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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛は訓練するものなのだろうか?(マンネリズムに陥らない 8/10)

2012-10-30 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 昨日の爽やかな午後、友達と久しぶりに高幡不動尊に寄った。菊の展示が綺麗で、多くの参拝客も菊を堪能していた。昔は、盆栽とか菊とか、人が手を入れた自然というか・・・そういうものが判らず、変に抵抗があったが、年をとってくると、その意味が分かってくるようだ。

 こころの問題は、美しい菊づくりにもどこか似ているようなのだ。

 『生き甲斐の心理学』はU先生の臨床心理学の知恵が満載のテキストであるが、その第一章は理想的なカウンセリングの場面から始まる。そして、深い愛の必要性を説きつつ、愛の訓練という言葉が続いてでてくる。

 カウンセリングは一つの一対一の関係であるが、相手の様々な湧き起こる感情をとらえられないと何も解決できない。その前提として、自分のどんな感情をも恐れず感じ取ることが大切になってくる。

 「感情はどんな感情でも宝物。」これはU先生の言葉であるが。本当だと思う。如何に嫌な感情でも、自分という生命体から湧き起こる、神秘的とも思える現象である。そして、その感情の意味と愛の問題を熟慮する、望ましい考えや行動が見えてくる(すぐに見えないことも多いが)。そして、ある時点で、嫌な感情と裏腹の明るい感情に出会うことも。

 さて、感情はいつも湧き出るとはいかないようである。何か大事な場面で、感情が湧いてもおかしくないのに感情が湧かないということもある。

 10歳の時に、父と喧嘩して気まずくなっていた時に、海水浴で溺れかけたのを、父が助けてくれた経験がある。その時の恐怖心や幸福感は、場面は思い出すが遠い世界のようで感情が何年も湧かなかった。

 危険を冒して(さらに、気まずい雰囲気もあっただろうが)父は息子を救出したのだが、何故か息子は実感をもってないようで、きっと父は寂しい想いをしたのだろう。それから30年くらいして、父は病で亡くなったのであるが、葬儀が終わってしばらくして、父の同僚の方々が家に弔問に来られたことがあった。

 その時に、父が息子を救った時の話がでてきた。人間関係は微妙である。愛しているのに愛に気が付かない(実感できない)息子が気がかりだったのだろうか。同僚の方は、私に何か言いたそうであった。今では、それがよく判ったが。

 感情の意味を考える訓練。意味を考えることで、情動にながされない行動がとれる。そして、不思議なことに、明るい感情が生まれることも。憎しみが友好的感情と裏腹なのも、その一例だと思う。そして、感情を越えた世界、愛の意味への思索も大事だと思う。

 『年をとり 園芸の良さ 判るころ 愛や感情 訓練育つ』

 マンネリズムに陥らない 8/10

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