先日の東京タワー小旅行では、快晴でもあったので、夕方綺麗に日没する太陽と冨士山の影に期待を膨らませた。そして、4時28分の日没にあわせて万全を期して東京タワーに登ったのであるが、残念ながら雲に覆われて見えなかった。
綺麗な夕日を見るという理想と、見られないという現実。生き甲斐の心理学の病理論では、理想と現実のギャップが感情というとおり、参加者は皆、それぞれ残念がった。
人間には、常に志向性があり、夕日を志向してしまうと、どうしても残念というわけである。
ところが、夕日が落ちてから、東京タワーを降り、坂を下って増上寺に寄った。もう薄暗い中に本堂を見ると明かりが見え阿弥陀如来像が垣間見られた。そして本堂に入ると、たまたま成道会(御釈迦様が悟った日)の前日であり、沢山のお坊さんが美しい声をあげ法要をされていた。
これは、思いがけないことであり、一同、心を動かしたようだ。
図が地になったり、地が図になったりという原理は心理学の初歩であるが、まさしくそんな体験であった。専門用語が苦手な人は、心理学で使われる次の絵などをご覧あれ。ご婦人か老婆が見える図であるが、ふつうどちらかしか見えず、もう一つの図をさがすのが大変。人間には志向性があり、残念にみえてしまえば残念なのだ。
期待に胸をふくらませて旅に出かける。これは先日ブログでご説明した幸福の条件。そして、その見方からすると良かったか否かだけである。ただ、夕日を見るという理想が正しかったか否かは良く判らない、勝手に思い込んだと言ってもよい。それに対して、お坊さんの法要は、不思議な出会いであり、幸運といって良いかもしれない。幸福の条件ではなく幸福感の感情の世界なのである。
旅に期待をして出かけて、なんとなく期待を裏切られて帰る。若い頃は、そんな感じであったが、年をとると共に山あり谷ありの旅では当たり前。その中で、何か意味を発見するようになってくる。感情の世界を生きるようになる。それが、豊かな旅にする秘訣かもしれない。
しかし、神社・仏閣・教会は実に人の感情を豊かにしてくれる要素に満ちている。古代からの人間の知恵は実に深い。
愛を思索する旅 ② 3/10
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