとして分化したときに革命的な脳の進化があったという学説がある。それから現代まで何万年かが経過しているが、脳の革命的な進化はそれ以降殆ど変わってないようだ。それを考えると、現世人類70億人の今も、世界に散らばる前にアフリカにひっそり暮らしていた祖先も、思考・感情・行動はさほど大きな違いはなかったようだ。
もちろん、環境が違うので、それに適する思考・感情・行動は違う、ただ生き抜く知恵は変わらないと思う。
今、手元には「DNAでたどる日本人の10万年の旅」(崎谷満著)がある。日本人はどうも、世界で有数のDNAの多様性に富んだ土地柄のようだ。ちょっと頭が痛くなる人がいらっしゃるかもしれないが引用してみよう。これを知れば、日本人が実に多様に6-7万年まえにアフリカを出立してから様々な経路とタイミングで辿りついたかが見えてくる。
「日本列島へは、後期旧石器時代にC3系統、Q系統のヒト集団(移動性狩猟文化)が、新石器時代にはD2系統(縄文文化)、C1系統(貝文文化)およびN系統のヒト集団が、金属器時代以降にはO2b系統・O2a系統のヒト集団(長江文明)、またその他、O3系統(O3e系統は黄河文明と関連)、O1系統(オーストロネシア系)などのヒト集団が渡ってきて、現代までもそれぞれの集団を維持している。」(34P)
少し、拙い説明をしてみたい。四大文明として世界史で学ぶ黄河文明は有名だが、現代はそれより前に長江文明(一説では1万4千年まえごろからあったとされる)が栄えていたことが定説である。そしてご存知の縄文文化も同じように古い日本固有の文化である。
さて、私はラッキーなことに5-7月にかけて、東北の遠野。関西の飛鳥・吉野・奈良・京都・大阪を旅行した。そして、今つくづく思うのだが、例えば遠野のおしらさま(蚕と縁が深い)は長江文明(稲と蚕など)を妄想させるし、吉野の山なども長江文明や黄河文明を妄想させる。
神社仏閣や聖地とされるところは、よく考えてみれば、昔の祖先が生き抜いて辿ってきた歴史を背負い。時には、何かを伝えようとしているのだ。歴史を残す建物等も何かを語り、それに縁の深い歴史書や詩歌、民話にも深い知恵が残されている。
まだ、自分の遺伝子は解析するチャンスに恵まれていないが、調べれば例えばD2とかわかるだろう。そして、理論的にはアフリカを出立してからの2000世代とかの祖先の歴史を残しているのだろう。自分の父母や祖父母の世代も生き抜くのは大変で、自分が運良く生まれた奇跡を感じるが、それが2000世代とか続いているのである。
もちろん、その足跡には現れないが、沢山の恩人や幸運もあったと思う。
生き残って生を受けたのだから、これらの歴史と先祖の想いが伝わる生き抜く知恵を、吟味しなければ。そんなことを思う。
ただ、生き甲斐の心理学は臨床心理学系の学問であり。基本は言語療法の領域にある。これからは、少し詩歌や歴史書原典に絞りつつ旅を考えてみたい。
ひびきあう旅③ 1/10