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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

親や祖父の生きざまを知る!(私は何か?⑤)

2010-03-04 | 第五章「和解と平和」

 人は死に直面すると、自分の人生の中で起きた核心的な不安を親しい人に話たくなるものなのだろうか。それも死の直前というより、少し余裕がある数カ月前など。

 話しかけられた人は自分と全く違う世界に、その人が生きていた・・と知る。それが、身近な親であっても。生育史は、本当に個人個人違うものだ。体が一人一人違うように。

 私は20年近く前に、父と二人きりで、小一時間そういった時間を持った。母方の祖父とも40年以上前にそういう時間をもった(当時は何故そんなことを祖父がいうのだろうと思った)。その時間は魂の時間と呼ぶのであろうか、今でも鮮明に思い出すことができる(といっても、段々薄れていくが・・・)。

 そして、かなり後から、解釈を深めるということもできるようだ。

 核心的な不安は、逆に言えば、その人の存在理由かもしれない。その方の人生を紡いできた核心かもしれない。

 自分にとっての、核心的な不安とは何だろうか(これが良く見えないものだ)?意外と難しいが、これから悔いなく生きる上で重要だと思う。

 さて、お墓というのは不思議だ。故人の何か見えない軌跡が刻まれているように感じてしまう。写真は天武・持統天皇陵を側面から撮ったもの。

(感謝の領域(私は何か?⑤)  45/60 )

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