20年前、父の葬儀のあとで、父に親しかった方々が集まって、ささやかな会を催したことがあった。
そのとき、父の思い出話をいろいろ聞かせていただいたが、私が小学生の3年の時に海で溺れそうになり、父に助けられたことを親しかった人が知っていてちょっと驚いた。「命懸けでお父さんが助けたそうですね、よかったですね」。そんなことを言われた。
その時、感じたことは、ちょっとした戸惑いだった。確かに論理的に言えば、父に危うく助けら良かった。しかし、何故か、喜びの実感・感情が伴っていなかったからだ。
それから、月日がたち、「生き甲斐の心理学」を勉強するようになった。そして、今から6年前、溺れそうになった東伊豆の現地に訪れる機会があった。その時のことはブログに昔書いたが、風光明媚な素晴らしいところで、こころが躍り、亡父の愛情を実感したのだった(遅ればせながら)。
今、そのことを考えると、素直になれず(恐怖でプロセススケールが低下し)、海中から救われた喜びを抑圧・抑制していたのかなと思う。それがやっと解放されたのが、そのときの旅行だった。解放されたといっても、普通になる(助けられたことに喜ぶ等)ことであるが。
テレビで、スポーツ選手が優勝したときなど、よく「まだ、実感が湧きません。」とインタビューに答えることが多いが、防衛機制でこころの鎧を覆われているときには、そんなことが一般的なのだろう。
防衛機制の鎧を脱ぎ、素直になるには訓練がいる。あるいは、愛情をもった心理療法家やカウンセラーの支援が必要だ。それは、理論的にいうとロジャースの心理療法に必要かつ十分な6つの条件ということになるのだろう。
先日おとづれた京王フローラルガーデン アンジェ 秋明菊が綺麗であった。少し、素直に喜べる練習ができてきたのだろうか?