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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

「撫でる」と「撫ぜる」 (生育史を楽しむ 1/10)

2017-01-29 | 第一章「意識と知覚」

 今日、久しぶりに孫と娘と一緒に歓談をしていたが、その時に孫を撫ぜていて、「撫ぜる」といったところ、「撫でる」が正しいと妻や娘、孫にまでに言われてしまった。多勢に無勢なので、少し反発してネットでと調べてみると、本来は撫でるが正しいが、日本全国で撫ぜるという方言?も流通しているとのことだった。

 東京でも、その方言もあるという。私は撫ぜるという言葉のほうが、触感を感じるので正解かと思っていたが、そういう意見もあるが撫でるが本来であるようだった。

 私が、「撫ぜる」とし、妻や娘、孫が「撫でる」としたのは考えてみると、生育史の違いのようであった。どうも私のみが両親、あるいは祖父母、母の影響で「撫ぜる」が正しいと思うようになり、妻や娘たちはそれぞれの生育史で「撫でる」派になったようだ。

 思い出してみると、私も幼いころに祖母が「みどり」を「あお」と言っていて、祖母がおかしいと言った覚えがある。今思えば、明治の人が「みどり」を「あお」と表現しても間違いではないが、当時は家でも学校でも「みどり」が圧倒的になっていたのだろう。

 言葉は環境により時代により変化するもので、良し悪しは本来ないと思う。しかし、人が発する言葉には、何とも言えない深い生育史の影がついていて、ある時代の肌触りを感じてしまう。

 さて、自己実現を考える上で、自分の生育史をどう感じ、どう受け取っていくかは大切なことだと思う。ここで、しばらく生育史の問題をしっとりと考えてみたい。

生育史を楽しむ 1/10

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